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いりこの採れる宇和海、みかんのなる段々畑、そして古くは半農半漁の営みを続けてきた集落。ここは、4,000人弱が暮らす愛媛県明浜(あけはま)町。
1974年に数軒の農家が、有機農業によるみかんづくりを模索しはじめました。
はじまりの農園は「無茶々園(むちゃちゃえん)」と名づけられました。
「みかんの有機栽培は大変なことかもしれない。けれど、無茶苦茶にやってみよう」
そんな思いが込められています。
みかんの生産・販売組合としてはじまった無茶々園。
地域の自立を目指す“事務局”として、次第に役割を広げていきます。
後継者育成、宇和海で採れる海産物の販売、ベトナムとの交流、介護事業…
1993年には、株式会社地域法人無茶々園と名乗ります。
現在は約20人が働いています。そのうち7割が、町外からの移住者です。単身で来た人も、子どもを連れて移り住んだ夫婦もいます。
今回は無茶々園ではたらく人を募集します。
明浜町出身の代表・大津さんは、こう話してくれました。
「雇われるというよりも、会社を支えるといったほうがしっくりくるでしょう。まずは営業職と業務職の採用を考えています。職種にとらわれず、あらたに事業をはじめたい人に来てほしい。明浜町という地域を軸に考えると福祉、エネルギー、観光、商品企画… 色々な可能性があります」
すでに新しい事業は、生まれつつあります。
石川県出身の村上さんは、有機農業の農園「ファーマーズユニオン天歩塾」を経営。今年は、干し野菜の事業を立ち上げたところ。
隣町出身の高瀬さんは、コスメブランドyaetoco(ヤエトコ)を立ち上げました。きっかけは、伊予かんの皮から抽出されるオイルの有効活用でした。
まずは無茶々園、そして明浜町のことを知ってください。
松山空港から車で1時間進むと、西予(せいよ)市へと入る。
中心市街地にあたるJR卯之町駅周辺から、さらに車で30分進む。
野福トンネルを抜けると、宇和海と段々畑が目の前に広がる。
「ここが明浜町です」
迎えてくださったのは、無茶々園代表の大津さんです。
まず目についたのは、山の斜面に石灰岩の石垣を積み上げた段々畑。
頂上付近から砂浜近くまで、びっしりとみかんが植えられている。
「かつては半農半漁のまちでした。昼は段々畑で芋と麦を栽培し、夜はいりこ漁に出たんです。昭和30年代に入ると、国の生産奨励を受けたこともあり、温州みかん栽培が盛んになりました」
「けれど、厳しい現実を迎えるんです」
昭和42年には、日本全国で温州みかんの生産量は370万トンに。供給過多となり価格は大暴落。加えて、農薬使用に伴う農家の健康被害問題も浮かんできました。
そこではじめたのが、伊予かんの無農薬栽培でした。
狩浜(かりはま)地区にある広福寺の住職さんから借り受けた15アールの畑で、小さく栽培がはじまりました。
それから約40年。いまでは80軒の生産者が100ヘクタールを越える規模で、有機栽培に取り組んでいます。
「面積で見ると狩浜集落の7割、町全体の約3割にあたります。」
宇和海で採れる海産物も取り扱っているという。
「山づくりと海づくりはつながっています。みかんを有機栽培することで、山の育んだ養分が海へ注ぎ、良質ないりこやひじき、真珠がとれるんです」
農家の高齢化が進むなかで、若い世代が暮らしていける地域にしたい。
その思いから、1999年には後継者を育成する「ファーマーズユニオン天歩塾」が立ち上がります。
家業を継いで、みかん栽培を営む若手農家も現れてきました。
県外からも8名が移住。農業に取り組んでいます。
代表の大津さんは、トップダウンでぐいぐい人を引っ張るのではなく、むしろ若手の力を引き出すような方。
「これからを担っていく若いメンバーにこそ話を聞いてみてください」
法人業務を行う宇和事務所を訪ねました。
ここで話を聞いたのが、鹿児島出身の岩下さん。
愛媛大学でまちづくりを学んだ後、新卒で入社。
今年で2年目を迎えます。
「顔の見える仕事がしたかったんです」
現在は、生協や有機野菜の宅配会社に向けた法人営業を行っています。
「16種類のみかん、宇和海で採れる海産物。明浜町で採れた旬のものを販売提案し、ときにはフェアの企画も行います」
商品の企画開発から任されたことも。
ここで見せてくれたのは、6月に販売予定のyaetocoの入浴剤。
「現在販売しているのは“ぽんかん”。販売が好調なんです。素材が足りなくなる可能性があるので、甘夏をはじめます。ロット決めから、パッケージの成分表示や商品説明までを自分で調べて。デザイナーの方と打ち合わせて、商品化をしました」
最近では、東京のギフトショーに出展したという岩下さん。自ら取り扱い店舗を訪ねることもあるそう。
「大切にしているのは無茶々園、そして明浜町を伝え、共感してもらうことです。だからこそ、『天歩(てんぽ)』というニュースレターでは、生産者さんや地区を取材して、紹介することもあります」
事務所内では、営業の方から色々な声が飛び交います。
「甘夏はいまの時期が一番おいしいよね?」「青梅は10㎏出せますか?」「マイワシってまだ採れますか?」
その問いに応えるのが、業務の西原さん。
営業が受けた注文が、お客さんの手もとに届くよう、畑の状況把握から伝票作成、商品発送までを幅広く手がけています。
「営業と農家さんの間に立つのが、業務の仕事です」
出身は福岡県。
大学卒業後は農家になろうと思い、明浜町で農業研修を受ける。その後、業務の道に進んだ方。
「無茶々園の大きな特徴は、自然からつくられる作物を扱っていることです。果樹には、隔年結果(かくねんけっか)という性質があり、年によって収量が大きく変動するんですね。くわえて台風や病虫害により、突然収穫が減ることもある。農家さんとまめに連絡をとり、生産に応じた販売提案を営業に行います」
業務では、リーダーを担っていける方を募集したい。
「攻める業務を一緒につくっていきたいんです」
と言いますと?
「業務の仕事は、注文に基づいた出荷指示・手配から伝票作成まで『できて当然』で『受けの仕事』になりがち。いまは、日々の仕事に追われがちなんです」
「同時にお客さんに届ける最前線でもあります。業務から営業へ積極的に提案していきたいんです。たとえば、みかんのネット詰めを行う卸先には、無茶々園で代行してはどうでしょう。梱包する段ボールをデザインから見直すことで、さらに無茶々園らしさが伝わるかもしれません」
攻める業務を目指すためにも、まずは、出荷の仕組みを見直したいという。
「たとえば出荷作業は、個人に頼る部分が大きいんですね。現在は平日のみ行っていますが、土日も対応してもよいかもしれません。」
ここで西原さんに案内してもらい、事務所奥にある選果場を訪ねます。
「まずは、農家さんやパートのお母さんと話してもらえたら。『今年のみかんはどう?』という話から『子どもは元気?』とか。何気ない会話をとおして関係を築く中で、改善のヒントも出てくると思います」
「それに、学ぶことはたくさんあります。無茶々園の農家さんは、大規模の有機農業を目指しています。毎年の生産記録を電子データ化して、翌年に活かしています」
どんな人に来てほしいですか?
「社会人経験はあるほうがよいと思います。腰を据えて、つくり手に近いところで仕事をしていきたい人に来てもらえたら」
いなか暮らしをしたい人はどうでしょう。
「明浜に暮らすと、暮らしの充実度は高いかもしれません。仕事の届けものをするついでに『夜ごはん食っていかんね』『風呂も入っていったら』。そんなやりとりもあります。子育てにもよい環境だと思います」
「ただ、悠々自適に暮らしたい人には、合わないのではないでしょうか。よく働き、よく暮らすことが大切だと思うんです。既存の仕事はどんどん効率化を進めるのもよいでしょう。そして暮らしの気づきから、新しい事業が生まれるかもしれません。いなか=のんびりではなく、新しい生きかたが試せる場だと思います」
最後に話をうかがったのは、営業部の高瀬さん。
前職は、大手量販店。店頭業務から販売促進までを手がけてきました。
営業の仕事をするかたわらで、コスメブランドyaetocoを開発しました。
「無茶々園は、生協や個人を相手にした産直が主な販売方法でした。お客さんたちは40、50代が中心です。若い人にも無茶々園を知ってほしいと思い、yaetocoが生まれたんです」
無茶々園は、大きな過渡期にあるという。
「有機を取り巻く環境も変わりつつあります。スタイルとして取り入れる人も、突き詰めてマクロビオテックに進む人もいます。今後、無茶々園はどこに向かっていくのだろう。働く一人ひとりが、次を模索していく時期だと思うんです」
高瀬さんは無茶々園の特徴を、良くも悪くも「自分たちの手でつくっていく」点にあるという。
創業メンバーが年を重ねる中で、早期から世代交代に取り組んできたという。年齢や入社歴にとらわれず、どんどん試せる環境があるそうだ。
「逆に言えば、会社に対する考え方も十人十色です。正解を求めたがる人は戸惑うかもしれません。会社として、今後は社員同士の価値観の共有、休暇制度、福利厚生の整備… これからつくっていく部分が多いんですね」
「けれど、大切にしたい軸は一つ。明浜町で豊かに暮らしていくことです」
「ここでは食、エネルギー、福祉、仕事… 色々な分野が有機的に織り重なっています」
たとえば2014年に立ち上げた老人ホーム「めぐみの里」。
高齢者の人たちに、明浜町で最期を迎えてほしい。その思いからはじまりました。
この施設では、屋根に太陽光パネルを設置することで、エネルギーの自給にも取り組んでいる。
今後は入居者の方たちに、商品の加工補助など、無茶々園から小さな仕事をお願いできたらと考えている。
「明確な地図を手もとに置いて、ここまで歩んできたわけではありません。手探りの結果なんですね。ここで豊かに暮らしていく。一緒に模索していける仲間を募集しています」
(2015/6/25 大越元)