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沖縄を、もう一度

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

きれいなビーチ、美ら海水族館、国際通りの賑わい…

沖縄といえば観光地のイメージ。けれど、この島には人々の営みがあって、脈々と受け継がれてきた島独自の文化・価値観があります。

yuima-ru01 昨年訪れた今帰仁村では、向かう途中のバスでおばあさんが運転手さんと普通に会話していて、時折聞こえてくる笑い声が心地よかったのを覚えています。

村で出会う人たちもまた、話すとみんな清々しい笑顔を向けてくれました。

なかなか言葉では言い表しにくいけれど、ここにはいいところがたくさんある。

そんな沖縄に本来あるよさを、もう一度再認識して伝える仕事を募集します。

 
那覇空港からバスを乗り継いで40分ほどで、那覇市に隣接した南風原町に到着します。

この町の国道沿いにあるのが「ゆいまーる沖縄」のオフィス。倉庫とお店も兼ねています。

yuima-ru02 ゆいまーる沖縄は、琉球列島で生まれた商品を県内外の小売店へ卸したり、インターネット通販も行なっている会社です。

やちむんや琉球ガラスの器、琉球かすりのストールなど、沖縄産にこだわった商品を扱っています。

沖縄でそういった商品が置かれているのは、物産展やお土産屋さんというイメージ。けれど、ゆいまーる沖縄は昨年12月にこのお店をリニューアルオープンし、沖縄ではあまりされていないブランド展開を進めています。

「沖縄の持っている大事な部分を、しっかり伝えられるようになっていきたいんです。沖縄から全国、そして世界に発信できるようなブランドをつくっていこうと。そのために付加価値を高める取り組みが必要です」

ゆいまーる沖縄代表の鈴木さんです。

yuima-ru03 付加価値をつける、というのは単に儲けようという考えからではないようです。

ゆいまーる沖縄は「琉球の自立を目指す」という思いから生まれた会社です。

「創業者の玉城は若いときに集団就職で東京へ行って働いていたんですけど、当時は沖縄出身者への差別があったんですね。いまじゃ想像つかないけれど、そんな状況下で自ら命を絶ったり、罪を犯したりする沖縄の青年たちがいて」

そんな状況を変えるためにはどうすればいいのか。歴史を学び直したり、同郷者同士で議論を重ねたり。さまざまな活動の末、たどり着いた答えが「琉球の自立」だったといいます。

企業経営はその手段の一つ。ゆいまーる沖縄は、1988年に食品や工芸品の卸売業からはじまりました。

yuima-ru04 それから時は進んで2001年。九州・沖縄サミットがあり、沖縄が舞台のテレビドラマも流行りました。これまでにない沖縄ブームの到来。

「とにかく出せば何でも売れる。バブルみたいな感じだったんですよね。僕らも勢いに乗って東京に3店舗出したんですけど、2年後にはブームが収束して、お店も全部畳むことになって。すごく消耗しちゃったんですよね、会社も沖縄も」

その後、創業者の玉城氏が亡くなられたことで、鈴木さんが経営を引き継ぐことに。

代表になってから決算書をはじめて見て、工芸品で商売することの難しさを感じたといいます。

「もう大変だなって。そう思いながら職人さんたちのところへ行くと、彼らはもっと大変だったんです。見習いでもないのに月収10万円もいかない方が多くて。売れていないなら分かるんだけど、常に注文に追われて忙しいんですよね」

yuima-ru05 一番の問題は販売価格が安いこと。ただそれを変えるのは簡単なことではない。

付加価値をつけて商品価値を高めようにも、どうやって付加価値をつけたらいいか分からなかった。

「いままでやっていたことから脱皮することにすごく迷って。そのときに東日本大震災があったんです。観光客が一気に減って、売上は4割くらい落ちて。本当に仕事がなくなっちゃった。どうしようもないから、スタッフみんなで毎週夜集まって、これからどうするかを話し合ったんです」

豊かさとは何だろう。自分たちの幸せとは何だろう。

会社のことだけでなく、生き方・働き方についても話し合いを進めていくうちに「沖縄の持っているよさを、ちゃんと伝えられるようになっていきたい」という思いに固まっていったといいます。

yuima-ru06 「市場経済を中心にモノとカネでどんどん豊かになっていく。それと対極な精神的な豊かさが沖縄には残っていると思うんですよね」

「もともと沖縄には自然崇拝や祖先崇拝がベースにあって。それはかつて日本全体にあった価値観だと思うんですけど、とくに明治以降の近代化、そして昨今の行き過ぎた現代資本主義の影響で失われていっている。観光という面だけじゃなく、それが残る沖縄を伝えていこうと」

商品はそれを伝えるための入口であって、もっと奥にある、本質的な沖縄の魅力を伝えていきたい。

モノ、そこから派生する暮らし、暮らしをつくりあげる生き方・価値観。

それらをブランディングで伝えることで、商品の付加価値が上がり、沖縄の自立につながる。

第一弾として「nife(ニーフェ)」がスタートしました。

yuima-ru07 nifeは沖縄の言葉で「ありがとう」を意味する「にふぇーでーびる」にちなんだブランド名。

沖縄を代表するファーストブランドとして、沖縄の根底にある大切な思想、感謝の気持ちが込められています。

既存のお土産屋さんからはまだ理解されない部分もあるけれど、nifeを打ち出してから新しいつながりが生まれました。

「石見銀山の『群言堂』さんだったり、『北欧、暮らしの道具店』さんもこれから。ブランドをはじめなかったら、日本仕事百貨さんとも絶対接点がなかっただろうなって」

「これまで新たに出会った方々に共通するのは、物事の本質を見ようとする人たちなのかなと思います。そういった人たちに届くようになって、今度は僕らも変わらなきゃいけない。けど正直、そこがまだ道半ばなんですよ」

どういうことかというと、ゆいまーる沖縄はこれまで沖縄の工芸品を中心に扱う純粋な卸会社でした。

以前のオフィスにも倉庫や店舗を設けていたけれど、積極的に接客するというよりは「見たければ見てね」という感じだったそうです。

そのときの名残がまだあるから、ちょっとしたPOPをつくるのもなかなか難しい。商品のディスプレイに悩んだり、内部で意見が割れることも多いそう。

「5年経って変わってきたんですけど、まだまだなところがたくさんある。いままでは外部の人たちに協力してもらってきたけど、これからは外部との繋がりも維持しつつ、社内でも様々な取り組みができるよう、新たに採用して一緒にやりたいんですよね」

今回募集するのは、営業・商品担当のスタッフ。

とくに仕入・商品開発・ブランドマネジメントを担当する商品部は、沖縄のよさや会社の考えを編集して形にする、表現力に長けている人に来てほしいといいます。

「ゆくゆくはメディア化もしたいと思っているんです。いま行政関係者や組合さんと琉球かすりのイベントをお手伝いしたり、大地を守る会さんと一緒に沖縄のモノづくりを巡るツアーを企画運営していて。そこにスタッフが入って、見たこと感じたことを写真や文章で発信していってほしい」

「それを見て県外から来た人を産地に案内して、職人の背景も見せて。そういったこと全部ひっくるめて商品の値段にすれば、もっと付加価値が上がるだろうなと」

yuima-ru08 モノだけでなく、背景・歴史、そこから派生していく沖縄の暮らしや価値観、沖縄のよさ。

それらすべてを伝える沖縄のプラットフォームのような会社になっていくのだと思います。

今後はツアーの事業がもっと拡大したり、他社の商品開発など付加価値を高めていく活動のお手伝いも事業化していきたいといいます。

「今はまだ想像できない新しい事業をしているかもしれない。いろんな事業を通じて、よりディープな沖縄に触れることで、沖縄の暮らし方や価値観を感じてもらって。最終的にその人のライフスタイルが変わるきっかけになりたいんです」

ゆいまーる沖縄を通じて沖縄のよさに触れた人が、普段の買物の仕方が変わったり、見えない人のことも気に留められるようになったり。

「原発のこともそうだし、沖縄だと基地のこともある。人間ってついつい自分中心になっちゃうじゃないですか。そうではなくて、自分以外のことも気にかけて、互いに助け合う。そういうことを伝えられる企業でありたいと思うんです」

 
まずは沖縄のイイコト・イイモノをあらためて探したり、もう一度再認識することからはじまるのだろうか。

店長の嘉陽さんは、沖縄出身のスタッフにもヒントがあるといいます。

「沖縄のよさってこういう感じだよねとか、全員で共有できるイメージやそれを表す言葉がまだなくて。沖縄出身者の多い会社なので、その人たちの根底にある部分をエッセンスに、全体のイメージを編集してくれる人がいたらいいなって思います」

yuima-ru09 嘉陽さんの地元は、冒頭に書いた今帰仁村。

ゆいまーる沖縄に勤める前は、沖縄県内で学校の先生を務めていました。

「教員になったのは、沖縄のことを愛した上で沖縄に残る人が増えたらいいなという思いがあったからなんです。でも4年間教員をやりながら自分自身が沖縄のことをあまり知らないなとずっとモヤモヤしていて。それに、子どもたちが自分のやりたいことをしながら何かに貢献できるような人に成長するには、学校内だけでは限界がある気がして」

そんなとき、偶然ゆいまーる沖縄のことを知る。民間企業なのに「琉球の自立」という明確な理念があることに衝撃を受けたといいます。

「どのスタッフもみんな沖縄が好きで、この会社が好きなんですね。『とにかくお金だ!』って感じはなくて、そうじゃないところを大切にしている」

「ここのスタッフはみんな基地がないほうがいいって思っているんです。けど、テレビに映るようなセンセーショナルな感じじゃなくて、日常の普通の温度感で考えられている。そういう感覚が近かったのもうれしかったですね」

その話を聞いて、代表の鈴木さん。

「なので、沖縄大好きって状態からもう一歩踏み込んだ方のほうが合うだろうなと思うんです。沖縄にはよいところだけじゃなく、基地や貧困だったり、負の部分もあったりするので。一歩踏み込んで沖縄のことを見たり考えたりできないと」

「沖縄で何年も暮らしていくと、必ずそういったことに向き合う場面がやってくるんですね。避けることもできるかもしれないけど、僕らはそこに向き合わないと沖縄を深堀できないですから」

 
沖縄を離れ、再び戻ることを考えている人もいるかと思います。

最後に、Uターン組の営業部部長の桃原さんに話をうかがいます。

yuima-ru10 桃原さんは中城村出身。高校を卒業後、沖縄を離れて愛知の自動車メーカーで働いていました。

外に出ることで、あらためて沖縄を考えたといいます。

「やっぱり沖縄はよかったなって。でも、沖縄の文化や基地の話をまったくできない自分がいて。そういうことを経験したのって僕だけじゃないと思うんです」

「この会社で働いていると、沖縄のいい部分もわるい部分も、文化も伝統も、普通の企業で働くより教わることが多い。僕みたいに県外に出て沖縄のよさに気づいて、沖縄に携わる仕事がしたいと思った人がいるなら、こういう会社があるよって知ってほしいです」

 
販売やイベント企画の経験がある人もいいだろうし、自分の暮らしや価値観がゆいまーる沖縄と重なる人もいいと思う。

一番は、沖縄が好きだということだと思います。

はじまったばかりのブランドづくり。まだまだ馬力を上げる必要があり、残業時間は少なくないそうです。代表の鈴木さんは、地域に根付いたブランドづくりには10年の地道な努力が必要だと話していました。

根気強さも必要。でも、続けていくことで誰にも真似できない強さを持った会社になっていくんだと思う。ずっと続けていける仕事だと思います。

(2016/8/16 森田曜光)