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発掘せたがやミッドタウン

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

住宅地をとことこ走る2両編成の電車。踏切が開くと、学生やサラリーマン、自転車に乗った子どもとお母さんが行き交う。

駅前の個性的な店構えを眺めていると、商店街には個人商店が多いのに気がつく。

東京のような、東京でないような。ホッとする心地よさをこのまちに感じる。

shoinkaikan01 世田谷のほぼ真ん中“世田谷ミッドタウン”。このまちと共に歩んできたのが松陰会舘という会社です。

主たる事業はLPガスの供給と不動産業。いずれも創業当時からの「まちとひとに伴走する」という想いから、まちのインフラづくりに携わってきました。

多くが都市ガスに切り替わり、LPガスの需要が縮小するなか、松陰会舘は新しい事業を開拓しています。

ひとつは、ガスの検針をしながらまちの人の困りごとに応える、何でも屋さんのような仕事。

ほかにも、不動産事業でリノベーションを手がけたり、人の暮らしや物件情報を伝える地域情報サイト「せたがやンソン」をはじめたり。

まちの新しい価値を発掘して、住民の方がよろこんでくれたり、ここに住みたいという人を増やしていく。

さらなる展開も控え、これまで以上にまちと一体化した会社になりつつあります。

今回は、そんな松陰会舘や世田谷ミッドタウンのことを発信してくれる人を募集します。

企画・編集・広報のほかにも、まちの潜在的なニーズを掘り起こし、会社の次の動きに活かしていくような役割も求められます。

松陰神社前駅の近くにある事務所で、松陰会舘の佐藤芳秋さんに話をうかがいました。

shoinkaikan02 佐藤さんは創業者のお孫さんにあたる方。いまから77年前、昭和13年に佐藤さんのお祖父さまが松陰会舘の前身となる会社を立ち上げたという。

「そのときはじめたのが、お風呂屋さんでお客さんの背中を流す仕事。うちの祖父は世渡り上手だったので、お風呂屋さんを任されるようになったそうです。それからしばらくして、もともとまちの人が集まれる場所をつくりたいということで『松陰会舘』という名の構想が生まれて」

生活に必要なインフラを提供しようと、次にはじめたのは石炭の販売。エネルギー事情が変化していくなか、扱うものも石炭から石油、そしてガスへと変わっていった。

「最盛期で、世田谷を中心に4500件くらいガスを供給していました。昭和60年くらいを境に、LPガスから都市ガスへ変わっていって、お客さんがどんどん移っていった。それはある程度予測できていたし、世田谷に住んでもらうために必要な場所を提供しようっていうことで、不動産賃貸業をはじめたんですね」

ところが、全国で空き家問題が指摘されているように、住まいの需要も縮小。事業の両輪が揺れ動くなか、4年ほど前から、より「まちとひとに伴走する」ことに注力してきた。

「まちのことを僕らがもっと知っていないといけない。たとえ、かっこよくリノベーションした部屋があっても、まちにつながりがなければ長く住もうっていう気にならないじゃないですか。あの飲み屋がおいしいから、まちの雰囲気がいいから、このまちに住みたいって。そういうところから関わっていこうって」

shoinkaikan03 2011年にはコミュニティスペース「shoinstyle」をオープン。

創業当初から目指していた“まちの人が集う場”として、まちに住むママさんの料理教室や子どもの誕生日会などが催されている。

そんなとき、松陰会舘のスタッフが料理に必要な野菜などを配達しているという。

「ママさんたちは子どもに安心な野菜を食べてほしいと思う一方で、主催者の方は野菜の配達まで手が回らなくて。そこで、うちのスタッフがお手伝いするんです。少しずつだけど、まちの方が求めることに寄りそっていこうと」

まちの細やかなニーズに応える姿勢は、もともとLPガスの営業で培われたもの。

営業の川越さんは、ガスの検針でお宅を訪ねるとこんなお願いをされるという。

「ご高齢の方が多いので、ドアの立て付けが悪いから直してとか、警報器が外れちゃったから取り付けてとか。このまえは、庭の植木を引っこ抜いてきましたね」

「入社したときは器具を売ったり、検針したりするイメージだったので、ちょっとしたことからお願いされるのが意外でした」

shoinkaikan04 作業のあとは、お客さんと1時間以上もお茶をする。こうしたことは日常的によくあるのだとか。帰り際には「お土産に」と、このまえはトウモロコシを渡されたそうだ。

そんな光景を東京で見られるのは、松陰会舘とまちの人が強いつながりを持っている証だと思う。

サービスの利用者と提供者という関係よりも、どちらもここで暮らし働くまちの人。

さまざまなお願いは、不動産事業にも及ぶという。

たとえば「不動産を処分したい」とか「店舗を改装したい」といった声。

工事が必要とあれば、もともとLPガスの設置を行なっていた職人さんが内装工事を手がけることも。

shoinkaikan05 「でも、ただ求められたことに応じていこうっていうつもりはなくて」と佐藤さん。

「『白い床が汚れたから、きれいにしてほしい』って言われてその通りにするんじゃなくて、『黒く塗っちゃいましょう』みたいな提案ができるような。ほんとうにその人が求めていることや喜んでくれることは何か、しっかり掴んで提案できるようになっていきたい。それはどの事業でも同じで」

その考えは、松陰会舘が地域に「根ざす」のではなく、「伴走する」と表現していることにも通じるという。

「『根ざす』って、自分たちベースじゃないですか。でも、地域の人のニーズって変わってくる。ライフステージが変われば、転職しようかなと思うのと同じで。常にそばにいて『転職したいなら日本仕事百貨だよ』って教える。そういう存在になっていきたいんです」

「だから、アンテナ高く、常に何かを疑っている状態じゃないといけないのかもしれない。『ほんとうにこれは地域の人が求めていることなのか』『このニーズは3年後ぐらいには変わるかもしれない』って」

まちの人が本当に求めていることや必要なことを掴んだ提案。表層をすくい取るのではなく、じっくりと掘り下げていくためには、コミュニケーションの積み重ねが大切なのだと思う。

 
昨年から新たに「HandiHouse Project」の共同主宰者のひとり、坂田さんが松陰会館に加わった。もともと坂田さんが松陰会舘の物件で暮らしていたのが、出会いのきっかけだったそう。

坂田さんの参画により、これから不動産事業のサービスはより深まっていくという。

shoinkaikan06 佐藤さんの「ニーズの変化への対応」についての話を受けて、坂田さんはこう話してくれた。

「リノベーション業界においても、いままでお客さんが求めても提供できなかったものを提供できようになるべきだと思うんです。人の生活が変わるタイミングで、次の時代に必要になるサービスを考えて、きちんとお客さんに届けないと」

「そんなとき、どう伝えればお客さんに届くのか。潜在的なニーズの掘り起こしから一緒に考えて動ける人に入ってもらいたいですね」

松陰会舘は今年6月にまちの情報サイト「せたがやンソン」をスタート。

世田谷ミッドタウンで暮らす人の様子やお店のレポ、物件情報などを掲載している。

今回加わる人は、せたがやンソンでの企画・編集・発信を軸に、他事業部と連携して松陰会舘の広報なども行う。

「僕がここに来て思ったのは、『そんなことしているんですか』って。ガスの検針ついでに庭の木を引っこ抜いたり、2時間もお茶飲んで帰るとか。それって相手がしてほしいっていうニーズに応えている。でも、やっている本人たちは当たり前のことだと思っているんですよ」

「それを新しい人が外からの視点で『すごいことじゃないですか!』って着目して。そういうニーズを持つ人ってほかにもいるから、たとえばWebで『川越くんの一日』を打ち出そうとか。そんな動き出しをして、どんどん掘り起こしてもらえると嬉しいですね。まずは社員と、その先にあるお客さんに興味を持ってもらって、どんどんつついてもらう。そこからまちのことにも広がっていくような人がいいな」

shoinkaikan07 どんな人に来てほしいのだろう。佐藤さんにも聞いてみた。

「ストレス耐性が高いっていうことが重要かな。正直にお話しすると、会社が50年以上にもなると固まったルールがあったりするんですよ。そういうのを変えようとしていける人がいいですね。でも、『こんなんじゃないです!』ってパンクな人でもなくて」

「社会もどんどん変化して、会社も変わっていかないといけないですから。自分から動けたり、新しいプロジェクトを提案できるといい。自立している人。いずれ独立したいという人がいいですね」

ここで坂田さん。

「僕はこの会社に入ることで、メリットがあると思ったんですよ。フリーランスで住宅にコミットしたいと思っても、そんなにできない。数も打てないし、資本がない。こういうことを地道にすれば花が咲くんじゃないかって思うことがあってもできなかった」

「フリーランスの人って、意識を持ちながら生活しているんだけど、自分じゃできないから、狭い範囲の仕事になっちゃう。でも、組織に加わって、そこでイイトコどりするっていうのは、僕はありだと思うんですよ。フリーランスであるか会社員であるかってことより、自分は何をやりたいからこういう立場になろうって、きちんと選択することが重要だと思うんです」

「たしかに、ビジョンが明確な人は会社とのコミット度合いが高いですね」と佐藤さん。

営業の川越さんは入社2年目。はじめはいろんなお願いを聞く仕事に戸惑ったそうだけど、いまや社員のなかでもトップ成績だという。

実は、川越さんは弓道の国体選手なんだとか。

大学生のころに住んでいた世田谷が地元の秋田の雰囲気と似ていたことから、世田谷での仕事を探していたところ松陰会舘にたどり着いたそう。

「川越はビジョンが明確で、ここでの暮らし方を広げていこうって考えている。その人のビジョンは仕事に向いていても、個人に向いていてもいいと思うんです。スタッフのライフプランが設計できるっていうことは、会社のビジョンを一緒に設計できるっていうことなので」

shoinkaikan08 これから坂田さんを中心に、大きな建物を改装して、地域のプラットフォームとなる場をつくり運営していくプロジェクトが動き出すそうです。

坂田さんは「ぜひこのタイミングから一緒に企画なども考えてほしい」とのこと。

会社の目指す方向性を具現化する場になるそうで、早くから松陰会舘を掴めるよい機会だと思います。

会社のまわりには素敵なお店が多いので、一度遊びに行ってみてはいかがでしょう。松陰会舘の事務所は駅近くなので、訪ねたら佐藤さんも快く話してくれると思います。

(2015/8/4 森田曜光)