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異端児な老舗

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1824年創業。日本一の老舗かばん卸メーカー。

そんな会社の8代目から聞いたのは、意外な言葉だった。

「正直、僕は伝統を守るって気があまりない。昨日決めたことでも、今日になってこっちがいいなと思えば変えちゃいます」

toyooka_endo01 唯一変えないのは、かばん一筋のものづくり。

伝統にとらわれずに柔軟にチャレンジを続け、時代に求められるかばんを世に打ち出してきました。

エンドー鞄株式会社に加わり、商品企画を担当する人を募集します。

 
兵庫県豊岡市。

このまちが「日本一のかばんの街」と呼ばれるようになった由縁は、いまから2000年以上も前、奈良時代よりずっと昔の時代にあります。

古代の朝鮮半島の国「新羅」から伝わったとされる柳細工でつくられたカゴ「柳行李(やなぎごうり)」。

時代の変革とともに形を変えてやがて現代の“かばん”となり、いまは縫製でつくられるかばんの一大産地となっています。

そんな歴史ある街だから、かばんの老舗会社はあちこちに存在する。

中でも一番の老舗、日本で最も歴史あるかばん屋さんがエンドー鞄です。

toyooka_endo02 文政7年に柳行李商としてはじまり、今年で創業193年。

それぞれの時代に合わせたかばんを販売してきました。

「おじいちゃんが立ち上げたファイバー事業部では、軍で使うようなファイバー製のケースをつくっていた。郵便屋さんの自転車の後ろに乗っけていた郵便物を入れる赤い箱は、ぜんぶうちの会社でつくっていました」

8代目の遠藤玄一郎さんです。

toyooka_endo03 いまでは自社工場を持ち、卸メーカーとして多種多様なかばんを企画・製造しています。

どんなものづくりをしているのか。それを知る前に、まず遠藤さんがどんな人かを知ってほしい。

常に面白い話を織り交ぜながら、まっすぐな眼差しで芯の通った話をしてくれる方。

昔からかばんづくりに情熱を注いできたのかと思えば、若いころは会社を継ぐ気が全くなかったのだそう。

「僕はね、親にダマされて豊岡に帰ってきたんですよ」

ダマされた?

「昔から継ぐのが嫌で、進路について何も言われなかったから、大学を出て就職活動をしていたの。そしたら突然、お袋から電話がかかってきて『お父さんの仕事が大変みたい』『夜眠れなくてタバコばかり吸ってるの』って」

「会社は順調とばかり思っていたものだから、びっくりして。長男だし手伝わなきゃなって帰ってきた。それで入社したその日に親父からいきなり『お前、息子だからって社長になれると思うなよ』と言われて。心配して帰ってきたのに全然元気で、話もおかしいだろうと(笑)」

そうしてはじまったかばんづくりの道は、お父さまの言葉通りに厳しいものだったそう。

会社では跡継ぎとして優遇されるようなことは一切なく、むしろ社員以下の扱い。同期に比べ給料はとても低く、営業で結果を出さなければ会議での発言権はなかった。

「だから必死こいて売上を上げて、1年たったらようやく話を聞いてくれるようになった。けど、2年目から会社の経営が悪化してきて」

toyooka_endo04 よくも悪くも老舗の会社。旧態依然とした体制で、このままでは時代に取り残されてしまうような商売をしていた。

生き残るためには変わらなければならない。そう考えた遠藤さんは、自社ブランドの開発をはじめます。

「何かにつけて『いままでこうしてきたから』という発言の多い会社でした。親父に変えていかなきゃダメだと強く言ったら『お前がやれ』と。だったらやってやろうとね」

ただ、商品を企画するにも遠藤さんはデザインができるわけではない。思いついたのが、純粋に自分がほしいと思うバッグをつくることでした。

いまでこそバッグにはポケットが付いているのは当たり前だけど、当時のかばんは見た目重視のものが多く、付いてもせいぜいファスナー1本だけ。中身の機能は誰も着目していなかったという。

かばんの中が煩雑になるのが嫌だった遠藤さんは、機能面で充実したバッグをつくりはじめます。

ところが、ここで問題が。ポケットが多いとつくる手間がかかるため、メーカーの職人さんが嫌がったのでした。

「なんとか頼み込んで、つくってもらって。それで出してみたら、わりとパッと売れちゃったんですよ。もう1回頼んでつくったら、またすぐ売れた。何回か繰り返していくうちにメーカーさんが慣れてきて、途中から『おい、注文まだか』って」

これまでにない機能的なかばんは、たくさんの人に受け入れられ大好評だった。このブランドのシリーズはなんと累計200万本を売り上げ、会社の業績は一気に回復。

これを機に、販路開拓からそもそもの仕事の仕方まで、遠藤さんは会社のありとあらゆることを変えていきます。

使いやすく壊れにくい機能的なバッグを中心に、商品も次々に開発。

なかでも画期的なのが、特殊構造のタイヤを備えた「FREQENTER」というブランド名のキャリーバッグです。

キャスターの振動が従来の商品と比べて約70%も少ないらしく、実際に走らせてみるとガタガタという音がまったくしない。いま東急ハンズやLoftで人気の商品だといいます。

toyooka_endo05 この商品をつくることになったきかっけは、もともと医療現場などのために振動の少ないキャスターを開発し、特許を取った方との出会いでした。

大手かばんメーカーが全く見向きもしない中、遠藤さんは走行音が小さいことに着目し、多額の費用を投じてキャスターの開発から携わります。

出張などで早朝に出かけて夜中に帰ってくる際、音の大きさで近所に迷惑かけてないか気になっている人は少なくないと思う。

売れるものではなく、人が困っていることを解決するかばんをつくる。それが遠藤さんの大切にしていることです。

「老舗が長い歴史を築けたのは、人に必要とされたサービスや商品を提供できたからだと思うんです。いくら自分たちでこれが正しいと言い続けても、時代が変わっていけばいずれ必要とされなくなっちゃう」

「だから正直、僕は伝統を守るって気があまりない。昨日決めたことでも、今日になってこっちがいいなと思えば変えちゃいます。唯一変えないのは、かばん一筋に必要とされるものをつくることです」

toyooka_endo06 伝統にとらわれず柔軟に、ときには型破りにチャレンジをしてきたエンドー鞄。

ただ、地域に長く根付く会社としての責任感が全くないわけではありませんでした。

「創業200年に向かうなかで、3年前にどういう会社であるべきかなってみんなで議論してね。扱う商品には中国製のものもあるわけですよ。それを0にするには難しいけど、やっぱり豊岡で高品質なかばんをつくるほうにシフトしていって、地域に貢献する会社になっていかなきゃいけないんじゃないかって」

そうして新たに立ち上げたのが、かばん工房「嘉玄(かげん)」。和をコンセプトにした手づくりのかばんをつくり、店頭販売もしている。

豊岡のかばんの歴史を伝えようと、2階には柳行李の資料館を設けています。

toyooka_endo07 さらに遠藤さんは今後、明治時代に柳を編んでいた機械を復元して、柳でつくるトランクを復活させようとしています。

柳行李の資料館も、柳のトランクの復活も、ただ商売のためにやっているわけではありません。

「僕がやらないと消えちゃうんですよね。柳に詳しい人はみんなご高齢だから、アドバイスいただけるうちに実現しないと、おそらく永久につくれなくなっちゃう」

「伝統を何としても守ろうとは思っていないけれど、僕はかばんで長年お世話になっている人間だから。そういうことをするのも老舗としての責任かなって」

 
はじめは型破りな人だと感じていたけれど、つくるものも、これからやろうとしていることも、すごく真っ当な人。柳のトランクは豊岡の新たな魅力になるんじゃないかととても楽しみです。

企画部の伊藤禎隆さんは、そんな遠藤さんの人柄やエンドー鞄の在り方に惹かれて、1年前に入社しました。

toyooka_endo08 前職では大手家電メーカーに20年以上勤め、住宅設備のインテリアデザインやマーケティング、宣伝制作など、さまざまな仕事をしていたそう。

管理職になり、だんだんと現場から離れていくうちに、現役でデザインを続けたいと思いが芽生え、またもともとかばんが大好きだったことから豊岡にやってきました。

かばん職人を養成するスクール「Toyooka KABAN Artisan School」に1年間通った後、エンドー鞄に就職しました。
「前にいた会社ではすごい人数の企画やデザインの人間がいて、自分の携われない部分がとても多かった。ここではデザイン画を書いて、自分でも縫ってつくってみたりして、本物のものづくりができる。マーケッターとしてもデザイナーとしても、本当にやりがいを感じていますね」

toyooka_endo09 すでに伊藤さんのアイディアを元に商品化したものがあるという。

見せてもらったのは、四隅に固い芯が入った特徴的なかばん。

置いたときに自立するビジネスバッグを会社でつくることになった際、伊藤さんは前職の経験から建築の発想を取り入れ、柱を入れたかばんをつくることを思い浮かんだのだそう。

「会社にはいろんなものを積極的に取り入れようという雰囲気がありまして。私のような他所から来た1年目の人間に対しても、いいアイディアがあれば柔軟に受け入れてくれるんです」

toyooka_endo10 伊藤さんはほかにも、数十年前に旅行かばんに使われていたバルカナイズドファイバーという素材を使った新しいかばんを企画中。

前職の経験を活かして、チームプロジェクトのより効果的な進め方を提案したり、企画以外のところでも会社にいい刺激を与えています。

toyooka_endo11 「都会って何でもあって、いろんなことを経験できたり、いろんな可能性を感じることがあるかもしれないけど、自己実現するためにはどれもハードルが高くてライバルも多い。自分がなりたいものになりにくい環境だと思うんです。だけど、人が足りていないといわれている地方へ行くと、自分の強みをひとつでも持っていれば人の役に立つことができる」

「クリエイターとしても、ひとりの人間としても成長できると、私はここへ来て実感しているので。夢を実現させたい、かばんづくりで夢を叶いたいって方はぜひ豊岡に来ていただければと思うんです」

地元の方にはよく飲みに連れて行ってもらったり、行事やイベントに積極的に参加したりして、暮らしも充実しているのだそう。

伊藤さんから出てくる話は前向きなことばかりで、本当にいまが楽しいのだと思う。

これから加わる人も、伊藤さんと一緒にワクワクしながら働けると思いますよ。

(2017/2/28 森田曜光)