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暮らし方をデザインする

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「暮らしの中に生きるヒントがある。」

石見銀山にある他郷阿部家を訪れて感じたことです。

生き方とか働き方を考えることは、なんだか特別なもののように感じることがあります。でも石見銀山にある他郷阿部家を訪ねて知ったのは、すべては身近にあるもので、そこからはじめて暮らしを楽しんでいけばいい、というものでした。

他郷阿部家は松場登美さんが暮らす場所であり、宿として多くの人をもてなしてきた。ここで一緒に働きながら、新しい試みである「暮らしの学校」を実践していく人を募集しています。


羽田空港から飛行機に乗って1時間半ほどで島根県に到着。空港で小さなレンタカーを借りて海岸沿いを走っていく。海から離れて里山を抜けて石見銀山に到着した。山と山の間にある小さな町。

しばらく地図を頼りに街道沿いを探すけれども、なかなか目的地にたどり着けない。電話をしたら宿の番頭である峰山さんが迎えに来てくれた。

他郷阿部家の前に立つと、何度も目の前の通り過ぎた家だった。同じように古い屋敷が続く街並みに溶け込んでいてよくわからなかった。けれども家の前に立つと、よく手入れされた場所であることがよくわかる。


松場登美さんは30年ほど前に夫である大吉さんの故郷である石見銀山に移り住んだ。まずは呉服屋の片隅で布小物をつくることからはじめる。そこから「群言堂」が生まれ、古民家を修復しながらコツコツとお店を増やしていった。

そして10年前に修復に取りかかったのが他郷阿部家だった。


夕方にじっくり話を聞くことにして、まずはお世話になる部屋に通された。

部屋に入ると、すぐに昔から地元で飲まれてきた「こうか茶」のいい香りがしてきた。こたつに座りながら一つひとつに感嘆していると、はじめて来た場所なのに、すぐにあたたかいものに包まれているような幸せな気分になる。

しばらく待っていると登美さんがやってきた。懐かしい雰囲気の台所で話を聞くことにした。この台所も素敵な空間で、使い込まれた道具や調味料などが整理されて並んでいる。

「ここはわたしの理想の暮らしの場なんですね。その理想の暮らしを世の中に問うてみたい、という気持ちでここを宿にいたしました。ここに移り住んでからもう30年ですけども、夫が最近、家業、生業、本業という話をよくするようになりました。」

家業、生業、本業?

「夫の実家はもともと繊維に関わる仕事をしてきましたので、業態はかわっても繊維に関わる仕事で家業を継いだということになります。それから食べていくために、生きるために仕事をしてきました。それが生業です。そして60歳目前にして本業を、つまり、自分が本来するべき本当の仕事が見えかけてきたというようなことを言っておりまして。それは私も同じなんです。」

「夫は民家再生に力を入れてきました。わたしはそこでただ建物を再生するだけじゃなくて暮らしも再生しなければ意味がないと思うようになりました。そして、今やっと自分の人生をかけてやるべきものを見つけたんです。」

それは一体どういうものなのだろう。すると登美さんはこんな話をしてくれた。

「自分の人生もそうでしたけど、だめだと烙印を押されても、いつか芽が出て成長できると思うんです。この家も誰もが壊すしかないっていったほどボロボロの家だったんですね。はじめは重病人を介護するような気持ちで直しはじめました。でもしばらくするとそれが逆転するんです。今はこの家があることで、どれだけ勇気をもらい、夢が描けるか分かりません。」

他郷阿部家は30年空き家だった。天井は抜け落ちてシロアリもいた。まずは不要なものを整理して、家の傾きを直すため瓦を下ろし、壁も落として、新しく建てる以上の労力をかけた。

また改修には、できる限り土地のものや廃材を利用することにした。そうして出来上がった空間は、小さな子どもにも大人にも受け入れられる、懐かしいようでモダンなものになった。

「お座敷に夫がくれた掛け軸があって。心想事成って書いてあります。心に想う事が成ると書いて、心想事成なんですね。だからよく、お金がないとか、才能がないとか言うけど、やっぱり想う気持ちというかね。それが1番のエネルギーなんだと思っています。」

「どういう心持ちで人がそこに関わるかによって、その場のパワーってものすごく引き出されてくるんです。そして私はいつも足下の宝を活かして暮らしを楽しむって言うんですけど。なにも離れたところに行かなくても、足下に宝がいっぱいあるんですよ。」

どこか遠い場所でもなく、未来でもなく。今、足下にあるもの。

登美さんはそういった身近なものを大切にしてきた。新しくつくるのではなく、かといって懐古主義になるのでもなく。今あるものを再生させて活かしていく。

たとえば群言堂の本店にある大きな藤もはじめは小さな盆栽だった。花が咲かないから捨てるという人から譲り受ける。するとどんどん大きくなって花を咲かせるようになった。もうだめだと言われた梅も毎年見事に咲くようになった。

花のない季節なら柚子とか南瓜をしつらえる。掛け軸にはごみ箱に捨てられていた大福帳の破れたものを表装してもらった。まるで現代アートのように見える。

あるものを活かすとか、古いものを残すということは、今まで流れてきた時間とつながるということ。新しいものに交換して時間を断絶するのではなく、古いものや家を現代に活かしながら再生させていく。

「今は無駄なものを大量につくって、大量に安く売って。それを消費していくことを煽っている。私の友人のデザイナーも、デザイナーという仕事はそもそも人を幸せにする職業だったのに、今や経済を加速する職業に変わってしまった、と言うんです。」

お金をかけなくても、新しいものを用意しなくても、豊かな暮らしができる。そんな風にして再生させたのは、ものや家だけではない。ここを訪れた人たちも、それぞれに途切れてしまった心をつなぎなおしてきたようだ。


その日の話はここまで。しばらく部屋でゆっくりしてから、台所で夕食をいただくことになった。

テーブルの上には、次々と料理が運ばれてくる。海の幸に山の幸。どれも素材の美味しさが引き立っていた。

食事もおいしいけど、テーブルを囲んで話をするのが楽しい。ここでは会話が何よりの御馳走。最後に薪をくべて釜で炊いたごはんを卵かけごはんにしていただいた。

楽しい会話を終えて風呂に入る。中はミストサウナが視界をぼんやりさせて幻想的だった。ゆらゆらと揺れるロウソクの灯りを眺めながら、登美さんの日常を感じ入った。

部屋に戻るとふとんの中には湯たんぽが入っている。電気を消すといつのまにかぐっすり寝てしまった。


翌朝、起きると蔵を修復した部屋で朝ごはんをいただきながら、登美さんとお話をした。

話はいろいろなことに及んだけれど、どれも根っこは共通しているように感じた。

「大事なのはヒューマンスケールだと思うんです。車社会でない時代の道幅だから、通りすがりに必ず会釈したり、子ども達も挨拶する。そこに人の暮らしがあるってことですよね。だから私は、お客さまにも暮らすようにここに滞在していただきたいです。」

仕事とか暮らしとか、すべてがつながっていますよね。この場所を流れる時間ってオンオフがないような気がします。

「私はね、いつもね、そんな働きっぱなしで大変じゃないですかって言われるけど。仕事とプライベートとか、楽しみと仕事とか、区別がないんですよ。だから年中働いてるんですよね。でも年中遊んでるかもしれない。そういう感覚なんですよね。」

でも仕事というよりも、これが生き方なんでしょうね。

「まさにそうですね。私は好きなところで好きなことして食べていけたら、こんなに幸せなことはないと思っていて。それでまた人様が喜んでくださったら、これもまた嬉しい話ですしね。」

コツコツを続けてきた暮らし。登美さんはそれをより多くの人に伝えようと宿をはじめて、これからは「暮らしの学校」というものをはじめるそうだ。これは、この場所で生活を共にしながら「暮らし」を考え、伝えようとするもの。学校というけれども、一緒に生活したり、話をするような時間になるそうだ。

新しく働く人も「暮らしの学校」を運営していくことになる。とはいえ基本になるのは、箒で掃いたり、雑巾がけするようなこと。とても地道なことが大半の仕事になると思う。

でもそういう足下にあることを続けていくことで広がっていくものがあるはず。それは30年、この場所で登美さんたちが積み上げてきたものを見ればよくわかる。


番頭の峰山さんは、まさにその基本を続けている一人。もともとはアパレルの仕事をしたいと思い、群言堂に入社して働いてきた。他郷阿部家のスタートとともに、こちらで働くようになる。

仕事をする上で大変なことはないか聞いてみる。

「古民家なんでやっぱり掃除が欠かせないんですね。雑巾がけからトイレの掃除まで徹底しますので。」

「ただ雑巾がけといっても場所によって水のしぼり方が違っていたりだとか、部屋の隅から掃除するとか、いろいろあるんです。だけどそういうことを知らなかったもんで、まぁ度々叱られてましたね。」

まったく勝手がわからない中で働くのは大変ですよね。

「そうなんです、そうなんです。でも最初はそう感じましたけど、今となっては基本のことだと思います。たとえば掃除することで、その家に対しても愛着がわいてきますし、松場は掃除が仕事の基本といつも言っています。そこからいろんな学びを得たように思います。今となっては、そういった経験が自分の土台になっているように思います。」

「これからは登美さんの思いを大切にしつつ、自分たちなりに時代に応じたアレンジをしていくことがすごく大切になっていくんだろうと思います。自分の心に問いかけて、応答して自分たちの口でしっかり話していくというか。」

この時代から失われようとしている大切なものを再生しながら、次に伝えていく仕事になると思います。

登美さんも途切れかかっていた大切なものを見つけて、次につなげてきたんだと思う。

だからそういう価値感が共有できて根気よくコツコツ続けられる人がいい。夢ばかり追っている人には向かないかもしれません。

あとは料理が好きな人。家庭料理が基本なので、経験は問わないけれども一緒になって料理をつくったり、メニューを考えるのが楽しくできるといい。

まずはすべてを受け入れてみてください。一つひとつの仕事を大切にしながら働くことができれば、この場所から自分の世界が広がっていくように思います。(2013/3/11 ケンタup)