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一歩ずつ、少しずつ

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

昨日までできなかったことができるようになること。自分の引き出しをひとつずつ増やしていく喜び。

それは決して派手なことではないけれど、きっと積み上げていく充実感があると思います。

今回は、町工場(こうば)の技術とそれを求める人をつなぐ、営業の仕事の募集です。

株式会社ミヨシは、金属やプラスチックの部品を形づくるための「金型(かながた)」を生産している会社。

どんな形をつくるか既に図面まで決まっているお客さんもいれば、これから形を模索していくお客さんもいる。営業は、そんなお客さんたちと一番近くで接することになる。

技術のこと、素材のこと、それから起こりうる問題について。知らないと成り立たないことが沢山ある仕事だと思う。

だけど、技術職の経験は問わないし、文系の出身でもいいそうだ。思ってもみなかったところからやってくる新しい風にも期待している。それが、社長の杉山さんの考え。

詳しく話を伺うために、東京・葛飾区にある会社を訪ねた。

葛飾区は、東京で3番目に町工場が多い職人さんの町。京成線四ツ木駅から歩いていくと、住宅街の一角にクリームイエローの建物が見えてくる。

二階の事務所へと階段をのぼり、杉山さんとお会いする。まずはめでたい報告を受けた。

「昨年の12月に、父の後を継いで代表取締役になったんです。」

おめでとうございます!

仕事百貨と杉山さんの出会いは、去年の夏のこと。仕事百貨のイベント会場の隣で行われていた「BRANCHと町工場展」に、ミヨシが出品していたことがきっかけだった。

話してみると、杉山さんは、捨てられないものをつくりたい、日本にしかできない技術力を受け継いでいきたい、という熱い職人魂を持っていることが分かった。

それと同時に、頭がとても柔らかい人。持っている技術と人とをつなげるために、外部とのプロジェクトにどんどん関わっている。

今進めている取り組みとしては、町工場の技術をデザインの力で伝える活動をしている「BRANCH」と共同での商品開発がある。

「一緒にやっていくなかで、人とものをつなげる感覚を持っているデザイナーさんってすごいなと思いました。技術がデザインと結びつけば、その技術を本当に必要としている人に届けることができると思うんです。みんなで意見を出し合って、できあがっていくプロセスがすごく楽しいんですよ。このことを考えるたびにニャニヤしています。」

つくった商品は、昨年2月のはじめに開催された「ててて見本市2013」にも出品された。

杉山さんを見ていると、自分で手を動かしてなんでもつくれてしまう上に、人と話をするのも好きだから、きっと何でも思い描いたことを実現できてしまうのだろうな、と感じる。アイデアを出せる人は沢山いるけれど、自分で形にまでできる人はあまりいないと思うから。

いずれ、ミヨシの自社ブランド製品も増えていくのかもしれない。そうなったときに、新しく入る営業の人は、卸し先やルートの開発なども担当することになるのかもしれない。

ただ、あくまでもミヨシの仕事の基本は、既製品を売ることではなく、クライアントさんの注文を受けて、まだこの世に形のないものを一緒につくっていくこと。

相手も手探りのなかで、一緒に道筋とゴールを決めながら制作していく。

技術をやりながら営業の仕事も兼任してきた杉山さんに、営業の仕事について聞いてみた。すると、こんな話をしてくれた。

「工場の営業というと、キツいイメージがあるかもしれないですが、うちは今まで、お客さんとトラブルになったことはほとんどないんですよね。」

これはとても意外だった。きっと、もっと安くならないの?とかもっと早くつくれないの?とか、色々難しいリクエストをされることもあると思うのだけれど…。

「確かにそういうことを頼まれることもありますよ。でも大きなトラブルはないに等しいですね。もしあるとすれば、お客さんの要望に対して、できないことにも全て『できます!』と答えて進めてしまった場合だと思います。だけど、事前にしっかり要望とこちらが提供できる技術をすり合わせて、お互い納得してから制作をはじめた場合は、ちゃんと上手くいきますよ。」

「できないことはできると言わない」。これがミヨシの営業のモットー。

営業が無責任な判断してしまったら、職人さんたちも苦しむことになるし、完成品を見たお客さんもがっかりする。だから打ち合わせを重ねて、理想と現実のギャップをしっかりと埋めてから製造をはじめる。

もちろん、何でも「できない」というのではなくなぜそれができないのか、どうすれば出来るようになるのかをすり合わせていく。

相手に納得してもらうためには、ある程度技術のことを知っていないといけないし、一朝一夕にこなせる仕事ではないと思う。

普通に考えたら、技術の経験を積んだ即戦力の人を入れると思う。だけど杉山さんは、違う分野でやってきた人が来てもいいと思っている。

そのために、長い時間をかけて、その人のことを見ていくつもりでいる。それは、ずっと一緒にやっていきたいと考えているから。

入社してから1年間は、研修期間にすることを決めているそうだ。どんなことをやるのか、詳しい内容を伺ってみる。

「最初は、なにを言っているのか用語が全く分からないと思うんです。だからまずは、営業の仕事を横で見てもらいたいと思います。そして、だんだん言葉が理解できるようになってきたら、資料やプレゼンシートをつくるサポートなどをしてもらいたいです。」

「それから、技術の現場にも入ってもらいたいと思っています。簡単な削る作業や、雑用などをやりながら、現場の雰囲気も身につけてほしいですね。」

金型をつくる手伝いもするんですか。

「そうなんです。というのも、立ち会ってほしいポイントがあるからなんですね。例えば、製品ができあがる瞬間は絶対に見てほしいんです。なぜなら、問題が起こる確率が一番高いからです。」

そこで、うまく材料が流れていなくて失敗してしまったとする。すると、『材料が固かった』『次はもう少し長さを短くしよう』など、職人さんが集まって、みんなで解決策を出し合う。

それを見ていることで、お客さんとの会話のなかに生きてくる。

あらかじめ起こりうる問題と、そうならないための対策や解決策が、ぱっと頭に浮かぶようになるのだそうだ。

営業の仕事と技術の仕事、両方の現場を見ながら、少しずつ知識を身につけていく。まずはそんな一年間になると思う。

「先輩の稼いでいるお金で、その人の成長を補う形になるので、できるだけ先輩が動きやすいようにサポートしてほしいと思います。そしてお互いありがとう、ありがとうと言い合える関係が築けたら、すごく意味のある期間になるんじゃないかな。」

杉山さんに、新しく入る人の面倒をみることになる、先輩を紹介してもらった。この道30年のベテラン営業、荒木さん。通称「あらさん」です。

「いやいや、全然ベテランじゃないですよ。たしかに、トラブルがあれば出ていくのは営業のわたしになります。だけど、もの自体をわたしがつくっているわけではないですから。うちの職人さんたちが頑張っているから、成り立っているんです。わたしの口から商品は出てきませんからね。」

はっはっは、と豪快に笑うあらさん。今年で73歳になる。

あらさんと杉山さんの年齢差は、ちょうど干支3周り分。あらさんは、杉山さんがやんちゃ少年だった頃からずっとミヨシに勤め続けて、もうすぐ30年になる。

もともとは秋田の出身で、中学を卒業した15歳のときに、「金のたまご」として、集団就職のため東京へやってきた。

最初に就いた仕事は、金属加工で部品をつくる旋盤工(せんばんこう)の仕事だった。一緒に就職した仲間は10人ほどいたけれど、みんな故郷に帰ってしまい、4年後にはあらさん一人しか残っていなかったそうだ。

その後、ご縁をもとにトラックの運転手やストロボの製造会社での営業職などを経て、ミヨシへやってきた。

ものづくりが好きで職人になったけれど、もともと「誰とでも顔を合わせたら仲良くなれるタイプ」だったというあらさんは、人と接する仕事に向いていたのかもしれない。今の仕事は、色々な人に会えることが楽しいそうだ。

ミヨシでの30年のなかで、印象に残っていることを聞いてみた。

「徹夜でつくった品物を段ボールに詰めて、朝一の新幹線で掛川の駅まで運んだことがありました。引き受けた時点で、約束は守らなければいけませんから、それはもう必死でした。そしたら改札口に辿り着いたとき、お客さんが笑顔で迎えてくれたんですよ。『助かりました!お疲れさまでした!』って。それを聞いたら、疲れが全部吹っ飛んでしまいました。」

辛かったことは、ありますか?

「辛いと思ったことは、一度もないですよ。」

一度もですか?

「僕はいつでも、与えられた仕事をやるだけです。貧しいところで育ったので、一人前になるまで頑張りなさい、という親の言葉を守ってきたんですよ。好き嫌いの前に、今ここに生活の場があるとしたら、ここでそれなりに力をつけていきたいと思うんです。」

ミヨシに来たときも、仕事がひとりでこなせるようになるまで4年もかかったそうだ。

「図面の見方や分からない用語はその都度質問して、少しずつ覚えていきました。だけど苦しくなかったです。今まで分からなかったことが分かるようになる。昨日までなかった引き出しが増えた、という喜びの方が大きかったですね。」

苦手だったパソコンも、後輩に「毎日1時間、終業後に教えてください」と頼んで教えてもらった。キーボードタッチを覚え、今ではメールやエクセル、ワードなどのソフトも使いこなせるようになったそうだ。

「突破して、なにかを習得したときの喜びってすごいんですよ。メール打てるようになっちゃったよ〜!ってね。だって、勉強したものは自分の宝なんです。会社のものではなく、自分の財産なんですよ。」

少しずつ、少しずつ自分の引き出しを増やしながら、あらさんは30年を積み重ねてきた。

職人の経験があるあらさんでも、一人前になるまで4年かかったのだから、新しく入る人は、もっと月日がかかるかもしれない。

それでも、昨日よりも今日、今日よりも明日と、一歩一歩積み重ねて前に進んでいきたいと思うような、そんな人が来てくれたらいいなと思う。

最後に、あらさんがこんなことを話してくれました。

「ミヨシは、会社の規模のわりに素晴らしいお客さんを持っています。おかげさまで、すごい人との交流が沢山あるんです。そういうとき、いつ話しても一辺倒じゃ相手がつまらないでしょう。だから、10、20、30段と、どんどん引き出しを増やしていくんですよ。今日は何番目の引き出し開けてみようかなって。それはきっと、楽しいことだと思うんです。」

(2014/1/1 笠原ナナコ)