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第7回「その後、どうですか?」後編

「働きはじめた人は、その後どうしているんですか?」

日本仕事百貨を見る人から、そんな声を聞きます。

私たちは、仕事のよいところだけでなく、大変なところもありのままに伝えるように心がけています。

というのも、仕事を見つけてもらうのではなく、よりよい生き方・働き方をしてほしいと思うから。

コラム「その後、どうですか?」の第7回目<後編>です。

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第7回目<後編>は、株式会社マルサ斉藤ゴムで働く伊藤貴明(いとう たかあき)さんです。

マルサ斉藤ゴムは、日本で唯一のてづくりゴムふうせんの会社。千葉・銚子でふうせんをつくり、東京・墨田に事務所を構えます。

50年近く銚子の工場でふうせんをつくり続けてきた伊藤さんご夫婦のもとにひとり飛び込み、職人となった貴明さん。

どのようにこの仕事に出会い、今どんなことを考えているのか。銚子の工場でお話を伺いました。

(聞き手:インターン生 堀上駿)

 

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―貴明さんがふうせん職人になるまでのお話を聞かせてください。

以前はずっと車関係の仕事やっていました。その仕事をやる上で英語ができないといけないと思って、青年海外協力隊で2年間フィリピンに行っていたんです。

はじめはスキルアップのつもりで行ったけど、あっちの人たちの幸福感というか、過ごす感覚があまりにも違うことに衝撃を受けて。

―どんな感じですか?

自分はメカニックとして学校に入って生徒に教えていて。そこでフィリピンの生徒や保護者、先生を見ていると「日本人はなんであんなに仕事をいっぱいするんだ?」って思うようになるんですよ。フィリピンの人は朝9時に仕事へ来て、夕方5時には帰る。ヘタしたらもっと早く帰るかもしれない(笑)。 そういうところで全然違う幸福感を持っているなって。自分も、仕事のために英語を勉強するのもな…と思いました。

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帰国してからは、車関係の仕事のスキルがあったので建設機械メーカーに入社しました。そのあとは外資の会社に転職して、エンジンの品質管理の仕事をして。工場が世界の至る所にあるので、海外へ行ったりしていろいろと経験を積みました。

けどやっぱり、いまやっている仕事がみんなをハッピーにする仕事じゃないなと思って。エンジンって環境負荷が強い。それもすごく大きなエンジンを扱っていたんです。だから、もうちょっと何か別の仕事をしたいなと。フィリピンにいたときのようなあの感覚というんですかね。そういう仕事はないかなと思って、仕事を続けながら1年間くらい日本仕事百貨でいろんな募集記事を読んでいました。それでふうせん職人を見つけた。

―当時ほかにもいろんな職人の募集があったけれど、どうしてふうせん職人に応募しようと思ったのですか?

たしかに食器をつくる職人とか木工職人とか、いろいろありましたね。できそうだなとは思ったんですけど、応募はしませんでした。

ふうせん職人はオンリーワンというのが強かったです。てづくりふうせんは日本にここだけ。そういう風に自分もオンリーワンなりたいと思った。それに、ふうせんは老若男女問わずいろんな人をよろこばせられるってことにも魅力を感じて。

あと、ゴムの原料のところから配合して、形にして出荷するまで自分で全部できる仕事で、一から最後まで自分の仕事の面倒を見れることも魅力でした。

車とかエンジンってあらゆる部品がくっ付いて、やっとひとつの製品になる。自分はそこの品質管理をやっていたので、ここはモノづくりとしての魅力もありました。

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―選考のときは、実際にこちらの工場にも来たんですよね。

そうですね、たしか冬の時期で。海が近くて景色はいいし、工場がある立地もすごくいいなと。隣で電車はゆっくり走っているし(笑)。すぐ気に入りました。伊藤さんご夫婦もすごく楽しそうというか、仲良くやられているのがいいなと。

―不安はありませんでしたか?

もちろんありました。いままでやってきた畑と全く違うので。金属系をやっていたけど、いまは液体ですからね。ゴム配合するときも、使う薬剤が一体どんな役割なのかをちゃんと知りながらやりたいと思っていて。今までにない知識なので、一から勉強ですね。

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―働きはじめて、最初はどんなことを?

はじめは、ガラスの型からふうせんを外す「剥き作業」ですね。その作業をやっているとだんだんと手が痛くなってくるので、それで手を慣らしていくような感じ。大きいサイズのふうせんやブタとか変わった形のふうせんまで一通りできるようにしました。そういうのは慣れないと手がついていかないので、腱鞘炎みたいになってすごく痛いんですよ。

―けっこう身体を使う仕事なのですね。

手の痛みは1か月くらい続きました。その後はふうせんの口の部分をくるくる丸める「口巻き」っていう作業や、ガラスの型にゴムの液体をつける「つけ作業」があって。ガラスの型って3キロちょっとくらいあるんです。それを片手で持って作業する。

最初のころは腕も上がらなくなって、寝るときにしびれてくるぐらいでした。だから、ここでずっとやっていくのは大丈夫かなって心配になりましたね。でも、次第に慣れてきて。今では型を持っても何ともないです。慣れってすごい(笑)。

一方で「つけ作業」は微妙な感覚があって。季節が変わるとつける液体の温度が変わるので、ゴムの粘度が変化する。だから、人間側でつける時間を変えてあげて、厚さを調節しています。

これを伊藤さんはすべて感覚でやっているので、僕は見て覚えている。「これじゃ薄すぎ」とか言われながらやっています。技術を残していくためにも、今後は数値化できればと思っています。

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―転職して、住まいも移されたのですよね。銚子での生活はどうですか?

このふうせん屋さんって銚子ですごく有名なんですね。自分がここで働いていることを話すと「あ、そうなの!」っていう反応で知り合いがどんどんできていくんですよ。

―どんな人とお知り合いになりましたか?

近くでお店をやっている人とか、古民家の再生やってる人とか、NPOやって銚子を盛り上げたいって地域活性やってる人も。いろんな人がいるんですよ。僕はいまそのNPOに席を置いて活動しています。銚子のイベントに一緒にお店を出したりしているんです。

だから銚子に来てからは、暇がないくらい土日はいろいろやってますね。明日も銚子電鉄さんに伺う予定があります。まだ銚子に来て間もないですけど、いろんな人が呑みに誘ってくれたりもするので本当にありがたいです。

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―仕事だけじゃなく暮らしも充実しているのですね。貴明さんが考えるこれからについて教えてください。

長期的な目線で言うと、一番は銚子を「ふうせんの町」にしたいです。工場もあるし、バルーンアートをやっている人がいるので、そういう人たちと一緒に。短いスパンでいうとまだまだ分からないなぁ。勉強することがたくさんあるので。

―それは霧の中を進むような感じ?

いや、自分で切り開いていく感じ。開拓ですね。どちらかというと不安よりワクワクしています。

あとはもっと地域との関わりを重要に考えていきたいです。自分たちの工場だけでは限度があるから、いろんな人と関わればできることも増えてくると思う。だから、これからはもっと人のつながりを増やしていって、そこから新しいアイデアをどんどん出していければいいかなと思っています。

―人との関わりの中でやっていけることが自然と増えていきそうですね。

そうなんですよ。普通の会話の中から「これできるじゃん!」みたいになるといいな。自分ひとりが一生懸命頑張るのも全然いいんだけど、個人が目立つというよりは地域として目立っていくことをやっていきたい。銚子として。

そのほうが会社として存在する意義もあるし、社会貢献できるので。自分としてはそっちの方向を強くやっていきたいですね。

―これから貴明さんと銚子がどうなっていくかとても楽しみです。またお話を聞かせてください。ありがとうございました。

 

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