「働きはじめた人は、その後どうしているんですか?」
日本仕事百貨を見る人から、そんな声を聞きます。
私たちは、仕事のよいところだけでなく、大変なところもありのままに伝えるように心がけています。
というのも、仕事を見つけてもらうのではなく、よりよい生き方・働き方をしてほしいと思うから。
今回は、コラム「その後、どうですか?」の第6回目です。
第6回目は、株式会社シアターワークショップで働く渡邊啓嗣(わたなべひろし)さんに話を聞きました。
シアターワークショップは、全国でその街に根ざした劇場づくりとその運営をしている会社です。
渡邊さんは新潟県佐渡島の生まれ。劇場に携わる仕事をしていましたが、30歳を機に、まちづくりのために地元へ戻ります。ところがふたたび劇場の仕事へ。
佐渡島、劇場、佐渡島ときて、どうしてまた劇場に携わることになったのでしょう。
東京・渋谷にあるオフィスで話をききました。
(聞き手:インターン生 山崎恵)
―はじめにこの仕事に出会うまでの話をきかせてください。
正直、偶然です。もともと島の生まれで、劇場でコンサートやお芝居を鑑賞する機会はほとんどありませんでした。高校まで島にいて、大学で上京、大学院へ進み、まちづくりを学ぶなかで、三鷹市のまちづくりの現場へインターンをしていて。そこで誘われたのが芸術文化振興財団でした。
そのときに、劇場運営のあり方に違和感を感じたんです。
―どんな違和感だったのですか?
公共ホールって税金で建設・運営されているので、本来は住民のためにあるものなんです。だけど、本当にちゃんと住民に向き合ってるんだろうか。
これはぼくがもともとアートの世界から入っていないからかもしれないけれど、ホールに関わる人たちはアートやアーティストのほうには向いてるけど、正直、市民のほうにはあまり向いていないように感じたんです。
僕たちは、住民を劇場やアーティスト、アートとちゃんとつないであげることが仕事なんじゃないかと思うようになりました。
その後は、民間企業で劇場運営を経験し、三鷹で一緒に働いていた人に「地方で新しい劇場を一緒に立ち上げないか」と誘われ、市直営の劇場に赴くことになりました。その施設には計画づくりから携わっていたので、生みの苦しみを味わいながら立ち上げたんです。
そういった財団や民間、行政での経験を活かせたらいいなという思いはありました。
でも、じつは、30歳になったら実家に帰って地域おこしするって決めていたんです。田舎の長男なので「いずれは帰らなきゃいけない」と考えていて。その劇場を立ち上げたあと、故郷の佐渡島に帰ったんです。
佐渡島では、フリーで動きながら、映画を撮ったり地域おこしをしたりしていました。
うまくいった例もあるんですけれど、なかなか厳しいこともあって。そのときに出会った今の妻と、もう一度東京に出ようって話になったんです。かつての恩師からお声がけいただいて東京に戻りました。
その仕事はやりがいはあったけれど、ぼくにとって新しいジャンルだったし、これからをどういうふうに生きたらいいんだろうと考えてしまって。もし長男でなかったら、もともと全国の地方を活性化するような仕事をしたいなあと思っていました。
そんなとき、日本仕事百貨でシアターワークショップを見つけたんです。
シアターワークショップは、まさに全国の劇場を手掛けているし、ソフトでは劇場づくりのプロセスに市民を巻き込んで、一緒につくっていくのを得意としています。劇場づくりは「まちづくり」でもある。
―劇場が「まちづくり」?
少し前まで、劇場やホールって関心のある一部の人のための施設だったと言えます。でも、劇場をつくることって、まちにとっては一大プロジェクトです。その劇場に対して、多くの住民が関われないってあまり健全でないですよね。
佐渡島で、地域おこしの一つとして島民全体を巻き込んで1本の映画をつくったことがあるんです。そのとき、みんなが「自分のつくった映画」だと思っていました。これって成功だと思うんです。劇場も同じで、多くの人たちに関心をもってもらって、関わってもらってなんぼ。みんなに愛される、可愛がってもらう劇場であるのが一番だと思います。そこが起点になって、ひと、まち、ことが動いていく。
ここならその理想を目指せそうだと思ったし、これまで財団や株式会社、行政のやり方を見させてもらっているので、その経験が活かせるんじゃないかと思いました。
―シアターワークショップの第一印象はどうでしたか。
とにかく、みんなすごく人がいいんです。こんないい人たちがいる会社ってあるんだろうかって、今でもずっと思っています。
なんでだろうって考えると、みんな自分たちが好きなことをやっているからだと思うんです。
―渡邊さんはどんな仕事をしているんですか?
この会社は劇場の建築がベースにあって、加えて僕らの担当するソフト部門と、実際に施設を運営している部門があります。
僕らは、どんな劇場をつくりたいのか。計画づくりから市民の方に参加いただいて、彼らの声を拾いながら一緒になってつくっていく。まちの人を巻き込んでいくと「自分も一緒につくった建物」になる。そうすると、我が子のように愛着のある施設になるでしょう?
僕たちは、そのプロセスを一番はじめの計画から手伝っていけるんです。計画段階ではワークショップを開いたり、開館に向けて一緒にイベントを企画したり、実施したり。オープンしたら、まちの人たちが主役になれるようお手伝いもしていますよ。
今はこういったやり方をしていますけど、これは、入社前に関わったプロジェクトの反省でもあるんです。
―反省というと?
ある施設で、オープンに向けて市民の皆さんが団体をつくられていたことがあって。個人的には、オープンしたら彼らが主役になって劇場に関わってくれたら良いなと思っていました。でも、実際は地域の外からきた専門家が主導するような形になってしまって、その団体も解散してしまった。
そのときは、つなげ方がうまくいかなかったんです。申し訳ない気持ちでした。今その劇場は、改めて市民と一緒になってやっていこうっていう方針に変わってきて、いい劇場になってきたなぁと感じています。
―渡邊さんの『理想の劇場・ホール』ってどういうものですか。
地域に何か還元できる劇場だといいのかな。
今、2000席の大きいホール、300席のコンサートホール、市民のための600席のホールを担当しています。一言に劇場・ホールといっても、規模も役割もさまざまです。それぞれの地域の実情にあった劇場・ホールがあるんですね。
たとえば、ベットタウンのようにご近所さんを知らない都会的な生活をしているまちの場合、コミュニティが希薄かもしれません。すると、アートや音楽を通じて、共通の興味や関心で繋がりをつくれるかもしれないですよね。
文化芸術って、少なからず癒しや驚き、楽しさなんかで、人間を刺激してくれるものだって思います。ここに来ると何だか元気になるとか、ワクワクするとか。地域の課題を解決しながら、それぞれの地域に合わせて還元できるもの。そういう劇場・ホールの誕生や成長に今後も立ち会っていきたいです。
―そう考えると、劇場をつくるって、まちの人の気持ちも、費用という意味でも、すごく大きなプロジェクトなんですね。
そうですね。
僕らにできることは、全国の似たような事例を参考にしながら、さらにその地域のことを徹底的に考えること。将来、この劇場がどう地域に還元できるのか。まちの人と伴走しながら、答えをつくっていくほうが近いのかもしれないですね。
だから、案件の数だけ答えもあるんです。だんだんそれが見えるようになって、おもしろくなってきたところです。
―いままでで一番大変だったことってなんですか。
いっぱいありますよ(笑)。とにかく忙しいっていうのもあります。
あとは、責任感。やっぱりクライアントさんからすると、僕が転職してきたとか、1年目だってことは関係ないんですよね。
入ったばかりのころは、自分に知識が足りないと感じていても仕事を任されて、僕がこの会社を背負えるのかって不安になったこともありました。これまでの経験で乗り切れはしましたけど、やっぱり不安になるし凹みもする。持っている案件もヘビーなものが多かったりするので、そういうところはしんどかったですね。
―これからどうしていきたいですか。
僕のやっているソフト部門では、だいたい3年から5年くらいかけて計画から開館までを見届けるんです。ぼくは今1年目なので、まずは僕が携わったホールがひとつでもオープンしてほしい。それらの運営のお手伝いもして、上手く回っていったらいいなっていうのがいちばんわくわくする目標ですね。
もっと大きな目線でいうと、いま、会社全体が大きくなっているんです。
もちろん建設のようなハード部分がないと成り立たないんですけれど、僕らソフト部分があることがこの会社の強みだと思っています。
今後は、劇場を立ち上げたあとに育てていけるような仕事を展開していきたいんです。「やっぱりあそこに頼んでよかったよね」「あの人と一緒に仕事ができてよかったよね」って、長く続いていくような関係をひとつずつ築けていけたら。
そのためにも、いま気合と根性でやっている部分をもう少しでもうまくできるようにしたり、改善していきたいです。
―この仕事のやりがいがとても伝わってきました。いつの日か渡邊さんが携わった劇場を訪れてみたいです。そのときはまた、おはなし聞かせてください。ありがとうございました。
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