コラム

移り住む人たち − 高松編 −
第2回「境目のない人」

いつかどこかに移り住みたい。

日本仕事百貨を読みながら、漠然とそんなことを考えている方もいるのではないでしょうか。

でも、環境を変えることって、そう簡単ではありません。仕事も暮らしも、すべてが理想通りというのは難しい。その土地の魅力が厳しさの裏に隠れていることも。

実際に移住した人たちは、何をきっかけに移り住み、その地で暮らしているのでしょう。

今回は、香川県・高松市を訪ねました。

▼ そもそも高松って?という方、まずはこちらを読んでみてください。

話を聞いたのは、高松市への移住・定住希望者をサポートする「移住リーダー」の3人。それぞれまったく異なる道を辿ってきた3人のストーリー、全3回でお伝えします。



第2回は、地域×スポーツを軸にさまざまなイベントやツアーを仕掛けている桑村美奈子さんです。

みなさん、それぞれのお気に入りの場所を訪ねて話を聞きました。

高松市内を走る電車、ことでんの瓦町駅から歩くこと10分。

路地裏にひっそりと佇む和菓子づくりの体験工房「豆花」に到着する。

桑村さんは、この工房を切り盛りしているあゆみさんとは7年来の付き合いなんだそうです。

これは、和三盆を使った干菓子と言います。どうぞ食べてみてください。

-いただきます。(ぽりっ)あ、おいしいです。やさしい甘さ。

おいしいですよね。あゆみさんのお父さんは、この干菓子づくりの道具である木型を四国で唯一つくっている職人さんなんですよ。なかなか普通の人が使う機会はない工芸品ですが、それを体験させてくれるのがこの場所で。県外から大切な友人が来ると必ず連れてきますよ。

-桑村さんご自身は、もともと県外の出身なんですか。

そうですね。出身は東京・高円寺です。徳倉さん(第3回)がUターン、坂口さん(第1回)がIターンで、わたしもIターンですが、おふたりと決定的に違うポイントがあって。それは、13年間、何度も通ってようやく移住したというところです。ゼロからちょっとずつ友だちを増やし、何年もかけてできることが見えてきたっていう感じでしょうか。なかなか決断できなかった女ですね、本当に。

-東京の外へ出たい、というような気持ちはあったんでしょうか。

高松に来た理由は、東京が嫌になったからじゃないですよ。わたし、東京もすごく好きなので。生まれ育った場所ですしね。たまに行くと、人ごみのざわざわした感じが落ち着くときもあります(笑)。

東京も、香川も好き。ほかにも思い入れのある地域はたくさんあります。実際、高松もその一つだったわけですが、よいご縁をいただいて住むことになりました。

たまに「桑村さんはなんで東京を捨てて香川にきたの?」なんて言われますが、別にどこかを捨てて香川を拾ったわけでもないんですけどね。自分が今、ベストだと思える場所を選んだつもりです。

-なるほど。そのご縁が生まれたきっかけから、詳しくお聞きしたいです。

もともとわたしは、東京農業大学に通っていました。青年海外協力隊の卵みたいな人がたくさんいる国際農業開発学科というところで、農業分野からの国際協力を勉強していたんです。卒業後も、フィリピンのネグロス島で関わった国際協力のNPOにご縁があり、就職することになって。そのときは、やった!海外で働ける!と思ったんです。

けれども配属されたのは、日本で各国の研修生を受け入れる研修センター。香川県の綾川町という、空港から近いところに行ってほしいと言われて来たのが最初ですね。

しかも当時のわたしは、東南アジアの地図は完璧に頭に入っていたのに、国内の地図はほとんど知らなくて。ありえないですよね。だから実は、自ら望んだわけでもなく、香川の場所すらよくわからないまま来てしまいました。

-それはなかなか大変ですね(笑)。

わたしが育った高円寺は3分に1本電車が来るのが普通だったのに、綾川町は1時間に1本ぐらいしか来ないし、駅からセンターまで徒歩30分以上かかるし、最初は本当に帰りたいと思いましたよ。10カ国20人ぐらいの研修生が来て、慣れない共同生活を一年半以上送るんですが、わたしが帰りたいって言うと、わたしたちはもっと帰りたいって。そうだよね(笑)、なんて言いながらも、気がつけばあっという間に時間が過ぎていきました。

実際、すっごく楽しかったです。海外の人と一緒に、農業というツールを通じて泣いたり笑ったりすることって、高校時代からのひとつの夢だったので。ある意味その時点で叶ってしまったんですね。

その一方で、当時のNPO業界では30歳定年説がささやかれていました。なぜなら、生活するのに十分な給与を支払えているNPO団体がまだまだ少なかったからです。今でこそひとつの選択肢として認知されてきましたけど、10年以上前はまだまだ厳しいのが実情でした。

この人たちが長く働けるようになるためには、東京に戻って働きながら、お金やビジネスのことを学んできたほうがいいのかもしれない。そう思って、NPOを辞めました。

-それで、東京へ戻ったんですね。

はい。東京の会社員時代は、いろいろな仕事をしました。最初に大学生の就職支援の仕事をして、そこからITコンサル会社の採用担当、イベント会社で営業と企画も経験して。お金の流れを見ることや、チームで働くことは、しびれるほど面白かったです。

-再び香川に関わりはじめたのは。

東京に帰ってきてからも年に1、2回は往復していましたが、頻度が増えたのは2010年ぐらいでしょうか。平日は会社員をしながら、金曜日の夜に新宿駅のバスターミナルから夜行に乗ってきて、香川でイベントをつくりはじめたんです。当時はまだLCCがなかったので、土日に打ち合わせして、日曜の最終のマリンライナーで帰る、みたいなことを繰り返していました。打ち合わせ後、高松市のレンタルサイクルに乗って「そろそろ時間なんで」と帰るわけですが、地元の人はまさか東京まで帰るって思っていなかったらしく、すごくびっくりしたみたいです(笑)。え、あの子住んでなかったん?って。

その後、2014年に高松人間力大賞の準グランプリをいただいたり、四国の4新聞社が主催のフォーラムに登壇したりと、いろいろなご依頼をいただくようになりました。とはいえ、まだ会社員だったので、お受けすることができなくて。そのころから少しだけ「香川に住む」という選択肢がちらつきはじめました。

-お話を聞く限り、かなりいろんなことに挑戦されている印象を受けましたが、移住に関しては最後まで慎重だったんですね。

高松で一人暮らししたときの費用を計算して、自分の貯金額と照らし合わせてみたり、1年間収入がなくても、あの農家さんがバイトさせてくれるって言ってたな…とか考えたり。慎重に、ちょっとずつ自分のなかの不安要素をつぶしていった感じですね。

とりあえず1年やってダメだったら帰ってこようと思って、高松に来たのが2015年。こちらに来てからもたくさんのことを経験することができました。古民家を会員制宿泊施設にしたり、プロモーションの仕事もしたり。高松法人会さんと一緒に、税金教育とスポーツ鬼ごっこを掛け合わせたイベントもやりました。

-税金教育とスポーツ鬼ごっこ…想像がつきません。

そうですよね(笑)。まず、鬼ごっこをルール化したニュースポーツであるスポーツ鬼ごっこを行い、そこで得た得点を持って税金ブースに行きます。そこでは税務署の職員の方が税金にまつわるクイズを出してくれる。その結果次第で得点が変動するわけです。

授業では注意散漫だった子どもたちも、とりあえず得点がほしいから「ちょっともう一回言ってもらっていいですか!」って、前のめりになって。自分たちで作戦立てたり、ノートをつくりはじめたりするのを見ながら、心のなかでしめしめと思っています。

-ちなみに、なぜスポーツイベントなんですか。

わたしの場合、スポーツイベントをつくることが目的ではないんですよ。そもそも自分がスポーツが得意ではないこともあり、イベントの過程で楽しく関われる人をどれだけ増やすかが大事だと思っていて。

たとえばボーリングに行ったとき、ストライクを出した瞬間、あまり仲良くない人ともハイタッチしちゃうじゃないですか。何この距離感!?って。不思議ですが、すごく面白い部分ですよね。人との距離を縮められたり、何かに興味を持つきっかけをくれる。それがスポーツイベントの面白さだと思います。

-高松での暮らしの側面からも聞いてみたいです。

高松の暮らしやすさは何といっても、ちょっと気分を変えたいなと思ったときに、20分ぐらいで島まで行けたりすることですかね。20分でどこまでいけるかと考えてみるとだいたい、東京駅から中央線で高円寺まで行けるぐらいです。その時間が、高松港から女木島まで行くのと一緒だと思ったら、テンション上がりません?わたしだけかもしれませんが。

-たしかに、ちょっと電車で移動するような感覚で島に行けるのはいいですね。

あと、わたしが気に入っているのは「コミュニティ感がちょうどいい」ということです。

-コミュニティ感。

情報がいっぱい溢れている都会もわたしは好きですけど、30歳を過ぎたくらいから、自分がほしい情報はある程度選別できるようになってきました。膨大な情報を一身に受けるよりは、自分がちょうどいいと思えるコミュニティのなかで、必要なものを拾っていくほうがいいなと。

ただ 都会のようにたまたまキャッチできる情報は少なくなるので、必要な情報はお金をかけてでも、自分でいろいろなところへ取りに行くように心がけています。

-そう考えると、移住という選択肢が少し身近になるかもしれません。

移住しても高松で完結しなきゃいけないわけではないと思います。首都圏や海外で仕事をしつつ、高松に住む、でもいいですよね。県内でも多様な働き方をする方が増えてきています。高松を拠点として、この四国という島を遊び尽くす。いいとこ取りをしたらいいな、と思いますよ。

来年の4月で、高松に来て丸3年になります。とはいえ、わたし自身も、生活や仕事のしかたも実験しているところです。

高松での生活が、誰かにとっての選択肢の一つになればうれしいですね。

直感的に飛び込む移住もあれば、桑村さんのようにじっくりと関わりを持ちながら模索する移住、という形もあると思います。

どちらがいい、とは一概に言えません。自分だったら後者のような気もする。

いずれにしても、移住は大きな決断のようで、実は今の仕事や暮らしの延長線上につらなる無数の選択肢のひとつなのかもしれない。そんなことを思いました。

すでに高松をよく知る方も、今回はじめて知ったという方も。何か惹かれるポイントがあったなら、一度高松を訪ねてみてはいかがでしょうか。

(聞き手:中川晃輔)

▼第1回、第3回のコラムはこちら

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