なぜ東京仕事百貨をはじめたの?
東京仕事百貨の中村 健太が高校生のとき。
高校では将来の自分について考えるワークショップを行う合宿が行われていた。とてもよい経験だったけれど、先生たちは「こんな仕事に就きたい」→「それにはこういう大学に進学しなければ」→「そのためには勉強しよう」というようにして、僕たちを勉強させるのが目的だったのだと思う。
僕はプロジェクトをつくったり、みんなが(そして自分も)楽しんでいる状況をつくりたいと思っていた。でも果たしてそれを実現するにはどんなことを勉強したらよいのだろう?
物理学科よ りも情報学科よりも、建築学科が一番それっぽいという単純な理由で、明治大学建築学科に入学し意匠を専攻する。大学の3年生までは楽しく設計の授業を受けていた。
けれどプロジェクトをつくりたいと思っていたのに、建築はすでに決まった方針の中でデザインするだけのことが多いと感じた。デザインすること自体はとても楽しかったのだけれど、もっと状況というか現象というか、アクティビティをデザインしたかった。
一方でプロジェクト全体を考えるのは楽しかった。
とある製氷所のリノベーションプロジェクトでは、デザインよりもプロジェクト全体を考えてばかりいた。どんなレストランを入れよう?ここでコミュニティはつくれないか?街の人にも利用してもらいたいな。どうすればこのプロジェクトを進めることができるのだろうか?
設計の仕事じゃないように感じたし、プロジェクトマネジメントをするとしても自分には足りたいことだらけだ。そこで就職ではプロジェクトの川上に行こうと決意。金融+不動産というような仕事を探して、いろいろな人の話を聞いてみると、みんなザイマックスという会社が良いとアドバイスしてくれる。まったく聞いたことのない会社だったけれど、説明会などに行ってピンと来るものがあったので株式会社ザイマックスに入社する。当時、ザイマックスはリクルートからMBOしたばかりの新しい会社だった。リクルート的な自由な空気の中で楽しく仕事をする。しかし半年おきに様々なプロジェクトに関わったが、やはり”器”を作るという意味では、建築と変わらないような気がしてきた。
そこでふと、自分が好きなバーに、なぜよく行くのか考えてみた。内装も好きだ。食事もお酒も美味しい。でも一番の理由はバーテンの彼に会いたかったから。プロジェクトに一番大切なのは人なのか!と思い、意義ある仕事を意思ある人に届けるため、東京仕事百貨を立ち上げる。
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