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粋にはたらく

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江戸の職人というとどんなイメージを持つでしょうか。

わたしは、粋でいなせ、一本気で不器用、ちゃきちゃきの江戸っ子といったひとを想像します。

ちなみに江戸っ子は三代続いて江戸生まれでなければならないと言われたりもするようです。

今回ご紹介するのは、東京は御徒町で100年以上革製品をつくってきた株式会社山藤(やまとう)

P1000242 いまは5代目が社長をしている、生粋の江戸の革職人の会社です。

山藤は各工程専門の職人たちと共に、革製品の製造をおこなってきました。いまではメーカーでありながら、店舗やインターネット上で自社のオリジナル製品を販売しています。

今回募集しているのは生産管理、営業、仕上げのスタッフ。

IMG_4682 経験は問いません。

ここでの働き方は、一般的な会社のイメージとはちがう職人のような厳しさがあると思います。

熱い思いをもって働きたいひとは、ぜひ読んでみてください。


東京・新御徒町駅。

地下鉄から地上にでると外はあいにくの雨。

信号を渡ってしばらく歩くとガラス張りのアトリエが現れた。

P1000193 革の財布や鞄が明るい室内にディスプレイされていて、どうやらここはお店でもあるみたい。

中に入ると、社長の山本浩司さんと奥さまで経理などをやっている典子さんが迎えてくれた。

「よろしくお願いします」

パリッとした挨拶が気持ちのいい山本さんは山藤の5代目社長。社員数が7名のこの会社では、社長とはいえ生産管理や営業など、兼任する仕事はたくさんあるそう。

P1000197 そんな山本さん、小さいころから老舗の跡取りとして教育されてきたのかと思ったらそうではないという。

「うちは継ぐことに関して親から何か言われることはないんです」

「特に次男なので継ぐなんて思っていませんでした。長男はトライアスロンの選手だったし、僕はふつうに家庭雑貨用品の問屋さんに就職して。ただ、自分が25,6歳だったときに、すごく強かったはずの父の背中が丸まったように見えて。そのときに『あ、やろう』と思ってここに入ったんです」

一人ひとりの意志を大切にする家風のもと育てられた山本さんは、20代半ばで父親を継ぐ決心をした。父親が社長とはいえ、革のことはまったく分からない素人同然のスタートだったそう。

まずは製造の現場に入り、ほかの社員のもとで働き始めた。会社のなかでは一番の若手だったけれど社内で甘やかされるということはなかったそう。

「父は筋を通す人なので家族にはよけい厳しいんです」

「先輩も厳しい人でした。普通の人と同じようにやっていたらせがれは駄目だ、5倍10倍頑張らないといけないよと言われて。それが頭にくることもあったけどすごくありがたかったです」

自分で決めた生き方だから、厳しくても仕方ない。

必死に勉強して数年経つと、少しずつまかされる仕事が増えてきた。

それと同時に会社の問題点が気になるようになったそう。手仕事だからと納期遅れが許されてしまっているのを目の当たりにし、なんとか改善したいと考えた。

まずはルールを作って、職人たちに守ってもらおうとお願いしにいったという。

「納期に間に合うよう計画を立ててお願いしに行くんですけど、職人は僕のことを『なんだ、せがれか』という感じでなめてるんです。革は全部ちがうから、機械的にできない、そこまで言うなら他の人に頼めと言われたり。加工をしてもらおうと持って行った革をぜんぶ持って帰る、みたいなこともありました」

納期はお客さんとの約束だから、そこは妥協したくない。規格のない革をあつかう難しさも理解しているから、職人の気持ちも分かる。

「きちんとした良いものをつくりたいという思いは通じている。だからぶつかる部分もあるんですよね。でも互いに引けないし僕も相手も気分が悪い」

「だから、革を持って帰ってきて、夜11時過ぎとかに電話してみるんです。『起きてる?』って、喧嘩した恋人たちの電話みたいでしょ。『とりあえず明日また持って来いよ』って言われたり。そんなふうにして関係を深めていきました」

自分がはじめたことだから、自分流でやっていくしかない。

厳しくも心意気のある職人の世界では、正直に真正面から向き合い続けることが大事なんだと感じます。

そんなふうに仕事をしながら数年。山本さんが31歳のとき、先代である父親が若くして亡くなった。

右も左もわからないまま、山本さんは入社数年で経営者になってしまった。

「帳面も売り上げの推移も、営業の仕事もまったくわかりませんでした。だから一つひとつとにかくやるしかなかったんです」

仕事だけでなく、父親が参加していた寄り合いの仕組みもわからず、怒られることばかり。さらにバブル崩壊の影響で、会社の経営も傾いてしまう。

それまで営業などやってこなかった山本さんも、仕事を取りに営業に出るようになった。

営業先は、他社ブランドからの製造依頼を受注して、山藤などのメーカーに発注をしている革製品の問屋。

当時の山藤は自分たちでつくったものをすべて問屋に卸し、他社ライセンスで売ってもらうというようなスタイルだった。そのため問屋からの発注内容が経営に大きく影響を与えていた。

さっそく知人から情報をあつめて、目星をつけた問屋に連絡をするけれどアポさえ取れない。

直接会社に行っても、会ってもらえない苦しい日々が続いたそう。

「心が折れそうになるから、いつ電話するとか、この日に顔を出すとかを手帳に全部書いておくんです。ちょうどその問屋さんを出たところにディスカウントショップがあって、『つぶれてたまるか!』と書かれたでっかい看板があったんです。そこでウルウルっときながら毎回次はどんな手でいこうと考えてましたね」

ゼロからの営業と社長業。その下で働く人たちの生活もかかっている。山本さんの感じていた重みは相当なものだったと思う。

一本気に何度もなんども通い続け、営業を始めて3年目、ついに海外の大手ブランドの仕事をもらえることになった。

ようやく軌道にのってライセンス商品の製造をしていたけれど、契約を打ち切られる恐れのあるライセンス商品ではなく、自社オリジナルをつくりたいと思った。

「言われたものを正確につくっていくだけじゃ本物ではないんですよ。きちんと想いを込めてつくらないと技術はあっても本物じゃないと思う。だからオリジナルをやっていきたいと思いました」

想いを込めるには、すべて自分たちでつくるしかない。

それまでライセンス商品だけを続けてきた歴史を捨てて、山藤は山本さんの代でオリジナル商品をつくりはじめる。

P1000237 ただ、オリジナル商品を売りこむにも方法がわからない。

とにかくデパートやショップに持ち込んだり、売るためにやれることはすべてやった。アポなし訪問も当たり前だった。

「なんでも情熱をもってやる。そうすると商品をおいてもらえなくても、置いてくれそうなお店を紹介してくれたり、助けてくれる人が見つかったり、違う景色が見えてくるんですよ」

今回募集している営業は、このオリジナル商品を売り込んでくれる人。受け身では仕事にならないと思います。

何がそこまで山本さんを動かすんでしょう。

「食っていかなきゃっていうのもあるけど、やるからには勝ちたい、喜んでもらいたい。さすがだねって言われたい。それは商品でも、行動でも、挨拶にしてもなんでも同じです」

自分でやると決めたのだから、妥協はしたくない。

そのときできることを懸命に探る。

時代を超えて残ってきた山藤の真髄を見た気がします。


続いてお話しを伺ったのは山藤で生産管理や営業をしている臼杵さん。

生産管理の仕事はパーツや工程ごとの職人に発注をかけて製品が仕上がるまでの進捗を追っていくこと。自分で革の裁断をすることもあるので、やることは多岐にわたる。

P1000225 臼杵さんは以前も革製品のメーカーで営業をしていた。生産現場の見えない海外製品をあつかっていて、山藤のそれとは違うといいます。

「お客さんと仲良くなって、契約をとって。そのあとの製造や管理は担当に丸投げでした。売り上げは出せていたからそれで自分はデキると思ってた。でも、ここではそのやり方では意味がないんです」

意味がない。

「そのやり方ってかっこ悪いんですよ。数字だけで、商品のこと好きじゃないじゃん、って」

「この会社はいろんな人と関わるし、自分で選んだ革が製品になるまでが見える。愛着がわきますよ。これが一番大切だと思います」

P1000232 山本さんが言っていた「想いを込めてこそ本物」とは、このスタンスをいうのかもしれない。

その山本さんについて聞いてみる。

「厳しいことは覚悟していたけど、こうさん(山本さん)は怖いです(笑)」

「失敗したからといって怒らないですけど、失敗に意味がないと怒られます。言い訳や正当化は聞いてもらえないです」

P1000205 臼杵さんは生活態度や仕事の仕方、あらゆるところで山本さんには怒られていると話してくれる。

そんなスタンスの山藤のことを臼杵さんは「粋だ」と表現する。

「普通の感覚だとまあまあで済ますところもはっきりさせる。つねに自分の意見を用意して、筋を通さないとだめな会社です」

大事にしたいものや、こうありたいというものが明確で、そこに向かっての努力は当たり前。積極的な失敗は認めるけれど、前進を怠る人には容赦しない。

それが、さっぱりきっぱりとした粋な職人のはたらき方。

「うちの会社はきっと厳しい。だから、たとえば絶対金持ちになってやるとか、雑誌の表紙に自分たちの商品を載せる、みたいな夢があるといいかもしれないですね」

何度も厳しいという言葉を使ったけれど、最後に社長の奥さまの典子さんの言葉を紹介します。

P1000235 「どこの会社よりも社員のことを愛情持って育てようと思っているんです。何歳でもうちの会社にきた人は私たちの子供だから。叱ったりするのも、愛情があることをわかってほしいです」

欲しいのは、やると決めたことは妥協しない人。

かざる必要はありません。

一本気に頑張れると思えた人は、親方に弟子入りするような気持ちでぜひ飛び込んでみてください。筋の通っている会社だと思いました。

(2015/12/22 遠藤沙紀)