求人 NEW

小江戸のブルワリーから

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「とりあえず、生。」

この言葉を口にすることは、もうないかもしれません。

埼玉県川越市のコエドブルワリーを訪ねて、そう思いました。

紀元前8,000年頃に誕生したとも言われるビール。

ヨーロッパではドイツ、チェコ、イギリス、ベルギー… その土地に根ざした食文化として、地域色豊かに親しまれてきました。

色、香り、味わい、そして一杯を楽しむ時間。

日本でもビール本来の豊かな姿を広めていきたい。

その思いを、“Beer Beautiful”という言葉に込めるコエドブルワリー。
1 ここで働く人を募集します。

ビール職人として、つくる人。そしてカスタマーコミュニケーション(営業)・事務として、お客さんのもとへと届ける人。

ビール好きの方はもちろん、いままで飲む機会のなかった方も。まずはコエドブルワリーを知ってください。

埼玉県川越市。

35万人が暮らすこのまちは、かつて城下町として栄えました。

小江戸という別名が表すように、関東では鎌倉・日光に次いで文化財が残り、江戸から続く醤油蔵や料亭などが建ち並びます。

この日訪ねたのは、三芳(みよし)工場。

2 周囲を住宅や中学校に囲まれた、まちなかの工場です。

社屋に入ると、ビールの甘い香りが漂ってきます。

迎えてくださったのは、朝霧重治さん。

コエドブルワリーの母体である株式会社協同商事の代表取締役です。

ビールづくりの背景には、川越で営まれてきた農業の歴史がありました。

「かつては、関東ローム層のやせた土地でした。江戸時代に開拓がはじまり、さつまいもなどの農産物が栽培されるようになりました。人が手をくわえることで、次第に土地が豊かになってきたんです。」

3 1970年代には、地元の農家たちが無農薬・無化学肥料の農業をはじめます。

農家を豊かにしたいという思いから、1982年に協同商事は誕生しました。

農産物の流通経路を開拓し、加工品も展開していきます。

「連作障害を防ぐため、大麦を栽培していました。けれど、そのまま販売してもほとんど儲けにならない。よい方法はないかと考えて挙がってきたのが、ビールでした。」

日本のビール製造は法律により、年間の最低製造量が2,000キロリットル以上に限られてきました。60キロリットルまで引き下げられたのが、1994年のこと。

「採れた野菜を、地域のおばあちゃんがぬか漬けに加工して販売するのと発想は同じなんです。」

4 朝霧さんは、2003年に副社長へ就任。

“Beer Beautiful”をコンセプトとして打ち出します。
その背景には、バックパッカーとして世界を旅した経験がありました。

「ドイツやイギリスでは小さなブルワリーの味が、町村単位で親しまれているんです。ゆっくりと飲み、味や香りを楽しむ豊かな姿がありました。」

「今後は日本でも、小さなブルワリーと顔の見える関係や、ビールの豊かさを楽しむ人が増えていくだろう。そう思いました。」

5 コエドブルワリーは、現在5種類のビールを販売。

海外からも注目を集めたのは、1996年にリリースした“Beniaka(紅赤)”。

「原料はサツマイモです。大きすぎたり、曲がっていたり、規格外で出荷できないものを加工しています。サツマイモからお酒をつくる文化は日本独自のもの。くわえて川越は、関東ではじめてサツマイモが植えられたところ。川越ならではのお酒です。」

6 Beniakaは、2010年にワールドビアカップでシルバーアワードを受賞。

そのこともあり、コエドビールは海外でも親しまれています。

現在は香港、シンガポール、タイ、イギリス、アメリカなど10カ国。

2014年にはKyara(伽羅)もシルバーアワードを受賞したことで、さらに問い合わせが増えているとか。

「発想は“グローカル”です。川越、六本木、池袋への出荷も、台北やソウルへの出荷も基本的には変わらないと思っています。『コエドビールを飲んでみたい』そう言ってくださる方へ届けていきたいんです。」

「海外は主にわたしが担当していますが、今後入社する方にも任せていきたいと考えています。」

グローバルで見たビール界は、ルネサンスを迎えているという。

「クラフトビールという言葉が生まれ、ロンドンでは鉄道の高架下でさえブルワリーが誕生しています。まるでスティーブ・ジョブズがガレージでAppleをはじめたときのような雰囲気があります。」
いまだからこそ、ビール界に飛び込む楽しさがあるという。

「日本のビール界もこれから大きく変わっていきます。10年後の日本では、冬の定番が柚子ピールをつかい、日本酒の酵母でつくったビールになるかもしれません。未来を築いていける時期なんです。」

一足先に、ビールの世界へと飛び込んだ方に話をうかがいます。

松本みなみさんは、ビール職人4年目。

7 学生時代は酵母を扱う研究を行ってきました。

地元埼玉県にコエドビールの存在を知ると、文化として根づいてほしいと思った。

つくり手として、自分も関わることができたら面白そう。飛び込みで働きはじめます。

ビールづくりの一日はどのようなものでしょうか。

「朝は早いです。掃除にはじまり、仕込みや濾過、樽詰め。一日のうちで、色々な工程を行っていきます。」

ビール職人には、二つの大切な要素があるという。

「数字やデータを読み解く化学的な考え方が基礎にありつつ、料理人や芸術家のような豊かな感性が活かされる仕事だと思います。」

4年目に入るいまも、感性は日々養っているところだという。

ビール職人の大変な面も知った上で、働きはじめてほしいという。

「体をつかう場面が多いです。25kg入りの麦芽袋を持ったり、出荷時には樽をパレットへ乗せることもあります。体の動かし方にコツがあるんです。一年目はよく筋肉痛になっていました(笑)。」

「それから、ビールづくりの環境は独特です。夏場は40度近くになる仕込室と、よく冷えた発酵貯酒室。その間を行き来することもあります。体が慣れるまでは、大変かもしれません。」

おいしいビールをつくる上では、理論とたしかな技術が欠かせないという。

コエドブルワリーでは1997年~2002年にドイツからマイスターを招きいれます。その後は、自分たちでコエドブルワリーの味を磨いてきました。

ここで、一連の工程を見せていただく。

仕込室では、お湯を張った釜へ粉砕された麦芽が注ぎ込まれていきます。

8. 糖化とよばれる工程です。

松本さんは、手で撹拌をしていきます。

「そのままだと、どうしても混ざり具合にムラが出ます。目で確かめながら、糖化を手助けしていきます。」

「同じ銘柄の麦芽を使用しても、ロットごとに色味や糖分が少しずつ変わります。出来上がりを想像しながら、仕込んでいきます。」

糖化を終えた麦汁にホップを投入。ビール特有の苦みと香りがつきます。

次の発酵工程で主役となるのは、酵母。

「酵母が麦汁の糖分を食べることで、アルコールを発酵させるんです。人間の役割は、酵母が動きやすい環境を整えること。日々の掃除は欠かすことのできない仕事なんです。」

その後熟成を経て、ビールは完成。

缶や瓶に詰めて、出荷を迎えます。

印象的だったのは、人の手による作業が多いこと。

「基本的にはセンサー類も使用しません。バルブ開閉や糖度測定も、最後は必ず人の手で行います。」

自分で手を動かすものづくりには、気づきも多い。

昨年松本さんは、年に一度の感謝イベント「コエドビール祭り2013」でオリジナルビールを提供したという。

つくったのは、ベルジャンホワイトというスタイル。

レシピ開発から手がけ、何度も試作を行ったそうだ。

「10回以上、小さな寸胴で試しました。ハーブを変え、酵母も種類を変えて。楽しさとプレッシャーの両方を感じながらつくりました。」

小麦麦芽を原料に、エルダーフラワーや埼玉県産のゆず皮をスパイスに加えた。穏やかで、花のような香りのするビールに仕上がったという。

そして当日。

自らサーバーで注ぎ、提供。お客さんからも直接声をいただけたという。

9 なかでもうれしかった言葉がある。

「何回でも飲みたくなる、優しい味わいのビールだね。」

喜びと同時に、よりよいビールを提供するため、さらに来年度以降に活かしたいことも見えてきたという。

松本さんがつくったビールを、お客さんに届けていくのが、カスタマーコミュニケーション(営業)の仕事。

チームリーダーの松永将和さんに話をうかがいました。

10 松永さんは、7年間ビール職人として働いた後、カスタマーコミュニケーションチームへ。

「まずは、自分がお金を払っても飲みたいと思えるビールをつくっていること。製造がすべてのスタートだと思います。その上で、お客さんに豊かな時間を過ごしていただくため、コエドビールの魅力を伝えるのが僕らの役割です。」

その仕事は、大きく二つからなる。

お付き合いのあるお客さんとの関係をより深めていくこと。そして、あらたに問い合わせをいただいた方への対応・提案。

「販売の形態は様々です。問屋さんに卸すだけでなく、直接飲食店とやりとりをすることも多いです。オープン1周年記念のパーティへグラスを送ったり、サーバーの貸し出しもあります。」

11 ソムリエやシェフといったプロに料理との組み合わせを提案して、コエドビールの取り扱いがはじまることもある。

そうかと思えば、「ビールは何を飲んでも一緒でしょう?」と話すエンドユーザーの方に、魅力を伝えることも。

日々の仕事は、小さなことの積み重ね。いそがしくて、つい手がまわらないこと一つでも、お客さんの反応は変わってしまう。

「限られた人数で、多岐にわたるお客さんへきめ細かい関わり方をしていきます。ほんとうに大変ですよ。」そう笑う松永さん。

同時に、一つひとつ積み重ねていく手応えも感じている。

「『こうやってお客さんに知ってもらえるんだな』『こうしてビールを楽しむ文化が、着実に広がっていくんだな』そんな実感があります。いまでは日本でも見かけるヨーロッパのブルワリーも、もとは家内制手工業からはじまっています。コエドは、まさにいま、その過程をたどっているように思います。」

最後に代表の朝霧さんから、伝えたいことがあります。

「ビールづくりは一人では実現できません。組織として、至らないところも多々あります。そのことも含めて、一緒にコエドビールを。そしてBeer Beautifulをつくっていきましょう。」
(2014/12/5 大越元)