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森林と生きる

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

森林を育て、田畑を耕す。

自然を守り、社会を支えてきた地方の営みが、高齢化や担い手不足をはじめとした様々な問題によって失われつつあります。

あと10年や20年もすれば消滅するといわれている地域もあるなか、日本はどうなっていくのか。自分はどんなふうに生きていけばいいのか。

未来のあり方のひとつを、北海道・下川町に見ました。

山に木を植え、育て、伐採し、また木を植える。

採った原木は町内で製材して、使えない端材や残材は木炭にして販売したり、木質バイオマスエネルギーとして町の施設へ供給したり。

下川町は森林を余すところなく活用し、資源・お金・雇用が地域内で循環する『循環型森林経営』という取り組みを町ぐるみで行ってきました。

その取り組みは国からも認められ、2011年には「環境未来都市」として選定を受けました。森が国土面責の7割を占める日本で、森林を活用したまちづくりの先進地として全国から注目されています。

今回はここで、木炭の製造と販売を担う人を募集します。


旭川から電車で約1時間。名寄(なよろ)駅で車に乗り換え、15分ほどで下川町に到着する。

あたりは一面の銀世界。冬はマイナス30℃を下回ることもあるそう。

厳しい寒さのこの土地は東京23区とほぼ同じ広さで、そこに約3400人が暮らしている。中心に市街地が集約され、まわりのほとんどは森林だ。

下川町はその森林を活用し循環させる取り組みを、60年以上も前から行ってきた。

最初に話を伺ったのは、下川町森林組合組合長の阿部さん。

時折見せる屈託のない笑顔が素敵な阿部さん。生まれも育ちも下川町で、この町のことをよく知っている。

「下川は町の面積の9割近くが森林です。けど、そのほとんどが国有林なので、昔は価値のある広葉樹がたくさんあっても町が自由に使うことはできなかった。1953年には林業に本格的に力を入れるべく、山を町が使えるように国から払い下げたわけです」

当時の下川町の年間予算は1億2000万円ほど。山を購入するためにかけた金額は8800万円と、町をあげての一大決心だった。

「でも、その翌年にものすごく大きな台風があって、山の木がみんな倒されてしまった。それからどうするかって考えて、人工林を植えはじめたんです。しかもいっぺんに植えるんじゃなく、毎年50ヘクタールの土地に針葉樹を植えて60年育てる。下川は循環型森林経営というのをいち早く取り入れたわけです」

今でこそ「持続可能」や「地産地消」という言葉が謳われているが、そのころ日本は戦後復興の時代。今日より明日のためにと日本中の山で木が次々と伐採されていくなか、当時から下川町はもっと先のことを見据えていた。

「それで1981年に、こんどはカラマツっていう木が湿雪と強風で500ヘクタールくらい倒れてしまったんです。東京ドーム100個分くらいの面積ですよ。カラマツはまだ小さい木だったから製材にもならないし、どうするかって」

「そこで、先輩たちが考えたのが木炭だった。これが加工事業を展開するきっかけになったわけです」

だが、木炭づくりといえばカエデやナラといった広葉樹を使うのが一般的。

大学教授や専門家の協力を得ながらなんとかカラマツを使った製炭技術を確立し、工場を設立した。

「どうやって売るかってことにも苦労しました。焚き付けや網とセットで売ってみたり、炭の缶詰をつくってみたり。自分たちで商品開発から販路開拓までやっていました」

これをきっかけに、森林組合は木を余すところなく活用する『ゼロ・エミッション』のシステム化に取り組んでいった。

1本の木を製材にすると、体積の約3分の1が使われない部分になるという。また、曲がっていたり細すぎたりすると建材として使うことができなく、たくさんの無駄が生まれてしまう。

そこで森林組合では適した細い小径木や樹皮、加工の際にできるオガコを使って木炭や粉炭を製造している。

「炭は穴がたくさん空いてるものですから、土に混ぜると微生物のすみかになる。畑の土壌改良材として粉炭を使ったり、整腸作用を促すために家畜の餌に混ぜたりします。あと、炭は黒いですから雪の上に撒く融雪材としても使えます」

「それと木炭を焼いて出てくる煙を冷やすと、木酢液ができます。それに製材を漬けると防腐効果が高まるんですね。煙で木をいぶした燻煙材もつくっていて、付加価値をつけて製品づくりをしています」

木を育てるところからエネルギー自給まで。森林の恵みを余すところなく活用し、町で循環させる。

全国でも類を見ない下川町の取り組みは全国の自治体や国からも評価され、2011年には『環境未来都市』に選定された。

これを機に下川町は『森林未来都市しもかわ』を掲げ、過疎化の波を押しのけて持続可能な社会へ向けたまちづくりを進めている。

そんな下川町に惹かれて、最近は転出率を上回るほど移住者が増えているという。

「僕はいまの社会が決して日本人にとっていいと思ってないものでね。日本は物質的に豊かでも精神的には豊かだと思わないし、人間関係が非常に希薄になっている。先人たちのほうがお互いに支え合って気持ちの通じるような温かい生活をしている」

「それが人間の豊かさだと思うし、それはまだ日本の田舎にもある。私たちは山を管理する組織として、木のすべてを人間の生活に活かしていきたい。みんながそう考えているわけじゃないけど、僕にはそんな思いがあるんですよ」

当初は順調だった木炭の販売は、カセットコンロなどの台頭によって斜陽産業になっている。

今回募集する人には木炭の製造を担い、そして販売のことまで一緒に考えてほしい。

阿部さんは、木炭の製造をやめるという選択肢はないという。採算が合わないからと、やめることはしたくない。

「土に木炭を埋めて電磁波を調整したり、住宅の調湿材として使ったり。木炭っていろんな使い方ができるのさ。木炭には良い部分がたくさんあるので、いまの日本の社会の中に活かす方法はないかなと。けど、私たちだけでは頭脳が足りないわけさ。だから、そういうことをやる熱意のある人を全国から探したいんです」

自分は昨年の1年間で一体どれだけの木炭を消費しただろう。そう考えると、木炭の販売を増やすということが一筋縄ではないのが分かる。

けど一方で、世の中がだんだんと阿部さんの考えや下川町の目指すものに共感しはじめているような気もする。

「道のりは困難でしょう。それでも目標を持って生きていける人が下川町にもっと来てくれたら。若くて夢のある人だといいなあ」


現在、木炭づくりを担当しているのはただひとり。

入社2年目になる石原さんに工場へ連れて行ってもらい、話を伺った。

大きなカマドの中には木材が隙間なく積まれたトロッコが丸ごと入っている。

「私も最初にここへ来たときびっくりしたんですけど(笑)ひとつのトロッコに6cmから10cmのカラマツが500本くらい。これが木炭をつくりはじめる前の段階ですね」

トロッコをカマドの中に収めたら、ふたをして、ストーブを入り口につける。切れ端材を使ってストーブに火をつけ、カラマツに着火するまで木をくべる。

「暖炉に薪をくべるような感じ。だから自動着火とかじゃないんですよ。すべてが手作業。いつも朝8時から火つけ作業して、カラマツにちゃんと火がつくのは17 時とか」

「そのあとはカマドの上にある煙筒を開け閉めして温度調節をする。ここが一番の勝負所ですね。カマドは4つあってそれぞれに温度の上がり方は違うし、その日の気温とか原木の質や状態でも変わるんです」

木炭ができあがるまでにかかる日数は、なんと1週間。

工場自体は24時間体制のため交代してくれる人はいるものの、温度を安定させるまでは現場を離れることはできないそう。

「木炭を焼いたあとは、製品に合わせて炭を切って重さを量ったり、袋詰めしたりする作業があります。工場に手伝ってくれる人はいますけど、基本的にはすべて自分ひとりでやっているので、その作業だけでも1ヶ月があっという間に過ぎますね」

「ただ、やりがいはありますよ。全部やるのは自分ですから」

石原さんは以前、道内で製材の販売に携わる仕事をしていたそう。

道内のいろんな森林組合を訪ねることもあり、木材のことなら何でも知っていた。けれど、炭づくりに関しては0からのスタートだった。

「意外と大変でしたね。たとえば急にカマドの温度が上がることがあるんです。理由を考えると、カラマツの含水率が高かったからなのかなって。毎回やって覚えていくしかないというか」

「力はいらないけど、耳の中まで真っ黒になったりとか大変な作業ではあるんですよ。温度が安定するまで時間がかかれば、正直寝れないことだってあるし。でも、私にできたんだからみんなできると思います(笑)。そこまで職人的な技術が必要ってこともなくて、女性でも大丈夫です」

石原さんのつくる木炭の多くは商社や道内の量販店に販売している。重さや用途に分けて切った木炭を袋詰めして販売しているのみで、安価な輸入ものに押されている状況だという。

「うちの炭のいいところは、何と言っても自分たちで木を育てる所からやっているので安心安全。それと、着火が早いんです。いい炭って火力が強くて火持ちもいいけど、ただ扇ぐだけじゃなかなか火がつかない。うちのは使いやすいんですよ。ただ、結構はじくので、屋内では使いにくいのが難点ですね」

こうしたカラマツの木炭をどうすればより多くの人たちが買ってくれるのか。商品開発はもちろん利用シーンの提案や新しい販路の開拓など、やるべきことはたくさんある。

木炭をつくる。その作業自体は正直とても地味なもの。

だけど、日本が目指す未来のモデルとなり得る下川町の大切な一翼を担う仕事だと思います。

下川町の町を歩くと、遠い地方の地域とは思えないほど新鮮な空気が流れているのを感じました。移住者が多く、魅力的な活動をしている若い人たちがいるからなのかもしれません。

そんな下川町の人たちが2/11(日)に清澄白河・リトルトーキョーで「森となりわいを創るナイト」を開催します。

地元出身の役場の人や東京から移り住んで下川町の魅力を発信している人など。面白人たちがたくさんやって来るので、もっと詳しく話を聞いてみたいと思った方はぜひ遊びに来てください。

(2018/1/16 取材 森田曜光)

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