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それぞれの『よく生きる』

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瀬戸内海の島々を舞台に、3年に1度開催される現代アートの祭典『瀬戸内国際芸術祭』。

開催地のひとつである直島は今や『アートの島』として世界中から注目され、一度は訪れたことのある人も多いかと思います。

けれど、そもそもなぜ現代アートが瀬戸内の島々にもたらされたのか、知っていますか?

fukutake01 瀬戸内の島々は、かつて日本の近代化や戦後の高度成長を支えながらも、その代償となる負の遺産を背負わされ続けてきた場所でもあります。

そんな島々に、現代社会へ疑問を投げかけるメッセージ性を持った魅力的な現代アートを置いたら、地域が変わっていくのではないか。

通信教育事業を手掛けるベネッセホールディングスの最高顧問福武總一郎氏が、アートを通じた地域活動をはじめたのがきっかけでした。

いまでは公益財団法人福武財団が、瀬戸内国際芸術祭の開催支援や美術館運営などを行なっています。

今回は、福武財団の美術館事業で働く人を募集します。

 
この日最初に訪ねたのは、直島の地中美術館。

島の景観を損なわないようにと建物のほとんどが地下に埋まっている、安藤忠雄氏設計の美術館です。

福武財団の事務局長、金代健次郎さんに話をうかがいます。

fukutake02 福武財団の事業は主に3つ。

アート活動を行う美術館事業。日本各地の文化・芸術による地域振興活動、および瀬戸内地域における文化研究・活動への助成事業。そして瀬戸内国際芸術祭や大地の芸術祭を中心とした自主・共催事業。

「一般的に地域創生というと、新しい建物をつくったりしますよね。けれど『在るものを壊し、新しいものをつくり続け、肥大化していく文明』のあり方に福武は疑問があったわけです。その土地に根差した文化や歴史を掘り起こし、文化・芸術によって地域を豊かにしていこうと」

直島・豊島・犬島にある3つの美術館も、単にアートを展示する場所としてつくられたわけではありません。

美術館活動を通してそれぞれの土地に根差し、地域の人との関係を強めながらその土地の振興を図ることが一番の目的だといいます。

たとえば豊島美術館。

「豊島は名前の通りとくに水資源に恵まれた島で、農業が盛んで自給自足で暮らす島だったんですね。その豊島に都会から産業廃棄物が大量に不法投棄されて、土地が痛めつけられた。その後の風評被害にもかなり苦しんだ」

「そんな歴史を背負っている島で、休耕田になっていた棚田を地元住民の方と再生させて、その一角に水滴をモチーフにした美術館をつくったんです。傷つけられた島の方々の誇りを取り戻すことも、大きな目的のひとつです」

fukutake03 豊島の北西にある犬島は、もともと石切りや銅の精錬で栄えた島でした。

精錬の際に発生する亜硫酸ガスが環境に悪いと、本土から工場が持ち込まれたのがはじまり。

福武財団は、当時の銅製錬所を保存・再生して犬島精錬所美術館を開館。これからの日本のあり方や現代社会について問いかける場所になっています。

/Users/FWD/Pictures/.injm_c1_0341.tif 豊島の棚田や直島の田んぼの再生は、美術館事業内での取り組みです。

福武財団では専任スタッフを雇い、島民の方々にもお手伝いしてもらいながら一緒に田んぼや畑づくりをしています。

「やっぱり日本の農業の原点ですから。景観保全という観点だけでなく、田んぼや米づくりという日本文化の原風景を回復させて、そこに住んでいる人たちの思い出も蘇らせることが必要です」

島の人たちに積極的に声をかけて、草刈りや収穫をする。

できた米や作物はみんなに配ったり、寮に住むスタッフたちで食べたり。昨年末には島独自の伝統の道具を使った餅つきを開催。お米ができるまでを子どもたちに伝える活動もしているといいます。

fukutake05 美術館運営スタッフもたまに米づくりに駆り出されることがあるそう。

なんだか不思議な感じがするけれど、金代さんは当然のように話している。

どの活動も、地域をよりよくするためのこと。

とくに福武財団は、ベネッセの理念である『よく生きる』を純粋に表現する団体だといいます。

「『よく生きる』って一般的な話ですよね。みんなよく生きたいわけですから。ベネッセでは進研ゼミのように勉強して自分をより高めていくサービスを展開していますけど、よく生きることって当然それだけではない」

「生きることの意味を考えたり、時代に対する感性を養ったりする。ここはそうやって『よく生きる』を考えられる場なんですね」

たとえば地中美術館。置いてある作品はずっと変わらないままだから、変化があるとすればお客さんのほうにある。

学生のとき、結婚して子どもと一緒に来たとき、年を重ねて老後に来たとき。来るたびに自分の変化を感じながら、自分を改めて考えることができる。

「作品だけでなく、瀬戸内海の風景を見たときにも感じるものがあると思いますよ。日々暮らす都会と相対化できたとき、自分はどう生きたいだろうかと考えるきっかけになる」

訪れるお客さんだけでなく、ここで働く人にとっても『よく生きる』を考える場だと、金代さんは言います。

「現代社会には働くことの難しさがありますよね。すべて利益につながらなかったらまずいわけです。だけど、それだけで人間は働き続けられるのか。あるときは自分を見つめ直すことが必要だし、あるときは美しい風景の中で自分と社会の関係を考えることが必要だと思います」

「だから働く人も、ずっとここにいてもらわなくてもいいんですよ。ただ単に美術館運営に携わるんじゃなくて、自分の次へのステップになったとか、自分自身を確立させるために役に立ったりするといい」

陶芸家を目指したり、島に定住してカフェを開いたり。実際に福武財団を後にした人たちは、それぞれに道を歩んでいるそうです。

fukutake06 続けて金代さんは話します。

「日本社会はもう伸びていかないわけですよ。今後10年で高齢化は急速に進んで、エネルギー問題は顕著になって、食料は輸入に頼らず自分たちでつくっていかなきゃならなくなる。定常化社会の中で、企業のようにたったひとつのステークホルダーをお客さんにするのは無理があります」

「地域社会にとって、あるいは自分の家族に対してどういうポジションをとるのか。若いときから社会全体を自分の中に取り込むことが、すごく大事な時代です。そういう意味では、ここは面白い場所だと思う。けど難しい」

難しい?

「ここにはお客さんもいるし、地元の人もいる。瀬戸内国際芸術祭は香川県と一緒にやっているから行政もいる。美術館にはアーティストや建築家がいる。そういった様々なステークホルダーたちと真正面から付き合わなきゃいけない。日々雑草を取るのが誰のために、何のためにやってるのかが分かりにくいと、若い人はときどき苦しみます」

「それと、予定調和的な社会から離れて、多様なステークホルダーの中で自分の生き方を考えていくわけだから、多少混乱させるかもしれない。だけど健全なストレスだと思いますけどね。利益を追いかけ続けるところから少し離れて、自分を見つめ直す場所としていいんじゃないかと思います」

もちろん、自分を見つめ直すきっかけになるのは結果であって、毎日やるべき仕事が当然ある。公益財団とはいえ、ベネッセホールディングスと理念を共有する福武財団では、高いレベルの仕事が求められるそうです。

金代さんは、どんな人に来てほしいですか?

「文化・芸術への関心がある人はもちろんいいけど、地域社会との関係が非常に強い仕事ですから、年齢の高い方と上手にコミュニケーションがとれると。それと、根底的に現代社会に対する疑問がある人ですね」

 
福武財団にいる人は、実際にどんなことを感じながら働いているのだろう。

直島を離れて、こんどは犬島に向かいます。

ここで美術館運営・施設管理を担当する池田貴洋さんに話をうかがいます。

fukutake07 生まれは京都。大学2年生のときに直島・豊島を訪れた際、福武財団のスタッフの働く姿に感動し、またプロジェクトに共感し、福武財団に新卒で入社したといいます。

入社当初から人口40名ほどの犬島で暮らしています。

「『大変じゃない?』ってよく聞かれるんですけど、想像以上に楽しいんです。思っていたよりも、島の人との距離が近かったし、作品の修理もしたりするのでアートとも近かった」

「美術館運営の仕事は都会にあるようなトップダウン型の美術館をイメージしていたので、スタッフ一人ひとりの意見が通る環境なのもよかったですね」

ほかのスタッフさんから聞いた話だと、池田さんは島のアイドルなんだとか。

チケットセンターのカフェで池田さんと一緒に働く島の方が「私の孫みたいなものよ」と池田さんのことをうれしそうに話してくれたのが印象的でした。

fukutake08 「住みはじめたころは晩ご飯をいただいたり、みなさんにしてもらうばかりで。自分ができることってあまりないなと思ったんですけど、住んでいたらだんだんと頼ってくれるようになってきて」

「この前は島の方の家の壁を直したんですよね。自分にできることを精一杯すると認めてくれるというか、自分が馴染んできたというか。自分も犬島の一部だって意識が芽生えてきました」

池田さんはもともと、福武財団での経験を活かして他の舞台へ移るつもりだったそう。

けれど今は、「ここで培ったものをここで還元したいという気持ちが強い」と話します。

「島のよさに気づいてからですね。島の方々の存在も非常に大きいです。ご高齢の方が多いので、その方々との関係ができた以上『ありがとう、さようなら』じゃなくて、一緒に寄り添ってもっと何か役に立ちたいですし、一緒に笑ってやっていきたいという気持ちが増してきました」

fukutake09 池田さんはこの春に福武財団を卒業し、引き続き犬島で暮らすことにしました。

犬島に移住してきた植栽ユニット「明るい部屋」の一員に加わり、福武財団と共同で進めているプロジェクト「犬島 くらしの植物園」を担っていくといいます。

きっとこれが、池田さんにとっての『よく生きる』ということなのだと思う。

島暮らし、現代アート、農業、地域活性….

どれか引っかかることがあったら、それをきっかけにこの仕事をはじめてみてほしいです。

(2017/2/28 森田曜光)