※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
「商品ってね、ものありきではなくて、背景やストーリーがあるんですよ。僕はそういったことをちゃんと伝えて、もっとたくさんの人に知ってもらいたいなって思っているんです」これは能作代表の能作克治さんの言葉です。
どんなにいいものをつくっても、きちんと説明できなければその良さは伝わらないし、お客さんの声を聞かなければ、次第に世の中から求められるものから遠い存在になっていってしまうかもしれない。
富山県高岡市で鋳物をつくる能作には、お店の存在が欠かせません。
今回は、東京にある3つの直営店それぞれで働く人を募集します。
能作は富山県高岡市に本社工場を持ち、全国に12店舗の直営店を運営している。
この日は、丸の内のパレスホテル東京の地下1階にあるお店を訪ねた。
商品が一つひとつ丁寧に並べられていて、ギャラリーやショールームに近いものを感じる。訪れた人がゆっくりと商品を眺められるように、こうしたお店のつくりにしているそうだ。
奥にあるテーブルで、最初に代表の能作さんに話を伺った。
「高岡は金沢とは違って武家屋敷がないんですね。その昔、江戸時代に前田利家の息子の前田利長が高岡へ築城に来たわけだけど、徳川家康の一国一城令が出まして、結局城は未完のまま」
「高岡には産業がないということで、大阪から鋳物師を呼びまして特権階級を与えて根付かせたのが、高岡銅器のはじまりなんです」
高岡銅器は、熱で溶かした銅を型に流し込んで固める『鋳造』という方法でつくられる伝統工芸品。できあがったものはその後、研磨・着色・彫金などの加工が施され、製品として完成する。
能作は昔から続く高岡銅器の鋳造を担う職人集団だった。会社としては1916年に創業し、仏具や茶道具、花器を中心に鋳造し、問屋さんに卸していた。
代表の能作さんも、もともとは職人のひとりとして18年間鋳造技術を磨いていたという。
「今から30年前に、ひとつのきっかけがありまして。親子連れが工場へ見学に来たんです」
「その当時、工場見学は非常に珍しかったので、これは一生懸命やってみせようとしたら、そのお母さんが指差してこう言うんです。『よく見なさい。勉強しなかったらこんな仕事やることになるんだよ』って」
ええ!?鋳物は高岡の基幹産業なのに。
「でも、知らないからそんなこと言うんですよね。もちろんムカっとしたけど、そのころってバブルの真っ最中で、僕らの仕事は3Kのようなものとして見られていました。それを払拭するためにはみんなに知ってもらえたらいいっていう思いがずっとあったんです」
どれだけ技術に自信があっても、評価してくれるのは問屋さんだけ。
それならば自社商品を開発して一般のお客さんに知ってもらおうと、能作さんは真鍮のベルを自ら開発。東京の展示会に出展すると、有名インテリア雑貨店から扱いたいと連絡がやってきた。
「僕にとっては有頂天ですよ。でもね、まるっきり売れなかったんです。何でだろうって考えたら、もう当たり前の話で、日本にはベルを鳴らす習慣がないんですね(笑)」
「どうしたものかと思っていたら、そこの店員さんが、ベルの音がとてもきれいだから風鈴にしたらどうですか?と提案してくれて。今度は風鈴をつくってみたら、これが爆発的に売れたんですね」
このことで能作さんが感じたのは、つくり手があれこれ考えて商品開発するより、お店で販売している人やお客さんの声を活かしたほうがいいということ。
それ以来、“声”を生かした商品開発を進めてきた。
たとえば、いまや真鍮や青銅に代わって能作の主力となっている錫製品は、「食器を求めるお客様が多い」という店員さんの話をきっかけに、商品開発を進めていくことで生まれたものだ。
昨年からはじめた医療器具の開発も、展示会でお医者さんと出会ったことがきかっけだった。
「脳外科の先生がたまたま前を通られて『これ、面白いね』って言うんです。『何が面白いのですか?』って聞いたら、曲げても元の形に戻らないのがいいって。これを手術用器具に使えば形を自由に変えて使えるねってことで、脳ベラや開創器をつくったんですね」
医療器具の開発と販売は今後も力を入れ、事業の新たな柱になることを期待しているという。
たったひとつの声を拾い上げたことが、能作の可能性を広げている。
「人の声って大事なんですよ。それを無駄にしないように、ちゃんと受け止める。だから僕は『できない』って言葉が大嫌いです」
「できませんって言えば、それですべてが終わってしまう。たとえ無理そうでも、なんとかできないだろうかって思えば、できる方向に向かっていくわけですよね。それがすごく大事だと思っています」
聞くことと同じくらい“伝える”こともお店の大事な役割になる。
どんなにいいものでも、うまく紹介できなければ魅力は薄れてしまう。反対に、どこでどんなふうにつくられるのか、背景やストーリーと一緒に伝えることができれば、そのものの価値がきちんと伝わって手にとってくれる人がいる。
「人って背景を知っちゃうと、ほかの人に伝えたくなるんです。だから高岡のことも一緒に伝えるようにしています。それは地域のためでもあるんですよね」
「うちのような末端の下請け工場が新しいブランドを築いたので、能作ができるなら俺らもできるんじゃないかって、高岡のみんなは今すごく頑張っている。産地を盛り上げることもやってきたいと考えています」
そんな思いから、昨年には『産業観光』をコンセプトにした新社屋を高岡でオープンした。
地元食材を能作の器で楽しめるカフェや富山の観光情報を揃えた案内所、鋳造体験ができる工房などを備え、高岡の新たな観光名所になっている。
「この間、見学に来ていた小学生の女の子がうちで働きたいって言ってくれたんですよ。どうして?って聞いたら、職人さんがカッコよかったって」
この会社で働く人は、能作さんの思いに共感したり、つくる商品に魅せられて入った人が多いという。
ショップマネージャーの久保さんもそのひとり。
久保さんは以前、インテリアアートのお店で店長を務めていた。
「ここへ転職するときにいろんな会社を見ていましたけど、能作は会社や社長の考え方にまで共感できるのがいいなと思って。お給料も大事ですけど、それだけで仕事を選ぶのはもうしんどいなって思っていたんですね」
採用されるときには、売ることよりも能作や高岡を紹介するのがお店の仕事だと、先輩から教わったそう。
すぐに覚えられましたか?
「入社間もなく富山の工場を見学させてもらいまして。パートやアルバイトさんも分け隔てなく全員に見てもらうっていうのが社長の考えなんです。それで実際に行ってみると、映像で見ていたものとは全然違うんです」
「匂いがあって音があって。職人さんにも話を聞きました。『鋳造とは?』っていう説明的な話じゃなくて、そこで感じたことや聞いたことを接客でもお伝えするようにしたら、お客様がすごく喜んでくれるようになったんですね。自信もつくようになりました」
久保さんはよく富山県出身の人だとお客さんから勘違いされるのだという。
そう自然に思わせるほど、しっかり伝えられているのだと思う。
「各店舗でイベントを企画することもあるんです。ここのお店では以前、新しくできた社屋と直営店12店舗を紹介しようって、社屋の写真や各店舗の限定品を展示したりして」
「百貨店さんの中のお店だと決まりごとがあるのであまり自由にはできないかもしれないですけど、職人さんを呼んでワークショップを開いたり、いろいろ企画することができると思います」
日々の仕事は、接客やイベント企画のほかにも、もちろん細かいことがたくさんある。
商品一つひとつのディスプレイをきれいに見せたり、季節に合わせて花を飾ったり。そういった些細なところにも気を配り、むしろ楽しんでやってくれる人に来てほしいと、久保さんは話していた。
パートの宮脇さんは、まさにそんな人だと思う。
「これは私が好きな『そろり』という一輪挿しの花器です」
「職人さんがわざわざ細いラインを1ミリ以下の間隔でつけていて、これになんでもないお花を活けるだけですごく素敵になるんです」
「そういうのをお客様にお伝えすると、すごく納得されてお買い上げいただけます。たまに盛り上がって、お話が過ぎちゃうときもあるんですけどね」
宮脇さんはもともと能作のことを知っていて、お店で働くうちに商品のよさをさらに知っていったという。
「能作がつくるものって伝統工芸ですけど、すごく現代に通じているので、私もお金を出して買いたいと思えるんです。あ、これ欲しいわっていうものがたくさんあることは大切ですよね。自分が欲しくないものは人に勧められないですから」
パレスホテル東京店には、贈り物や結婚式の引き出物を選びにやってくるお客さんが多いそう。
友人にはどのくらいの予算でどんなものを贈ればいいのか、包みや熨斗はどんなふうにしたらいいのか。宮脇さんは人生経験をフルに生かしているそうだ。
「とくに結婚ってお客さまもはじめてでわからないことが多いものですから、決まりごともお教えしてご提案差し上げると、とても喜んでくださるんです」
「そうすると今度は、内祝いで贈るときもまた来てくださるんですよね。そういうのは私もうれしいです」
宮脇さんにどんな人に来て欲しいかと聞くと、コミュニケーションがしっかりできる人、という答えが返ってきた。
能作は急激に成長してきた会社なので、まだまだ社内の体制が追いついていないところがある。そこを批判するのではなく、どうすべきかをスタッフたちと一緒に考え、意見を出したり行動に移せる人に来てほしいという。
お店ではスタッフの方一人ひとりがお店をよくしようという気持ちを持っているのが印象的でした。
そうした人たちの存在が、能作のものづくりを支えているのだと思います。
(2018/1/29 取材 森田曜光)