※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
起業することは簡単なことじゃない。しかも、どんな事業をしてもいいわけじゃなく、地域を元気にするのが目的だったなら。株式会社西粟倉・森の学校は、源流の森が広がる里山で、ビジネスをつくっている会社です。たとえば、間伐材をつかって床貼り用のフローリング材やキッチン雑貨、家具などを製造しています。
今回はこのものづくりの基本となる、製材スタッフを募集します。経験はなくてもいいそうです。
普通に考えると難しい事業です。やろうと考える人がなかなかいないだろうし、特徴のある地域でもない。
それでもはじめている人たちがいます。それはなぜなんでしょう。
西粟倉・森の学校の代表である牧大介さんたちと話していると、なんとなくわかるような気がしました。
少しでも「面白そうだ」と思う人はぜひ読んでみてください。
鳥取空港からレンタカーで高速道路を進んでいく。いくつものトンネルを抜けて、1時間ほど車を走らせると、岡山県に入る。そこはもう西粟倉村だ。
山あいのわずかな平地に、民家と田畑が広がっている。温泉があるくらいで、あとはどこにでもあるような場所。
村内の道路を走っていると、ピンク色の校舎が現れた。ここが西粟倉・森の学校の本拠地。
中に入ると、職員室のような部屋に牧大介さんが待っていてくれた。
枚さんは京都出身。まずははじめて西粟倉を訪れたときの第1印象を聞いてみた。
「結構、中途半端な田舎なんですよ。山奥の本当の過疎地、という場所にたくさん関わってきましたけど、ここには国道もあるし、鉄道も通っている。大きな道の駅もあるし、特別素晴らしい風景というものもない。食事を楽しめる場所もあまりなくて、あんまり気持ちが乗らなかった。」
気持ちが乗らない地域。
そんな西粟倉に出会う前、牧さんは大学で森林の研究をしていたそうだ。
「大学で研究していても、地域がよくなることはなくて。田畑や森が荒れていくのを見て、さびしい気持ちになりました。みんないろんなアイデアを持っているし、地域にはいろんな可能性があるのだけれど、やる人がいない。」
やる人がいない。
「だから銀行の子会社のシンクタンクに入って、調査とかコンサルの仕事をしていたんです。ちょっと大変だけれど、報告書をつくればノーリスクで一千万円くらいのお金はもらえてしまう。でもそれはあんまり意味がない。」
意味がない。
「実際に何か変わっている実感がなかった。圧倒的にプレイヤーがいないんですよね。『役所でなんとかしろ』という依存体質もよくないし、まわりが『あーしろ、こーしろ』と口だけでも仕方ない。ちゃんと民間でビジネスとしてやる人が、田舎に増えていかないといけないわけです。」
やる人がいないから、自分でやろうとした。意味がないことはしたくなかった。けれども気持ちが乗らない地域で起業したのはなぜなのだろうか。
「西粟倉に國里さんという人がいたからですよ。木の里工房 木薫という会社を立ち上げることになって、そこに関わらせていただいたんです。雇用が減って地域がさびれていく中で、一人でもなんとかしようという人が出てきちゃった。」
「ほんとうに正直に言ってはじめは気乗りしなかったけど、國里さんを見て、ここから流れが変わるかもしれないという気持ちがあったんです。それが現実になって、自分も関われるかもしれない、ってワクワクする感じが出てきちゃったんです。」
そうして、西粟倉でビジネスを立ち上げていくことになった。そのときに重要なテーマとなったのが「林業」や「木材」というものだった。
「丸太のまんまでは、どうやっても商品にできない。だから製材して、乾燥させて、材料として仕上げないと、自分たちで家具をつくることもできない。そういうインフラになるようなものをつくろうと思ったんです。」
「あとは地域のブランドも弱かったので、西粟倉のブランディングもやっていくことにしました。そうやれば、モノが生まれて、売れていく、という流れが後からついていくと思ったんです。」
不安とかはなかったですか?
「なくはないですけど、やる意味はあると思いました。あとはやるだけやってみる、という感じで。」
そこから生まれた事業は、地域で生まれたビジネスとしても実にすばらしいものだと思う。
たとえば「ユカハリ」。これはオフィスのタイルカーペットと同じようなサイズの無垢の木でできたタイル。既存の床の上に置くこともできるので、クギや接着剤は不要で、普通の賃貸物件でも気軽に無垢の床を楽しめるというもの。
そのほかにも間伐材でできたシンプルな家具や雑貨などを販売している。
「あったらいいな」と「自分たちにできること」がうまく組み合わさっている。さらに「ニシアワー」という商品を紹介するWebサイトも美しい。
牧さんに話を聞いたあと、木製品の製造所へ行くことになった。車で5分ほどのところ。
話を聞いたのは、製造所の責任者である門倉さん。
「私はもともと神奈川に住んでいたんです。前職は電子部品の仕事で、神奈川の本社から香港の子会社に移って、中国に現地法人をつくった。製造が海外に移転してしまうので、日本に帰っても仕事がなくなるだろうと思ったときに、牧さんのブログを読んで『これだ!』と思ったんです。」
第1印象はどうでしたか。
「自分がいた会社よりも数倍元気があった。でも元気だけだった。」
元気だけ…
「何もなかったんです。ほとんどゼロからつくったので。でも素人だったからできたんですよ。こわいものなかったし、素人だって宣言して交渉するから、馬鹿なことを言ってもいい。」
固定観念があるからこそ、動けないことはある。ないからこそ、新しいことができるのかもしれない。
割り箸をつくろうと、行く先々で相談したら、「やめとけ」「素人にはできない」と散々言われたそうだ。
「箸をつくるには技術もいるし、材料や販路の問題もありました。たとえば、割り箸に使える材料って実はものすごく限られるんです。結構ロスも多い。それでもやってみないとわからないからやってみる。もうぼくが来たときには絵が描かれていたからね。」
その結果、相当な損失を出してしまった。割り箸のラインは止まってしまったそうだ。
そこから持ち直したのはなぜなんでしょうか?
「勢いですね」
勢い(笑)
とはいえ、割り箸は失敗してしまったように見えるけど、その経験のおかげで、新しい商品を企画し、製造ラインをつくる能力を獲得できた。
そして割り箸とともに立ち上げていた「ユカハリ」がじわじわ売れだした。
失敗した経験、そして素人だからできる柔軟な発想によって、少しずつ事業がまわっていく。
「普通の木工工場なら、普通にのこぎりで切っていく。でもぼくらは一回で両側を切れるようにできないか考えました。工数を削減するわけですね。さらにその加工を誰でもできるものにしたい。そうやって工夫していくことで、多種少量のものを美しく生産できるようになったんです。」
「ユカハリ」のような規格化された商品と、小ロットのオーダーへの対応を組み合わせながら、ハウスメーカーなどの安定した顧客も開拓することで、利益を出せる工場になっていった。
とはいえ、ニーズとものづくりをつなげるのは簡単じゃない。
そんな困難な仕事を現場で積み重ねてきたのが西岡さん。
営業と製造現場のパイプ役で、営業がとってきた受注をスムーズに現場に流すことや資材の調達が主な役割。
生まれは姫路。その後は大阪で働いていたそうなのだけれど、なぜ西粟倉で働くことになったのか。
「母親の生まれが西粟倉だったんです。お墓も残っていたんですね。だからいつか西粟倉に帰るんだろうな、と考えていて、奥さんにも話していたんです。そしたら森の学校の募集を見つけてくれて。いい機会だと思って門倉さんと同じく、4年前に来たんです。」
「説明が難しいんですけど、大道具さんみたいな仕事をしていたので、木材には関わっていたんです。たとえば舞台を組んだり、看板つくったり、イベントや展示会の装飾をしたり。とはいえ、どんな仕事になるのかわからなかったんですけども。」
はじめの印象はどうでしたか?
「そうですね。よくわからなかったです。なんかすごいことはじまるんだろうな、っていうぐらいの感じで。でも本当に手探りからはじめたので、とんでもないところに来ちゃったな、という感じでしたね。」
ゼロからのスタートだったから、まずは設備を導入するところからはじめた。もちろんそんな経験もないから、右も左もわからない状況だった。
「あのころにくらべれば安定した生産ができるようになりました。ぼく自身も、原木の市場で、30年、40年と経験してきた人と競って買うと『ここまで渡り合えるようになったな』と思います。」
今回募集する人も、まずは製材を担当するところから。経験はとくにいらないそうだけれども、現場で働く一人ひとりが、効率よくするためにはどうしたらいいか、考えられる人に来てほしいとのこと。
たとえば、12回の工程を11回でできる方法を考えるとか。研究熱心な人がいい。
さらに製材は一番はじめの工程なので、その後の工程のことも考えられる人が合っているそうだ。
同じようなことを繰り返す仕事のようにも見えるけど、日々生産されるものも環境も変わっていくと思う。ときには予想外のことだって起きるはず。
そんな毎日の中で「今日もちゃんと生産できた」「トラブルにも対応できた」「いつもよりたくさんできた」という喜びがあると思う。
さらに今回、働きはじめる人のために菜園付きの平屋を建ててくれるそうだ。ただ、内装は未完成とのことだから、DIYでつくるのが好きな人には楽しいと思う。材料はたくさんあるとのこと。
この家には、会社の思いがこもっていると思う。もちろん、いい住環境を用意したい、自社製品を知ってほしい、ということもあるだろうけど、会社をゼロからつくったようなことを同じように楽しめる人に来てもらいのだと思う。
取材の翌日には、西粟倉を離れた。たった一日だけなのに、ワクワクするような気持ちが伝わってきた。
そういえば、西粟倉の小学生の数も増えているそうだ。地域は着実によくなっている。
やっぱり「面白そうだ」と思ったなら、ぜひ一度訪れてみてください。
(2014/10/30 ナカムラケンタ)