コラム

編集長になる

こんにちは。日本仕事百貨の中川晃輔です。

この度、日本仕事百貨の編集長になることになりました。

そこで今回は、普段書かない自分のことや、編集長になるまでの経緯について、少し書いてみようと思います。

もしよければ、お付き合いください。

新卒で入社して、もうすぐ3年が経ちます。学生インターン時代を含めると4年。たくさんの出会いがありました。

過去の出会いを振り返るたびに思うのは、世の中にはいろんな生き方働き方があるんだなあ、ということです。ごく当たり前のことかもしれませんが、毎回そこに行き着くんですよね。

たとえば、1日でたどり着けない人口およそ100人の島では、島内唯一の会社が運送やインフラ整備、フェリーの代理店業やゴミ収集などあらゆることを一手に担っている。はたまた、東京の自宅から埼玉の工場まで片道2時間の道のりを自転車で通い、世界中にファンのいる3種類の缶をひとりでつくり続けた人もいる。

同じ会社で働いている人たちも、そこに至る経緯は十人十色。ここには書ききれないほど、世の中にはまだ自分の知らないたくさんの仕事や人生があることを知った4年間でした。

この仕事をしていてよかったなと思うことが、いくつかあります。

そのひとつは、自分の知らないことや、自分とは違う考え・価値観に出会ったとき、拒まずにやさしく受け止められるということ。

代表のナカムラはよく「人生の多くを占める働く時間も、そうでない時間も、自分の時間でありたい」というふうに話していて、ぼくもその考えには大部分共感しています。

その一方で、“生きるように働く”ことがすべての人に合うわけでもないなと思うようになりました。実際、仕事とプライベートを明確に切り分けたほうが調子がいいという人もいるし、そもそも働くことの必然性から疑ってもいいのかもしれない。

正解はないから、どんな生き方や働き方も、あるがままに伝えることを大事にしたい。言い換えれば、“どんな人の人生も面白い”という価値観が日本仕事百貨の根底にはあります。

ぼくたちが唯一明確に示せるスタンスを言葉にするなら、「いろんな生き方働き方を、あるがままに伝えよう」ということだけだと、ぼくは考えています。

さて、そうは言うものの、何かをあるがままに伝えることはとても難しいです。

取材が一冊の本を読むような体験だとしたら、記事の作成・編集は、本から得た感覚や情報を一度目の前に置いて、物語を彫り出していくような感じ。話し手、聞き手、読み手の視点を行ったり来たり、ちょうどいいバランスを探るのですが、そこにも正解はありません。

正直に言えば、しんどくなるときもあります。一人ひとりに向き合うこともそうだし、その記事を読んだ誰かの人生に関わるのだと思うと、どうにも指や頭が動かなくなったりもする。やりがいや面白さも感じるだけに、自分の力不足がもどかしくなる瞬間も多々あります。

ちょっと長めのお休みをもらおう。そして1ヶ月ぐらい、どこかを旅しながら、じっくり自分だけと過ごす時間をとろう。

以前からぼんやりと思っていたことが、少しずつ固まってきたのは最近のことでした。

そんなある日のこと。

「中川くん、編集長やらない?」

代表のナカムラから、思ってもみなかった言葉を投げかけられました。

真っ先に思ったのは、うれしい!ということ。きっとこんな瞬間はめったにないだろうし、ぜひやりたい!というのが直感でした。

でも、ひと呼吸置いて、自分に務まるだろうか?と不安な気持ちが覆いかぶさってきました。第一、ちょうど休もうとしていたタイミング。そんな中途半端な状態の自分がやらせてもらってもいいのだろうか。

「興味はあります」とだけ応え、しばらく考える。こういうとき、ナカムラはだいたい、無邪気な顔をして相手の言葉を待っています。

オフィスの外を少し歩いて、近くのコーヒーショップへ。コーヒー片手に話は続きます。

「そもそも編集長って、何をする人なんでしょう」

日本仕事百貨は長い間、編集長を置かずに運営していました。ぼくが入社してからは、書き上げた記事をスタッフ同士で読み合ったり、定例のミーティングで意見交換をしたり、編集・ライティングについて考える会を自主的に開いたり。

入稿前の最終校正を行なっていたナカムラの役割は“編集長”に近いものだったのかもしれないけれど、それだけではないような気もします。

「なんだろうね。答えがあるわけじゃないから、編集長について考えるところから、みんなと一緒にやっていけばいいんじゃないかな」

そうか。そこからはじめてもいいのか。

「まずはやってみないとわからないよね」

それは、ナカムラがよく口にする言葉。そして、ぼくが苦手としていることでもありました。

「誰もやらないなら」と、後出しで学級委員長になったときのこと。

かっこつけて失敗したと思われるのが嫌で、バスケやサッカーのフェイントができなかったこと。

就職活動だってそう。ちょっとでも勇気を出して動けばいいのに、その一歩がなかなか踏み出せなかった。

些細なことばかりで、自分でも笑えてくるのですが、それほどまでに「まずやってみる」ことからは遠い人生を歩んできたなあと思うのです。

もちろん、時機を待つ忍耐力もその人の力ですし、やる前にじっくり考えるのは悪いことじゃない。日本仕事百貨を知ったのも、就職活動からすっかり遠ざかってしまって、友人とぼんやり将来の話をしていたときでした。

けれども今回の機会は、前のめりに取りにいきたいと思いました。自分から立候補したわけでもないので、受け身のスタートにはなりましたが、ここから“編集長”をつくっていけることに今はワクワクしています。

具体的には、さっそく3つのことをはじめてみます。

1、世の中のいろんな編集長を訪ねる連載コラム
「編集長」って、一体どんな存在なのだろう。発信するコンテンツをすべて把握している人?数字を追っていく人?世界観をつくる人?なんとなくイメージはあっても、具体的な像を結べるほど編集長のことって、一般的に知られていないように感じます。

そこで、新聞、雑誌、書籍やWebなど、さまざまな媒体の編集長を訪ねて回るコラムをはじめます。編集するメディアが変われば、そのあり方もまったく違うのかもしれない。わからないことだらけなので、今から楽しみです。

2、「編集」のこと、「言葉」のことを考える場づくり
日本仕事百貨のオフィスがある東京・清澄白河リトルトーキョーで、新しく場をつくります。トークイベントなのか、ワークショップなのか、ゼミなのか。形はまだはっきりしていませんが、一方的に考えや想いを伝えるというより、集まった人同士でつくっていけるような場にします。

また、日本仕事百貨の「編集」のことだけでなく、言葉を丁寧に紡いでいる人、大切にしたい言葉がある人など、「言葉」にまつわる企画を立てていきます。たとえば舞台役者の方から見た言葉の世界や、日々動植物と向き合っている人にとっての言葉とは?を聞いていくのも面白そう。

いろんな角度から言葉を探究していければと思っているので、こちらもお楽しみに。

3、日本仕事百貨に載らない生き方働き方に触れるために
いろんな生き方働き方を伝える、と言いつつ、なかなか伝えられていないものがあると感じています。たとえば、求人の掲載料のハードルがあって掲載には至っていないけれど、草の根的に素敵な活動をしている人たちの取り組みなどもそのひとつ。人は求めていなくても、何かを信じて戦っている人もいます。

リトルトーキョーではしごとバーというイベントを通じていろんな生き方働き方に出会う場所を設けていますが、また違う出会い方があってもいい。

ぼくたち自身もその場に参加して学べる勉強会のようなもの、かつ日本仕事百貨らしいフラットで正解のない場をつくっていきます。

2008年の8月にナカムラがひとりで立ち上げた日本仕事百貨。今年、10周年を迎えます。

これまでに公開された記事を数えたら、2000を超えていました。その数だけ誰かの人生の分岐点に関わってきたのかと思うと、あらためて、責任重大な仕事です。

それと同時に、10年という時間をかけて築かれてきた日本仕事百貨の存在が頼もしくもあるし、どんな色を重ねていこうかというワクワク感も感じています。まだまだ、できることがあるはず。

いろんな生き方働き方に触れて、伝える。まずやってみる。そんな姿勢で、みなさんと一緒に編集長の形をつくっていきます。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

これからどうぞよろしくお願いいたします!

(2018/6/25 中川晃輔)