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子どもって、不思議です。たとえ言葉が伝わらなくても、こちらが笑っていると笑顔で返してくれるし、不安なときは同じように表情が曇る。
私たち大人の働きかけ一つで、どんな表情も見せてくれる存在だと思います。
鹿児島県・日置市にある朝日ヶ丘学園。
同じ敷地内にある朝日ヶ丘ジュニア保育園では0歳児から2歳児が、朝日ヶ丘幼稚園では満3歳児から5歳児が過ごしています。
今回は、保育園と幼稚園、それぞれの園で先生を募集します。
資格はあるのが望ましいけど、なくても大丈夫とのこと。働きながら取得を目指すこともできます。
子どもたちの健やかな表情のために、自分たちができることはなんだろう。ここで働く人たちは、そんな問いに前向きに取り組んでいました。
日置市へは、鹿児島中央駅から電車に乗って20分ほど。
園に到着したのは、朝9時前。12月の鹿児島にも冬が訪れていて、この日はコートが手放せない寒さだった。
身を縮めながら門をくぐると、子どもたちの歓声がわっと聞こえてきた。
寒さなんて、なんのその。
広い園庭を笑いながら駆け回る子もいれば、砂場でお城をつくる子もいる。一人ひとりが元気いっぱいだ。
すると、園庭の一角でひときわ明るい歓声があがった。振り向くと、子どもたちに囲まれた一人の男性の姿が見える。
子どもたちの「えんちょうせんせ! はやくあそぼう!」という声。
どうやらこの方が園長の池田さんのようだ。
子どもたちと同じ目線になって会話し、ときには抱きかかえてじゃれあう。
そんな姿が印象的な池田さんは、もともと幼稚園の先生でもあった方。
池田さんの隣に腰を下ろして、子どもたちの様子を眺めながら話を聞くことに。
朝日ヶ丘学園は、池田さんのお祖父さまとお祖母さまが設立した学校法人。幼稚園は1970年の設立以来、およそ4500人の子どもたちの成長を見守ってきた。
「ちょうど僕が大学生のころ、いまの朝日ヶ丘幼稚園の原型ができました。ならば自分も幼稚園の先生になってみようと思ったのが、幼児教育の道へ進んだきっかけです」
今でこそ浸透しはじめているけれど、当時は男性教諭がほとんどいない時代。それでも、池田さんにためらいの気持ちはまったくなかったという。
「就職を考えたとき、幼稚園の先生はいちばん光って見えたんです。子どもの表情って、鏡なんですよ」
鏡、ですか。
「そう。良い保育ができた日の子どもの表情はパッと明るい。反対に、自信のない保育をした日には沈んだ表情になる。日々、いろんな表情を見せてくれるんです。子どもたちの満足した表情を見るために試行錯誤する仕事は、僕にはとても魅力的でした」
卒業後、関東の幼稚園で数年働いたのち、朝日ヶ丘幼稚園へ就職。
クラス担任として、子どもたちと一緒にサッカーをしたり、歌を歌ったり。責任は重かったけれど、そんな日々が何よりも楽しかった。
一方で、働きはじめてから見えてきたこともある。
「ほかの園で、嫌がる子どもを無理やりステージに立たせたり、楽器がうまく吹けない子どもは合奏隊から外させる、という話を聞いたんです。衝撃的でした。なんて理不尽なんだろう、大人の都合ばかりで子どもたちが楽しめていないじゃないか、って」
今でも、そんな光景は珍しくないのかもしれない。池田さんはそういったことを見聞きするたびに、自分たち大人が子どもたちのためにできることは何だろうかと、問いを繰り返すようになる。
その先でたどり着いたのが、『子どもが主人公』という考えだった。
「大人が無理強いしては、可能性の芽を潰してしまう。そうではなく、子どもたちが自然と興味を持てるような経験を用意して、少しでも可能性を広げてあげたい、そんな教育を届けたいと思うようになりました」
2007年には園長となって、理想の場をつくりあげていった池田さん。
まずは、組織から見直した。それまでのトップダウン式から、先生たち一人ひとりの意見を聞いて保育に反映するように。
これまで行われていた教育内容への取り組み方も少しずつ変えていく。
つくっておしまいだった紙工作は、家でも親子で繰り返し遊べるよう、立体工作に変更した。外遊びのための遊具も増やし、より自然と触れ合えるようにもなった。
新たにICT教育も導入した。音や色といった五感も存分に使って楽しめるよう、お絵描きや工作にiPadを採用したほか、園児の新たな友人としてPepperも招いた。
園を離れていても、気づけば『これを子どもたちにしてあげたらどうだろう』と考えていると目を細める池田さん。
その視線は、子どもだけでなく先生たちにも注がれている。
「園は、園長の僕だけのものではありません。先生たちと一緒になってつくりあげていくものです。子どもたちと同じように先生を大切にできなくては、決していい園とは言えないと思う。僕は、いつか園を去っても、また戻ってこられるような、そんな子どもと先生の居場所をつくりたいのかもしれないですね」
園舎に入ると、由香先生が迎えてくれた。
主任補佐として園をまとめながら、満3歳児のクラスを担任している先生だ。
由香先生は、朝日ヶ丘幼稚園に“戻ってきた”一人。
「実は、主人の転勤を機に退職してから、一度OLになったんです。炎天下でも外を全速力で走って、冬でも泥お団子をつくる幼稚園から離れて、落ち着いた仕事をしてみたくて(笑)」
はじめて経験する事務仕事は新鮮で楽しかった。でも、次第に物足りなさを感じるようになる。
「仕事は楽だったけれど、どこか満たされなかった。私にとっては、やりがいが足りなかったんです。だんだんと、汗まみれになりながら子どもたちと笑いあう日々が恋しくなっていって」
そうして他園を経て、鹿児島に戻ってきたタイミングで朝日ヶ丘幼稚園に復職。
多くの選択肢がある中、もう一度この園を選んだのはどうしてだろう。
「他園も経験して、朝日ヶ丘の前向きな力に改めて気づいたんです。子どもが主人公、という軸は決してぶらさず、新しいことに挑戦できる。ここは私が貪欲でいられる場所、というか」
貪欲でいられる場所。
「そう。子どもたちの『やりたい』という気持ちと、周りの先生たちの『やってみよう』という気持ちが自然と重なっていく。気づけば朝日ヶ丘を選んでいました」
園をまとめていく上で大切にしているのは、先生同士の繋がり。そのため教育内容も、先生たちが一丸となってつくりあげていく。
たとえば、年長組が披露するマーチング。年少組のころから練習を重ね、楽器を演奏しながらフラッグを振ったり隊列を組んだりと、幼稚園の集大成でもある。
恒例行事といえど、その年の子どもたちの色によって、得意な曲や演技が変わってくる。そのため、過去に受け持った先生同士が学年の枠を超えて話し合い、構成を決めていくのだそう。
毎年同じプログラムを繰り返すことに比べると、とても手間がかかることでもある。
「今よりも、もっといいものをつくりたいんです。子どもたちの顔を思い浮かべたら、やっぱりその学年にぴったりなものをつくってあげたいし、いい表情を引き出してあげたい」
今年は、初めてドラムマーチにも挑戦。幼稚園児にはハードにも思えたけれど、子どもたちも「絶対にやりたい」と目を輝かせ練習に取り組んだ。
先生たちも、プロのミュージカルなどを参考にしながら、音響から楽器指導まで手探りでつくりあげていった。迎えた本番は、ここ数年で一番の出来栄えだと評判だったという。
「私は、もう毎日が全力投球なんです。この園には『この程度でいいや』という気持ちがない。だからこそ、私はここが大好きなんだと思います」
続いて話を聞いたのは、年長組の担任の智帆美先生。今年の春、先生になったばかりだ。
小さなころからずっと、幼稚園の先生が夢だった。
朝日ヶ丘幼稚園を選んだのは、どういう理由だったのだろう。
「実習で、先生たちの雰囲気で園はガラリと変わると身をもって体感して。子どもはどこの園でも可愛いからこそ、先生たちの雰囲気で園選びをしようと決めました」
はじめて朝日ヶ丘幼稚園を訪れた日は、ちょうど十五夜行事の日だった。
「子どもたちと先生の綱引きを見ていたら『智帆美さんも!』と声をかけてくれて…。先生たちも大人気なくて、子ども相手に全力なんです(笑)すぐに、ここで働きたいと思いました」
縁はつながり、無事に就職。ところが、担任発表の日に告げられたのは、なんと年長組だった。
一般的に、年長組は経験の豊富な先生が任されることが多い。ちほみ先生の可能性を買っての抜擢だったものの、当初は不安でたまらなかったという。
「思わず家族に泣きながら電話をして(笑)けれど子どもたちには、そんなことは関係ありません。どんなに格好悪くても、がむしゃらにやるしかないと思って」
まずは先輩たちの一挙手一投足を観察し、自分のクラスに持ち帰る。わからないことがあればすぐに相談に乗ってもらった。
少しずつ経験を積んで来た今でも、もどかしさを感じることはあるという。
「正解のない仕事です。子どもたちが帰ってからも、次の日の用意やお便りづくり、イベント準備など仕事量も多い。子どもたちにうまく伝えられないときには、申し訳ない気持ちでいっぱいになります」
「それでも、子どもたちの笑顔を見れば頑張れるし、ここには失敗も笑い飛ばしてくれる仲間がいる。私は幼稚園の先生になって、やっぱり大正解でした」
最後に話を聞いたのは、保育園で2歳児を担任する綺良々(きらら)先生。柔らかな雰囲気を纏った先生だ。
そんな綺良々先生には、忘れられない園児がいるという。
「とびきり人見知りの子がいたんです。入園式でも泣き叫んで、ほかの子が園に慣れてきても一人泣きながら登園して。ご飯もおやつも食べず、お昼寝もしない」
綺良々先生も困り果て、一緒に泣きたくなることもあったそう。
「私はこの子に何をしてあげられるんだろうって。先生や親御さんにも助けてもらいながら、自分ができることを必死で探しました」
隣で語りかけ、手を繋ぎ、「大丈夫だよ」と同じ目線で語りかける毎日。おしゃぶりが好きと聞いたら早速取り入れ、寝付くまで背中を撫でてやった。
3ヶ月ほど経ち、少しずつご飯を食べ、お昼寝もできるようになった。現在では、毎日笑い声をあげながら園庭を走り回っているという。
子どもが可愛い、という気持ちだけでは務まらない仕事だと思う。綺良々先生の原動力は、なんだったんだろう。
「私たちは、ご両親より長い時間を子どもと過ごします。本当は、大好きなお父さんお母さんと過ごしたいのかなとも思う。だからこそ、私たちの隣にいるときは、子どもには笑顔でいてほしい。そのためなら何でもできるんです」
最後に、主任の玲子先生がこんなことを話してくれました。
「先生たちの得意なところは思いきり伸ばしてあげたいし、弱点は皆でカバーしてあげたい。新しく来てくださる方にも楽しく働いてほしいから、もし困ったことがあればどんなことでも相談してほしいです。どうか安心して来てくださいね」
決まった答えはない仕事です。多くの子どもたち一人ひとりに真剣で向き合うからこそ、仕事量も多い。
それでも、どの先生も「子どもたちを笑顔にしたい」と笑って話してくれた。その姿が胸に残っています。
ここでは、子どもも先生も健やかな表情をしていました。
(2017/12/5 取材 遠藤真利奈)