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人の間に仕事がある

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「10年間空き家だったのが、人の集う場に生まれ変わって。この家、四方から見渡せるんです。周りの人が口を揃えて『灯りがついた、ついてよかった』と喜んでくれて。」

1 そんなやりとりからこの場には、“A・KA・RI”という屋号がつきました。

移住をした5人が日中仕事をしていると、「こんなことできない?」と市内外の人たちが相談に訪れてくる。

内容は、地域の人の農家の特産品開発から、商店主の商品管理の見直し、地域の活性化を目的とした事業など、さまざま。移住を考えている人たちが相談に来ることもある。

「ここで話すと、いいアイデアが生まれる気がして。」市役所の人も訪れては、移住定住促進に向けた打ち合わせをしていく。

夜になると日本各地、さらには海外からも人が訪れて交流する場に。そこに地域の人が加わることもあります。

その中心には福岡、横浜、東京、千葉、大阪から移住した5人の存在がありました。

人は、人についてくる。仕事も人についてくる。

シンプルでいて大切なことを、大分県臼杵(うすき)市で見ました。

ここで暮らし、仕事をはじめていく人を募集します。

大分空港から車で90分ほど。海沿いを走ると、約4万人の暮らす臼杵市が見えてきます。

里山の広がる農村地帯。そして室町時代の町割りがいまも息づく、沿岸部の市街地からなります。

高速道路を降りると、街道沿いは古いまちなみが広がります。

豊後水道に面した臼杵湾を臨む左手には、国内で10本の指に入る大手醤油蔵元のフンドーキンが見える。

2 ここ臼杵は、醸造のまちとして栄えてきたところ。

コンパクトなまちに醤油蔵、味噌蔵、そして酒蔵が20近くひしめきます。

豊かな食文化の育まれてきた地域なのだと思う。

海で水揚げされるのはトラフグ、ブランド化こそされていないものの、関サバ・関アジにも並ぶとされる魚。

柑橘類のかぼすもある。

市をあげて堆肥づくりにも取組んでいます。農村地帯でつくられる有機野菜は、市内の学校給食でも出されています。

ここで、移住をした3人の方と合流。

20代の吉澤さんと小金丸さん。そして、家族とともに越してきた石橋さんです。

かつて臼杵城の城下町として栄えた市街地を案内してもらいました。

地元の人から「夜道を歩いていると、タイムスリップしたような気持ちになる」という声も聞こえてくる。古いまちなみが保存されてきました。

目抜き通りは、八百屋や布団屋、電気屋といった商店が並ぶ。

一本脇へ入ると、石畳と石垣が続きます。

移住者の石橋さんが、まちの歴史を紹介してくれた。

「この辺りはお寺が集まっています。かつては寺にだけ瓦をつかうことで、火事を防ぐ意味がありました。表通りの商店に火曜定休が多いのも“火”を避けるという当時の名残だそうです。」

城下町の町割りが残る路地。左右へと曲がり見通しが悪いことで、外敵の侵入を防ぐ意図があるという。

3 こうしたまちなみは、バブル期にたて壊されたところも少なくない。これほど残っているのは、大分県内でも珍しいという。

「いま臼杵では30、40代の人たちがUターンをはじめています。保存してきた建物を、今後はどう活かしていくか。臼杵は変わり目にあると思います。」

たとえばカニ醤油は、創業1600年の日本で最古の醤油蔵。奥にはカフェ。臼杵を中心に、ものづくりをしている作家のギャラリーでもある。

商品を見ると、出汁パックの“ダーシィハリー”など遊びが感じられる。

4 「2008年に12代目が神奈川からサラリーマン勤めを経て、Uターンしてきたんです。それで、色々と面白い取組みがはじまっています。」

城下町のなかには、趣ある空き家が続く。住居やカフェとして活用したら良さそうだ。

すでに、雑貨屋をはじめた移住者の方も現れている。

「今後は、空き家の活用と移住定住をつなげて考えたいんです。」

市街地をあとにして、臼杵川の上流へと進みます。

5 10分ほど進んだところに、コミュニティハウスA・KA・RIが見えてきた。

オープンは、2014年の7月。地域内外の人が交流できるプラットフォームとして生まれました。

移住した3人に、あらためて話をうかがいます。

2014年の6月にやってきたのは、吉澤さん。

6 生まれも育ちも東京。大分県内の大学へ進みます。音楽や映画、アートを通した地域活性に取り組む中で、大分の人たちに魅せられたという。

「卒業後は一度東京に戻り、PRの仕事に就きます。その間も、大分に住みたいと思っていて。そんな中、募集を知ったんです。臼杵のことも、地域おこし協力隊がどういうものかも、全然知らなかったんですよ。けれど事業内容を見ると自由度が高い。やりたいことに取り組めそうだと思いました。」

やってきたのは夏前。時期がよかったという。

1年を通して行事の多い臼杵でも、特に夏場は、毎日のように地域行事が開かれる。誘われるままに参加する中で、顔を覚えてもらう。

すると臼杵には、すでに色々な活動をはじめている人がいること。そして、それぞれに問題を抱えていることが見えてきた。

7月にA・KA・RIがオープンすると、四方八方から相談に訪れる人が現れた。一時期は対応しきれなくなるほど。

吉澤さんは、主に移住定住に取り組んでいる。

地域は色々な活動を行っているものの、情報発信に苦労していることが多い。

これまで市内のイベント等の告知は市役所のホームページ上のみで、開催1週間前に行われることが多く見受けられました。

そこで移住希望者向けのガイドブック作成や移住モニターツアーの実施、定期的な情報発信などの広報活動を行ったところ、移住を希望する人も増えてきた。

中には窓口となる市役所を通り越し、吉澤さんに直接連絡が来ることも。

今後は、移住定住を軸にした事業の立上げを考えている。

「いきなり移住するのは、お互いに不安も負担も大きいです。まずは、小さく試せる場をはじめられたらと思います。」

7 もう一人の移住者、石橋さんは大手企業でキャリアを積み重ねてきた方。

約20年間にわたり、大手電機メーカーや外資系企業で、システムエンジニアとして活躍。マーケティングも学んできました。

「地元が福岡ということもあり、九州に戻るきっかけを探し続けていました。」

前職を退職。思い切って家族とともに臼杵へ。やってきたのは昨年の8月。

すでに地域の事業者から、収益改善を図る相談がたくさん来るという。

たとえば農家の方からは加工品を開発したい、インターネット販売をしたいという声も聞こえてくる。

話し合いの中では、激しく言い寄られたこともある。

「農家の方は、何十年も積み重ねてきた経験も自負もあります。『あんたの考えでは商品は売れない』と怒鳴られたこともありますよ。」

「でも、みんな考えるのは『まちをよくしたい』。方向は同じです。ただ、やり方は人それぞれ。会社時代とは時間の流れも違います。PRやコンサルティングという技術を、臼杵という土地に合わせていく。それには時間もかかるでしょうし、長期的に構えることも必要だと思います。」

ここで一足先に臼杵へと入った女性の小金丸(こがねまる)さん。

「わたしも同じ経験をしました。どのようにしたらいいか、迷うこともあります。ただ一つのことを一緒に実現すると、接し方がガラッと変わりました。“信頼”はとても大切だと思います。」

8 取り組んだのは、里山と田園が広がる臼杵市の野津町(のつまち)で、地元の方たちが進めてきたグリーンツーリズムを事業化させること。

うすきツーリズム活性化協議会の事務局として働きはじめました。

最初は、頼まれたこと一つひとつに一生懸命応えたという。

気づくと、地域の人からも頼られる存在に。そこからあたらしいことが生まれてきた。掛け合いのような関係があるという。

「まずは人に頼られることから、はじまると思います。柔軟で寛容な人となり。自ら動くほうが好きで、思いがけないことが起きても楽しめる心持ち。それも一つの才能だと思います。」

「その上で吉澤さんはPR、石橋さんはマーケティング、わたしはグリーンツーリズム。それぞれの力が活かされると思います。」

日中に城下町を歩きながら、印象的だったことがあります。

2013年の9月にやってきたとは思えないほど、まちの人と関係が築けていること。

9 酒蔵を外からのぞくと、奥さんが笑顔を返してくれたり。まちを歩いていると、声をかけてもらうこともあった。

3人、そしてほかの隊員がのびのびと活動できる背景には、A・KA・RIの立上げから、地域との関係づくりまで。市役所に勤める西岡さんと藤澤さん、広瀬さんのさりげないサポートがありました。

移住定住に関する打ち合わせは、市役所の人たちもA・KA・RIへ足を運ぶという。

「移住したみんなと話していると、楽しいですよ。臼杵は、いままでになかったアイデアを生み出して、実行していく局面にあります。A・KA・RIにいると、なんだかいいアイデアが湧いてきそうなんです。」

休日には、A・KA・RIで開かれる飲み会に顔を出すことも。

長年土地に暮らしてきた人、移住者、行政が交じりあい、お酒を交わしながら地域のことを話し合う姿がある。

ここ数年、まちづくりの一つの可能性として行政やNPO、個人が立場を越えて対話を行い、イノベーションを生み出す“フューチャーセッション”が注目を浴びつつあります。

知らず知らずのうち、A・KA・RIではフューチャーセッションが生まれているのかもしれません。

10 「移住した5人を兄弟のように感じるときがあります(笑)。お互いにべったりすることはないけれど、いざというときに支えあえる。家族が増えたみたいです。」

この日は取材が終わると、吉澤さんが大分市内まで車で送ってくれました。

大分市内までは、道がすいていると車で30分ほど。

この立地も、臼杵を選んだ理由の一つだという。

11 「僕は東京の出身です。東京がいやになったとか、捨てたわけではありません。ただ、自分の足場をどこに置くか。そう考えたときに大分だった。福岡などの県外にも遊びに行けば、たまに東京にも戻ります。LCCも増えたことで、移動もしやすくなっていますし。」

今週末も臼杵市内で、起業に向けた打ち合わせが控えているという。

取材中、3人を見て印象的だったことがあります。

空き時間を見つけては電話したり、アイデアを書き留めたり。仕事をはじめることは、けっして特別なことではないのだと思いました。

今回からは新たに街で取り組む「有機農業」に関わる人の募集も行います。 有機農業に興味、関心があり、将来的に有機農業で自立をめざす人を募集します。

臼杵に惹かれるものがあれば、まずは一度応募してみてください。面接では、一度訪れることになります。

訪ねてわかることは多いです。自分の目で、確かめてもらえたらと思います。

(2016/01/05 大越元)