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家ができていく

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「そう、それで・・・ちょっとまってね。ヤマガラがエサをくれって」

窓の外を見ると、雨のなか小さな鳥が飛んでいる。

エサを持った水野さんがバルコニーの扉を開けて手を伸ばすと、小鳥が飛んできて、サッとエサをくわえていった。

「あぁ、ヤマちゃんの羽が濡れて小さくなっている。かわいそうに。いつもはもっとふっくらしているんですよ」

minamikaikisen01 「キョンちゃん」「シロちゃん」と名付けている2匹の野リスも、ヒマワリのタネを食べにちょこちょことやってくる。

お腹の毛色の白いほうがシロちゃんらしい。

そんな話をしながら「ええっと、話はどこまでだっけ」と席に戻る水野さん。

何度か話が途切れるけれど、そのリズムが不思議と心地いい。

ここは、静岡・伊豆の城ヶ崎海岸にあるホテル「南回帰線」。共同経営者を募集するという話をうかがいに行ってきました。

 
 
東京から熱海を経由して城ヶ崎海岸駅へ。

どんよりとした雨模様のなか、駅から南回帰線までの道のりを満開の桜が彩ってくれていた。

minamikaikisen02 あたりには立派な家が建ち並んでいる。どうやらここは別荘地でもあるみたい。

車通りの少ない道をぐんぐん進んでいくと、正面に海の見える高台に到着した。

ここから曲がりくねった坂道を下っていくと、「南回帰線」の文字を掲げた建物が見えてくる。

この日は5月のリニューアルオープンに向けて改装中。扉を開けて中へ入ると、アフリカから着いたばかりの段ボール箱やアフリカンテイストのグッズがあっちこっちに散らばっていた。

大忙しの中、一息ついたところで経営者の水野由康さんに話しをうかがう。

minamikaikisen03 南回帰線を経営するのは、水野さんご夫妻。

由康さんと奥さまの純子さんは60代。ゆくゆくはホテルを任せられるような共同経営者を探している。

ふたりは長年ホテルを経営してきたかというと、そうではなく、由康さんは商社マン、純子さんは学校の先生だったという。

早期退職後、セカンドライフとして2004年にホテル南回帰線を開業。3年間営業したあと休業し、今年になって7年ぶりにオープンした。

「まえは商社に勤めていて、海外での駐在員としてとくに発展途上国の仕事を何十年もしていたんです。僕らが学生のころ、南北問題って言いましたけど。いわゆる途上国開発問題。もともとそういうのに関心があって」

イギリス、シリア、エジプト、イラクなど。さまざまな国で駐在員を勤めた後、最後に赴任したのがタンザニア。それが水野さんご夫妻のアフリカとの出会いだった。

「当時のタンザニアは非常に貧しくて、商売の規模も小さいんですけど、自然も豊かで人が優しくてね。いつも緊張感のある中東とはまったく違って、どんな話題でも誰に気兼ねすることなく自由に喋れる。もう本当に楽しかったんですよ」

minamikaikisen04 タンザニアではカカオ豆の輸出業をサポートしたり、多国籍企業が求めていたインフラの整った拠点の開発に携わったり。4年だった任期は6年に伸び、帰国後は準定年退職をして、城ヶ崎海岸でホテル業をはじめることにした。

どうしてホテルだったのだろう。

「商社駐在時代はストレスの固まりで胃の調子がわるかったの。そんなに末永くないだろうなと思っていたけど、帰国してピロリ菌の退治をしたらぐっと調子がよくなって長生きするんじゃないかと。じゃあ先のことを考えなきゃって、大好きな海の近くでワンちゃん飼って大きな家に住みたいと思っていたんですね」

「バリ島とかケアンズを見てきたけど、もともと伊豆は魚釣りによく来ていて。山も海もあっていいところだと思っていましてね。たまたまいい物件を見つけたものだから『こりゃいいや』と思ったわけですよ」

minamikaikisen05 ただ、水野さんご夫妻はまったくの未経験。ホテルをはじめる前、2人はペンションへ修業に行った。

そのとき感じたことが、いまのホテル経営の軸になっているという。

「電気は極力消しましょうとか、パンはお客さまひとり2個まででコーヒーや紅茶のお替りはなしとか。そういうペンションだったけど、自分たちがやるなら自分がしてほしいと思うサービスをお客さまにしてあげたいし、もっとゆったりとした気持ちでやりたいと思った。だから、あんまりコスト感覚はないんですよね」

「自分たちが幸せに暮らしていないと、お客さまに幸せをあげられないじゃないと。まあ、楽しけりゃいいんじゃないかということです」

2004年にアジアやアフリカの異国情緒を盛り込んだホテル「南回帰線」をオープン。

最初の1年は客入りが少なく、苦しい状況が続いたそう。けど、だんだんと認知が進むと「面白い宿だ」とリピーターが増えていった。

「ここの宿の運営はね、かなりユニークなんですよ。たとえばね、毎週末にジャズかクラシックの演奏会をやるんです。10年前にはじめたときは学生オーケストラで指揮をしていた娘の友達に、仲間を連れてきてもらって」

「それからお客さんにサックスを吹ける人とピアノを弾ける人がいて、偶然ふたりが出会ったときに『じゃあ一緒にやりますか!』って、“南回帰線Jazz Band”が結成されたんですよ」

Jazz Bandにはさらにもうひとりソプラノサックス演奏者が加わり、今年のリニューアルオープンからまた演奏してくれるのだという。

minamikaikisen06 「あと、ほかと違うところは」と話してくれたのは、お客さまへの細かいアテンド。

商社にいたころは、日本からやって来たお客さんを、空港に着いてから帰国するまで細かくアテンドしていた。

いまもその意識を持って、お客さまが城ヶ崎海岸駅に着いてから一日を過ごして帰りの電車に乗るまでカバーしているという。

「チェックインするときに話を聞くわけです。このあとどうされるんですかって。『どっかでのんびりしたいなあ』と言われたら、『釣りは好き?それならここからずっと海岸遊歩道を歩いていって、港に出たらその右100メートルにある伊藤釣具店で1000円で釣り竿貸してくれます。大ものは釣れないけど、小さなアジならそこの堤防から釣れますよ』ってね」

なんだか友人と話すような口調で、お客さんとの会話を真似る水野さん。さっき見せてくれたジャズの演奏会の写真も、自宅に友人を招いているような雰囲気だった。

「長年の友人が、久しぶりに遠くからやってきたような感じかな。まあ、ちっちゃい宿だから、大きな宿と違って平均点を取る必要がないんですよね。好きな人が来てくれる。6部屋しかないんだから、それでいいんですよ」

一度泊まるとリピーターになる人が多く、開業わずか3年で楽天トラベルのお客様大賞を受賞。全国で一番の評価だったという。

minamikaikisen07 テレビ番組にも取り上げられ、だんだんと経営が安定してきた。そんな矢先、水野さんのもとに一通の電話が。

「驚いたんですけどね。僕個人に、タンザニア政府から経済アドバイザーとして声がかかったんです。せっかくホテルが軌道に乗ったのに。だけど考えてみればね、それこそ自分の人生でやってみたいと思っていたことだったの」

「昔は一民間会社の社員だから、大きな意見も言えなかった。だけど、こんどは政府のアドバイザーとして、しかも大統領に近いところで意見が言える。じゃあもう、男気を見せようじゃないかということで、タンザニアへ出かけたんですよ」

はじめは2年の契約だったが、結局は7年勤めることに。

そして帰国後、7年ぶりに南回帰線をオープンした。

「ただ、アフリカに13年もいるとね、結構ほかの人たちにない知識がありまして。それで、JICAさんからときどきは助っ人をお願いしますと言われたりするんですよ。それに10年前と比べて僕らは年もとっていますし、ネットビジネスのことも分かる人に来てほしい」

「まあ、あんまり売り上げだとか何とか言わずにね。みんなが集まれるような、そういう宿にしていきたいと思いまして。それに共感してくれるパートナーはいないかなと思っているんです」

 
 
続けて話しをうかがったのは、奥さまの純子さん。南回帰線でシェフを担当し、エスニック創作料理を振舞っている。

手に持っているのはアフリカの生地でできた試作中のバッグ。純子さんがデザイン監修をして、アフリカの工場に発注しているという。

minamikaikisen08 料理やデザインはもともと経験があったんですか?

「ないですよ〜(笑)。学校の先生だったもん、わたし。10年前の最初の船出のときは、どうなるやらと正直思っていましたね」

ホテルの仕事は朝から晩まで。思っていたよりも大変なことが多かったけれど、これからは清掃業務をクリーニング会社に外部委託することで、仕事はなるべく減らすようにしている。

「だから1日のスケジュールは、朝食のご用意をして、お客さまを送り出したらしばらくお休み。それで、チェックインをして、あとは夕食のご用意をして、後片付けしたらおしまいかな」

あとは仕事の合間に予約を取ったり、FacebookなどのSNSで広報したり。いまはのんびりした経営をしているけれど、インターネットでしっかり広報すれば客入りはもっと増えるという。

minamikaikisen09 また、サービスや建物の内装・デザインについて、なにか提案したり、つくったりしてくれる人は大歓迎だという。

「素人だったわたしたちが遊び半分でつくってきたようなものですからね。基本的にハイハイと従う人よりも、一緒になってつくっていこうよっていう人。そんな人をすごく求めています」

ここで、ふたたび由康さん。

「僕らの理想はね、宿のことを任せること。いまはこの建物に僕らの居室もつくっているけど、来てくれた人にそこを使ってもらって、僕らは出て行ってもいいと思っているんです」

いずれホテルの経営を任せたいとまで話していた。でも、それでお別れじゃさみしいから、忙しいときはお手伝いにきて、夕食の時間にはお客さんと一緒に喋りながらジャズを聞きたいという。

水野さんたちにとって、南回帰線はどんな場所なのだろう。

「自分たちの好きなようにつくり変えてみたり、サラリーマン時代にはない人との交流があったりして。なんかこう、だんだん家ができていくみたいな。そういう充足感があるところで。いまはすごく心愉しい思いをしているんです」

「だから家族の中にって言うとウェット過ぎちゃうけど、ぜひそんなところに参加いただきたいなという思いです」

minamikaikisen10 駐在員時代の仕事のことや、タンザニアでの暮らしのこと。ここでは書ききれないほど、水野さんから面白い話をたくさんうかがいました。

そんな人生経験豊富な人たちと一緒に仕事ができるのも楽しいと思う。お客さんも、いろんな経歴を持ったユニークな人たちのようです。

宿泊業を学びたい人や自分のホテルを持ちたいという人。何かひとつでも引っかかることがあったら、ぜひ応募してほしいです。

最後に、後日メールで由康さんからいただいた、応募者さんへのメッセージを書きます。

「岐路愛すべし。人生には思ってもみなかったことが起こります。だから人生は面白いのです。変化を恐れず自信を持って選択を楽しみましょう」

(2015/5/11 森田曜光)