コラム

2017年、大切にしたいことばたち
(第3回)

私たちは日本仕事百貨の取材を通してさまざまな方たちと出会い、いろいろな生き方・働き方に触れます。

2017年も、心の込もった言葉たちにたくさん出会いました。

スタッフそれぞれの印象的だった言葉を聞いてみると、どこか共通点もあるような…。

そこで、もう少し話してみることにしました。

全3回でご紹介する「大切にしたいことばたち」。最終回となる今回は、中川晃輔と、新卒1年目の遠藤真利奈による対談形式でご紹介していきます。

 

 

浅間山の強さに比べたら、人間の力なんて話にならない。だからこそ、力を合わせないといけないよね。ここは浅間山のおかげで、そういう感覚が強く素朴に生まれる。その素朴な感覚が、人を育てるんですよ。
有限会社きたもっく/福嶋 誠さん 「The future is in nature」より

きたもっくは、北軽井沢の地でキャンプ場「スウィートグラス」や築100年の洋館とその周辺の「ルオムの森」などを運営する会社。代表の福嶋さんがまっさらな土地に木を一本ずつ植えるところから、心地いい場をつくってきました。


中川:北軽井沢には活火山の浅間山があって、噴火したら周りは大打撃を受けてしまうような場所にスウィートグラスやルオムの森がある。僕はその環境の特性にすごく惹かれて。

真利奈:都会育ちの中川さんが、そういう環境に惹かれるっていうのは意外な感じもします!

中川:東京にいながら圧倒的なものを体感する機会ってまずないけど、たとえば浅間山のような存在が身近にあると、いかに自分が非力かっていうことを思い知らされる。火山だけじゃなくて、雪が降ったり、野生の動物が出てくることもある。火をおこすことすらままならなかったり、料理もいつもより大変だったり。

それなのに、なんでみんなキャンプに行くんだろう?と思ったんだよね。それはもしかしたら、圧倒的な存在を体感しに行く、みたいな気持ちがあるのかもしれないなって。

真利奈:利用者、年間9万人でしたっけ。

中川:そうそう。冬場は−15℃にもなる環境だから、以前は冬の間クローズしていたんだって。でも福嶋さんは、その冬の厳しさも美しさも、どちらも味わってもらえないと片手落ちと考えたそう。それで6年前からは冬季もオープンするようにしている。

真利奈:人間に合わせて自然をトリミングするんじゃなくて、そのままの自然に入っていく感じですね。

中川:「ルオム」というのも、フィンランド語で“自然に従う生き方”を意味する言葉。会社の成長の仕方も、資本主義の中でどう売るかみたいなことではなくて、植物が葉を広げていくのに似ているんだよね。最初は福嶋さんが一人で木を植えはじめ、キャンプ場をつくった。すると周辺の広葉樹が使われていないことに気づき、薪にして使うような生活を提案しはじめた。木を伐る人がいないとなれば、今度は社内で木を伐る部隊をつくったり、というふうに活動が広がっている。

真利奈:人が自然を無理やり変えることはできない。だって、どうしようもないですよね。浅間山が近くで噴火したら。

中川:そうだね。「また植え直せばいい」って、福嶋さんも話していた。

前に取材で鹿児島県の口永良部島に行ったときにも似たような感覚があった。そこも火山島で、3年前に爆発的な噴火を起こして全島避難を経験している。それでも島の方は、こんなふうに話してくれたんだ。「自然にはかなわんわけだから。火山島は噴火しますよ。標高の低いところには津波がきますよ。崖の近くなら土砂崩れもありますよ。じゃあどこに住むんだというときに、俺はここを選んでるってだけのこと」。

今でも記憶に残っているということは、自分にとって何か見失っちゃいけないことを感じさせてくれる言葉なんだと思う。この先もずっと東京に住み続けるかはわからないけれど、忘れずにいたいなあ。

ぼくの選んだ言葉は、「火山」や「自然」という圧倒的な存在に触れて感じることだとすると、真利奈ちゃんの言葉は「財政破綻」という圧倒的な事象を前にした夕張の人の言葉だよね。

それまでは、ふるさとを一歩引いて見ていたと思うんです。ニュースではネガティブな情報ばかりが流れて、悲壮感が漂う街と感じていたはず。けれど、かつて言い訳が伝染した夕張には、いま挑戦が連鎖しはじめている。
北海道夕張市/佐藤 学さん 「夕張は挑戦する」より

北海道夕張市は、2007年に353億円の借金を抱え財政破綻し、日本で唯一の財政再生団体となった街です。10年後の2027年に完済予定という一方で、破綻以来人が減少し続けているのも事実。そこで街は、魅力的な学び舎をつくることで街全体を元気にしようと夕張高校魅力化プロジェクトに取り組むことを決めました。


真利奈:私は北海道出身というのもあって、夕張は以前から身近に感じていて。この言葉をかけてくれた佐藤さんは、破綻後も夕張に残るなかで、多くの人の背中を見送る度に申し訳なさを感じていたと言っていて。

人数減少が続く夕張高校は、実は廃校が既定路線になっていたときもあって。でも佐藤さんは『おい、ちょっと待ってくれ』って道内の高校に片っ端から電話をかけて事例を調べたり、自分でアンケートをつくって分析したりもする。

中川:佐藤さんの挑戦が、だんだんと高校生や街に広がっていった。

真利奈:実は佐藤さんは、夕張出身ではないし、入庁前も夕張の危機は感じていたみたいなんです。

中川:それなのになぜそこで挑戦しようと思ったんだろう。

真利奈:佐藤さんは、小さなころから夕張のおじいちゃんの家には遊びに行っていて、そのときに感じた人の繋がりの強さ、炭鉱の街の持つ温かさが忘れられなかった、って。

中川:小さいころの記憶が残っていたんだ。

真利奈:実際に佐藤さん以外にも、夕張高校出身の若手職員の皆さんが『母校をなんとかしたい』って一生懸命ワークショップを開いたりしていて。そんな熱意が街を動かしていったのかも。

私も挑戦が連鎖しはじめてる空気を感じて、取材から戻っても自分の体内にその熱が残っている感じがしていて。自分が直接夕張に関わっているわけではないけど、歴史や思いを少しでも共有できていたらいいなって思います。

 

 

福嶋さんと佐藤さん、一見異なる環境に身を置くおふたりの言葉は、どこか似ているように感じました。

自分ひとりの力じゃどうにもならないものと向き合ったとき、このページをもう一度読み返してみようと思います。

2018年もどうぞよろしくお願いいたします。

ほかにも、スタッフがそれぞれの「大切にしたいことば」を持ち寄りました。ぜひご覧ください。
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