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じぶんの、わたしの、ぼくの。よい場には色々な人が関わりあい、各々の言葉にすることで、少しずつ広まっていくと思います。
愛媛県内子町(うちこちょう)は、明治初期までハゼの木からつくられる木蝋(もくろう)で栄えました。
1982年に重要伝統的建造物群保存地区として選定。そのまちなみを求めて、日帰り客を中心に、年間100万人が訪れます。
内子町を訪ねると、人の営みが受け継がれ、まちなみも受け継がれてきたのだと感じます。
内子の魅力は、暮らしにこそあると思う。
すれ違いざまに子どもたちが交わす「こんにちは」。醤油蔵のにおい。風土に根づいた農業や工芸。
いっぽう、人口はこの30年間でゆるやかに減りつつある。
にぎわいを生みたいところ。
そこで描くのは「若い人が、日本に受け継がれる暮らしに出会うまち」。
蔵を改修した一棟貸しの宿に泊まり、風土に根づくものづくりを訪ね、夜は地元の飲食店で楽しむ。
そうして、じぶんの言葉で内子を語る人が集うことで、移住や2地域居住の流れが生まれてくる。
すでに人は動きつつあります。
Iターンをしてレストランを営むのは、ドイツから移住したご夫婦。手漉き和紙、炭焼き、チーズ、ハムの職人も。
内子町では、観光・食を軸に、地域を編集する人を募集します。
内子町は、松山空港から直行バスに乗って40分。
内子町の中心街であり、重要伝統的建造物群保存地区のある八日市(ようかいち)地区は、JR内子駅からも歩いて10分ほどで見えてくる。
訪れた人の窓口となるのが、昨年4月にオープンした内子町ビジターセンター。
築80年の元警察署をリノベーションしています。
内子町が力を入れつつあるのは、訪れた人の希望に合わせてまちの楽しみかたを提案する“着地型観光”。
迎えてくれたのはセンター長の中岡紀子さん。
「人の営みが内子の風景をつくってきました。いまは『町並み・村並み・山並み』の編集に取り組んでいるところなんです。」
一枚の写真を指して、うれしそうに話してくれた。
「葉タバコに、霜よけの三角帽子を一つひとつかぶせた冬の風景です。葉タバコの生産は、報告をごまかすことのないように、誠実な人柄の地域にしか任せてもらえなかったそうです。」
また、五十崎(いかざき)地区の竜宮。
「日本の河川整備が自然工法へ舵を切ったきっかけの場なんです。コンクリートによる河川整備の計画が上がり、住民たちは、『木を切ったらいかん、ここにかぐや姫がおったんぞ』というトッポ(ほら)話をつくることで、自然景観を損なわない河川整備を実現。河川法が改正されたんです。」
内子町内の41地区には、それぞれに物語がある。
いまは、一つひとつをパンフレットにまとめ、訪れた人に案内をしているところ。
中でも動きが活発なのが、石畳(いしだたみ)地区。
「地区を流れる麓(ふもと)川には、かつて30数基もの水車がありました。暮らす人たちと話し合い、水車が原風景だと気づきました。現在は復元して、天日干しの米を精米しています。」
夜になると、空がぽっかりと広がる桃源郷のようなところだという。
ゆっくりと石畳を訪れてほしい。そうした思いから、20年前に民家を移築。
行政が仕掛け人となり、地元の方が手弁当から宿泊施設「石畳の宿」をはじめた。
「テレビも時計もないところで、携帯も電源を切って。囲炉裏の火を囲み、静かな時間を過ごす。ほんとうに疲れたときに、ふらっと訪ねてもらえたらと思います。」
これからやってくる方には、まず地域を歩いてほしい。そしてツアープログラムを組んでほしいという。自らガイドとしてツアー案内もするという。
そのときに、大切にしてほしいことがある。
「じぶんを主語にしてほしい。じぶんで歩き、楽しいと思ったものをお裾分けするように、人に伝えていく。まずは内子へ旅をするような気持ちで来てほしいんです。」
ビジターセンターを訪れた人への案内に加え、発信にも力を入れていきたい。
その際に大切になるのが、ブランディングだという。
「暮らしあっての、観光だと思います。一過性の観光客を増やすのではなく、繰り返し訪れ、じぶんの言葉で内子を語ってくれる。そんな人たちに出会っていきたいです。」
メディアへのPRも、媒体を選ぶことからはじまるでしょう。また、口コミも大切。人に人がつく仕事だと思います。
内子の暮らしに出会うためには、ぜひ内子に泊まってほしい。
年間で100万人が訪れる内子町。
宿が限られ、松山空港から40分というアクセスのよさが裏目に出て、日帰りで訪れる人が多かったという。
数字で見ると、宿泊客は1%。たとえば京都の25%と比べても、だいぶ低い。
一方で町内を見渡すと高齢化が進み、重要伝統的建造物にも空き家が増えている。住む人がいなければ、朽ちてしまうもの。
そこで住民と行政ぐるみで、古い建物を宿としてリノベーション。活用をはじめつつある。
内子の暮らしを受け継ぎつつ、適度に人が訪れるまちにしたい。まずは2万人、将来は10万人の宿泊をイメージしているという。
現在は4棟が営まれている。うち2つを立ち上げたのが大西さん。
一度は内子を離れたのちにUターン。現在はカフェを営みつつ、商店街組合の代表、宿の運営に駆け回る日々。
所有する蔵を一棟貸しできる宿「くら・こころ」にリノベーションしました。
古い家の再生は、地域の再生にもつながる。
内子産の木材を挽き、大工が腕をふるう。壁には、内子町の伝統工芸である“大洲(おおず)和紙”が用いられている。
くら・こころのような取組みが増えることで、椅子や机といった木工職人の活躍する場も生まれてくる。
中岡さんは自ら京都の町家宿にも宿泊。内子の宿・まちなみ・文化はけっして劣らないと感じたそうだ。
けれど、朝食付きで一泊1万円以下と手ごろに設定されている。
「一泊3万円いただくこともできるかもしれません。短期的な収益を考えると、そのほうがよいかもしれませんね。けれど、これからを担う若い人をふるいにかけたくなかったんです。日本にはこういう場所があるんだよ、って知ってほしいんです。」
生のまちに出会ってほしいという思いから、夕食はまちで食べてもらう。
「歩いて5分圏内に居酒屋やレストラン、カフェなどが集まっています。気に入ったところで、食事や地酒を楽しんでもらえたら。地元の人とも話してほしいんです。」
たとえばドイツから移住されたご夫婦が営むレストラン。
そこで振る舞われるのは、ドイツで修行を経てUターンした山口さんがつくる内子豚のソーセージ。そして神奈川県から夫婦で移住した國分さんのチーズ。
まずは地元のお店がにぎわいを取り戻していくと思う。移住して、飲食店をはじめる人も現れてくればと話す。
これまで紹介してきたように、内子町は“つくる”まちでもあります。
けっして平地は多くないけれど、味のよい農産物が少量多品種でつくられる農業。
こころ・くらの朝食はこんなメニューでした。
いりこだしの味噌汁、魚屋さん「かつ盛」のじゃこ天、道の駅でも売切れが続く原木しいたけ。森文醸造のもろみや内子豚のハムもある。ブドウや柿といった果物もよく採れるという。
さらに和紙、炭、木工、染め物、ろうそくといった工芸も営まれる。
今回は、内子の“つくる”を編集する人も募集します。
すでに取組みははじまりつつある。
昨年12月にリリースしたのが、内子の豊かさをお土産にした「うちコレ」。
2014年の春から地域おこし協力隊に入った、渡邉真弓さんが手がけます。
現在内子町では4人の地域おこし協力隊が活躍しています。
出身は岡山県。
学生時代を愛媛で過ごした後、住宅メーカー、そして家具屋でインテリアコーディネーターとして働きます。
その後、地域に関わる仕事がしたいという思いから内子町へ。
うちコレは現在8プラン。その一つ「内子栗セット」について紹介してもらう。
「地元の事業者さんにお願いして、内子特産の栗を甘露煮と渋皮煮にしました。ラベルには、大洲和紙をもちいています。」
内子は少量多品種の農業を営んでいる。
販路を開拓し、農家を豊かにしたいという思いから、日本全国に先がけて「道の駅からり」が誕生しました。
年間約50万人の集客はあるものの、周辺地域にも道の駅ができる中、売上げは頭打ち。加工品の販路拡大など次のステップを模索しているところです。
ここで、渡邉さんに案内してもらい、手漉き和紙をつくる「天神産紙工場」を訪ねます。
工房を訪ねると、地場のお母さんたちに交じって、若い人の姿も見える。
今年に入り、町外出身の10代の方が2人働きはじめている。
続けて工房に隣り合う直売所を訪ねると、選びきれない種類の和紙が並ぶ。
いまは卸売りが中心だという。
安価での販売に加え、どんな商品になり、誰が手にとるかわからないそうだ。
「わたし自身が、ここに来るといつも楽しくなります。知られていないだけで、同じように感じる人はいると思うんです。うちコレを通して、内子にあるものづくりの価値を高めていきたいんです。」
ものを通して、内子に興味を持ってほしいと考えている。
「ぜひ内子にも足を運び、つくる人たちにも会ってほしいんです。体験付き宿泊券を扱うことで、着地型観光とも連携できたらと思います。」
そんな渡邉さんをサポートするのが、役場の寳泉(ほうせん)さん。
役場の仕事をしつつ、生まれ育った石畳地区の活動に取り組む気さくな方。
年末は地域行事や消防団活動に追われたという。
協力隊の活動は、手探りで進めることの連続だと思う。
寳泉さんは柔軟に考えてくれる方だと思う。話し合いながら活動を進める上で必要なものを揃えていけるとよいのでは。
いまは、町内に散る協力隊が集える場をつくりたいと話しているそうだ。
空き家の活用も考えられる。その場所が、訪れた人のコワーキングスペースとしても機能するかもしれない。可能性は色々とある。
この30年間、内子町は暮らしを残してきました。
その魅力を編み直し、伝えることが求められているのだと思う。
内子をよいと思う人が集まり、行き交う。
もしかすると、そんな未来がやってくるかもしれない。その第一歩なのだと思います。
まずは、じぶんが内子に出会うことからはじまると思います。
(2015/1/13 大越元)