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第2回 20代のトンネル

こんにちは。日本仕事百貨インターン生の野村愛です。

これから、わたしはどんなふうに働いて生きていきたいんだろう?
就職活動をする中で、そんなことを考えはじめました。

自分に素直に働いて生きるおとなを訪ねて、20代のヒントを得たい。
そんな思いから、コラム「20代のトンネル」を企画しました。

20代のときにどんなふうに自分自身と向き合い、働いてきたのか。
その道のりを紹介していきます。

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わたしが進路で悩んでいたとき、望月さんからこんなことばをいただいた。

「誰かと比べて、焦ってもしょうがないじゃない。素直に良いな、好きだなって思うものに向かっていいんだよ」

「就職活動」という大きなレールの上を歩き始めていたわたしにとって、その言葉は心に鋭く突き刺さった。自分に素直に、ひとつひとつ丁寧に生きて働く。望月さんの生き方・働き方はそんなふうに思える。でも、自分に素直にいることは、自信がないとできない気がしてしまう。彼女の生き方・働き方をつくる、今までの道のりを伺いました。

Profile
望月小夜加

大学時代に写真に出会い、様々な仕事と並行しながら、アートワークの制作、フリーランスの仕事など、写真と関わり続ける。今この瞬間に響き合うエネルギーを届けることを軸に、人/モノ/事/空間など、対象を問わず撮影。被写体の後ろで積み重ねられたストーリーを浮かび上がらせる、そんな写真の在り方を探求している。

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ーー 望月さんは現在フリーランスのフォトグラファーとして活動されていますが、大学時代はどのようなことをされていたんですか?

望 月 大学に入学してから写真部に入ったのがきっかけで写真と出会ったの。すごく写真が好きになって、大学3・4年のときにデザインの専門学校とダブルスクールをして。そのときは、ものをつくる人として生きていきたいなってなんとなく考えてた。

ーー 専門学校も大学も通うなんて、とっても忙しいですよね。就職活動はされていたんですか?

望 月 大学4年生のときに、母が癌を発病して、自分の将来のことを考えられる状態じゃなくなってしまって。母親が癌で死ぬかもしれないという想像がはじめて降り掛かったときに、これからのことを考えられなかった。学校生活やバイトとか、現実に生きている世界と自分の意識が置かれている世界が完全に乖離したような状態になってしまって。周りの友達にも言えなかったから、学校に行けば普通に会話もして、誰にも分からなかったと思うんだよね。だけど、自分の心は「もうどうしよう、どうしよう」って、悲しくてしょうがなかった。

望 月 たぶんそのときに、〈生きていること〉に対しての向き合い方がすごく変わったんだよね。〈生きていること〉は奇跡的で当たり前じゃない。命があるかぎりは、やりたいことを実現するために生きていたいと思った。ずっと気持ちは沈んで悲しかったけど、生きていくためにすごく大事なことをひとつ掴んだ気がする。

ーー 自分のやりたいことを実現するために生きたい。わたしも心のなかではそう思うのですが、時間が永遠にあると思ってしまってなかなか一歩踏み出せなかったりもします。望月さんは、卒業後はどのように過ごされていたんですか?

望 月 当時は仕事をする気になれなかったんだけれども、悲しみに打ちひしがれて何も出来ずに毎日を過ごすことも不安だった。自分の興味が持てるものじゃないと働ける気がしなかったから、向き合える仕事を探して。以前から好きだった写真集や画集を出している小さな出版社のバイト募集を見つけて、その何ヶ月か後に社員にしていただいて。

ーー アルバイトからの入社だったんですね。出版社ではどのくらい働いていたんですか?

望 月 営業として1年半働いて。その会社や仕事自体にも貢献したい気持ちはあったんだけど、このまま自分が営業をやっていくことに限界を感じてしまって。忙しく働くなかで、もっと自分が写真に向き合える時間が欲しかったんだと、気づいたんだよね。



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ーー 最初は写真を仕事にするのではなく、作品として制作をされていたんですよね。

望 月 就職してからも作品を撮り続けていたんだけど、いろんな事情で写真を仕事としてはじめたのは27歳のとき。それまでは、写真は自分が気になるものを撮ったり、自己表現をするためのもので、依頼されて撮影したりお金を稼ぐためのものではなかったの。

ただ、作品づくりの過程で、写真は趣味に収まるものじゃないなって思いはじめたんだ。撮ってひとりで見て納得するというよりも、誰かになにかを伝えたり、なにかを届けることを前提に写真と向き合いはじめていたのかな。けれどもそれは仕事ではなくて、自己をアウトプットすることだったんだよね。

mochi_1(なんとなく気になって声をかけた大学ラクロス部のアスリート達を、気付けば3年、フィルムで撮っていた。「人を撮る」事の難しさ、喜び、時の流れの尊さ、沢山の気付きをもらった思い出深い作品から。)

ーー なるほど。いろんな事情があったとのことですが、写真との関わり方が作品づくりから仕事へとどうして変わっていったんですか?

望 月 仕事としてはじめたきっかけは経済的な理由。27歳のときまでは、写真に向き合う時間をつくるために仕事を選んでいて、学校事務で派遣をしていたんだけど、収入が足りなくて。自分のできることを探したら、未経験者でも撮影の発注をしてくれる事務所を偶然見つけたの。そこでは、学校アルバム用の、入学式や運動会での撮影を手がけていて。やってみたらだんだん、写真の仕事を深めたくなったんだよね。

ーー 実際に写真を仕事にしてみてどうでしたか。

望 月 誰かに依頼されて撮影することはやりたいこととは違うと思っていたんだけど、実際にやってみたらおもしろかった。

写真の制作って、なかなか孤独な作業で。誰かに見せてはじめてコミュニケ−ションは生まれるけど、展示を続けても「写真をどうしたいの?」という答えは見えてこなかった。けれども、仕事は相手の反応がすぐにもらえる。最初は何を求められているか分からなくて、試行錯誤だった。とりあえず撮ってみて、もっとこうしたほうがよかったなって反省して、その経験を次に活かしていく。一緒に仕事をする相手から反応をもらいながら、目的に沿ったものを喜んでもらえるカタチでアウトプットできたときはすごく嬉しかったんだ。

ーー 写真を仕事にしてはじめて、その楽しさややりがいに気づいていったのですね。31歳で本格的に写真の仕事をするために独立をされていますよね。
 
望 月 写真の仕事をするために独立したいとは思ってなかったんだけどね。

写真一本で仕事をすることが本当に望んでいることなのか、ずっと分からなくて。自分が思っていることがカタチにできれば良いと思っていたから、そのために必要なら、色んなことを吸収しながら二足のわらじを履き続けてもいいかなとも思ってて。

mochi_2(母校、専門学校桑沢デザイン研究所「学校案内2015」(AD:後藤圭介/アゾーンアンドアソシエイツ)より。写真で仕事を始めた当初から、撮影でお世話になっている。)



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