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「がんばってふるさと守っとるから、来年もまたきてな」盆踊りの時期には400年つづく念仏踊りを見にたくさんの人が村に帰ってくる。みんなに伝えるこの言葉を現実にするために、区長の新しい挑戦がはじまっています。
向かったのは三重県南伊勢町の大江地区。
今回は地域おこし協力隊として、ここで新しい産業をつくる人を募集します。中心になるのは青ネギの栽培です。
地域おこし協力隊は、都市に住む人を地域へ派遣するしくみのこと。最長3年間、生活費や住居の補償を受けた上で活動を行います。農業をはじめてみたいと考えている人にとっては、いい環境だと思います。
名古屋駅から特急電車に揺られて1時間半。伊勢神宮への参拝客とともに宇治山田駅を降りると、若者定住対策係の山本さんが迎えてくれた。
カメラを向けると「いいよー、俺は撮らないでも」と照れながらも、はきはきと話をしてくれる山本さんは南伊勢町が地元だそう。
「海が近いからサーフィンにはまった時期もありましたよ。今はなかなか行けないけどね」
「仕事がないから、同級生なんかは伊勢市や名古屋、大阪に住んでるのが多いですね。だからここがふるさとになる子どもが、だんだんいなくなってきてるんですよ」
少し時間があったので、サミットが行われる予定の志摩市をぐるっと回って南伊勢町に入る。海沿いの道を走りながら大江地区に向かった。
山の谷間に木造の家がならぶ小さな集落には97人、43世帯が暮らしている。空き家がとても多いそうだけれど、荒廃しているような家はみかけないし、全体的に日当たりがいいからか明るい印象を受ける。
高齢化率は43%。南伊勢町は三重県で最も高齢化率が高いそうだ。
公民館で待っていてくれたのは大江区区長の木下さん。学生時代に少し街に出たが、20歳で戻ってきてから63歳になった今まで、ずっとここで暮らしている。
「一度きりの人生なので、精一杯生きなきゃいかんと思ってます。仕事は農業や区長をするとともに、大江農地を守る会の会長を兼務しております。人に頼まれると断ることができやん性格でな」
いろいろな肩書きをお持ちだそう。それだけ周りの人に頼られているということなのだろうけれど。
「街に住んでる人って、それはそれで幸せなんやろうけど。でもそこから帰りたいと思ったときに、戻れる村にしておきたいんです。村も人の心も荒れてない、みんなが帰ってきたいところにしておきたい」
街に出た人たちから「村をよろしく」と言われると、自分の生活もほっておいてどうにかしなくては!と思ってしまう。のめり込むのは良いところであり、欠点でもあるそうだ。
どうすればこの地区が元気になるか。
木下さんがそう考えていたときに、南伊勢町の町長から戦略作物としてネギの栽培をしていきたいという話が舞い込んできた。
「青ネギの栽培とは運命的な出会いをしたと思ってな。経済的な事情でみんなよそにいってしまいますから、仕事をつくれるかもしれないと。農地を復元して後世に送る第一ランナーになるのが自分の仕事だと認識したんですよ」
木下さんの取り組みを全面的にバックアップしているのが、水産農林課の柳原課長だ。
「伊勢市から北に広がる伊勢平野では60ヘクタールの土地を使って、ネギをブランド化して出荷してるんです。ただ冬場は低温になるので出荷量が落ちる。その時期に合わせて温暖な南伊勢でもつくれれば需要もあるのではないかということではじまりました」
あっという間に話はまとまり、昨年の夏から試しに10アールの土地でネギづくりがはじまった。
「そしたらよかったんですわ。収量も多かったし、時期をずらしたことで単価も通常300円のところが500円になった。大阪市場には『伊勢娘ネギ』、名古屋市場へは『ねぎらいネギ』として出荷をして、60万円ほどの利益が出たんです」
つくったネギは、農協を通して南伊勢のネギとして販売をするルートを確保した。今年度は1.3ヘクタール、ゆくゆくは10ヘクタールまで農地を増やしていきたいと考えている。
「大儲けしようとは考えていません。みんなが生活できる環境を守っていけること、地域の人が働く場所の提供ができればいいと思っています」
「今のところはみんな、私がすることをみている状況です。成果があれば、ネギをつくる人も増えるかもしれん。あちらこちらにネギ畑が見えるように、今は国道沿いの目立つところを中心にやっています」
もう使っていないから畑を借りてくれないか、と声をかけてくる人もいるそうだ。
今中心になって作業をしているのは木下さんと仲間の2人。
やっていくには限界があるので、新しい人に加わってもらい一緒にネギづくりを盛り上げていきたい。まずは地道に栽培をするところからはじめて、一緒に拡大していくための方法を考えていきたい。
獣害対策のために畑となる場所を柵で囲って、土を耕して。定植は機械を使って行うそうだ。大切に育てたネギは、1月から3月に収穫をする。
洗浄までは自分たちでできるように洗浄機の導入も検討している。出荷量が増えていけばやることが増えるので、雇用をつくることにつながっていく。
新しい挑戦の1つとして、出荷をした後の畑でコシヒカリを4月から栽培している。この9月には結果が出る予定。
「米をつくってる人も多いんです。縁故米で送って孫に喜んでもらうと、うれしくてね。コシヒカリをつくったあとにネギもつくれるんやということになれば、普及の度合いはもっと進みますから」
「実験して、別にとれなくてもいいんですわ。けども誰もやらないことを試して成功したり、失敗することが大事かなと思って」
手本を見せられるように、まずは自分がやってみる。
木下区長と柳原課長の計画は、どんどん進んでいる。
ネギの栽培に手間がかかるのは9月から3月までの間。ほかの半年間は、別のことにも取り組んでもらいたい。
「半年は漁師になるとか、炭焼きするとかでもいい。この辺りで昔行われていた塩炊きを復活させるのもおもしろいかもしれません。興味があれば田舎生活を体験するような企画をして、南伊勢町の魅力をつくってもらえたらと思ってます」
海と山がとても近いところにあるから、朝サーフィンをしてその後にネギを育てる、なんて生活もできるかもしれない。
「農業の経験はいりません。やる気と芯のある人がきてくれたらいいですね」
単身で、家族連れで、仲間と。どんな人が来てくれるか想像しながら、紹介できそうな住まいもいくつか目処がついているそうだ。
「やってみて自分に性が合わんこともあるかもしれない。やっぱり人生はその人の人生やもんで。ネギで縛ってやるわけにはいきませんからね。まず経験をして、よければ定住も検討してもらえたら。まあ、温かい人ばかりの地区だから、安心してきてもらっていいと思うけどな」
そのあと30分ほど車を走らせ、泉地区という集落へ、移住者の先輩である西井さんご夫妻に会いにいった。山の奥と聞いてはいたけれど、想像していたよりも細い道をぐんぐん上っていったところに2人の住む家があった。
夫である清人さんはもともと伊勢市で調理師をしていた。10年前に南伊勢町にやってきたけれど、飲食店も少ないこの町で仕事を見つけることは難しかったそうだ。
そんなときに近所の方に畑を手伝ってくれないかと声をかけてもらった。
「農業っていうのは、土に汚れて食べれへん職業かなって思ってたんです。けど、すごいかっこええんですよ」
農業がかっこいい。
「荒れた畑がこの辺にはたくさんあるんです。大昔の人が手をかけてつくった畑を戻して、代々引き継いでいこうとしている。ものすごい深みを感じたんです」
けれど農業をはじめるのに必要な土地、お金もない。人に相談しても、鼻で笑われて苦しい想いをしたこともあったそうだ。
そこまでしてでも、農業をやろうと思ったんですね。
「出て行こうと考えたこともあります。けれど動かなかった。よそ者でも仲良くしてくれる田舎のつながりが、うれしいなと思って。ここで村の人として根をはってやっていけるのは、農業しかないんですよ」
あるとき新規就農者に対して補助金が出るプログラムがあることを知り、ようやくみかん農家としてのスタートをきったのが3年前だった。
妻の愛さんがここにやってきたのは1年ほど前のこと。20代のころはフリーランスのシステムエンジニアとして、バリバリ働いていた。
「正直お金も稼いでました。マンションも買って、30歳になったときには目標にしていたことがだいたい叶ってしまって。燃え尽きた感じがあったんです」
少しずつ環境やコミュニティに関心が高まっていったけれど「歳も歳だし、あきらめなくちゃいけないんだな」と思いながら、仕事を続けていた。そんなある日、難病の子どもの夢を聞く機会があり、愛さんの人生が変わった。
「『アフリカの子どもたちに文房具を送りたい』って。自分の命のタイムリミットが近づいてきているのに、人のことを考えている。頭をガツンと殴られたような気がしました」
たくさんの言い訳をしていた自分と決別し、すぐに青年海外協力隊としてアフリカに行くことを決めた。日本に帰ってきてからは自分の食べ物は自分で育てられるようになるために、農業に関わる仕事をしようと考えた。
全国を転々としている中で出会ったのが清人さん。出会って2ヶ月で南伊勢町にやってくることを決めたそうだ。
「良くも悪くも外国にきたような感じでした。子どもが興味津々で寄ってきたり、知らないおばあちゃんから方言でわーっと話しかけられたり。勝手に玄関をあけて、野菜が置いてあったときは怖かったですね(笑)」
外に置いておくと猿がいたずらするから、と親切でしてくれることだけれど、慣れるまでは人との距離の近さにびっくりすることも多かったそう。
そんなこんなであっという間にみかんの収穫の時期がやってきた。2人ともはじめてのみかん収穫だったから、わからないことばかりだった。
「道具も、段取りも、売り先も。なにもわかりませんでした。もう大変で。知り合いのつてを辿って、どうにかこうにか出荷をすることができたんです。おいしいと言ってもらえたときには、なんとも言えないうれしさがありましたね」
清人さんが農業をやりたいと思ってから10年。さまざまなハプニングに見舞われながらも、ようやく「Happy農園」という名前でみかんを売り、農家として収入を得ることができた。
「でもみかん農家になりたいわけじゃないんです。ここで暮らして、いろいろな知恵や情熱を持つ人と出会って、地域の暮らしをあとの世代に伝えて残していきたいと思うようになりました。農業はその手段の1つです」
2人は周りで暮らす、尊敬している人たちのことをたのしそうに話す。ここで出会った人の暮らしが、2人のこれからをつくってきたんだと感じた。
大江地区には10年以上あたらしい人が越してきていないそうなので、最初は地域の人たちとの関係性をつくっていくのにもお互いに工夫が必要かもしれません。
けれど農業で生活するということはとても大変で、1人ではできないことなんだと思います。周りの人に助けてもらいながら、知恵や情熱をわけてもらいながら。
今回は木下区長というとても心強い仲間がいます。一緒にネギをつくりながら、ふるさとづくりをしてみませんか。まずは南伊勢町を訪れるところから、はじめてみてください。
(2015/07/31 中嶋希実)