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グローバルとローカル。伝統と最先端。東京と地方。官と民。世の中にはいろんな間(あいだ)があるけれど、100年先まで残っていくような「新しい当たり前」が生まれるのは、そういう葛藤の現場なのかもしません。「熊が踊りだすぐらい安心して暮らせる森」を願い、岐阜県飛騨市で「FabCafe Hida」を運営する「株式会社飛騨の森でクマは踊る」(通称「ヒダクマ」)は、あらゆる“○○と○○の間”を取り持って、今までにない価値を生み出そうとする会社です。
飛騨が誇る広葉樹の森と1300年も続く宮大工の伝統技術に、世界の最先端の知恵とテクノロジーを組み合わせて、暮らしの中でどんどん木が使われていくようなライフスタイルのムーブメントを起こしていく。
見据えるのは、はるか100年先の22世紀。
間違いなく僕たちはこの世にいないだろう。子どもの子どもの、さらに子どもの世代に、ひいじじ、ひいばばとして何を残していけるのか。何をつないだ人たちとして、後世、僕たちは語られるのか。
そんな壮大なビジョンのもと、行政から飛騨市、民間から森といえば「株式会社トビムシ」、クリエイティブといえば「株式会社ロフトワーク」という、三者の運命的なめぐり合わせによって、2015年5月に誕生したばかりの「ヒダクマ」。
雪がこんもりと残る、1月末の飛騨古川を訪れた。
映画『君の名は。』のモデルともなった自然豊かな飛騨市は、隣接する高山市とともに、奈良時代から続く木材の伝統技術を受け継ぐ“匠のまち”としても知られている。
飛騨市役所がある飛騨古川駅周辺に点在する白壁の土蔵や古民家は、旧きよき面影を伝える格好の観光名所。どこか別の時代にタイムスリップしてしまったかと思うくらい、なんとも不思議な気持ちにさせられる。
そんな、ものづくりの気配が息づく街並みの一角に、ヒダクマが運営するデジタルものづくりカフェ「FabCafe Hida」があります。
リノベーションする前の「旧熊崎邸」は、造り酒屋、木製品工場、塩専売など時代に合わせて繁栄してきた、古川の宝もののような場所。
しかし、さまざまな事情からずっと手付かずで空き家のまま。さらには、最近になって「駐車場になってしまうかもしれない」という話まで出てきていた。
まずはじめに話を聞いたのが、ヒダクマ取締役の松本剛さん。
「こういう歴史ある場所でどんなことを挑戦したとしても、いろいろなご批判をいただくと思います。いま僕たちがやっているカフェが正解なのかどうかも正直わかりません」
「でも駐車場になってしまうよりは絶対にいいだろう、と思って手を挙げることにしたんです」
松本さんはもともと森の資産を活用したさまざまな事業開発に携わってきた。ヒダクマでは主に森林・木材事業と経営管理全般の実務を担当してきた。
数年前、運命的に「旧熊崎邸」と出会ってから、大家さん、飛騨市の職員のみなさん、松本さんたちで何度も対話を重ねてきたそう。建物に息づく人々が暮らした軌跡を大切に、新たな創造の拠点として時代を象る場所にしていきたいと考えていた。
関わる人たちの思いが重なる形で、2016年春、「FabCafe Hida」の物語はスタートする。
そもそも「FabCafe」とは、人が集まるカフェという空間に、レーザーカッターや3Dプリンターなどデジタルファブリケーションマシンを設置することで、気軽にものづくりを楽しむことができる場所のこと。
現在、台湾の台北、タイのバンコク、シンガポール、スペインのバルセロナ、フランスのトゥールーズとストラスブルグ、と世界各地にそのネットワークは広がっていて、「FabCafe Hida」は日本では東京・渋谷に次ぐ2店舗目。
ヒダクマの主な事業は「FabCafe Hida」を拠点に日本と世界のクリエーターと地元の木工職人をつなぐこと。そして、これまでにない画期的な木のプロダクトを世に出すこと。そこで木材の調達に興味のあるクリエーターに対して、さまざまなサポートを行っています。
そのひとつが、様々な木を取り扱う製材所や、伝統技術の粋を極めた家具工房などを訪ねるプログラムの提供。
飛騨の人たちにとっては当たり前の光景も、都市部に住むクリエーターにとってはインスピレーションの源となっているようです。
大きなお屋敷を改装した「FabCafe Hida」では、大人数での宿泊も可能とのこと。日帰りではなく合宿気分でゆっくり滞在し、夜ともなればじっくり酒を交わしながらアイデアを深めていく。思い立ったら、地元の職人と一緒にすぐプロトタイピング。
インプットからアウトプットまでの一連の贅沢な時間と空間こそ、世界に誇る価値だといえるかもしれない。
そんな「FabCafe Hida」は、日本の都市部のクリエーターだけでなく、アジアやヨーロッパなど世界各地のクリエーターを惹きつけている。
折しもジブリ映画などの影響で、外国人にとっては空前の里山ブームなのだとか。先日は森がほとんどないイスラエルからプロダクトデザイナーが訪ねてきて、感動して帰っていったそう。
そうしたグローバルとローカルの間を取り持つのが、クリエイターの合宿・滞在受け入れ、広報、イベント、カフェなどを担当する女将の森口明子さん。
合宿期間中の一日は朝ごはんづくりから始まり、ガイドに通訳、撮影、プログラムコーディネイト、SNS発信、毎日のスケジュール調整、夕飯準備とお皿洗い。
イベントがある日は夜遅くまでお酒をふるまうことも。
「もともと日本の素晴らしい伝統文化を新しい形で世界に広げたいと思っていたんです。東京にいながら少しだけ地域に首を突っ込むのは中途半端だなという思いもあって」
「そんなとき、たまたまロフトワークの林千晶さんと出会って、飛騨に行かない?と誘われたんです」
さんざん悩みながらも移住の決め手となったのは、帰りのバスから見えた、美しい冬の飛騨の景色。
「しんどくなったときは、ひとりで山を歩くようにしています。そこに行くと、物事を俯瞰で見ることができて視野が広がるんです」
森口さんの前職はグローバル企業の「レッドブル」。中でも「レッドブル・ミュージック・アカデミー」という、若く才能あふれるアーティストたちを支援する世界的な音楽学校のグローバル・コミュニケーションを担当したことが今につながっている。
「世界の人がつながる交差点であるFabCafeとしてはその経験は生きていると思います」
コーヒーの味ひとつ決めるにしても、地元の人の好みに合わせるのか、FabCafeとして同じ味を貫くべきなのか、何度も葛藤があったそう。
「グローバルな企業にいたので多様性というものをわかったつもりでいましたが、飛騨に来ていろんな立場の人と出会って初めて本当の多様性を知ることができた気がします。むしろそれを知るためにここに来たのかもしれませんね(笑)」
そして3人目のメンバーが、ものづくり担当で工房長の浅岡ヒデアキさん。飛騨が誇る伝統技術とデジタルファブリケーションという最先端技術をつなぐ役割です。
名古屋でデザイナーや家具職人として経験を積みながらも、飛騨古川出身ということで「いつか飛騨に戻れたら」と考えていたそう。地元に戻るたび、FabCafe Hidaのプレイベントやワークショップのお手伝いをしているうちに、そのまま立ち上げメンバーとして関わるようになった。
とはいえその時点で、デジタルファブリケーションに関しては「ほとんど未経験」。それでもヒダクマへの道を開いたのは、揺るぎない木への“愛”でした。
「森の恵みを享受して自然と共生する暮らしを、現代の視点で取り戻すべきなんじゃないかと思っていました。木が、人や空間、自然に作用する影響ってとてつもなく大きい。そこに大きな可能性があると思っています」
浅岡さんの大きな挑戦のひとつが、歴史ある蔵を舞台にゼロから工房をつくること。木工機械の選定や配線のレイアウト、道具の収納など、試行錯誤しながら少しずつ夢の空間を作り上げてきた。
「時間感覚が分からなくなって気がついたらご飯の時間を逃しているくらい、つくることに集中できる空間です」
「自分のスキルの応用よりも、やったことがない挑戦的な仕事が多いです。木と3Dプリントを組み合わせたい、みたいな依頼とか。不安も多いですが、そういう積み重ねが大切だと思うんです」
試行錯誤しながら、ときに葛藤しながら、一歩一歩前に進んでいる森口さんと浅岡さん。
二人の話を横で聞きながら、松本さんはこんな話をしてくれました。
「森口さんにレッドブル・ミュージック・アカデミーの経験がなかったらデザインキャンプを実現できなかったし、浅岡くんがいたからこそ、ラボが完成したんでしょうね」
つまり、どんな人とどのタイミングで出会ったかによって、ヒダクマの新しいサービスが生まれていく、ということ。
ヒダクマの“引き出し”には無限の可能性があふれている。でもまだほとんど手がつけられていない。それが松本さんの実感なのかもしれない。
EC経験でも流通経験でも教育経験でも、その人のバックグラウンドに森の資産を掛け算すると、想像以上の森ビジネスの可能性が拓けるはず。
松本さんの目線は、100年先を見据えています。
「本当に森を豊かなものにしていくには、100年は続けていかないといけない。つまり自分の世代では結果が出ないことなんですよね。だから、決して投げやりな意味ではなく『次はよろしく!』と託せられるような人にぜひ仲間になってほしい」
「100年先のことだから」というように、やらない理由はいくらでもつくれるし、いつだって先延ばしにできる。でも、いまはじめたら、1年後には確実に99年先になる。
だから、はじめる。それぞれのペースで、それぞれにできることで。
取材を振り返ってみて思うことは、今回の募集はどうやら「経理ができる人」みたいな単純な話ではないということです。
ハードルはちょっぴり高く、「今までの経験をいかして、飛騨でこんなことをはじめてみたい」という、アイデアコンペに近いのかもしれない。
それでもなお、そういう類いの挑戦が必要だという人は、実は少なくないのではないかと予感しています。森口さんも、浅岡さんも、ヒダクマに“たまたま”関わるようになったのは、そんな導かれるようなタイミングだったのです。
もし、この記事を読んでソワソワした方がいたら。
いったん、そろそろ、本気で、いかがでしょうか?
(2017/4/13 兼松佳宏)
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この求人記事は日本仕事百貨のスタッフでなく、日本仕事百貨コントリビューターの兼松佳宏さんに書いていただきました。コントリビュータについて、くわしくはこちらをご覧ください。
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