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その後、どうですか?

「仕事百貨で働きはじめた人は、その後どうしているんですか?」リトルトーキョーもはじまり、サイトを見る人から直接声を聞く機会が増えてきました。

仕事百貨では、仕事のよいところだけでなく、大変なところもありのままに伝えるように心がけています。

というのも、よい出会いを経て企業や地域と働く人が、ともに次の段階に進んでいける。そう思っているから。

今日から、新コラム「その後、どうですか?」がはじまります。

2013-12-12

1回目は、高知県四万十町の一般社団法人「いなかパイプ」で働く岩崎年浩(としひろ)さんです。

岩崎さんは静岡の林業家の生まれの31歳。東京の大学に通ったのち、建材メーカーで営業として働きます。2011年に四万十へ移住、いなかパイプで働きはじめます。

どうして四万十へ向かったのか。そしていま、どんなことを考えているのか。

岩崎さんが東京に来るタイミングで話を聞きました。(聞き手:大越はじめ)

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高知県四万十町に位置する一般社団法人。“いなかととかいをつなぐ”をキーワードに、いなか暮らしインターン、ツアーなどの体験プログラム、イベント、求人情報などを展開。いなかの「いま」を伝えている。

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—はじめに、いなかパイプに行くまでの話を聞かせてほしいです。岩崎さんは、もともと静岡出身なんですよね。

そうです。実家は林業を営んでいて。大学進学を機に東京に出てきました。

大学を卒業すると建材のメーカーに入りました。どうしてもやりたいことがあったわけではなかった。休みとかの条件面も考えて。

それと、僕はずっと色んなバイトをしてきたんです。引越屋、庭師、電工にガソリンスタンド、ピザの配達… 東京に来てバーテンダーをはじめると、接客業にはまっていくんですけどね。どんな仕事も楽しめるというのはなんとなくわかっていたから。最後はもう、「えいや」って感じで決めました。

—家業を継ぐことは全然頭になかった?

そうですね。親からは「長男の兄貴が家業を継ぐから、お前は自分でなにか見つけろ」と言われて育ってきたこともあって。

2010年に兄貴が事故で突然死ぬんです。親父も気が弱ってたんだと思う。「お前、継がないか」と言われて。林業、好きだったんですけどね。いまから?という思いもあった。

葬式の日に兄貴の部屋に行ったんですね。そうしたらホワイトボードに事業計画が書かれていたんですよ。兄貴は林業のことで、いっつも親父とケンカしてて。そのくせ、ちゃんと考えていた。それを見ちゃった。

兄貴もくやしいだろうな、同じやり方はできないけど、俺にもなにかやれないかなって思いました。

—そうだったんですね。それで会社を辞めた。

時間をつくって考えようと思いました。飲食のアルバイトをしながら、山に関わる仕事で、どうにか自分のできることを見つけたいと思って、都内で図書館回ったり、勉強していました。

そんなときに、ふと日本仕事百貨のHPを見て。前の会社の人に「こんな求人サイトがあるよ」って、話は聞いていたんですよ。そしたらいなかパイプの求人があったんです。

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—最初はどんな印象だったんですか?

なにをやっている団体なんだろう?って(笑)。ただ、いろんなことに広く関われそうだったのと、代表の佐々倉玲於(レオ)さんが「忙しい」っていうフレーズを使うことが妙に引っ掛かって。なんでこの人、山奥で忙しいんだろう?興味を持って。

—それで応募した。

うん。期限ギリギリまで考えたなぁ。

レオさんから面接を兼ねて一週間来てみない?って言ってもらって。バイトのシフトを無理くり調整して、行くわけです。

いま思えばはじめての四国だったなぁ。四万十町に近づくにつれ、建物が見えなくなって。着いて最初に思ったのが「すごいとこ来ちゃったな」。覚悟はしてたけど、ほんとにここで暮らすのかって、一瞬迷いが出ました。大丈夫かなぁ。

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—一週間はどんな風に過ごしたんですか?

仕事に同行して、話をして。そうそう、レオさんちで共同生活だったんですよ。

知らない土地に来て、自分を繕おうとしてたんですけど、3日保たなかった。「ごまかせないですね?」って言うとレオさんが「お互い様だよ」って。

—お互い様だよ、か。

あ、もう素の自分でいいわって。肩の力が抜けた状態で、この土地とどう向き合えるかなと思ったときに、無理じゃないなって。わからないことは多いけれど多分どうにかなるなって。いま思えば、あの一週間は良かった。

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—一週間の中で働くことを決めた?

決めたのは東京に戻ってからです。2つのことで迷ったんですね。

まず実家に戻るか、ということ。

四万十の山奥でも楽しそうにやってる人たちがいることを知って。実家に帰ってもなにかできるんじゃないか。遠回りしてる場合じゃないのかなと思って。

もう一つは、10年近く暮らしてきた東京を離れること。東京は東京で楽しかったんですよ。飲みに行ったり、クラブイベントを企画したり。夜まで時間も気にせず遊び回れるじゃないですか。でも、どうしても変えたくないものがないなって。

—楽しいけど、どうしても変えたくないものはなかった。

いっかぁ、って。もしなにか出てきたらまた戻ってこようって。

実家もそうなんですけどね。次に戻るときは、帰る理由を言葉にできると思って。それも確認しに行こうって。

—そうして四万十へ。

最初は、気合いが入ってたんですよ。村八分を受けたとしても、逆境も乗り越えてやる。それぐらいの気持ちで臨んだんですけど、いざ行ってみたら大歓迎をうけて、あれ?って(笑)。

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—拍子抜けして(笑)。

着いた翌日にはもう、地元の会議に参加したり。仕事に入っていきました。

—入ってからのことも聞いてみたい。いまは、どんな仕事をしているんですか?

いなかを体験するインターンシップの窓口をしています。

移住を考えている人に、いなかでの暮らしや仕事を1ヶ月間のプログラムで体験してもらうんです。

—受け入れまではどんな流れなんだろう。

はじめに問い合わせをくれた人と話します。

希望も踏まえ、受け入れ地域の人に相談をします。お互いに合意するとインターンのはじまり。僕が直接対面するのは、初日と中盤と最終日、少なければ3日だけです。受け入れ先は高知県全域に広がるので、大半は電話やメールでのやりとりになります。最終日には、少し時間をかけて感想を聞きながら振り返ってもらいます。

インターン中の関わりかたは人それぞれです。

不安なんでしょうね。なかには毎日電話したがるインターン生もいます。でも、僕と話すための一ヶ月ではないので。地元の人ともっと話してみたら?と言うわけです。

—逆の人もいるのかな。

そうそう。連絡しても、全然電話に出なくて。最終日に大丈夫だったの?と話したら「楽しかったですよ!」という声が返ってきて。

—マニュアルで仕切れるものではないんですね。岩崎さんが心がけていることって?

好奇心が両思いしている状態っていいなと思うんです。

移住してほしい地域には、移住したい人が出会えるといい。移住促進を考えていない地域には、ときどき遊びに来ることでお互いにいい刺激をして。

いろんなかたちがあります。

僕はそのきっかけをつくり、関係は両者で育てていくんですね。

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—大変だったことはありますか?

インターン生との関わり方ですね。

いろいろとバイトをしてきた中でも、飲食でお客さんと関わることが好きだったんですよ。だから、細かいところまで先回りしたサービス提供で、お客さんに満足してもらえることがからだに染み付いていて。

でも、ここでは違う。あれもこれもやってあげると結局インターン生のためにならないんですよ。

いままでの経験が全く活きないんじゃないか、って気づいて。うわっ、て目の前が真っ暗になりましたね。

最初の1年はすごい苦戦、苦戦というか… 立ち止まっちゃいました。

—どうやってそこから抜けたんですか?

大切なのはサービス精神で事前に課題を解消してあげることでなく、挑戦を見届けるという感覚なんだな、と思いはじめたんです。手を差し伸べたくなるけれど、その人自身の気づきが大切。いまは辛いかもしれないけれど、乗り越えてほしいと思います。

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—岩崎さんは、いま考えていることがあるとか。

四万十に来た年の忘年会で、地域のおっちゃんに言われたことがあります。

「お前さんたちは外から来て人増やそう、もっと頑張れとか言ってくれるけどな。俺たちも頑張っていままでなんとか守ってきたんだよ。」

あ、もっともだなと思いました。

相手の思いを知ることなく、もっとこうした方がいいですよとアドバイスするのは違いますよね。

一方で、その言葉にはあきらめの気持ちも感じられて。

おっちゃんに「もっとこういうことがしたい」って言わせたい。そのためには、ちっちゃい夢をちょっとづつ叶えていくようなやりとりがしていけたらと思ってます。

—ちっちゃい夢?

地域のおばちゃんが「あの子はいまどうしているかなぁ」とつぶやいたら、僕がその子に連絡をとって、「おばちゃん気にしていたよ」と伝えてみる。

手紙のやりとりも生まれるんじゃないかな。

ささいな積み重ねが、本音を引き出すことにつながると思います。じっくり時間をかけてやっていきたい。

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—なるほど。僕も関わっている地域があるんですけどね。

関わりが続くなかで言葉や声が変わってくるんですよね。あきらめていた人が、また希望を持つようになる。

ね。外から「あれやりたい、これやりたい」という人が来たときに、そのテンションに負けない人がいなかにいたらいい。「甘い甘い。俺はここまで考えてるぞ」って返したりして。

—いなかって、本来そういう力を持っているように思います。

もう一つやりたいことがあるんです。

会社員をやめて四万十に来たときに強く感じたことです。

“地域づくり”と呼ばれるものは、まだまだ限られたコミュニティのなかで盛り上がっていると思うんです。共通言語が飛び交うなかで、それまで縁のなかった僕は最初ちんぷんかんぷんだったんです。

代表のレオさんは、コミュニティ自体を広げようとしているんだと思います。

一方、僕がまず目指すのは、いままでの自分に関わってくれた人に、こういった取り組みをわかりやすく伝えることかなと思います。

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—通訳のような存在ですね。最後に聞かせてください。岩崎さんはこれからどこに向かっていくんでしょう。

悩んでいます。

いまの仕事が手放しで全て好きかって聞かれたら、そうとも言い切れない。人と人がつながるのは好きですけど、そこに加われない裏方の寂しさもあって。でも、なんでしょうね。そのとき縁がある仕事や人に、それまでの自分の経験を活かしていけば、自分らしいものが出来上がっていくと思っています。

—不安は?

ありますよ。不安。

—もし四万十に行かなかったら、たとえば東京でそのまま仕事をしていたら。不安はどうなっていたと思いますか?

どこに行ったって、なにをしていたって不安はあると思います。でも、その不安の意味は違うかもしれない。前はほんとうにもう不安に頭抱えちゃって、自分がどんどん閉じていく、ちっちゃくなって身動きが取れなくなる感じでした。逆にいまは、目の前が広がりすぎて。おいおいどこにいくんだ、どんなかたちになるんだ自分って(笑)。

—僕も同じです。

不安なんですけど、なんとかなると思っている。不安と楽しさは表裏一体なんじゃないかな。

最近、ニューオーリンズのジャズプレイヤーたちの写真を見ていて。格好は汚いけど、すごいいい笑顔をしているんですよ。

よく見たら四万十のじいちゃんばあちゃんたちの顔も同じだって気づいて。この人たちには、たたかうものが見えているんだなって思った。

苦労はするし、けっして楽じゃない。でも承知の上で、ここにいる。そうして選んだ人たちの顔なんだなと思って。

—話を聞いていて、このまま四万十に行きたくなりました。じいちゃんばあちゃんの顔を見たくなった。

次はぜひ、四万十で話を聞かせてください。



(2013/12/12)

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