※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
会いたい人に会いにいくのではなく、向こうから会いにくる。そんな地域があります。アクセスが特別いいわけじゃない。でもわざわざそこへ足を運ぶ人たちがいる。
たとえば、島根県海士町は、本土から船で2時間以上の離島にも関わらず、全国から視察がやってくる。徳島の神山町には、移住者やサテライトオフィスを構える企業が増えている。
ふたつの町に共通するのは、過疎だった町を独自の考えで再生したということ。
その道は、これから地方の限界集落、少子高齢化など課題を抱える日本にとって重要なヒントになる。だからこそ全国から注目が集まっている。
今回の取材で行ってきたのは、海士町と神山に並ぶような場所でした。
場所は東北。宮城県の、太平洋に面した南三陸町。
リアス式海岸の美しい景観と緑深い森林に囲まれ、海と山両方の恵みを受ける。
そして、3年前の東日本大震災で大きな被害を受けた地域でもある。
地震が引きおこした大津波は、庁舎、鉄道、病院を含め沿岸部の町並みをほとんどすべてさらってしまった。
亡くなった方もいれば、町の外へ出た人もいた。ゆるやかに減っていた人口は一気に減少した。
そんな状況のなかで、なんとか町を元気にしたい、という想いから生まれたさまざまな取り組み。
7万個のヒット商品となった受験のお守り「オクトパス君」、復興仮設商店街「南三陸さんさん商店街」などは聞いたことがある人も多いと思う。
だんだん南三陸の名前は全国に知られるようになっていった。
南三陸には、今ではボランティアではなく、お客さんとして足を運ぶ人たちが増えている。
そして、その人たちをおもてなしするのが、今回募集する仕事です。
南三陸町の入谷地区にある「まなびの里いりやど」で、学校や企業向けの研修プログラムを考え実行するコーディネーターと、宿の経営全体を考えるマネージャーをそれぞれ1名ずつ募集します。
どちらもこれからはじまる新しい仕事だから、自分で役割をつくっていけるような人に来てほしいと思います。
「まなびの里いりやど」は、1年前に大正大学と南三陸町の有志が立ち上げた研修施設。
「南三陸の人と暮らしを通して自然と人の関わりを見つめ直す」というテーマで、小学生から大学生までの学生や企業の人材育成向けにさまざまな宿泊研修を行っている。
プログラムとして提供しているのは、たとえば震災を体験した「案内人」とともに実際の現場を巡りながら話を聞く町内視察。 農家や漁師の仕事や暮らしを体験するグリーンツーリズム。 そして、それらの体験を経て感じたことを共有するワークショップなど。
プログラムは決まっているものがあるわけではなく、それぞれお客さんの属性や目的に合わせてつくっていく。
新しく奇抜なことはしない。自然と隣り合わせのこの地に続いてきた考え方、暮らしを伝えていくこと。そして、来てよかった!と思ってもらえるように、できる限りのおもてなしをすること。
名前を聞いて驚くような国内の名だたる大企業のCSRや新人研修としても利用されていて、リピーターやその後個人的に訪れる人も多いそうだ。
そんないりやどを立ち上げたのは、生まれも育ちも南三陸町入谷地区の、幼なじみ3人組。
3人に会って話を聞くため、南三陸を訪ねました。
仙台駅からバスで2時間弱。そこから迎えの車でいりやどへ向かう。
海岸沿いは至るところで工事が行われていて、3年経った今でも津波のあとはまだくっきりと残っているようだった。
平日でもたくさんの車が出入りする「さんさん商店街」を抜けて入谷地区に入る。
ここはまた海岸沿いとは雰囲気が違い、森、山、水田に囲まれた緑鮮やかな風景が広がっていた。
その自然環境の豊かさから、入谷では15年ほど前から民泊体験など先駆的に外部からの教育旅行を受け入れていたそうだ。
この地に続いてきたおもてなしを形にしたのがいりやどだと思う。
新築の清潔な館内で、入谷公民館長の阿部さん、みんなから「親方」と呼ばれ理事と料理長を兼ねる高橋さん、理事の阿部博之さんの3人に話を伺う。
実は、3人はそれぞれ本業を持っている。
阿部さんは南三陸町の役場に勤める公務員、親方はさんさん商店街の人気店「季節料理 志のや」の店主。そして博之さんは専業農家。
新しくここで働く人は、ここに専属で関わることのできない3人と一緒に、意見交換しながらこれからのいりやどをつくっていくことになると思う。
まずは、いりやどがはじまった経緯を聞いてみた。
「来る人拒まず全部つなげていったらいりやどに繋がって今こうなってる。」と笑う阿部さん。
阿部さんは、震災直後に「Yes工房」を立ち上げ、さまざまな誘いにNoと言わずに応えていきながら事業をふくらませていった。オクトパス君の生みの親でもある。
「震災の一ヶ月後に、入谷の公民館に転勤したんです。仕事はもっぱら避難所のお世話。喪失感漂う中、何かやらないと気がまいってしまうという状況でした。」
そこで、店ごと流され九死に一生を得た同級生の親方とともに、炊き出しをはじめることにする。
そこで知り合った大正大学の関係者から、ボランティアを受け入れてほしいと打診される。
「大学側は、炊き出しとかレクリエーションをしようって。でもわたしたちは、まずは被災地を自分の目で、足で感じて欲しいと言って、学生たちを案内したのっさ。」
自分の震災のときの状況、そして今考えていること。取り繕うことなく話すことが、学生たちにとっては、他人ごとじゃない自然災害、そして自分の住む町のことを考える良いきっかけになった。
もし自分だったらどうする?と自然に問いかけられるような。
もともと教育に明るかったわけじゃない。人材育成もコーチングも分からない。
でも、目の色が変わる学生たちを見て、自分たちの体験を伝えることは、人にとって学びの機会になるんだと気がついた。
そうして、大正大学からの提案に応えるかたちでいりやどがはじまることになる。
最初は震災の体験を伝えることが研修のメインだったけれど、だんだん他のプログラムも生まれていった。
たとえば、田植えや収穫などの農業体験。「ばば山」と呼ばれていた山を「グランマの森」として再生し、そこに植林したり、ツリーハウスをつくる体験など。
自然と隣り合わせだからこそ、恐ろしさも素晴らしさも感じられる。そんな南三陸の暮らしを学びにかえていくプログラム。
「ここで勉強する、汗を流す、ご飯を食べる、人と話す。特別な準備なんてしない。これやってみろ。いま旬のものうまいから食え。これが普通のことなんです。」と阿部さん。
「ここにくると頭つかって体動かすでしょ。だからダイエット気にしてても、きれいにぜんぶ食う子多いの。」と博之さん。
親方が提供する宿の食事も、いりやどの売りのひとつ。
「食事の量が多いと言われるんだ。なんでかっていうと、自分たち、被災して3ヶ月、今食わないと明日食うもんないっていう状態で。あのなんともいえない虚しさったらなかったよね。」
親方の話を隣で聞いていた、博之さん。
「電気がないから冷蔵庫が使えない。炭火で一気に料理するから、捨てるごったら腹に入れろって。貧しさが原点にあるから、ここの料理うまいんだよ。」
3人の話を聞いて、訪れる人がまた来たくなってしまう理由が分かった気がした。
「ここのいいところは、みんな変に気負ってないというか。被災地だから何がなんでも俺が立て直さなきゃ、という感じではなく、もともとやってきたことの延長線上に今があるという考え方をしているので。むしろ、今まで絶対出会えなかったような人たちがどんどんこのエリアに来るようになって、楽しくてしょうがないって感じなんですよ。」
そう話してくれたのは、大正大学の職員としていりやどの研修事業に関わる安藤さん。
愛媛出身で大阪の大学を卒業した安藤さんが、初めて南三陸に来たのは2011年4月のことだった。
内定先の企業から内定を取り消しされ、どうしようと思っていたところ、友人の後押しもあってボランティアに参加した。
被災者をNPOとつなぐ「つなプロ」のメンバーとして、避難所を周りニーズ調査をしながら、半年ほど東北で過ごしたそうだ。
その後はいちど大阪に戻り、就職活動をはじめる。
「自己アピールとして『被災地で半年間活動しました』と話すんですけど、私としては、そんなに何かをできたという思いはなくて。何かをしてあげたことよりも、何かをしてもらったことのほうが圧倒的に大きいんですよ。」
だんだん違和感が大きくなっていったとき、知り合いづてにいりやどの事業に誘われ、迷わず「やりたいです」と言った。
今は、ふだんは東京で働きながら、春と夏の長期休暇にいりやどに滞在して、団体研修の受入れを担当している。
安藤さんは、大学生のスタディーツアーの企画や、コンテンツの動画制作を監修してきた。これは今回募集するコーディネーターの仕事に近いと思う。
「訪れる人に、このまちの暮らしから今後の日本の未来のヒントになるようなことを探ってもらいたいんですね。そこには、第三者の立場からの翻訳が必要だと思うんです。歴史、文化、暮らしを伝えていけるような。」
翻訳者のような第三者の立場で、地域の声を聞き、お客さんのニーズを聞きながらプログラムをつくること。それがコーディネーターに求められる役割。
マネージャーの仕事についてはどうですか?
「従業員の2人はホテルスタッフ出身で総務と接客をやってきた方で、料理に関しても親方がいる。地盤はあるので、マネージャーには、この施設を運営することだけではなく、ここを起点にこの地域をプロデュースしていくという気持ちで来てもらいたいと思います。」
どんな人にきてほしいですか?
「やっぱり、地元の人と仲良くなることが、いちばん必要かな。わたし、この村の人には娘のようにかわいがってもらっているんです。そうやって地元の方の懐に入り込みつつ(笑)、お願いできるような。仕事として、というより、ひとりの人間としてこの地域に入り込んでくれるような人だったらいいかな。」
たとえば、教育、地域づくり、グリーンツーリズムに興味がある人ならば、ここを自分の夢のためのステップアップにしても全然かまわないそうだ。
ただ、だからといってやりたいことをやる!という考え方では、地域に受け入れてもらえないと思う。
まずは安藤さんのように、相手の話を聞くことからはじめられる人がいい。
そうして信頼をつなげていけば、短い期間でも家族のような関係になれるかもしれない。
最後に、阿部さんがこんなことを言っていました。
「東京に行くと、みんな知ってるからね、南三陸。ふつうだと会ってもらえない人も、アポ無しで会ってもらえたりする。これを生かさないともったいない。ここで活躍すれば、世の中で放っておけない人材になると思う。わたしら、地域とのつなぎ役はするけど、直接関われないので、あとは来た方に思う存分暴れてもらいたいです。」
これからどこの地域にも起こることが、たまたま先に来た。南三陸の未来を考えることは、日本の未来を考える機会になると思う。
このチャンスを生かしてください。
(2014/6/27 笠原ナナコ)