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東シナ海に浮かぶ鹿児島の離島、甑島(こしきしま)。なかなか聞き慣れない名前だけど、マンガ「Dr.コトー診療所」の舞台になった島として知っている人は多いかもしれません。
九州本土より離れていることから、いまも手つかずの大自然が残り、温かい人付き合いの風習が続く島です。
ここに約5,500人の人々が暮らし、ゆったりとした暖かい気候の中、漁業や農業が営まれています。
そんな甑島は近年、観光地として着目を浴び、多くの観光客が訪れるようになりました。
観光整備が急務だけれど、島の文化やそこで暮らす人たちの想いも大切にしたい。
島のさまざまな産業が落ち込むなか、観光業の発展は甑島のひとつの明るい道筋でもあります。
これからの甑島をどうしていくのか。
島で暮らし観光業に携わりながら、地域の方々と一緒に描いてくれる人を募集します。
今回募集する人は、㈱薩摩川内市観光物産協会のスタッフとなって、甑島の支店に勤めることになる。
薩摩川内市観光物産協会は薩摩川内市が立ち上げた地域商社。民間企業にすることでより柔軟に外へ打って出ようと、旅行商品を企画販売したり、開発した地産品を百貨店や海外へ卸販売している。
「観光物産協会ができたのは平成25年。だんだんと実績が上がって、甑島の観光客もどんどん増えてきているんです。甑島への高速船が新たに就航したこともあって、昨年の観光客数は一昨年の1.6倍。おもてなし体制の構築が急務なんです」
そう話してくれたのは、薩摩川内市の古川さん(写真右)。
観光物産協会の井龍さんと一緒に、川内駅にある観光物産協会の事務所で話をうかがいます。
観光物産協会は観光客が急増する甑島に支店を設置。現地での観光案内や受け入れ体制の整備を行なっているが、人手が足りないということもあり、なかなか思うように事が進んでいないという。
「採用する方にやっていただきたいのは、観光をしっかり受け入れられるような体制づくり。それって観光業に勤めていた人なら誰でもできるかというと、そうでもなくて。人間力が必要なんですね」
「というのも、甑島は本土からの文化が入り込んでなくて、バーター経済が残っていたりする。商売するのが恥というような考えが若干あるんですね。人情のあるおもてなしはできるけど、お金をとるようなおもてなしはなかなかされないところがあって」
そういった島の価値観を理解しつつ、上から目線ではないアプローチで観光業の基盤を、5年10年かけてつくっていく必要がある。
「そこは時間をかけていかないと。ずっと島に居続けてくれる人じゃないといけないと思っていて。ただ、全部をひとりでしなくていいんです。当然、我々も応援するし、島にも力になってくれる人がいます」
実際に甑島で暮らし、働いている人たちの話も聞いてみたい。
川内駅から港までバスで30分ほど。ここから高速船に乗り込み、1時間ほどかけて甑島へと向かう。
揺れる船内からは、イルカの群れが泳いでいくのを見えた。
島に到着すると「ようこそ甑島」のうれしい文字。船が着くたびに、観光物産協会の方々が横断幕を掲げているという。
南国の島のような暖かい気候。波の音と鳥の鳴き声だけが聞こえてきて、ゆったりとした時間が流れている。
島のあちこちには、シーボルトが持ち帰ったといわれるカサブランカの原種、鹿の子百合が赤く咲いていた。
港には船の切符売り場や食堂が併設された建物がある。ここに観光物産協会の観光案内所も設けられている。
扉を開けると迎えてくれたのは、観光物産協会の塩田甚英さん。
甑島で生まれ育ち、福岡の大学を卒業後、観光物産協会に入社した方です。
はじめに、島の観光整備の状況について聞くと、甚英さんはこう話してくれた。
「ツアーの斡旋契約の話をしても、なかなか乗っていただけないことがありますね。そこまでしなくても、現状のままやっていけるって。それと、斡旋手数料っていうのが島には馴染みがなくて」
「もともと助け合いの文化があるので、事業者を紹介することを商売と捉えるのは『どうなの?』って、島民から理解が得られないところがあるんです」
甚英さんのご実家は民宿を営んでいるそう。昔から島によく来ていた釣りのお客さんを迎えていたという。
釣りのお客さんは、あまり宿の質を求めていなかった。そのときの名残もあって、細やかなサービスを億劫に感じている事業者もいるという。
また、新たにやって来た観光客のクレームを受けて、傷ついてしまった人もいるとか。そんな観光客を送り込む観光物産協会が迷惑がられている側面もあるそうだ。
島の人たちが望まないのなら、観光業を推し進める必要性はどこにあるのだろう。そんな問いに、甚英さんはこう答えてくれた。
「ひとつの業として、観光は絶対絶やしてはいけなくて。自給自足で畑をされる方が多いんですけど、農業一筋で食べている方はいらっしゃらなくて、漁業も魚がなかなかとれなくなっています。土木もだいぶ整備されて、ほとんど手をつけるところがないくらい。いまから伸びていくとしたら、観光しか自分は思いつかないです」
だんだんと島の仕事が減り、若い世代は島を出て行ってしまうという。いま島にいる人たちは十分に生活ができるかもしれないけれど、次の世代や島の将来を考えると、観光業の発展は欠かせない。
その目指す姿として、甚英さんは「来たい人が来てくれる島」と話していた。
リゾート化するのではなく、島のよさでもある人の温かみのあるサービスを提供することで、愛着を持って「また来たい」と言ってもらえるような場所。
「この島では、漁師さんや農家さんと仲良くなったりすると、鯛やタマネギを玄関に置いていってくれたりするんです。なかには『毎晩うちにご飯食べにおいで』っていう方もいて(笑)」
「そういう島の雰囲気って、お客さんからいいと思ってもらえるところだと思うんです。そこを無理に変えたり、島民の意識を変えることまでしなくていい。島らしさを残しながら、観光客を呼び込めたらなって」
どんな人に来てもらいか。甚英さんに聞いてみた。
「よそから来た人が馴染んで住んでくれると、島民の人たちみんなはすごくうれしいんです。だから、島民になってくれる方。それで、一緒に観光を盛り上げていこうと思ってくれる方に来ていただきたいです」
どんなに観光業の経験がある人でも、ひとりで声高に訴えるだけでは、島の人からただ反発を受けるだけかもしれない。
まずは地域の一員になることからはじめるといい。海岸清掃やスポーツ大会、お祭りなど、島にたくさんある行事にとにかく参加する。排他的な雰囲気はなく、むしろ甑島の人たちは人懐っこいので、距離は縮めやすいと思う。
島で薩摩揚げ屋さんを営んでいる庵地さんも、こう話していた。
「輪に溶け込めるかどうかが、甑島では重要だと思う。仕事は忙しいけど、時間をつくれるならソフトボール大会に参加したりとか、飲んでコミュニケーション深めたりして。そのときに相手の考えを引き出したり、自分のやりたいことを話せるといいね」
庵地さんは観光物産協会の取締役と甑島支店の支店長を務めていて、地域住民の信頼を寄せる存在として相談役の役割も担っている。
冗談交えながら明るく話してくれる方で、なんでも相談に乗ってくれそうな心強い味方です。
庵地さんはこれまで、甑島のためになるような活動を、自分の仕事以外でも行なってきたそう。
「昨年のゴールデンウィークに、どこのお店もいっぱいになって昼ご飯が食べられない人が出ちゃって。また今年も同じことが起こるんじゃないかと思って、お願いして回って、昼ご飯をつくってくれるお店を増やしました。船から降りてくるお客さんにチラシを配ったりもして」
「売上もそこそこよかったらしいんだけど、一言も感謝の言葉はない。してもらって当然だという考えがあるんだよね。そういうところの甘えがある」
どうしてそういう考えなのでしょう?
「助け合い精神が行き過ぎているところがある。あと国のお金で成り立ってきたから、甑島の人たちは自分たちでお金をつかみ取るってことをしてきていない。そういう甘え体質がある」
「でも、これもひとつの文化だよね。そういう価値観も分かってくれる人にきてもらいたい。観光客の受け入れ体制は、ちゃんと受け入れようとする気持ちがあれば、甑島でもできるはずだから」
ゴールデンウィークの件のほかにも、庵地さんは島のためになるようなことに率先して働きかけている。島の将来を考えてのことなのだろうか。
「わかんないな。そこまで大げさなものでもないんだよね。島に一生懸命やって『ああ、いいやつだな』『がんばってるな』って思ってもらって、よろこんでもらいたい。ただ、やってみてもその返事がないから『おい!』ってたまになるんだけど(笑)」
「でも、それがダメだとも思わないし、そんなもんだろうと思っています。あせりのほうが強いですよ。今年何とかしないと、来年何とかしないとって」
庵地さんの思う、この島のよさってなんですか?
「俺がいること。っていう人間がいっぱいいるから面白い(笑)。あと、俺みたいに、都会で通用しなくて逃げ帰ってきたような人間でも、島の中のでっかい歯車になれている感があるっていうのは、すごく魅力的だと思う」
「東京でどれだけ頑張って仕事しても、コミュニティの規模を考えれば小さいことじゃないですか。それに会社でも、自分の代わりはいたりする。でも、ここの地域コミュニティを回すためには、一人ひとりの歯車がでっかくないといけないし、俺がいなくなったら誰も代わりができない。そんな実感を持てる場所としては、最高なところだと思います」
ここでは一人ひとりが必要とされている。それにみんなが応えようと、頑張っている。
「だから甑島はいいんだよね」と庵地さん。
「来てくれてくれた人は大事にする気を持ってお付き合いしていくから、そこは安心してきてもらいたいです。生活に関しても心配はないよ。みんなが魚とかを持ってきてくれるからね」
インフラは整っているし、通販を使えばいろんなものを買うことができるけれど、都会のような便利な生活は難しいかもしれない。
でも、そんな環境だからこそ、この島にしかない人と人の強いつながりや豊かな自然がある。
観光業を通じて、島の人たちと一緒に甑島の未来を描いていきたいと思った方は、ぜひご応募ください。
(2015/9/4 森田曜光)