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誰と暮らす

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いまや日本全国どこにいても、遠く離れた地域と通じ合える時代。

その地に住まう人や暮らしの様子を、日常にいながら垣間見られるようになりました。

移住を考える人にとっては選択肢がかなり広がったように思う。その中から自分に合う条件の揃った地域を選ぶのもいい。

ただそれ以上に、自分の役割を見つけて地域の一員になるという覚悟や、そう思わせてくれる人たちの存在が重要なんじゃないか。

はじめて訪れた薩摩川内で思いました。

satsumasendai01 鹿児島県の北西部にある薩摩川内市。

ここで、地域おこし協力隊として活動しながら、任期終了後もその地で暮らしていこうとする人たちに出会いました。

2009年に総務省によって制度化された地域おこし協力隊。いまでは400を超える自治体が導入し、地域活性のほかにも隊員の定住が目的のひとつとされています。

だけど、うまくいっていないという話が少なくないのが実情。

薩摩川内で活動する隊員の方は、ここで暮らすことをどのように決意できたのか。話をうかがいに行ってきました。

 
薩摩川内市では2年前から地域おこし協力隊を採用。現在は9名の地域おこし協力隊が活躍している。

市内5つの地区に分かれ、地域資源を活かした商品開発をメインミッションに活動している。

昨年度までに隊員が主体となって開発した商品数は約200。薩摩川内市が立ち上げた地域商社・㈱薩摩川内市観光物産協会やANAとの連携による販売で、総売上が2千万円を超えた。

商品開発から地域に一石を投じるこの一連のプロジェクトを「ぽっちゃん計画」と名付け推進してきたのは、市の観光・シティセールス課の方々。

その中心人物となるのが、これまでの募集で何度もお世話になっている古川さんです。

satsumasendai02 話していると、どこか役所の人っぽくない雰囲気の古川さん。常に面白そうなことを企てていそうな方です。

「次の協力隊も、これまでと同様に商品開発をテーマにしてやりたいと思っています。ただ商品といっても、観光地を巡るバスツアーとか農業体験会とか、旅・食・品すべてに関する商品。うちは販路を持った観光物産協会があるので、開発した商品がデビューしやすいのが特徴です」

鹿児島には、全国に向けて販売する食料品加工メーカーが少ないそう。他県にも負けないおいしい地産商品がたくさんあるけれど、県内で消費されることがほとんどだという。

また、マンガ「Dr.コトー診療所」の舞台となった甑島(こしきしま)は薩摩川内市の地区のひとつ。2004年には川内駅に九州新幹線が通ったが、観光地としての認知はまだまだ広まっていない。

satsumasendai03 こうした状況の中から、協力隊は担当地域の魅力的な資源を見つけ出し、旅・食・品の商品開発を行なっていく。

古川さんは協力隊と地域のミスマッチが起こらないよう、事前に地域に受け入れチームをつくり、その人たちや地域の雰囲気に合う人を隊員から選んでいるという。

「たとえば、中心市街地の向田地区はかつての賑わいを失って、将来を悲観しているムードがある。そこに人当たりのいい『彼』が入ることで、役所にはできないゲリラ活動ができるんじゃないかと。間に入っていろいろ仕掛けたりフォローするのが我々なんですね」

「彼」とは、昨年から協力隊に加わった原田さんのこと。

川内駅の目の前、市の玄関口とも言える向田地区で活動している。

satsumasendai04 熊本県生まれ、埼玉県育ち。電子部品の専門商社で営業を担当していた。

向田地区にやってくる前、こんなことを提案しようと、意気揚々と企画書をつくっていたのだとか。

けれど、実際に地域に入ってから「むずかしい地区だ」と感じたという。

「片道500mもある太平橋通り商店街のほかにも、いろんな通りがあって。そこにいらっしゃるのも、年齢が上の方から若い方までさまざま。なので、みんなの意見もさまざまなんです」

「とにかく、まずはいろんな人に会って話を聞かないと。自分がまちで活動していることも知ってもらいたかったので、イベントがあれば必ず参加して、地道なお手伝いからでもやらせてもらっていました」

1年目の活動で開発した商品数は6。とにかく知ってもらうため、認めてもらうための1年間だったという。

古川さんは「3年なんて短いですよ」と話していた。そのくらいのペースということだ。

「それで、イベントとか会議とかに顔を出しているうちに、多くの方と知り合いになって。そのひとりに、泰平寺っていうお寺の住職さんがいて。話したら『六月灯っていうお祭りがあるよ』って言うんです。調べてみたら、写真がすごく綺麗で。何でこれを発信しないんだろうって思ったんですね」

satsumasendai05 六月灯は旧暦の6月に行なわれる鹿児島独自のお祭り。和紙と木枠でつくった灯籠に火を灯し、神社やお寺の沿道に飾られる。

向田地区の太平橋通り商店街で六月灯を見られたのは、いまから約50年前のこと。

六月灯を復活させることで、子どものころの懐かしさを思い出して結束力が生まれるのではないか。何よりみんなによろこんでもらえるのではないか。そう考えた原田さんは、親身に相談に乗ってくれた泰平寺の住職さんと協力して、六月灯のプロジェクトを企画しはじめた。

「薩摩川内市でやるからには、ここのオリジナルを灯籠に凝縮させたい。LEDも竹紙も、薩摩川内市にある企業さんの商品で。檜の枠も木工所さんにお願いしたんです。灯籠に描かれる絵は市内の学生さんの作品。向田地区に飾ることによって、ここに来てくれる人が増えることにもつながったらなって」

太平橋通り商店街に飾られた灯籠は、7月4日に無事点灯。まわりから予想外の反響があったという。

「通りを歩いていると『六月灯よかったよ!』ってバンバン肩を叩かれるんです(笑)。この前お会いしたおばあちゃんは涙を浮かべてよろこんでくれて、『点灯式のときは、お茶で乾杯したわ』って。すごくよかった」

satsumasendai06 幸先よくスタートした六月灯プロジェクトを、今後どう発展させていくか。原田さんは5カ年計画を立てて、協力隊の任期を終えたあとも関わり続けていくという。

「今回で周知がうまくいったので、興味を持っていただいた地元の神社の方とつながって、2年目からは地元のお祭りとコラボしていきたいです。それと、川内駅−商店街−神社までのコースを六月灯で飾って、どんどんまちに広げていこうと。お土産品として六月灯のミニチュアも開発しようと思っています」

協力隊がプロジェクトを進めるにあたって、必ず地域事業者と組むことが求められる。それは隊員が卒業したあとの場合を考えてのこと。

原田さんの活動の様子を聞いていると、向こうから積極的に関わってくれる人、面倒をよく見てくれる人、原田さんの熱量に突き動かされた人がいるんだなと思う。

もちろん、そういった人たちは一部なのだろうけれど、原田さんは薩摩川内の人柄を「愛着を持ちやすくて」と話してくれた。

「べつに『ようこそっ!』って感じじゃないんですけど、こちらに来て1週間は3回も飲み会があって。何かあると呼んでもらえるんです。そんな人たちと一緒になって盛り上げたいんです。自分のためというよりも」

単なる勢いではない、覚悟のようなものを感じる。どうしてそこまで本気になれるのだろう。

「実家は埼玉で、地元が大好き。住む場所としてはいいところだと思うけど、『埼玉のよさって?』と言われるのがすごく悔しかった。だから魅力を打ち出してまちおこしをやっている地域がすごくうらやましかったんです」

「それで薩摩川内を見つけて。いろんな人と出会うなかで、手助けするわけじゃなく、自分も地域の一員になって一緒にやりたいって思えたんです」

satsumasendai07 舞台は移り、上甑・中甑・下甑の3つの島からなる甑島列島。

ここで活動する協力隊の方に話をうかがいます。

2年前に着任した、江藤さんです。

satsumasendai08 江藤さんは福岡・北九州の出身。大学を卒業後、バックパッカーとして海外を渡り歩いたり、オーストラリアで農業をしていた経験から、自然豊かな土地での職探しをしていたという。

江藤さんの活動する上甑島の面積は、東京で言えば練馬区よりちょっと小さいくらい。ここに約2400人が暮らしている。

甑島を代表する名所「長目の浜」にも、静かな時間が流れている。聞こえてくるのは風の音と鳥の鳴き声。

「この島は素朴なきれいさがありますね。人はめっちゃ人懐っこくて。『あ、知らない人がいる。でも興味あるから話しかけてみよう』って感じ。暮らしていても、すごく気にかけてくれる。何か力になってあげたいという気持ちが強いみたいで。正直、2年間ここでやってこれたのは、そのおかげですね」

というのも、ここでの暮らしがつらかった時期があったのだとか。

「距離が近すぎるんです。眠そうな顔をして無精髭でも生えていれば、『だらしない』って自分の親みたいに指摘される(笑)。いろんな国に行ってどこでも順応できると思っていたけど、けっこうきつかった。いまはもう気にしなくなりましたね」

江藤さんも、はじめの1年は島のさまざまなイベントや会に参加するだけだったという。

2年目からは、観光ガイドをしたり、可愛がってくれているという島のお豆腐屋さんとハーブティーの商品開発をしている。

DSC_0544 任期の終える来年の春までは、ここで暮らしていくための活動も行なっていくという。

「仕事は観光ガイドと農業って決めているんです。農業は焼酎の原料になる芋を自分でつくって。ここの仕事で収入を得て、生活していこうって」

江藤さんの表情は明るいながらも「不安ですけどね、食べていけるんかなって」という言葉がにじみ出てきた。

実際、農業が発展していない甑島の歴史を見ても、なかなか一筋縄ではいかないと思う。ほかを見れば、もっとやりやすい地域があるはず。

なぜ、ここで暮らしていくことを選択したのだろう。

「自分のなかで大きいのが、お豆腐屋さんの社長さんですね。歳が自分とひとつしか離れてないけど、すごく魅力的な人で。その人は島に帰ってきて、2年前にお店をオープンしたんです。そのあとご結婚されて、お子さんも生まれて」

「その一連の流れを、そばで見てきたんですよ。いままで自分は海外をフラフラして、結婚のことなんて考えなかったけど、社長さんの姿を見ていたら『いいな』と思っちゃって。その人がいなかったら、いまここにいなかったかもな」

satsumasendai10 原田さんや江藤さんのほかにも、任期終了後も薩摩川内市で暮らし続けていこうとしている隊員がいる。

武家屋敷の街並みが残る入来地区で活動している宇田川さん。

空き家の目立ってきた武家屋敷群が、子どもたちの世代の先まで受け継がれていくように、地域の方と一緒に取り組んでいくそうだ。

satsumasendai11 原田さんや江藤さん、宇田川さんと話していると、どこで暮らすかというより、誰とどのように暮らしていくかに軸を置いているような感じを受けた。

もちろん土地や環境で選ぶのも大事だと思うけれど、それらを築いてきたのもその地で暮らす人々だと思う。

薩摩川内には、活動を支えてくれる役所の古川さんたちや、協力隊を理解して受け入れてくれる地域の方々がいる。

もし、場所だけでない魅力ある地域を探している方がいたら、ぜひ薩摩川内を訪ねてみてください。

(2015/9/11 森田曜光)