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お気に入りの店って、ありますか?あるとしたら、なぜそこに行くのでしょうか。
ぼくも明確な理由はわからないけれど、パッと思いついたお店に共通していることがありました。それは「会いに行きたくなる人がいる」ということ。
より正確に言えば、「その人の生み出す空間に居たい」という感覚かもしれません。
だから、必ずしもたくさん言葉を交わす必要はないし、気を遣って注文することもない。常連さんに混ぜてもらったり、ひとり考えごとをしたり、カウンターから向こう側を眺めたり。ただただ、心地いいからそこにいる。
そんな過ごし方を受け入れてくれるお店、またひとつ見つけてしまいました。
千葉駅前に佇むワインビストロ「da.b(ダ・ベー)」です。
オーナーシェフの紅谷(べにや)さんは、自分のお店をこう表現します。
「うちは地方の一軒の酒場ですから。酔っ払ってネクタイ曲がっちゃってる人が来たり、下ネタばっかり言う75歳のおじいちゃんがいつもカウンターで飲んでたり。その人、レジェンドって呼ばれてるんですけど(笑)」
「みんな好き放題飲んでるし、かしこまったことは何もない。でも最低限のマナーは守る。そんなお店ですね」
今回は、そんなda.bのホールスタッフとして働く人を募集します。
経験は問いません。むしろ、遠方や異業種から飛び込んできてくれることを期待しているそう。
紅谷さん自身がいろんな仕事を経験してきた方なので、一緒に働けたら、きっと面白い毎日になっていくんじゃないかと思います。
平日の昼間、仕込み中のda.bにお邪魔して紅谷さんに話を聞くことに。
話題はこのお店を開くことになった経緯から。
「もともと家業が不動産会社で。兄が祖父の会社を、自分は父の会社を継ぐっていうことは昔から聞かされていたんです」
「継ぐまでは好きなことをやっていいということだったので、本当にいろんなことをやりましたね」
一時はカーデザイナーを志したり、ファッションの世界にのめり込んだり。都内のアパレルブランドに勤めたあとは、千葉にある小さなセレクトショップでも働いた。
「そこは県外からも『千葉にすごい店あるよね』と言われるようなお店で。洋服屋でありながら交流の場になっているんです。接客とはどういうものか、そこのオーナーから学びましたね」
仲間の店のオーナーが悩んでいれば、全面的に話を聞き、相談に乗る。
自分の店だけではない、地域と地続きな店としてのあり方を教わったという。
「ただ、アパレルってつくられたものを売る仕事じゃないですか。そのうち自分で何もつくらないことに満足できなくなっちゃって」
「当時は東京にロータスやバワリーキッチンといった有名なカフェができたタイミングで。ああいう店を千葉でやりたいなと思ったんです」
どうしてアパレルの次は飲食だったんですか?
「目の前の食材を調理して、すぐに提供する。お客さんもその場で感想をフィードバックしてくれる。そういう意味ですごくライブ感があるし、たぶんそっちのほうが面白いだろうなと思って」
ライブ感。
「めちゃくちゃいそがしい日も、終わった後は最高に気持ちいいですよ。もちろん、打ちひしがれたり反省する日もありますけど。それも含めてのライブですよね」
たしかに、カウンターを舞台に見立てると、そこで巻き起こるさまざまなことはライブのようにも思える。
この店舗の設計・デザインを手がけたのも紅谷さん。実際にカウンター席に腰かけてみると、距離感は近いながらもカウンターの幅がゆったりとってあるので、窮屈な印象は受けない。
「飲食店って、食事はもちろん、お酒に、接客に、内装に、音楽。トータルで求められる場だと思うんです。ご飯がおいしくても『なんでこの内装なの?』と思えば行かなくなるでしょうし」
「統一感のある空間にはその“人”が感じられます。だからこそ安心してくつろいだり、わいわい楽しめる居心地のよさが生まれると思っています」
棚には有機栽培の自然派ワインが並ぶ。白い壁に書かれたサインは、海外から生産者が来店したときのものだ。
「フランス・アルザス地方のローラン・バルツっていうつくり手なんかは、3年連続で来てくれて。東京近郊の地方都市ではなかなかないことだと思いますし、光栄なことですね」
一方で、ワインにまったく詳しくないお客さんもやってくるという。客層の幅広さが、この店の懐の深さを表しているとも言える。
「千葉は適度にダサくて中途半端なところが気持ちいいというか。あんまり肩肘張らずにいられるのがいいところじゃないかな」
今回の募集でも、大事にしたいのは人間くささだという。
「最初から完璧じゃなくていいんです。気立てがよくて、空気を読んだ接客ができる人なら大丈夫」
ホールスタッフは、料理のサーブからお客さんにワインをすすめることが主な仕事だ。仕込みの手伝いや、ワインの受発注に売上げの管理といった簡単な事務仕事も担当する。
調理を担当する紅谷さんとの連携も大事な要素のひとつ。
「自分はけっこう厳しいですけど、決して理不尽な厳しさじゃないと思います。それにうちの仕事は全部、時間をかければできることなんですよ。料理にしても、ものすごく凝ったことはしていないので」
「人と触れ合うことで、刺激を受けてどんどん変わっていく。それはぼくも同じで。もうひとりの彼、菊池くんが入ってくれてから手が空くようになったので、メニューを増やしたり、料理のスタイルも若干ミクスチャーになりましたね。彼はイタリアの一ツ星のお店で学んできたんですよ」
そんなふうに紹介され、「食べに行っただけですよ(笑)」と照れる菊池さん。みんなからは「チャボ」の愛称で親しまれている。
都内でコックとして2年間働いた後、イタリアへ。帰る気はなかったものの、30歳を手前にして「これでいいのか?」と地元の千葉に戻ってきたそう。
「ある日、たまたまda.bの前を通りかかったんです。いいお店があるなと思って、気になって。家に帰って親に話したら、実は父がこの店の施工に関わってたんですよ」
菊池さんのお父さんは左官職人で、なんとda.bの工事を手がけていたという。偶然か必然か、当時菊池さんの勤めていたお店は1年ほどで経営が立ち行かなくなり、そちらを辞めてda.bを手伝うことになった。
「最初はとりあえず手伝うか、ぐらいの感じで。フレンチは食べるほうでもともと好きでしたけど、経験はなかったですね」
わからないことは紅谷さんに訊ねながら、仕込みから調理、接客までの経験を積んでいった菊池さん。
一方の紅谷さんも、本場のイタリアンや文化について、繰り返し菊池さんに訊ねる。
料理のサーブや接客がメインのホールスタッフ。とはいえ、菊池さんのように調理経験があったり、海外の食文化が好きな方なら、それを存分に活かせる環境だと思う。
「一番勉強になったのは、お客さんと話すことですね」と菊池さん。
「これまではキッチンで黙々と手を動かせばよかったので、最初は正直すごく嫌だったんです。まず何を話していいのかわからないし、作業しながら話すのが苦手で」
「ただ、ここでホールスタッフとしての経験を積んできたことが自信にもつながっていて。将来独立するに向けても、ここでの経験は大きいと思います」
紅谷さんも、菊池さんの変化をひしひしと感じるそうだ。
「彼はすごい変わりましたよ。ほかのお店に食べに行って言うのは、お店の雰囲気とか、接客に関することが多いんです。最初はそんなこと一言も言わなかったのにね」
「たぶん、本人も知らないうちに視点が変わってきたんだと思います。感性を共有できている感覚があって、自分はすごくうれしいですね」
そんなおふたりとともにアルバイトとして働くのが、取材当時大学4年生の磯野さん。この3月で大学を卒業し、4月からは家具メーカーの広報担当を務めている。
「わたしはお客さんとの関わりが楽しかったですね。ひとりで来る方も多いんですけど、自分の一言でお客さん同士が仲良くなってもらえたときなんかはうれしかったです」
「就職が決まる前も、『決まったらうまいとこ食べに連れて行ってやるから』と気にかけてくれるお客さんがいたり。決まった翌日には『顔が晴れ晴れしてたからわかったよ』って、先に気づかれたり(笑)」
距離感が近い分、率直なやりとりも生まれる。
ふざけるところはふざけて、引き締める部分はちゃんと締める。そのバランスは、簡単なようでなかなか難しい。
「紅谷さんは、厳しいところはすごく厳しいので、よく大泣きしながら帰っていました(笑)。でも、そこまでちゃんと見てくれてるのはありがたいことだなって」
「がんばったらがんばっただけ、仕事をもらえますし。ちょっとずつできることが増えれば、やらせてもらえることも増えていったり。本当にいい経験をさせてもらっています」
取材後、日が暮れるのを待って再びお店へ。
間接照明が灯されて、昼間とはまた違った雰囲気を醸し出している。
先客は3人ほど。カウンターでしっぽり、ワインと食事を楽しむ時間が流れる。
「今日は暇ですねえ。いつもはもうちょっとお客さんもいるんだけど…」
少し弱気な紅谷さん。隣に座った常連さんは、「いや、そのうちみんな来るって」と、なぜか確信がある様子。
「新しいお客さんが来るまで、みなさん帰らせませんよ(笑)」なんて話をしながら飲んでいると、20時過ぎごろから店内は本当に賑わってきた。
「ね、言った通りでしょ」とうれしそうな常連さん。勘定を済ませて席を譲る。
そこへ75歳の「レジェンド」が現れて、スタッフのみなさんと一杯ずつご馳走になった。磯野さんの卒業を祝い、たわいもない話もした。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、結局終電ギリギリまで居座ってしまった。
「最近までスタッフだった子が、地元の松山でお店をオープンしたんです」と紅谷さん。
「すごくうちのDNAが流れているなと思って、うれしくて。彼のように、ここで学んだことを活かして独立してもらっても全然いいんですよ」
「何をやるにしても、絶対将来損はさせない経験が積める場所だと思ってます。自分がそうであったように、異業種の人にも飛び込んできてほしいです」
家業の不動産会社を経営していることもあり、敷金礼金のかからない家賃補助物件も紹介できるという。
いろいろやっていると、思わぬところでつながるものですね。
「そうなんですよ。高知からボストンバッグひとつでやってきた女性スタッフもいましたね(笑)。ぼくは、それぐらいの気軽さでもいいと思っています」
なんだか、千葉に心の拠りどころがひとつ増えたようでうれしい取材でした。
また今度da.bを訪ねる際は、カウンターをはさんでお話ししましょう。
(2017/3/31 中川晃輔)