求人 NEW

山里の小商い

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

春は山菜とりに出かけ、夏は澄んだ川で鮎釣り。

秋になればとれたての新米がおいしくて、冬には猟で捕まえたシカやイノシシの肉もある。

そんな田舎の暮らしに憧れるけれど、仕事はどうするのか。

いまの時代にすべてを自給自足するなんてきっとムリだし、地域資源を生かして1から事業化というのも簡単なことではありません。

kozagawa01 紀伊半島の南端。和歌山県古座川町に七川地区があります。

柚子やお茶の栽培をはじめ、シキミやサカキなどの花卉栽培、養蜂、シカやイノシシのジビエ、さらに鮎・エビ・ウナギの川漁も。

山奥の豊かな自然環境を生かして、住人がそれぞれに生業を持ち、十分な収入を得ながら生活しています。

ただ、林業の衰退をきっかけに人口が減少し、商店や大きな病院、学校がなくなり、事業を継ぐ人もいなくなっている。

そこで今回、古座川町七川地区の地域おこし協力隊を募集します。

最大3年間の任期で、山里で暮らす地域の先輩たちに商いのノウハウを教わり、ゆくゆくは自立を目指します。

気に入った複数の生業で“複業”しながら暮らしていけるだろうし、ひとつに専念してもいい。誰かの事業を受け継ぐこともあり得るかもしれません。

古座川町を訪ね、七川地区平井集落と西川集落の方々にお会いしてきました。

 
東京から古座川町へ行くには、名古屋経由よりも南紀白浜空港へ飛行機に乗っていくのが一番早い。

近くの駅で電車に乗り換えて、最寄り駅の古座駅までは約1時間。ここからさらに車で七川地区へ向かいます。

七川は、下露、西川、成川、松根、佐田、添野川、平井の7つの集落から成る地区です。

kozagawa02 このあたりは岩山が多く、どこか日本ではないような風景が広がっている。「古座川の一枚岩」という巨大な天然記念物もある。

清流・古座川に沿って山道をぐんぐん登っていくと、川はだんだんと細くなり、川底で魚が泳いでいるのが遠くからでも見えるほど透明度は増していく。

50分ほど車を走らせたところで、ぱっと開けた光景が目の前に広がりました。

kozagawa03 これまで訪れたことのある中山間地域というのは、山間にあるためどうしても閉塞感を感じる場所が多かった。七川地区はそんな感じはなく、むしろ開放感があってとても心地いい。

裾野に広がる石垣の段々畑は美しく、とくに柚子の木がたくさん実らせる時期は格別なんだそう。

西川集落で柚子を栽培している下山隆正さんにも、自慢の石垣の畑を見せてもらいました。

kozagawa04 七川地区は標高が高く、朝夕の寒暖差があることから香り高い柚子が育つという。

下山さんは3年前に公務員を早期退職し、ご両親が育てていた柚子畑を継ぎました。

「32年間勤めたけれど、親も亡くなって。地元が好きで畑で百姓もしていたので、親の後を継いだけど、なかなか兼業ってわけにはいかないのでね。きっちり辞めて、地元に住んでやりたいことやろうと」

「公務員をやっていたのは、毎月現金収入の決まったところで働けって親に言われたからなんですよ。ここはもともと林業のまちで、親世代のほとんどの人は山仕事をしていました」

古座川の気候は良質な樹木の育成にも適していた。古くは「古座川材」の産地として広く知られていたという。

林業が最盛期のころ、古座川で山仕事をすれば一般的なサラリーマンの年収をひと月もせず稼げたのだとか。

ところが時代は移り変わり、木材は売れなくなってしまった。

林業が衰退していく中、地元のお父さんたちが着目したのが柚子でした。

kozagawa05 郷土料理の『さんま寿司』に欠かせなかった柚子酢。柚子の木はみんなの家の庭に1本は植わっていたといいます。

「子供を学校に行かせたい、なんとか商売にならないかと、みんなが夢を持って柚子を植えはじめたんです」

農業組合法人『古座川ゆず平井の里』の倉岡有美さんです。

kozagawa06 最初は2戸の農家さんがはじめたところ、だんだんみんなも植えるようになり、昭和51年には生産組合をつくって柚子酢を販売。

徐々に規模が大きくなっていくと柚子の絞りかすが大量に出てしまうようになり、今度は農家のお母さんたちが柚子皮を使ってジャムやマーマレードをつくるように。

「それをきっかけに、柚子を使ったさまざまな加工品づくりに挑戦していくんですけど、そのときの20人くらいのお母さんたちが、もうとにかくスーパーおばあちゃんで(笑)最終的には柚子の加工品だけで年間6500万円も売り上げていたんですよ」

kozagawa07 もともとの柚子の美味しさもあり、保存料や着色料を使用せず、素朴な家庭の味でつくる商品は大人気だった。

お母さんたちも、安心して美味しく食べられる商品を届けたいという想いで、次々に新商品を開発していった。

そんなお母さんたちの頑張りを応援してくれる人はたくさんいて、遠方からの注文が今でも絶えないという。

いまや柚子は林業に代わる一大産業。

これだけの事業を、たったひとつの農作物で、しかも山奥の地域でつくりあげたなんて驚きです。

「たぶんね、お母さんたちは楽しかったんだと思う。山の中で、当時女の人は車に乗れる人も少なかった。子育てが終わって、自分の親の面倒も見終わった50〜60歳から加工しはじめているから、ものをつくってそれが『おいしい』って言われることに、ものすごく喜びを感じたんだと思う。それでどんどん商品を開発して、情報発信も欠かさずしていったんです」

最近では、その加工能力の高さから、ほかの地域の特産品の加工を依頼されることも。

「隣町は金柑やお芋がとれるので、シャーベットやアイスをつくってほしいと委託されたり、障がい者の方々がつくっている大根をここの商品の原材料にしてもらえませんかってご提案いただいたり」

「柚子の加工品として生産者さんに戻すことで、その方たちにとっては日持ちのする売りやすい商品に変わるんです」

kozagawa08 この事業のおかげで、地元では柚子の買い取り価格が安定し、安心して柚子栽培ができるように。若年層の雇用増加にも寄与しています。

現在約95名が『古座川ゆず平井の里』に関わり、毎月20名ほどが加工場で働いている。ほかの地域から参加する人も多く、柚子がとれる時期には毎年収穫ボランティアがたくさんやってくるという。

そんな地域の外からやってくる人たちをもてなそうと、こんどは廃校の木造校舎を改修して体験交流施設『ゆずの学校』をオープン。

ここで柚子の加工品の販売をしたり、マーマレードづくりの体験会を催したり。都会から遊びに来てくれた人や子どもたちに、地元の郷土料理を提供している。

「古座川町にIターンで来た人も、ここへ収穫に来てくれるんです。それをきっかけに自分もやってみようかなと、柚子の栽培をはじめてくれたり、続けて加工場で働いてくれたりして。ゆず平井の里があるから、七川のみんなも安心して柚子をつくることができる」

「だからね、こんな山奥でも、けっこうみんな幸せなんですよ」

kozagawa09 そんな七川の暮らしを支えているのは、柚子の事業だけではありません。

ゆず平井の里のほかにも、古座川にはそれだけで生計の立てられる生業がいくつも存在します。

ふたたび、下山さんにうかがいます。

「柚子のほかにも、シキミ・サカキ・ウラジロ・千両といった花卉栽培もあって、昔からものすごくいいものを継いでつくっている人たちがいます。奈良では年に1回千両市があって、古座川の千両といえば業者さんがみんな買っていく。サカキもまっすぐ伸びて葉が細く、ものすごくええって評判ですよ」

「それと、蜂蜜。もう大昔から、人が誰も住んでいないような本当の山奥で養蜂していて。木の切り株をくりぬいた『ゴーラ』と呼ばれる日本ミツバチの巣箱を使って、藤とか100種類以上の雑木の花の蜜を集めてくるんですね。江戸時代後期からこのあたりの蜜ってすごく有名で、ずっと林業農家さんが受け継いでいます」

kozagawa10 ほかにも、椎茸やニンニクを育てる人がいたり、川ではエビやウナギをとる人がいたり。

休耕田を借りて柚子を何百本も植え、ご高齢の方から柚子畑の管理も受けたりすることで、新たに柚子栽培をはじめてもちゃんと収入を上げている人がいる。

古座川町には全国でも有数の食肉加工施設があることから、シカやイノシシの猟で生計を立てているハンターもいます。

「資源はいっぱいあるんです。どれも間違いなしに収入はいけるんですけど、若い人が減って後継者がいない。サルやシカといった獣害が多いので、すぐに事業を広げるのが難しいという側面もあります」

「みんな何とかしたいという気持ちはあるけど、自分が前に立ってはよういかんのです。それぞれに親から引き継いだのを頑張っているけど、一緒になって行動しようかってことができない。なんとか若い人が来て、この豊かな環境を見てもらって、活動してもらえたらなって思うんです」

kozagawa11 地域おこし協力隊としてやってくる人には、まずはじめに農業支援と並行して地域を巡ってもらいます。

住んでいる人たちがどんな思いで暮らしているのかを聞き、地域のことを知り、住む人たちとも馴染んだところで、2年目からは自分のやりたいことで事業を組み立てていきます。

任期満了後はそのまま『古座川ゆず平井の里』に就職することもできるし、花卉栽培や養蜂、ジビエ猟などの仕事を教わったり、事業を継ぐこともあり得ると思う。やりたいことがたくさんあれば、複業で暮らしていくことも可能です。

それぞれの事業に横のつながりはあまりないから、つなげることで古座川町全体を盛り上げていくこともできると思う。

「チャレンジできると思うんです」と話すのは、『古座川ゆず平井の里』で理事を務める宇田篤弘さん。

kozagawa12 宇田さんはもともと他地域の農業協同組合に所属している方。住んでいる場所も古座川とは離れた地域で、いまは古座川に車で2時間もかけて通い、『古座川ゆず平井の里』に外の視点からさまざまなアドバイスしている。

「資源はあるし、流通もできあがっていて、応援してくれる人たちもたくさんいる。これは古座川の財産なんですよね。たぶん紀伊半島の中でも、これほどの規模で事業をやってる農業法人はないと思う」

「これをどこかの地域で1から事業をはじめようとしたら、費用も時間も手間も、ものすごくかかる。地域の中で生活の糧にする生業をどう見つけて、自分の仕事にしていくか。そういう意識を持っている人にきてもらえると嬉しいです」

ほかの地域に比べ、既に安定した事業がいくつもあるのが古座川町の大きな魅力だと思う。

ただ、ここまでやってこれたのは、やっぱり先人の大きな努力があったから。単に生業を教わる、受け継ぐといっても、一朝一夕でできることではないし、そこにリスペクトの気持ちは絶対に忘れてはならない。

それと、ここに住む人たちの人柄も大きく影響しているような気がします。どの人も話すと穏やかで、優しさがある。そんな人たちだから、自然と周りに応援する人が増えていったのかもしれません。

kozagawa13 「明るい人だとといいな。ガハハって、不便な事も笑って過ごしちゃうような」

倉岡さんは、そう話していました。

山里で暮らし、自分の商いを見つける3年間。

ちょうど2/17(金)~18(土)に東京で出張相談会(詳細は募集要項)が開催されるので、興味のある人はまず話だけでも聞きに行ってみてください。

(2017/2/10 森田曜光)