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「納得できていないものを誰かに『つくれ』って言われてつくらされるのは、僕も嫌ですし、大工もやっぱり嫌なんですよね」低コストで効率的に。そんな家づくりの傍らで、こぼれ落ちてゆくものがあるように思います。
たとえば、受け継がれてきた技術やものづくりにかける想い。
工場で加工された新建材を現場で組み立てる家づくりが主流になってから、熟練の大工の技は必要とされなくなっています。
木材チップを固めてつくられる新建材は加工が楽なため、大工たちの仕事だった現場での手加工を必要としないのです。
株式会社創建舎は無垢の木を使った家づくりをしてきた工務店。
大工の技術と経験、現場での手間を惜しまずにものづくりをしてきました。
創建舎では今、大工と現場監督を募集しています。
きっと、地道な修行が必要な仕事だと思います。でも、みなさんを見ているとものづくりに誰もが誇りを持っている。
自分の仕事に納得して働く姿勢がとても印象的でした。
東急多摩川線の下丸子駅を降りて、駅前のひらけた通りを5分ほど歩く。今日の目的地、創建舎の看板が見えてきた。
中に入ると迎えてくれたのは吉田さん。とても穏やかそうな吉田さんは、創建舎の2代目社長だ。
ただ2代目といっても、初代とは血縁関係が全くないのだそう。
「家づくりを守る大工を育てたいという前の社長の考えにすごく共感したこともあって、僕は創建舎に入ったんです」
創建舎には社員としての大工が現在8人在籍している。必要なときだけ外注の請負大工を雇う工務店が多いなか、都内でこの人数の大工を抱えている会社はほとんど無いという。
吉田さんは、大工という仕事に特別な思い入れがあるのでしょうか。
「家をつくるのに誰がすごいっていうのはないと思うんです。大工さんの技術があるから設計ができるし、設計士がいて現場監督がいるから大工さんも仕事ができる」
「でも大工さんの技術は、ちゃんとしたものづくりのためには絶対必要だと思っています。自分が大工になろうかと思ったこともあったんですけど、高所恐怖症でだめでした(笑)」
吉田さんの言う“ちゃんとしたものづくり”。それってどういう意味なのだろう。
ここで吉田さんのこれまでの話を教えてもらう。
「うちの親父は富山で農業をやってて。有機農業とかそういうことを何十年も前にやりはじめたんですね。化学農薬を使ってつくった食品が出回ってるのを、親父はすごく嫌がってた」
「僕はその中で育ってきたから、つくり手側の想いのあるものとか、嘘いつわりが無いものっていいなとなんとなく思ってて。自分も仕事をするのであれば、自分の気持ちに正直に仕事したいなと思っていました」
大学で建築を学んだ吉田さんは、一旦はハウスメーカーの開発部門に勤めた。けれど、お客さんの顔が見えない仕事が嫌で、すぐに辞めてしまった。
そのあとは海外に行ってみたり、アルバイトをしてみたり。数年経ってようやく、ある工務店に設計士として勤めはじめた。
そこでは純粋にお客さんや職人たちみんなでものをつくり上げていく楽しさを感じる一方で、もっと納得できる仕事がしたいという思いが大きくなっていった。
「合板のフローリングは気持ちよくないなと僕は思ってるのに、それをお客さんに勧めるのが嫌になってしまって」
「正直に『気持ちいいですよ』って言える素材を使いたいし、『そうですね』って言ってくれる人と一緒に仕事ができたらいいなって思うようになりました」
無垢の木を使った家づくりを進めていた創建舎へ転職を決めたのは、31歳のとき。
大工を社員として雇う姿勢は、自身が社長になってからも創建舎のよさとして引き継いでいる。
「もともと僕は設計者なので、設計と現場を知っている大工や監督が直接同じ会社で話しながらものづくりができることが、すごく楽しいですね」
「言われた通りにやるのではなくて『このやり方のほうがもっと長持ちするよ』とか、そういう話をしてくれる。僕らもいいものをつくろうと思ってるし、大工は大工なりの技術でいいものをつくろうというのが会話の中で感じられるというか」
無垢の材を扱う自信と、創建舎を選んでくれたお客さんに対する責任を、ここにいると大工たちの言葉の端々に感じるのだそう。
それは1棟いくらで仕事を請け負うやり方では、なかなか持つことのできないものだと思う。
創建舎では会議の場や、打ち合わせ、節目節目に全員であつまってきちんと意見をかわすようにしてきた。お金のことも、設計のことも。
「みんな自分のやりたいことに対して愛情が深いんです。だから一緒にいろんな意見を出しながらつくっていくほうがうちの大工にはあってると思います」
話を聞いていると、ここで働く大工さんに早く会いたくなってしまった。
取材を終えると、吉田さんの案内で会社近くの建設現場に移動することに。そこで待っていてくれたのは大工の上井戸さん。
上井戸さんは創建舎で働きはじめて16年になる。
「自分の父親が大工で、小さいときから大工を見て育ってきたんで、自然と憧れて今に至るという感じですかね」
よく通る低い声が建設途中の部屋にひびく。威圧的ではないのに、なんだか存在感がある人だ。
創建舎を選んだ理由は「たまたまです」と笑いつつ、師匠だったお父さまも新建材を使わない無垢の家づくりをしていたのだと教えてくれる。
16年勤めてみて、創建舎のことをどう思ってるんだろう。
「『大工は現場で作業だけして、いちいち口出さないでくれよ』ってスタンスの会社が多いと思うんですけど、創建舎はそういうことが無いので。すごいやりがいがありますね」
具体的にはどういうときですか。
「たとえば一枚の引き戸を立てるとき、図面を見た時点で広い枠は必要ないなってことが分かったら、別のもので対応できるんじゃないかという提案を聞いてもらえたり」
「茶室をつくりたいというお客さんのときは、自分でいいと思う床柱を選んで。設計スタッフが知らない知識もあるので、自分の知識でそういう物件をきれいに納められると自分の中で『よくできたな』と思います」
無垢の木を扱う大工さんは、技術や知識が必要だと聞きました。
「そうですね。ハウスメーカーさんがよく使う新建材というのは、現場に梱包されてきたものを開いてビスで組むだけなんです。無垢の木の場合は面を取ったり、建具の収まりを考えて、どこに溝をつけてとか自分たちで考えてやる」
創建舎では、大工が収まりに合わせて家具やキッチンまでつくってしまうそう。
「現場によっては壁の数が違ったりするので、枠の幅が変わったりして。考えるのは楽しいですよ」
楽しいんですね。
「楽しいって思えないと、無垢の木を扱うのは難しいでしょうね」
使う道具も変わってくるんですか?
「全然違いますね。ノミなんかも新建材は2、3種類あれば事足りるけど、無垢の建材を加工するには10本組を使いこなさないといけない」
修行は必要ですか?
「そりゃあ。人によってありますけどね。最低5年はかかると思います」
上井戸さんも年季明けまで7年かかったそう。
既製品の大工の経験があっても、ほぼゼロからのスタートになると思ってほしいとのこと。
修行期間は先輩大工のもとで、ひたすら手を動かすしかない。
「“ワイワイ楽しく仕事をしよう”。それが一番いいんですけど、僕らの仕事はちょっと違う楽しさなんですよ」
違う楽しさ。
「厳しい世界で我慢のような修行をして、それを積み上げていく。その先で出てくる楽しさ、喜びというか」
厳しい世界なんですね。
「そうですね。僕も人生をかけて本気で教えたいと思う。そしたら厳しい言葉も飛ぶだろうし」
「それと、建築ってどうしても刃物が切り離せない仕事なんです。ちょっとしたことで重大事故につながる。ましてお客さまの家なので、血でよごすっていうのは絶対あってはいけないんですね。だから、細かく厳しくっていうのは仕方のないところでもあるんですよね」
取材の最中、目に入ったのは現場に美しく置かれた大工道具たち。自分たちの刃物の手入れや管理も大工の仕事の一つなのだそう。
美しいのは道具だけじゃなく、見えなくなってしまう下地の留め方や現場そのものもそう。丁寧な職人の仕事を感じる。
上井戸さんはどんな人と働きたいですか。
「やっぱり一つひとつ手間をかけて、まじめに家づくりをしたいって人がいいですね」
続いて現場に来てくれた、現場監督の笠原さんにもお話をうかがいます。
笠原さんは2年近く前に別の工務店から創建舎に転職してきた。
創建舎で働いてみてどうですか?
「やはり大工さん1人ひとりにこだわりがありますよね。監督としてなかなか大変なところはありますけど」
大変なところ?
「大工さんが出来すぎるっていうのが難点かもしれないですね(笑)。自分が手配したものに対して『この材料はここには雰囲気が合わないから手配し直して』と言われてしまったり。さすがだなと思います」
ここで働くよさってどんなところでしょう。
「正直言ってここまで丁寧にものづくりをする会社って、なかなか無いと思いますね。そういうところで働きながら刺激を得られる。ちゃんとした家づくりができるんじゃないかなと思いますね」
創建舎に流れるちゃんとしたものづくりの文化は、想いと技術を持った大工が支えているように思います。
最後に吉田さんの言葉です。
「こっちの方がいいんじゃないかと意見し合うものづくりは楽しいと思います。僕も気持ちに正直にやってるので、心から嬉しいなと思える仕事が出来るんじゃないかな。ものづくりが好きな人が入ってくれるといいですね」
自分が心からいいと思えるものをつくる。ものづくりに正直な仲間を、お待ちしています。
(2016/11/18 遠藤沙紀)