コラム

中川政七商店が紡ぐもの
第3回

「日本仕事百貨の求人を読んで入社したメンバーが、次期代表取締役社長に就任いたしました」

そんなお知らせを受け取ったのは、3月の終わりのことでした。

差出人の欄には「株式会社中川政七商店」の文字。

中川政七商店といえば、創業302年の老舗。『奈良晒』と呼ばれる、奈良特産の高級麻織物の卸問屋からはじまり、時代の波を乗り越えながら、ものづくりを続けてきた会社です。

302年間、途絶えることなく手渡されてきたバトンを受け取る。想像しただけで、両手にじわっと汗が浮かびます。

それから何度か、中川政七商店のみなさんと連絡を重ねるなかで、日本仕事百貨を通じて入社した新社長の千石あやさん、前社長の中川政七さんのストーリーを辿る全5回のコラムを連載することになりました。

前回は千石さんが日本仕事百貨の記事を読み、中川政七商店に入社するまでのお話。

今回は、入社後のストーリーです。無事に中川政七商店の一員となってからも、千石さんのまわりではさまざまなことが巻き起こります。

千石 今回はたしか『わたしのこと、都合のいい女だと思ってませんか?』の話ですよね。

-はい、そうでした(笑)。えっと、面接を終え、入社されて。

千石 年末に内定をもらって、3月の16日に入社しました。

日本仕事百貨さんで応募したのは生産管理の仕事だったんですよ。でも、最終的に内定をいただいたのは小売課のスーパーバイザーで。小売とか全然やったことないけど、大丈夫かな…と思いながら入社したんです。

千石 入ってまもなく、衝撃的な体験がありました。

そのころの中川政七商店には顧客カードがあって。何万人かのデータがうまく活用できていなかったので、顧客育成の制度をちゃんとつくろう、というミッションが課せられたんです。

そこで課長から「2週間後に社長にプレゼンしてもらいます」という話をされて。

-2週間後…。

千石 えっ?と思いますよね。前の会社で顧客育成なんてやったこともなかったですし、2週間後に社長プレゼンと言われても、何から手をつけたらいいかわからない。でもほかのスーパーバイザーたちは、はい!と言って取りかかる。

聞くと、みんなはじめてのことなんです。それなのに、「まずは顧客育成の本をいくつか読もう。そのなかからいいところを抜き出して、中川政七商店に最適なプランを組み直して制度をつくろう」みたいなことを、普通に言うんですよ。

-本を読むところから。

千石 みんなで検索して、このへんが良さそうだっていう本を5、6冊一気に買い、担当を決めて読みはじめ。また集まって、ここの考え方はうちにも合っているんじゃないかというのを共有して。

もう、泣きながら前職のマーケティングをやっていた子に連絡して、毎晩帰ってからエクセルのピポットテーブルを組み直して。この会社ではみんな当たり前にやっているから、怖くて聞けなくて(笑)。

それで2週間後、本当に中川の前でプレゼンしたんです。

-なかなか想像のつかないスピード感ですよね。

千石 えらいところに入ってしまった、と思いました。みんながサイヤ人に見えるんです。

前職も真面目な会社でしたし、仕事はハードでしたけど、全然違うプレッシャーというか。任され方と、任される範囲の広さにおののきました。ああ、こんなにひとりの守備範囲が広いんだ、と。

-それからしばらくの間は、小売課で働いたんですか。

千石 いや。2〜3ヶ月経ったころ、「ちょっと話がある」と中川に呼ばれたんです。

その日の午前に課長から担当店舗の話をされたばかりだったので、なんの話だろう?と思って行ったら…生産管理に異動してほしいって言われて。

-なんと。

千石 えっ?と思って。

ただ、これは転職する前、27〜28歳ぐらいからかな。自分の得意なことって、他人のほうがよくわかってるなと思うようになったんです。

-自分の得意なこと。

千石 前職でディレクターをやっていたとき、指名制だったんです。千石さんにお願いしたい、というふうに、営業さんが仕事を持ってきてくれる。

そのときに、わたしがやりたい仕事と、お願いされる仕事が常にイコールではなくて。若いころは、たとえば駅貼りの大きなポスターがやりたいとか、いろいろ思っていたんですけど、やってほしいと言われた仕事をちゃんとやっていくと、意外にうまくいく。成果も出るし、喜んでいただける確率が高いなということに辿りついて。

この会社でも、まずは言われたことを聞こうと思っていたんです。

-それで、生産管理に異動して。

千石 わたしたちのものづくりを支えてくれている、作部(つくりべ)の担当になりました。中川政七商店では、内職さんのことを作部と呼んでいるんですね。

当時は今よりも多くの作業を作部の方にお願いしていて。「仕上がりは大丈夫ですか?」とか、「孫が遊びに来てるから遅れるわ」とか。毎朝お電話でいろんなお話を聞いて、調整するんです。

-これまた、今までとは違った仕事ですね。

千石 中川政七商店の商品はこういう方たちに支えられているんだと知れたのは、ものすごくいい経験でした。

みなさんプロ意識が高いんですよ。腱鞘炎になりながらも期日通りに仕上げなきゃとか、1回やってみたものの納得いかず、やり直しているからちょっと待ってほしいとか。一生懸命にものづくりと向き合う人ばかり。

千石 自分自身も、パートさんと一緒に検品したり、ダンボールの強度が増すガムテープの貼り方を覚えたり。今までの人生でやってこなかったことをたくさん経験させてもらいました。

そのあと生地担当に移って、全部で1年ちょっとかな。この会社のキャリアで、生産管理が一番長かったんですよ。

-1年ちょっとで、一番長かったということは…。

千石 数えてみたら、わたし、この会社で7回異動していました。

-まだこの先もいろいろとありそうですね。

千石 はい(笑)。

それで、生地担当になってしばらくしてから、また中川に呼ばれて。今度、スーパーバイザーに戻ってくれないかって言われたんです。

そのときですね。わたしが、中川を食堂に呼び出したのは。

-呼び出し(笑)。

千石 ちょっとお時間いただいていいですか?わたしのこと、都合のいい女だと思ってませんか?って。

-ついにあの台詞が。

千石 中川は「いやいや、本当に人聞き悪いから!みんな聞いてるから!」と言っていましたけど(笑)。

千石 でまあ、スーパーバイザーに戻ったんです。なぜ戻ったかというと、今はもうないのですが、伊勢丹新宿店に『大日本市』というお店を出すことが決まって。

そのお店は、パートナー企業さんと一緒に運営する唯一の直営店でした。

パートナー企業というのは、波佐見焼の「マルヒロ」さんや、兵庫・豊岡のバッグメーカー「バッグワークス」さんなど、コンサルティングを通じて関わったメーカーさんたちのことです。

-その、大事なお店の担当になって。

千石 とはいえ、小売の経験は2ヶ月ぐらいしかないなかで、いきなり任せられるわけです。

パートナー企業の商品をすべて扱うお店ははじめてだから、みんな慣れていなくて。かつ、伊勢丹さんの決まりとして、2週間に1回は必ずお店の正面のディスプレイを変えなければならなかった。

つきっきりでそのお店のことしかやっていませんでした。それも、たくさんの失敗を重ねながら。

-でもその分だけ、パートナー企業との関係性も深まった。

千石 ものすごく結びつきも強くなったし、知り合いもたくさん増えた。大変だったけれど、それもすごく勉強になったというか。

最近、展示会で今後のビジョンの話をさせていただく機会があって。そういった場面でわたしの話をうんうんと頷きながら聞いてくれるのは、当時の関わりがあったからだと思っています。

千石 っていうときに…。

-またですか。

千石 ええ。でも、今度は自分から手を挙げたんです。

中川政七商店ではじめての、社長秘書公募があったんですよ。

2週間での社長プレゼン、作部さんとのやりとり、伊勢丹新宿店での怒涛の日々。

一連のエピソードから、中川政七商店という会社のスタンスが少しずつ浮かび上がってきました。

なかでもぶれないのは、変化をいとわないこと。千石さん個人の働き方も、社員みなさんの考え方も。変わり続けることに対する前向きさが印象に残ります。

さかのぼれば、高級麻織物『奈良晒』の卸問屋としてスタートした中川政七商店。明治維新によって最大の需要源であった武士階級が解体された際には、風呂上がりの汗とりや産着などの新しい市場を開拓。その後も自社工場を建てたり、一時は生産拠点を国外に移したりしながら今日にいたります。

もしかすると、中川政七商店が302年続いてきた秘訣は“変わり続けること”にあるのかもしれません。

次回は社長秘書に立候補した千石さんのお話からはじまります。

中川政七商店では、現在、6つの仕事で新しく仲間を募集しています。

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