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埼玉のとある町工場。ここでは毎日コツコツと、美しい金型がつくられています。金型とは、自動車やカメラなどの細かい部品を量産する際に機械に取りつけて使うもの。ものづくりでは、縁の下の力持ちのような存在です。
取材したのは日新精機株式会社。金型の設計から製造修理まで、一貫して自社で行なっています。
驚くことに、ここで働く方たちのほとんどは入社するまでいっさい機械に触れたことがなかった人ばかりなのだそう。
ここで今、金型の設計やどういう工程でつくれば部品がうまく仕上がるかを考える、セールスエンジニアを募集しています。
経験はなくても構わないそう。自分にこんなことできるかな、と思った人にこそ読んでもらえたらと思います。
東武アーバンパークライン・八木崎駅は、住宅地の中にある小さな駅だ。
駅を出て10分ほど歩くと、住宅地は工場街へと変わる。いくつもの町工場が並ぶ一画に日新精機の青い看板が見えてきた。
締め切られた建物の1階は、製造工場になっているよう。セールスエンジニアが所属する営業部は2階の事務所にある。
通された部屋で待っていると、待っていました!といわんばかりの笑顔で代表の中村さんが現れました。
中村さんは日新精機の3代目社長。6年前に前社長から社長業を引き継ぎました。
「従業員の中で工業高校を出ているのは1人か2人いるかどうか。営業部はみんな普通科高校を卒業した人たちで、本当に素人集団なんですよ」
パートさんも合わせて日新精機は全員で25名。そのほとんどが入社までいっさい機械や金型に触れたことがなかった、言葉通り“素人”の集まりだ。
というのも、工業高校を出た多くの若者は大手企業の工場に就職してしまうから。
「僕らみたいな素人集団がこの大きな製造業というカテゴリで生き残ろうと思ったら、他と同じような仕事の仕方をしていたら生き残れない」
「チャレンジ精神だけは負けちゃいけない、と思ってます」
チャレンジ精神。具体的にはどういうことですか。
「ほかの会社さんから見ても『あの機械入れたの!?』って言われるような大きな設備投資をバンバンしてきました。あとは外国人もどんどん採用したりとか」
「かつ経営者が若い、髪型が変だっていうことで業界内では目立つ存在になってます(笑)」
中村さんの代になってからは社内の仕組みもガラリと変えてきた。社長自ら人脈と情報の収集にどんどん外へ出て、助成金を得る。新たな設備を投入するスピードは「業界の3倍くらい」なんだとか。
従業員にはどんどん新しい設備に触れさせて、未経験であろうと社外プレゼンの機会をつくったりもしている。
「今までの町工場のイメージにあるような、同じ作業をずっとしていた方って、年配になってから他の仕事をやろうと思ってもなかなか対応できないんです。今までの経験が邪魔しちゃって」
「高度経済成長期はそれでよかったかもしれないけど、今は要求に柔軟に対応できなければお客さんも離れていっちゃいますから。わからないなりに成長しようとする人に育てたいんです」
そう話す中村さん自身は日新精機に17年前に入社した。はじめは仕事にやる気が持てなかったという。
「普通科の高校を卒業してから25歳までは、都内でサービス業をしていたんです。だから最初は、この仕事はなんて地味なんだと思いましたね」
働き方が変化したきっかけの一つは、本との出会いだった。
「大前研一さんの本を読んだんです。『不公平な世の中で唯一平等なのが時間。これをどのように使うかで人生が決まるんだ』というようなことが書いてあって。それまでは将来のビジョンもなく手元の仕事をこなしていたけれど、自分の未来のために行動する習慣がついたように思います」
「僕はそういう、成長しようと思うきっかけに恵まれて。だからうちの社員さんにも、何かきっかけをつくれないかなって」
素人だろうが成長したいと思うことができれば、それは本人のため、会社のためになると信じている。
「みんながチャレンジできる環境をつくるのが、僕の仕事かなって思っています」
中村社長の想いを伺ったところで、新しく入る方の先輩になる田村さんにも話してもらう。
働くママさんでもある田村さんは、日新精機に入って12年になるそう。
「もともとは父がここに勤めていたんです」
「父が『絵を描いてみないか』って誘ってきて。入社してみたら、絵というのは図面のことだったんで、ちょっと騙された感がありましたね(笑)」
セールスエンジニアの仕事は、お客さんからメールやFAXで受注した金型をCADというソフトを用いて図面に起こしていく。それができたら製造現場に製造の依頼をして、金型をつくる。
お客さんがつくりたい部品そのものがこの世に存在しないものであることが多いので、それに合わせた金型設計はいつもオーダーメイド。
ときにはその金型でどうやってネジをつくるかなど、部品づくりの工程の相談も受けたりする。
経験はなくていいと言っても、できるようになるまでは難しそう。
「最初は図面を見るのが本当に難しくって、しばらくは壁にぶち当たった感じでした」
どんなふうにCADの使い方を覚えるんですか?
「先輩からこんなふうにやるんだよって教えてもらって、数をこなして描いていくしかないです。できるようになると楽しくなってきますよ」
「数字はいっぱい出てくるんですけど、図工に近いかな」
ここで田村さんから驚きの言葉が。
「私、もともとはパソコン自体使えなかったんですよ」
初心者でもある程度パソコンが使えていればCADの操作はきっとできるようになるとのこと。
いきなり設計をするのは難しいので、先輩や社長に聞きながら図面の見方を覚えるところからになるみたい。
働き方についても聞いてみます。
「今の社長になってからは、通常の仕事以外の無茶振りも結構あります(笑)」
たとえばどういう無茶振りですか。
「埼玉県産業振興公社さん主催のプレゼンテーション大会というのがあって、そこでプレゼンしてって言われたり」
プレゼンの経験はあったんですか?
「皆無ですよ。パワポも触ったことがありませんでした。だから自分で調べてやるしかなくて」
隣で田村さんの話を聞きながら笑っている中村さんは、要所はチェックするけれど基本的には田村さんに任せていたそう。
見せてもらった最終のプレゼン資料は、絵が好きな田村さんらしく可愛らしいアニメーションが冴えていた。
「最初はストレスでしたけど、こういうアニメーションをつけるのがだんだん楽しくなっちゃって。最後はやりきった!って感じでした」
惜しくも賞は逃したけれど、これから展示会に出展していく際には自社の金型についてプレゼンする機会があるかもしれない。今後に活きる経験を積めたようだ。
12年勤めていて変化は感じますか。
「製造現場の人や営業部の私たちがセミナーや展示会に行ったり、表に出ることが多くなったかな。社長が外に発信をするようになって来客も増えました。今までは暗くて“ザ・町工場”だったんですけど、最近は明るくなったと思います」
続いて、中村社長の代になってから入社された製造部の太田さん。
ちなみに先に出たプレゼン大会には入社間もないころに出場し、見事優勝したそうです。まだ21歳と若いけれど、とてもしっかりしています。
「入社前の見学に来たときに、社長が話しやすいなと思いました。いい人だなって」
入社後に印象は変わりましたか?
「余計に話しやすい人だなって思いましたよ(笑)」
太田さんは入社して3年目に、新設備導入のプロジェクトに参加。今では社内で最も高価なその機械の担当をしています。太田さんの若さでそんな機会を与えてもらうことは、他社ではありえないことだそう。
「入って半年くらいからは、『次はこの仕事やって』『次はあの機械操作して』という感じ。いろんなことをやってます」
そのつど使い方を人に聞いて調べたり、自分で知識を蓄えたりしていくという。
「もともと同じことよりも新しいことをやりたいので、僕には向いてると思いますね」
会社に対して思うことはありますか。
「不満があれば全部社長に言ってるんで」
社長に言う?
すると、横で話を聞いていた中村さん。
「僕が毎月スタッフの一人を指名して飲みに行くようにしてるんです。そのときにざっくばらんに話をするようにしています」
太田さんは取材中も、もっとかっこいい作業着にしようと中村さんに提案していた。飲みの席でなくても、意見を言いやすい雰囲気がある。
一方で、デメリットがあるとすれば休日の日数だという。製造業は、基本的に祝日は休みにならない。
とはいえ、女性がお子さんを育てながら働ける環境づくりもしているので、働きやすい職場ではあるようだ。
日新精機は入社後にギャップを感じることがないよう、必ず面接希望者に社内見学をしてもらっている。
そういうわけで私も、中村さんの案内で社内を回ることにした。
セールスエンジニアの方がいる営業部はパートさんを入れて現在5人。女性はみんなお子さんがいらっしゃるそう。
2階事務所のちょうど真下の製造現場には、ヨーロッパから輸入した最新の設備、昔ながらの設備も合わせて40台ほどが並んでいた。製造部の平均年齢は32歳。若い上に外国人も多い。
「あの子は外国人に教えるのがすごく上手いんですよ」
「この子はこの機械を扱わせたら右に出る人はいませんね」
中村さんは目に入るスタッフみんなに明るく声かけをしながら、一人ひとりのことをうれしそうに教えてくれる。
もちろん昔からいるおじいちゃんのような職人さんも、若い人たちに負けず熟練の技術を披露してくれた。
「よく『若いもんはいかん』という人がいるけど、僕はそう思わないんです」
「若い人はチャレンジや変化に柔軟でしょう?若い子が新しいことにチャレンジしているのは、年配の方の刺激にもなりますしね」
これから中村さんはどんどん展示会に出展したり、マーケティングに力を入れていくといいます。セールスエンジニアの仕事も、幅が広がっていくはず。
「今までは本当に町工場です。町工場のまちが“待つ”のほう。これからはもっと出て行きますよ」
埼玉の小さな町工場、ここで働くのに必要な技術はありません。あるとすれば自分から知識を得る、変化を受け入れようとする気持ち。
できそうだと思ったら一度会社見学に訪れてみてください。不安なところは中村さんが一つひとつ誠実に答えてくれると思います。
(2016/12/5 遠藤沙紀)