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センスのある村

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

いろんな地域が過疎化で困っている。学校や仕事がないから、若い人は離れていく。離れていくから、また学校も仕事もなくなっていく。

地域をひとつの事業としてとらえるならば、できることは仕事を生み、自分たちでできることは自分たちですることでコストを抑えたり、お金を循環させるのがいい。

岐阜にある東白川村もまた、同じ課題に直面している。

higashishirakawamura01 今回は地域おこし協力隊の募集です。まさに仕事を生むことと、できることは自分たちでやる仕組みづくりが役割です。


名古屋駅で新幹線を降りる。名鉄に乗り換えて犬山駅まで30分ほど。そこからレンタカーを借りて東白川村を目指す。はじめは広かった道も、飛騨川沿いに進んでいくころには両脇に山が迫ってくる。

白川口の交差点で右折すれば、白川街道に入る。もうすぐ東白川村だ。車窓からは茶畑がたくさん見えたのが印象的だった。

東白川村の役場に入ると、入口で職員のみなさんに挨拶された。ちょっとびっくりしつつ、こちらもお返しする。

2階で迎えてくれたのは、河田係長と地域おこし協力隊で働いている樋口さん。

樋口さんはこの村に来て3年目で、今は空き家バンクのシステムをつくったり、新しい場所づくりにも関わろうとしている。

higashishirakawamura03 今回、募集するのは、村のお茶をつかった特産品づくりと、地域の住民とコミュニケーションしながら問題解決していく2つの役割。

まずは河田係長に村の現状を教えてもらった。

「まず農業についていうと、専業というのはかなり厳しいです。お茶は特産なんですけども気温が低いので、シーズン的に遅いんですよね。なんで他所の市場では新茶がとっくに出回っている時期にまだ出せない。」

higashishirakawamura02 「産業でいえばやっぱり林業でしょうね。ここはもともと林業で成り立っていたところなんです。東濃ヒノキという高級な柱材がありますので、ぼくら子どものころは山で食っていた人がたくさんいましたから。でも今では木材価格が低迷してしまって、減ってきましたね。ただし、大工や建築業で働く人は多いです。」

村では建築業者とお施主さんの間に入って、家づくりを行うインターネットサービス「フォレスタイル」を提供している。

間取りをシミュレーションできたり、建築士や工務店の橋渡しをするもので、地域情報化大賞で大賞を受賞したり評価も高いとのこと。

そのほかの取り組みも、ちょっと偉そうな言い方だけれどもセンスを感じる。それはこのあと会う人たちにも共通することだった。


係長の河田さんとはここで別れて、樋口さんに道の駅へつれていってもらうことになった。おいしいお茶が飲めるとのこと。

樋口さんはもともと岐阜の養老育ち。7年ドラッグストアで働いたあとに、8年メッキ会社で働いていた方。その間も飲食店やイベントの手伝いなどを通して、自分の仕事を模索していたそうだ。

「食に興味が出たんです。おいしいものが食べたい。それってどこだろうと考えたら、水がおいしい上流の地域なんじゃないかと思って。そんなときにここの募集をしているのを知ったんです。」

どんな印象でした?

「うーん、2月にはじめて来たんですけど、雪はなかったものの、湿気を感じましたね。あとは大正とか昭和初期とかのイメージが好きで、金田一耕助に近いなって思いました。閉ざされた感じはしないんですけど、風がないところとか。」

車が道の駅に到着したので、早速奥にある喫茶コーナーでお茶をいただくことにした。

higashishirakawamura04 ぬるめのお湯を茶葉に注ぐ。

一煎目。衝撃的だった。

お茶というよりも濃厚な昆布だしを飲んでいるような感じ?いい茶葉だからこそ、これだけ旨味があるのだと思う。二煎目以降は馴染みのあるおいしいお茶になった。

車に戻ってから、また樋口さんと話をする。

「僕けっこうチャンスだなと思っていて。ペットボトルのお茶があれだけ売れてあんなに味が普及しているから、これを飲んだらびっくりという土壌はできていると思うんですよね。」

たしかに。一杯一杯ていねいに淹れたコーヒーと缶コーヒーの違いがある。

古い建物をリノベーションして、ジーンズ姿でお茶を揉む人が働くアトリエができたらかっこいいかも。そこでお茶を飲むこともできたり、こだわりのある小売店に卸したり。

「お米もおいしいんですよ。米どころではないんですけど、やっぱり水がいいんでしょうね。お茶と一緒におにぎりなども提供できたらいいでしょうね。」

お茶の特産品をつくる仕事、面白そうだ。


車はさらに村の奥のほうへ進んでいく。村には春がやってきたばかりで、ドライブが気持ちいい。途中でおばあちゃんが茶畑で作業しているので、車を停めて声をかけてみた。

higashishirakawamura05 もうひとつの役割は、まさに集落をまわってコミュニケーションしていくこと。

河田係長がこんなことを言っていたことを思い出した。

「かゆいところに手が届くというやり方で行政をやってきました。たとえばイベントをやるにしても準備から行政主導でやってきたりしました。」

役場の中には放送スタジオもあって、テレビの自主放送もしている。

higashishirakawamura06 「フォレスタイル」もそうだけれど、どんどん考えて実行する自治体。ただ、裏を返せば住民のみなさんは受け身になってしまうかもしれない。

まずは必要なことは、いろんな集落をまわること。

そして住民の意見を引き出していく。さらに行動につなげていく。

一言で言えば、自分たちでできることは自分たちでする仕組みづくり。一緒に道路を補修することかもしれないし、暖房をバイオマスにすることにつながるかもしれない。クリエイティブに村全体のコストを削減していくことにもつながると思う。

自立した地域づくりはどんなところでも必要とされていることだから、今後に活きる仕事でもあると思う。


夜は「つどい」という居酒屋に集まった。

樋口さんに加えて、同じく地域おこし協力隊として建築サービス「フォレスタイル」で働く刀祢(とね)さん、製材メーカーの若社長である田口さんも合流した。

まずは刀祢さんになぜこの村に来たのか聞いてみる。

「携帯電話のレンタル屋さんで働いたあとに、2年間キルギスに青年海外協力隊で行っていたんです。そこでキルギス人の自分の国を愛する感じを知って、日本に帰ってきたとき、もっと自分の国のことを知ろうと考えました。それで地域を盛り上げるような仕事につきたいなって思いまして。」

higashishirakawamura07 村での暮らしはどうですか。

「この前、イノシシの脳みそ食べました。形容しがたい味でしたけど、おいしかったですね。あとはパセリをいただいたんですけど、パセリってこんなにおいしいんだ!って思いました。」

「あとコンビニがないから不便でしょ、って言われるけど、私は全然そんなこと思っていません。スーパーもありますしね。地域の行事も楽しいですよ。」

higashishirakawamura08 すごい馴染んでいますね。ずっと住みたいですか?

「はい。住めるなら、続けていきたい。前はそうでもなかったんですけどね。」

はじめはどうでしたか。

「はじめは2年目くらいに帰るのかな、って思っていた。」

なぜ変わったんでしょう。

「昨年度はフォレスタイルの受注数が減ったんですよ。これじゃいけない、って立ち上がった人たちがいて、2時間くらいあつい会議をしたんです。そこで気持ちが奮い立たされて、私もがんばらなきゃって。」

よそ者だから大変なことはないですか?

「よそ者だからこそ『大丈夫?』っていうアンテナをはってくれているんですよ。私は人と近い距離なのは良いですし。」


製材メーカーの田口さんにも話を聞いた。

村で商売をするというのはどういうことなんでしょう?

「景気のせいだとか、国のせいだとか、人のせいにすることもあるけれども、林業ってそもそも当たり前の努力をまだしていないところがすごい多いと思うんです。」

「地球の裏側から来るものと自分の村の木材で、価格や品質的なところで競争力が劣るなんてことは普通はあり得ないことだし。だからやっぱり国産材をやって行きたいと思って。このあたりはみんなヒノキだから、杉をやろうと思いました。地域内では唯一の杉の製材所ですよ。」

今までの製材所というものは、切ったものを市場に持っていくだけで、営業がいなかった。でももっと工夫することで「林業は大変」という固定概念が覆されていったそうだ。

楽しい時間はあっという間にすぎていく。

higashishirakawamura09 翌朝は村長の今井さんに話を聞いた。

今井さんはもともと民間出身の方。子どものときの村の様子を話していただいた。

「テレビは裕福な家に見に行ってた。貧しかったですよ。でも子どもはたくさんいて。小学校も3つあって、保育園も3つあって。中学校も分校があって、というような時代でした。」

higashishirakawamura10 「田んぼで米つくって、蚕を飼って、山の木を切って。冬は檜の皮でつないで曲げわっぱもつくっていた。それぞれ苦労して仕事をつくって。」

大学も就職も名古屋へ出た。パンメーカーに勤めて、小売店への営業になった。ここで「民間の感覚」が養われたのかもしれない。

あるとき、四国への転勤の話があった。子どもをつれて転勤は難しいし、単身赴任もつらかった。

「そんなときに村の商工会の事務局長ができたからこんかい、って話があって。仕事に区切りをつけて、村おこし事業みたいなものをやりました。本当に面白かった。」

トマトジュースの特産品の開発、観光施設のテコ入れ、そして赤字の病院の再生。役割は違うけれど、いろいろなことを実行して改革をしてきた方。

そのあとに選挙に出て、村長になった。

話を聞いていて驚いたのが、村には借金があるどころか、貯金があること。

「無駄なものは絶対につくっちゃいかんですけど、攻めに転じるときもやってくる。きれいな田舎でいるためにはお金が必要なんです。」

higashishirakawamura11 今井村長はほんとうに若い人の話も聞く方だった。そしてやっぱりセンスがいい。たいていの先進的な地域の取り組みはご存知だった。


最後にすべての案内をしてもらった樋口さんの話を紹介します。

「地歌舞伎というのを毎年やっているんですけど、ぼくも出ているんです。はじめはちょい役でね。それともう一つやっているのがフットサルチームのコーチ。そこで出会う子どもたちが大人びていなくて、距離がちかいんです。」

「それで歌舞伎のときにおひねりがあったんですよ。フットサルを教えていた子どもたちから。十円玉とか二十円玉とかで『銀ちゃんコーチ』とか書いてあって。それを受け取ったときは、ほんとウルウルって来ましたね。『ありがとう』って。」

higashishirakawamura12 相手を思う気持ちがあるから、生まれるものがあるのかもしれない。とてもいい村でした。

(2015/7/3 ナカムラケンタ)