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移り住む人たち − 高松編 − 第1回「物語を届ける人」


いつかどこかに移り住みたい。

日本仕事百貨を読みながら、漠然とそんなことを考えている方もいるのではないでしょうか。

でも、環境を変えることって、そう簡単ではありません。仕事も暮らしも、すべてが理想通りというのは難しい。その土地の魅力が厳しさの裏に隠れていることも。

実際に移住した人たちは、何をきっかけに移り住み、その地で暮らしているのでしょう。

今回は、香川県・高松市を訪ねました。


▼ そもそも高松って?という方、まずはこちらを読んでみてください。



話を聞いたのは、高松市への移住・定住希望者をサポートする「移住リーダー」の3人。それぞれまったく異なる道を辿ってきた3人のストーリー、全3回でお伝えします。






第1回は、四国や瀬戸内の島々の地域の魅力を発信し、世界160カ国以上からアクセスがあるWebメディア『物語を届けるしごと』などを運営している坂口祐さんです。

みなさん、それぞれのお気に入りの場所を訪ねて話を聞きました。


ここは、高松市の中心部に位置する「Kinco.」。

その名の通り、地元の金庫屋さんの事務所・倉庫として使われていた建物をリノベーションし、宿泊施設とカフェに。まちを訪れる海外からの観光客や地元の人たちの憩いの場になっている。


ここはよくオフィス代わりに使っています。ミーティングしたり、ひとりで仕事したり、外国人旅行客と話したりとか。

-海外からの方もいらっしゃるんですね。

そうなんです。前にここでオーストラリアから来た旅行者と話したことがあって。「近くで『ひょうげ祭り』っていう変わった祭りが明日あるよ」って教えてあげたんです。フェイスペインティングをした人たちが大名行列のように歩き、最後は川に飛び込むっていう変わったお祭りなんですけど。次の日さっそく行ったらしくて。外国の人はまず参加しないお祭りだから、地元の人も驚いたみたいです。


-ご出身は。

生まれは神奈川県の茅ヶ崎市です。1980年に生まれて。2010年に移住してきたんですけど、それまで四国の知り合いは0でした。

移住してから知ったのですが、母から、実はあんたのおばあちゃん四国の出身なんだって聞いたんです。さらに聞くと、祖母のお父さんは高松の人で、この近くで農家をやっていた、と(笑)。自分のルーツって意外と知らないものですよね。これってIターンでもUターンでもなく、ルーツを辿るRターンだなと思っています。

-Rターン。たしかに、自分のルーツってあまり知らないけれど、面白そうです。

無意識に選んできたつもりでも、人生って意外に一本の筋が通っていて。思い返せば、中学生の思い出が今につながっています。

父親が単身赴任でイギリスに行くことになって、夏休みに遊びにいったんです。イギリスの湖水地方。ピーターラビットの里と言われる、きれいな村が点在しているところがあって。そのときに連れて行かれた小さな村で、地元のお年寄りが「お前、この村が気に入ったか?」って話しかけてくれて。

それから建物を指差して「このレンガの色は“ハニーブリック”っていうんだ。きれいだろう?」って。うれしそうに話してくれたのを覚えてるんですよ。

わたしにはそれまで、黄土色のレンガの家にしか見えていなかった。当時はたいして英語も話せなかったですけど、“はちみつ色”という詩的な表現、そしてそれをうれしそうに話すおじいさんに、ものすごい衝撃を受けたんです。

-その衝撃が、ずっと残っていたんですね。

そうです。今でも残っています。

大学で東京の都市景観や河川の研究をしていたのですが、東京には時代の積み重ねがあって、まちを歩けばいろんな歴史が紐解けるし、楽しい部分もいっぱいある。けれども、自分の子どもや孫の世代に「これ、ハニーブリックっていうんだぜ」って言える風景が果たしてあるか?というと、そのときは自信はなくて。

大学を卒業した2006年。ハニーブリックの記憶を頼りに、スーツケース一個を持って、観光ビザでロンドンに向かいました。

英国では、都市や田舎に美しい景観が守られています。なぜヨーロッパではそれができて、日本ではできないのか。ロンドン大学のバートレット校に飛び込んで学びつつ、いろんなまちを歩き、話を聞きながら写真を撮って回る3年間でした。

飛び込んでみて、日本のよさにも気づけたんです。日本、いい国ですよ。郵便はしっかり届くし、ご飯もおいしいし。マメさとサービスのよさは圧倒的だと思います。

-外に出たことで、気づきを得て。それで帰国することにしたんですか。

はい。帰国後どんな仕事をしようか考えているときに、働き方研究家の西村佳哲さんのツイートを偶然見つけて。高松にある四国経済産業局の募集でした。四国4県を取材しながら、いろんな生業の人たちを取材し、紙とかWebで発信できる人。なおかつ英語ができる人だったらいいなというのを見て。「呼ばれてる」って勘違いして移住したのが2010年のこと。たった120文字ぐらいの文章が、わたしの人生を大きく変えたと言っても過言じゃないです。


-知り合いのまったくいない四国へ行くのに、不安はなかったですか?

ロンドンでの経験があったので、あまりそこは気にならなかったですね(笑)。言葉さえ通じればなんとかなるかなっていう感じで。

それに、四国にはお遍路文化が根づいているからか、外からの人をあたたかく迎えてくれる方が多いんですよ。取材で撮影した写真を「いい写真だね」とほめてもらえることも多いですが、わたしの写真の技術がいいというより、四国で出会うみなさんの笑顔が本当に素敵なんです。

-知らない土地だったけれど、自然と受け入れてもらえたんですね。

面接ではじめて四国に足を踏み入れたときの風景をよく覚えています。新幹線で岡山まで行き、マリンライナーで瀬戸大橋を渡ったんです。瀬戸内海って、春になるとよく霧がかかるんですよ。ガタンガタンと音を鳴らしながら進むと、霧のなかにポツンポツンと島が見えてきて、そこを船が交差している。それがわたしにとってはじめての瀬戸内海でした。


余談ですが、「瀬戸内海」の美しさは、100年以上前に欧米からの旅行者が“The Inland Sea”という表現を使ったことで広まったそうです。住んでいる人にとっては当たり前でも、よそから見たら価値あるものがまだまだ残っている。東京の友だちを連れてスーパーに行くだけでも、新鮮な発見があります。

-日常に、まだまだいろんな発見が散りばめられている。

そう。それを一つひとつ、アーカイブしていきたいなと思って。

当時の取材する仕事は副業ができたんです。四国各地でデザインの仕事を個人で受けつつ、旅先で出会った風景を自分のブログで発信しはじめて。それが「物語を届けるしごと」という屋号のライフワークになっていきました。

一方で、各地を回りながらもどかしさを感じていて。たとえば棚田って、もともと耕作には向いていない土地なんですね。石積みが崩れたら直してるおじいちゃんがいて、雨の日も雑草を抜いてるおばあちゃんがいて。よそもののわたしとしては、「きれいですね」までは言えるけど、「この棚田を未来に残しましょう」とは言えない気持ちがずっとあった。

この風景を未来につなぐためには、もう一歩踏み込まないといけない。そのひとつの方法が、目の前の食材を流通させることでした。そして2014年に仲間7人と立ち上げたのが、四国食べる通信です。2ヶ月に1度、毎回3人のつくり手さんを取材し、その人たちがつくった食材約500セットを全国に発送してきました。


-今は、お住まいは高松ですか。

はい。高松を拠点に、四国各地や瀬戸内海の島々を巡りながら仕事しています。高松はコンパクト・エコシティを目指していて、中心部にいればほとんどのことが完結するんです。わたしが移住してきたときは、都会すぎてショックだったぐらい(笑)。出張以外は自転車移動もできますし、今都会に住んでいる人にとっても過ごしやすいと思いますよ。

-四国のなかでも、高松を拠点にすることのよさってなんでしょう。

週末や休暇の楽しみ方が無限にあることですかね。四国のなかだと愛媛県の愛南町(あいなんちょう)が一番遠いんですが、日帰りで行って帰ってくることもできるし、ほかの主要都市や島にも、日帰りとか一泊で行けちゃう。ここをハブにしながら、多様な景色や文化に出会えるのが魅力だと思います。

瀬戸内海や四国で仕事をしていて感じるのは、この土地の多様性って、風景単体というよりも人と結びついているんだなって。それはつまり、人の暮らしと風景が密接な関係にあるということです。まちと、自然と、人の距離が近い。「あそこにはあの人がいるな」というように、人の顔が思い浮かぶくらい。

-土地と人が密接に関わっている。

行く先々で会う人が、とにかくすごい人たちばかりなんです。たとえば森本さん、徳島県佐那河内村(さなごうちそん)のみかん農家さんなんですけど。自分の後継ぎはいないのに、未だにみかんの木を植えてるらしいんですよ。なんでですか?って聞いたら、だれかが急にみかん農家やりたいって手をあげるかもしれない。でも、みかんって苗木から収穫できるまで10年近くかかる。俺がここで植えといたら、誰かやりたいときに受け継げるだろうって。

-うわあ…。森本さん、すごいです。

なかなかその発想って生まれないし、すごいなこの人!と思って、本当に感動して。各地でそんな懐の深い人たちに出会える。そのこと自体が、わたしにとってのハニーブリックなのかもしれません。


うまくバトンを渡せれば、やりたい人はいると思うんですよ。ただ、毎年どこどこのお年寄りが亡くなったって話が聞こえてくるんですよね。その度に、もっといろいろ聞いておけばよかったと思うわけです。おじいちゃんおばあちゃんの持っていた知恵とか、受け継いできた文化、遊び、技術とか、郷土料理も。

ここ5年10年が勝負だと思っていて。発信までできなくとも、とりあえず話を聞いて録音するとか、映像や写真に記録として残しておく。アーカイブは、楽しみながらこれからも続けていきたいですね。

-いつか地元に帰ろうとか、考えたりはしないですか。

今はここでの暮らしが楽しすぎるので、まだ地元に帰る理由はないというか。あとはやっぱり、瀬戸内海に138ある有人島のうち、半分行けたかな?というぐらいなので。まずはそこを全部制覇してから。

と言いつつ、きっともう一周したくなるんでしょうね(笑)。一緒に行く人が変わっても、季節が変わっても、新しい発見があるので。


物語のある風景がいくつも折り重なる四国。

プライベートの時間でひとつずつ訪ねるのもいいし、それらを紡いで届ける坂口さんのような働き方も、高松を拠点に実現できるんじゃないかなと想像します。

なにせ、まだ眠っているもの、人知れず途絶えようとしているものがたくさんある土地だから。

次に高松を訪れるときは、もっといろんなところへ足を伸ばしてみたいです。

(聞き手:中川晃輔)

▼第2回、第3回のコラムはこちら

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