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宿からまちへ

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既存を見直して、別の角度から光を当てることによって、今まであったものが魅力的に生まれ変わる。

「奇跡の軌跡」という本にこんな言葉が出てきます。

この本の著者でもあり、群馬県の四万(しま)温泉で宿を営んでいる関さんを訪ねました。「鹿覗キセキノ湯 つるや」で、お客さんをもてなしながら、まちを元気にしていくアイデアを一緒に考えていくスタッフを募集します。

いわゆるフロントや仲居さんと呼ばれるような給仕や接待が日々の役割になる。けれど、それだけではなく、宿泊プランを考えたり、宿やまちに対して「もっとこうすればよくなる」という意見を出してくれる人に来てほしいと思います。

東京駅から出ているバス「四万温泉号」に揺られて3時間。だんだんと、景色は田園風景になってくる。

四万温泉に到着し、まずは温泉街をうろうろしてみる。

四万川のほとりには小さな店通りがあり、焼き団子屋さん、カフェ、お土産屋などが並んでいる。ここから少し歩けば、甌穴や無料の温泉施設もあるそうだ。

群馬の温泉というと伊香保や草津が思い浮かぶけれど、ここは素朴な町並みで、ガヤガヤした観光地とはまた違った良さがある。

四万温泉は国民保養温泉地の第一号に指定されている、古くからの名湯。そもそも四万という地名は、「四万(よんまん)の病を癒す霊泉」という伝説からきている。飲んでも浸かっても効き目があると、足湯に浸かっていたまちの人が教えてくれた。

橋を渡って川沿いに歩いていくと、日向見薬師堂が見えてくる。そして、そのすぐそばに「鹿覗キセキノ湯 つるや」があった。

ようこそいらっしゃいました、とはっぴを羽織って現れた関さんに、このまちで宿を営むことになった経緯を聞いてみる。

「実はわたしは東京で生まれ育ったんです。もともとこのつるやは、わたしの祖母がはじめた宿で、その後母が継ぐタイミングで四万へやってきました。そのとき、ここはなんて田舎なんだろう、と思ったんですね。大きくなったら都会に出てバリバリ働いてやる!と決意しました。」

中学からは横浜の親戚の家に下宿しながら進学校で学び、そのまま東京の大学を卒業した関さんは、旅行会社に就職する。

「小説家になりたかったのですが、自分には才能がないと思って諦めたんです。書くより喋る方が得意だと思って、旅行会社に入りました。そうしたら、自分はセールスに向いていたようで、お客様にプランを提案するのがすごく楽しかったんです。これは天職だ、と思いました。」

そんなとき、母親からつるやの経営を助けてくれないかという相談を受ける。

仕事も上り調子だったし結婚したばかりだったこともあって、ずいぶん迷ったけれど、借金もあったのでほっとけなかった。

奥さんに「2年でつるやを良くして戻る」と約束し、四万へ戻ってくる。それが30歳のときだった。

「当時、四万温泉といえば湯治場。お客さんは敬老会などで来るお年寄りばかりでした。宿もぼろぼろで、まずは掃除をするところからはじまりました。なんと、部屋に鍵もついていなかったんですよ。」

関さんは、年寄りしか泊まらないこの宿に、若い人を呼ぶための戦略を考えはじめる。ここからが、旅行会社で磨き上げた腕の見せどころだった。

「うちの唯一の売りは、母がお金をかけてつくった露天風呂でした。そのお風呂が、ちょうど動物が通るけもの道の脇にあったので、『鹿覗きの湯』と名付けました。そのお風呂を、一緒に来た方同士でゆったり楽しんでいただけるように、鍵を順番にかけて利用する貸し切り制にして、プライベートプランを用意しました。」

まずはつるやの露天風呂を知ってもらいたい、という想いで、部屋食付きで8,000円という低価格で旅行誌に掲載する。

すると、それを見た若いお客さんたちがやってくるようになる。テレビで特集されたことも追い風となって、つるやは予約の途切れない人気宿になった。

「テレビに出たとき、年商30倍になった奇跡の旅館だって言われたんです。でも、奇跡と言われるものは、急に起こるのではなくて、実はプロセスがあるんですよね。」

お客様が喜んでくれるプランを考え、それをつなげていった結果、人気の宿になった。はたから見たらその賑わいは奇跡に思えるかもしれないけれど、関さんにとっては必然的なことだったのだと思う。

関さんは、約束通り2年でつるやを元気にした。一度はつるやを離れることも考えたけれど、周りからの後押しもあり、続けていくことを決めた。

それからは、元のいいところは受け継ぎながらも、新しいつるやを関さん流にどんどんプロデュースしていく。

つるやの人気が高まるとともに、やがては関さん自身がまちの名物的存在になる。町会議員のお誘いを受けたのも、ちょうどその頃のことだった。

「お世話になっている方からのお誘いだったし、もっとまちを元気にしたいと思って引き受ける。だけど、政治の世界には上下関係や派閥があり、なかなか思うように動けなかった。それに、関さんが経営から離れている間、つるやの元気もだんだんなくなってきた。

このままでいいのかと思っていたとき、まちで旅館を営む人にこんなことを言われたそうだ。

「『お前がつるやを良くしたときには、うちの旅館にも四万にもお客さんが入ったんだよ。政治もいいけど、自分の宿のことちゃんとやれよ。』って。まちを盛り上げたいと思って政治に進んだけれど、自分の役目はつるやからまちを元気にすることなんだ、と気付かされたんです。」

もう一度、つるやを元気にしよう。そして、つるやからまちを盛り上げよう。

そう思ったときに起こったのが、昨年の東日本大震災だった。客足が途絶えたことで、従業員の人数も減ってしまう。

「奇跡を起こした旅館が、ここまで落ちるのも奇跡だと言われているんです(笑)でも、前は建物もお金もないところから奇跡を起こしたけれど、今はハード面は整っています。あとはここから一緒にやっていく人がいれば、もう一度奇跡を起こせると思うんです。」

どんな人に来てほしいですか?

「ここで試したいって思う人ですね。まずは旅館業をベースにやってもらうのですがうちで持っている施設やまち全体をつかって、宿泊プランやお客様に喜んでいただく仕組みを一緒につくって欲しいんです。」

甌穴の隣には「森のカフェKISEKI」、そして温泉街のなかには昔懐かしいスマートボールを楽しむお店も持っている。それらを繋げてこんなのどうだろう?というアイデアや、むしろこの店をわたしに任せてくれませんか?というのもOK。

「こんなに自由にできる環境はそうないと思いますよ。ダメでも会社が責任をとりますから、つるやを使って楽しんでもらいたいです。」

経営のノウハウを学んでいずれは独立するのもいい。この地に根ざして生きていくのもいい。

「宿とまちをリンクさせながら、色々なことを試してほしいです。宿から四万全体を元気にしたいんです。宿のプランを考えるにしても、つるやの売り上げを目標にするのではなく、地域にいかに貢献できるかを考えていきたいですね。」

四万温泉協会の副会長も務めている関さんは、古くから湯治場として歴史を重ねてきた四万を、国内外からの観光客にもっと知ってもらいたいと思っている。

「まちの人がちょんまげ結って下駄履いて歩いてみたらどうだろう、とか、走っても気持ちのよい道が多いので、ランニングシューズを貸し出したらどうだろう、とか色々アイデアを出し合っている最中です。」

地域と密にコミュニケーションをとりながら、宿からまちへ、一緒にできることを提案していく。

アイデアや既にあるものをつなげて新しいスタイルを生み出してきた。その半生は、テレビ番組で幾度か特集され、一冊の本にもまとまった。

若い頃には四万を舞台に小説を書きたいと思っていたそうだけれど、今は関さん自身が小説の登場人物になってしまっているみたい。そう思えるほど、いくつもの波をくぐってきた。

そんな関さんの隣にいたら、きっと多くのことを学べると思う。

その日はつるやに宿泊した。夕食は、野菜やお肉の出汁がしみたちゃんこ鍋。ご飯がとても美味しかったので名前を聞いてみる。四万の水で炊いた「湯けむり米」というお米だそうだ。

一粒ひとつぶ甘みがしっかりしている。きっと水がすごくいいのだろうな。

すると配膳してくれた従業員の方が、こんな話をしてくれた。

「わたしは昔アトピーだったのですが、四万の水が効くと聞いて、通っていたことがあったんです。そのときは四万で働くことになるなんて考えていませんでしたが、ここの募集を見たときに、なにかの縁かなと思いました。」

ここで暮らしながら働いている人の話も聞きたくて、従業員の方たちにいくつか質問してみた。

みんな、ここへ来たきっかけはさまざま。震災で職を失い宮城県から来た人もいれば、いずれ独立する準備としてここで接客を学んでいる人もいる。

すぐ近くに会社の寮もあるから、そこに住んでいるという人。それから、ここから車で30分の中之条町の町営住宅を借りている人もいる。町営住宅は、キッチン、風呂付きで2万円ほどで借りられるそうだ。

休みの日はどんなことをしていますか?

「このあたりでのんびりしたり、高崎まで買物に行ったり。伊香保や草津までも車で一時間なのでたまに出かけて、牧場や神社を巡ったりもします。あとはジョギングなど、スポーツで体を鍛えている人もいますよ。」

このあたりでおすすめの場所はありますか?

「四万湖の水は、すーごく綺麗なんですよ。エメラルドグリーンで。ここ数日は晴れているので、行ったら驚かれると思います。」

なんだか素敵な情報が聞けた。

今回は四万湖や甌穴には足を運べなかったけれど、この地のゆったりとした時間の流れを感じることができたので、とても良かったと思う。

ちょうど今は、紅葉が一番見頃な時期。四万に足を運んで、実際にまちを見てみるのもいいかもしれません。

最後に、関さんがこんなことを言っていました。

「自分は趣味で剣道をやっているのですが、弱気のときには勝てないんです。でも、なんとしてでも勝ちたい!と思うと、勝てるんです。やっぱり、人って気持ち次第でどうにでもなるんですよ。一番大事なのは気持ちですね。ダメだと思わないこと。変えたいと思い続けることです。ここから、ほかにないまちづくりを一緒に発信していきたい、という人が来てくれたらとても嬉しいです。」(2012/11/13 ナナコup)