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海女になる

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「海の中は本当にきれいなんです。私はとにかく海が好きで、すぐにでも海に入りたいような人間なんですよ。潜ってアワビやらサザエを採ってくるのが、本当に楽しくてね」

そう生き生きと話す、海女の北川さんの笑顔がとても印象的な取材でした。

朝ドラの影響もあって、一躍有名になった“海女”という仕事。

munakata01 でもほかの職種と比べて、どうすればなれるのか見当もつかないという人がほとんどだと思う。

実際、ボンベも使わず身体ひとつで漁をする海女さんは、機械化や効率化が進む現代において、担い手が年々減っている仕事のひとつです。

そこで海女の文化を継承しながら、きちんと生計も立てていける仕組みをつくろうと動き出したまちがあります。

福岡県宗像市。

このまちで、まずは協力隊として海女漁を体験し、その後海女さんとして生きていく人を探しています。泳げるようであれば、ほかの経験は問いません。

何より大切なのは「海が好き」という気持ちだと思います。



福岡市と北九州市のはざま。二大都市のベットタウンとして約9万人が暮らす宗像市までは、JR博多駅から快速で約30分。最寄り駅は、東郷という駅だ。

munakata02 電車を降りたときにはよくある田舎の風景に感じたものの、駅の近くにはビストロやカフェがあり、マンションも見える。

思っていたよりも暮らしやすそうだなと思いながら、役所の方の車で、さらに20分ほどの鐘崎という地域に向かう。

鐘崎は、トラフグやアマダイ、ヤリイカなど高級食材として流通する魚が多く水揚げされ、40代の若い漁師も多く活気にあふれた港町。

一方で、日本海側の海女の発祥の地でもある。古くから優れた潜水技術を持っていた鐘崎の海女さんたちが、良い漁場を求めて出稼ぎに出たことで全国にその技術は広まった。

だけど、そんな海女さんも現在はたった2人になってしまった。そのうちのひとり、北川さんにお話を聞きました。

munakata03 高齢ということもあり、本格的な漁はもうしていないそう。この日はどんなふうに過ごしていたのか聞いてみると、朝から家でご近所さんに配るためのひじきを炊く準備をしていたという。

「ひじきを、おーきな鍋で煮てね。炊いたら誰にあげようかなって考えたり、そげんことも楽しいでしょう。だから、私は好きなの」

そう言って、こっちまでうれしくなるような笑顔を見せてくれる。

そんな北川さんが海女になったのは20歳のとき。小さな頃から遊び場だった海で働くことは、とても自然なことだったという。

「お父さんが船頭で、お母さんが海女だったもんで毎日海に行きよったんです。母が採っていたのをずっと見ていましたからね。『こんなところにあるんやね』とか『こげんふうに採るんやね』っていうことが自然と身について」

磯漁とはいえ、ときには5〜10メートル以上も潜るという。漁のやり方は、誰かに教えてもらうというより、一緒に潜ってもらいながら自分で感覚をつかんでいくもののようだ。

現在、海女さんたちの漁は、8時半から11時半までと決まっている。資源を採りすぎないよう、みんなで決めたルールだ。

漁の時間は短いけれど、一年を通してさまざまな貝や海藻が採れる。たとえば春はわかめや“おきゅうと草”と呼ばれる海藻。夏から秋にかけてはアワビやサザエ、ウニなど。

そして12月には、なんとなまこも採るのだとか。

munakata04 「やっぱりアワビは少なくなったけどね。なまこはポン酢で食べると最高です。食べたことない?このへんではお正月のおせちに使うんです。ものすごく値段がいいんですよ。その代わり、海の深いところにいるから少し苦労するけどね」

海に潜っている姿がよく思い浮かぶけれど、海女さんの仕事は採るだけじゃない。

漁から上がると、採れた水産物を出荷する。そのほかウニを瓶詰めしたり、海藻を干してゴミをとったり。水産物の加工も自分たちで行うそうだ。

「そういうことも、一緒に教えるからね」と北川さんは話してくれた。

ときには、海が荒れて漁に出られない日もある。そんな日は、家の片付けや船の修理にあて、みんなでわいわいと話すことも。

munakata05 「漁師さんたちも一緒に集まったりしてね。『この前、魚の群れに出くわして夢みたいになんぼも採れた!』っていうような話を聞くのも、面白いですね」

どんな人に来てほしいですか?と尋ねると、技術よりも経験よりも、大切なことがあるという。

「海が好きじゃないとだめですね。その気持ちさえあれば、絶対にできると思うよ。あとは健康にさえ気を付けていれば大丈夫」

まさに北川さんのような人。人の力が及ばない自然を相手にする仕事だからこそ、海への尊敬や愛が必要なのだと思います。



「やってみて、だめならだめでいいやないかい。やってみんことには、前が見えんもん。いやだと思ったら帰ってもいいから。来る人は迎えてこそやと俺は思うよ」

munakata06 新しく海女になる人にとって、海には北川さんのほかにも心強い味方がいます。

鐘崎の磯漁の世話人、石橋さんです。

その日漁をするかどうか天候から判断したり、禁漁期間を決めたり。世話人として、磯で働く人たちをとりまとめている。

「昔は磯襦袢といってね、薄着で海に入りよるから身体が冷えて、ものの20分か30分で海から上がってきよった。浜で焚き木をして、身体を温めてそれでまた潜りにいくという繰り返しだったね」

munakata07 当時に比べて、海女さんを取り巻く環境も大きく変わった。

磯襦袢に代わってウエットスーツが登場したことで、何時間でも潜っていられるようになり、男性の海女(海士)も増えた。

一方で、海水温の上昇による藻場の減少や増え続ける乱獲・密漁など、ほかの地域同様、宗像の海も問題を抱えている。

「これから海女さんになってもらうにも、海の資源には限りがあるきに。なんでもかんでもできるわけやない。だからこそ俺たちがしっかり磯のもんに声をかけて話をしないとと思ってね」

「俺は鐘崎の利益になるなら、それが一番いいと思ってる。後世の人のために、海女さんは絶やさんようにしていくのが一番いいっちゃね」

石橋さんは、新しく海女さんになる人が住む場所や、具体的な練習場所なども考えはじめているという。

「お宮さん(織幡神社)の前とか、そこまで深くないし練習にはいいんじゃないかと思うんだ。アパートも新しい人のために空けとかんといかんね」

munakata08 さらに、日本では漁業権が法律で定められており、各地の漁業協同組合が管理している。協力隊として活動している間は気にしなくてもいいけれど、その後も海女として働く場合は審査を受け、漁業権を取得する必要がある。

漁業権取得には、地域の信頼が第一。そんなときにも、石橋さんのような人の存在はとても頼もしいし、地域にも溶け込みやすくなるんじゃないかな。



まずは協力隊として役場に籍を置き、働くことになる今回の募集。上司となる役場の人はどんなふうに考えているんだろう。

水産振興課の宮野さんにもお話を伺います。

munakata09 「海女漁だけで生計を立てるのは、現在の状況では難しいと市もわかっています。だから海女漁を経験してもらいながら、3年の間で自立できるよう支援していきたいと思っているんです」

海女さんを続けたくても、生業となる仕事がないと定住は難しい。

市は、海藻の成育を促す石を海に入れたり、アワビの稚貝放流や生態系のバランスを保つために増えすぎたウニを駆除する取り組みを支援している。そのほか漁協とも協力して密漁の監視をするなど、海の環境を守り、海女漁が続けられる仕組みづくりを進めている。

現在は水産物の販売促進、消費拡大も図っているところ。新しく入る人には、水産物の価値を高めることや加工品の商品開発にも参加してほしい。

たとえば実際に潜ったエピソードを付加価値として、自分たちが採ったものを直接発信していくことで、市場での取引価格を上げられるかもしれない。そうすれば、漁師さんたちの収入も自ずと上がっていく。

いろいろな経験をしてもらいながら、自立の方策を一緒に探っていくつもりだ。

市、漁師、漁協と、協力隊。すべてが一体となって、みんなが気持ち良く共存できるよう考えている。

「きちんと食べていければ、絶対に続くと思うんですよね。その環境をしっかりつくっていこうと思います」



今回の募集に先行して、宗像市には“おさかな大使”として今年の2月から協力隊が着任している。

主なミッションは、鐘崎にある漁協直営の魚の加工・販売所「鐘の岬活魚センター」での水産物の6次産業化や販売促進。

きっと海女になる人とも関わる機会が多いとのことなので、協力隊の綿井さんを訪ねて活魚センターにも行ってきました。

munakata10 前職は横浜で探偵をしていたという、少し変わった経歴の持ち主。

なぜ宗像にやってきたのでしょう?

「もともと僕は福岡市が地元で。嫁さんも同じ九州の出身なので、いつかこっちに帰りたいねと家を探していたんです。そのときに、たまたま募集を見かけて半分遊び心で応募したら、採用になって」

「この地域や仕事に特別思い入れがあったわけじゃないけど、まずは市が面倒を見てくれるということもあって、Iターンのきっかけに利用させてもらったような感じです」

現在は販売先の「道の駅むなかた」の在庫や売り上げの管理や加工所の衛生管理のマニュアルづくりほか、市内外で行われるイベントへの出店も担当している。

munakata11 これまで知らなかった宗像という地域に移住してみて、ギャップを感じたことはなかったですか?

「ギャップかぁ…漁師は言葉遣いが荒いとか事前に聞いていたんですけど、全然そんなことなかったですね。もちろんなんでもすぐに自分の意見が通るわけじゃないですよ。それは他の仕事もそうだろうけど、一緒に働くことで信頼関係はできてくると思います」

都会での生活を振り返ると、人との関わり方が大きく変わっているという綿井さん。

「僕、プライベートの知り合いとか、向こうに10年いたけどあんまりいなかったんです。みんな家も遠いし、仕事帰りに飲むにも終電までだし。こっちに来てからのほうが楽しいですよ。市役所のサッカー部にも入って、現在2試合連続得点中です(笑)」

munakata12 しゃべる機会が増えて、自然と性格も明るくなってきたそう。ここでの生活を無理なく楽しんでいる様子がうかがえる。

「僕は来たばかりの頃、『もっとゆっくりやりな、焦らなくていいよ』って言われました。立ち話をしてても、誰かの目線を気にすることもない。都会で息苦しさみたいなものを感じている人には、心のリフレッシュにもなっていいと思いますよ」



今回の募集は、ただ廃れゆく海女さんの数を増やすことだけが目的ではありません。

地域に根をはり、地元の人たちと喜びや苦労も分かち合ってこそ、本当の“海女”になるのだと思います。

楽しいことばかりではないでしょうけど、こんな経験、きっとなかなかできないですよ。

(2017/10/20 並木仁美)