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カタンコトン

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今、着ている服も、糸をつくり、色を染め、布を織るというように、いろいろな工程が積み重なってできている。

頭で考えればわかることも、実感は薄いものかもしれない。

「20もの工程を自分で手がけて、紬をつくる。それぞれの段階で100%自分を満足させるのは難しいかもしれません。でも、一つひとつの積み重ねが、どこにもないたった一つのものをつくっていくんです」

山梨県・富士河口湖町には、「大石紬」という江戸時代から伝わる手織り紬があります。

山畑で桑を育て、蚕を飼育し繭をつくる。繭から糸を取り、身近な自然から採取した草木で糸を染め、紬を織る。

ここだからこそできるものづくりが、人々の生活から生まれ、守られてきました。

けれど、現在では織り手が高齢となり後継者もいないため、受け継がれてきた営みが途絶えてしまうかもしれない状況になっています。

そこで今回は、大石紬を未来につないでいく地域おこし協力隊を募集します。具体的には、原料となる繭をつくるために養蚕を担う人と、技術を継承し機織りする人の二役。

積み重ねた時間が、大石紬の未来を紡いでいく。そんな仕事になると思います。

 

新宿から特急列車に乗り、大月駅で富士急行線に乗り換える。列車に揺られていると、だんだん富士山が近づいてくる。

河口湖駅に到着すると、大きな荷物を抱えた観光客で賑わっていた。特に海外の方が多い。

駅から大石紬伝統工芸館までは車で15分ほど。

工芸館の目の前には、富士山と河口湖の雄大な景色が広がる。

このあたりは、湖の北岸に位置する大石地区。江戸時代のはじめ、地域の人々は豪雨による冠水被害を避けるために、山裾に畑つくって農業を営むようになった。そこで桑を植え、養蚕が広まった。

春・夏・秋の年に3回養蚕を行い、繭を売る。これが農家の主な収入になっていったそう。

工芸館で迎えてくれたのが、館長の広瀬さん。これからやって来る人の世話人として協力してくれる方でもある。

さっそく、大石紬について話を伺う。

「お蚕さんがつくる繭には、本繭と玉繭と呼ばれる2種類があります。本繭というのは1匹の蚕がつくった正常な繭で、ハレの日に着る着物に使われるような、光沢のある糸がとれます」

「一方、玉繭は、オスメス2匹の蚕がつくる変形したものです。玉繭からとる糸には、2匹の蚕が吐いた糸が重なって、節と呼ばれるプチプチとしたこぶのようなものが見られます。このこぶがあるからこそ、紬の風合いが生まれるんです」

大石紬は、経糸には本繭の糸を、緯糸には玉繭の糸を使い、織りなすことでできあがる。

どうやって糸はつくるのだろう。

最初の工程となるのが、座繰り(ざぐり)製糸というもの。繭を鍋で煮てほぐし、手で糸をとり出していく。

「お蚕さんは、3〜4日かけて口から糸を吐いて繭をつくります。一本一本の糸は、まるで蜘蛛の糸のように細いんです。繭一つをほどいていくと、1.5kmくらいあるんですよ」

その細い糸をとり出し、3本を合わせて1本にして、さらにそれを3本より合わせていく。そうしてやっと織糸ができる。

まだこの状態だと、セリシンという成分によって織糸が硬くなっているため、糸を洗う。そうすると、絹の風合いが出て柔らかくなる。

次に、織糸を染色していく。

「基本は草木染ですね。このあたりは一歩外に出れば自然がたくさんありますから。よもぎやクルミの葉っぱ、梅や桜の木をチップにして染めたものとか、いろんな種類ができます。こちらは、茜草という植物の根っこを使って染めたものです」

「自然なものって手間はかかるけれども、焙煎や煮出す具合でまた色が違ってきたりして。繊細な色合いが出せるんです。いろいろ試してみるのも面白いと思います」

染色からまたいくつかの工程を経て、今度は縞割(しまわり)と言って、デザインを決める作業がある。

デザインが決まったら、機を織っていく。

ここで、館内にある織り機を見せてもらう。明治時代の終わりごろから使われていたものだそう。

「経糸を1本ごとに上下させる仕掛けの部分を、綜絖(そうこう)と呼びます。足元のペダルのような装置を踏むと、経糸が上下2組に分かれるので、その間に緯糸を通していく。そうして筬(おさ)という櫛のような道具で、通した緯糸をコンコンと押してあげます」

筬には経糸1本1本が通されていて、それを手作業でするというから、思わずため息が漏れそうになる。

顔を近づけてよく見てみると、木製の機織り機にたくさんの細い線が刻まれている。

「すごいでしょ。あんなに細い糸が、長い間使っていくと木も削っていくんです。びっくりしますよね」

工程や道具について、噛みくだいて話してくれる広瀬さんの言葉の端々からは、仕事に対する愛情が感じられる。

それはきっと知識だけでなく、広瀬さん自身が実際に大石紬をつくってきたから。



広瀬さんが伝統工芸館で働きはじめたのは、今から28年前のこと。

「ただ、私は機織りなんてやったことがないし、繭も臭いし…と思っていて。はじめは店番と掃除だけすればいいという条件で入りました」

「でも、そうじゃないんですよね、それが。やっぱり惹かれていくんです」

当時は工芸館のなかで、地域のおばあちゃんたちが機織りをしていたそう。

広瀬さんは仕事を終えて手が空いたときに、おばちゃんたちが作業しているところを覗いてみるようになった。

おばあちゃんたちに声をかけられ、はじめてみたのが最初のきっかけ。

「織ることから教わりはじめて、表面的なことだけわかればいいやと思っていたんですけど。おばあちゃんたちのあとについて教わってみると、だんだん自分で考えてつくりたいと思うようになって」

そのためには、どういう成り立ちでできているのかを知らないと難しい。

機織り機のこと、糸のつくり方、どうすれば思い描く柄にできるのか。自分で理解するために、身体を動かしていった。

「そうやって一つひとつ覚えていくうちに、自分なりにアレンジできるポイントがあるということもわかったんです」

たとえば草木染めをするとき、ひとつの植物から染めるのが基本だけど、2種類の植物を使って染めてみる。

ベースの1色に淡い色をかけると、思いもよらなかった色合いになることもあるんだそう。発見を得ながら、自分なりの色が出せるようになっていくんだと、広瀬さん。

「デザインを決める縞割の工程では、何色の糸を何本組み合わせていくか決めて設計図を描いていきます。頭がこんがらがりそうになるんだけど、どんな縞にしようとか、無地でも裾に柄を入れてみようかなとか考えてね。一度マスターしちゃうと、それが面白い」

複雑な工程を経て、やっと生地を織っていく。

地道な仕事だけど、思い描くかたちにできあがるかどうか、早くできあがりが見たくて、広瀬さんは無心で織っていたとか。

「そうやって、自分でも不思議なくらいのめり込んでいきました。何が醍醐味かなと考えると、やっぱり自分だけのものをつくることができることでしょうね」

自分だけのもの。

「基本を身につけたうえで、できることが増えていくと、すごく幅が広がっていくんです。着物だけじゃなく、ネクタイやショール、洋服地だって織れるんですよ?」

「いろんな表情のものを自由につくっていける。それが楽しくて」

ただ、糸をつむぐところから織り上げるまでいくつもの工程を手仕事で行っていくからこそ、手間がかかるもの。

紬づくりだけに専念した場合でも、着物1着ができあがるまでには、最短でも1ヶ月半から2ヶ月はかかるという。

広瀬さんは一連の仕事を覚えるまでに、3年間を費やした。さらに10年かけて、ようやく、自分なりのものをつくれるようになった。

手間と時間をかけて大石紬を織っていても、その仕事だけで生活していけるわけではない。それが、後継者の育成に結びついていかない理由の一つにあるという。

「今、大石紬を織ってきたおばあちゃんたちは、もう80歳90歳になっていて。自分で織ることは難しいし、お弟子さんもとれないと言うんです。このままだと織り手が一人もいなくなってしまう」

「今はかろうじて、おばあちゃんたちがつくっている『美顔パフ』という美容品が売れているから、工芸館での商売が成り立っています。でも、これは横道です。素材は同じ絹でもまっすぐな道じゃない。まっすぐなものをつくりたいんです」

まっすぐなもの。

「つまり、大石紬と言えるものをつくっていきたい」

 

そのために欠かせないのが、繭をつくる蚕。

4月に桑畑の整備をはじめ、養蚕を行うのは6月の1ヶ月間。

「それほど複雑な工程は踏まないのですが、相手は生きものだから、よく見てあげないといけません。お腹を空かせていたら桑の葉をたくさんあげて、お腹いっぱいになって動かなくなったら、そっと寝かせてあげる」

「エサとなる桑の葉も、濡れたものは病気になるからあげてはいけないんです。雨が降りそうだなと思ったら、翌日の分は早めにとって乾燥させておく。機転を利かせること、目や勘を働かせて見極めることが大事です」

11月までは畑の草取りや剪定作業などをして、次の季節に向けた支度を3月からはじめる。その間3ヶ月くらいは養蚕の勉強をしたり、新しい事業のアイデアを練る時間に充ててほしいという。

「今、日本の繭はとても貴重なんです。そこで、たとえば繭を工芸館に卸してもらって、糸にしたものを販売もできます。編み物をする方や織りをする方で、本物のメイドインジャパンの糸を求めて訪れる人もいるんです」

「もちろん、個人だと大量の繭がとれるわけではないので、その商売だけでは難しいです。たとえば、繭を飼育しているところを見学していただくことが仕事になるかもしれません」

また、近くの小学校では子どもたちが養蚕の勉強をしているので、出張授業のようなつながり方もあるかもしれないと、広瀬さんは話す。

 

養蚕の仕事をするなら、講師の先生が来てサポートしてくれます。機織りは、地元のおばあちゃんたちが先生です。

「2つの職種とも、経験ゼロの方にも飛び込んでほしいです。私自身がそうだったので。やりたい!という思いの強い人にとっては、いいチャンスだと思います」

町としても販路を拡大していくために必要な相談などにも乗ってくれるそう。きっと広瀬さんも話を聞いてくれるはず。

一つひとつ手間はかかるし、ひたすら同じことを繰り返して覚えていく仕事も多いはず。

地道な積み重ねが求められる3年間かもしれません。

でも、それがきっと未来につながっていくと思います。

(2017/12/14 取材 後藤響子)

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