コラム

移り住む人たち − 高松編 −
第3回「全力な人」

いつかどこかに移り住みたい。

日本仕事百貨を読みながら、漠然とそんなことを考えている方もいるのではないでしょうか。

でも、環境を変えることって、そう簡単ではありません。仕事も暮らしも、すべてが理想通りというのは難しい。その土地の魅力が厳しさの裏に隠れていることも。

実際に移住した人たちは、何をきっかけに移り住み、その地で暮らしているのでしょう。

今回は、香川県・高松市を訪ねました。

▼ そもそも高松って?という方、まずはこちらを読んでみてください。

話を聞いたのは、高松市への移住・定住希望者をサポートする「移住リーダー」の3人。それぞれまったく異なる道を辿ってきた3人のストーリー、全3回でお伝えします。



第3回は、株式会社ファミーリエの代表をはじめ、「父親」を切り口にさまざまな活動をしている徳倉康之さんです。

みなさん、それぞれのお気に入りの場所を訪ねて話を聞きました。

待ち合わせ場所は、高松のベイエリア「サンポート高松」。138ある瀬戸内海の島々への玄関口として、たくさんの船が行き交う港だ。

海沿いを歩けば、そう遠くない距離にいくつかの島影が見える。かもめがゆったりと空を飛び、やさしい波音が繰り返す。

徳倉さんもよく足を運ぶというお気に入りの風景を眺めながら、お話ししました。

ぼくはこの海が好きで。おだやかでいいですよね。

あそこに見えるのは女木島(めぎじま)といって、「桃太郎」に出てくる鬼ヶ島のモチーフになったといわれる島です。主要先進国のなかで、ターミナル駅から島に行って遊べる場所というと地中海が有名ですけど、島に着くまでだいたい2〜3時間かかる。ここみたいに15分〜1時間でいろんな島に行けるところはまずありません。

-高松で暮らす人にとって、島は身近な存在なんですね。

そうですね。最近は瀬戸内国際芸術祭の影響もあってか、ヨーロッパやアメリカ、アジアからの観光の方も多いです。夏のお祭りではおしゃれな屋台が並んだり、ジャズフェスティバルがあったり。

-もともと、こちらがご出身で。

はい。高校卒業までこの高松で育ちました。東京の大学に進学して、18年ほど東京・埼玉で暮らしながら働いて。2015年の3月ですかね。同じく高松出身の妻と3人の子どもと一緒に、Uターンしてきました。

-帰ってこられるまでの経緯を、もう少し詳しく伺いたいです。

会社員時代は、大手企業で営業をしていました。仕事がとにかく好きで、数字を積み上げることに何よりのやりがいを感じ、寝る間も惜しんで働くスタイルをとっていたんです。そんな働き方が続いて無理がたたり、一年ほど仕事を休んでしまう結果になりました。

療養期間中も、悪いことばかりではありませんでした。中学の同級生だった妻と再会し、結婚。その後はぼくが働く埼玉で一緒に暮らしはじめ、子どもにも恵まれました。

ただ、働きながら子育てをするなかで、今度は妻の働き方について考えるようになって。妻は専門職で、もちろん産休や育休は取得できるものの、今後のキャリアを考えると少しでも早く仕事に復帰したいという状況でした。

そこで、妻が産休と育休を合わせて4ヶ月、ぼくが8カ月の育休を取得することにしました。これは2009年、世の中に「イクメン」という言葉がまだなかったころの話です。

-それはなかなか、勇気のいる決断ですよね。

1000人以上いる会社のなかで、男性の育休取得はぼくが第一号。「徳倉はキャリアを諦めた」と実際に言われましたし、新人のころにお世話になった上司には、当時のフロアまでその方が来て「何考えてるんだ!」と怒鳴られたほどでした。

とはいえ、今後の日本はきっとこういうふうに変わっていく、という確信があったんです。当時読んだ本には、アメリカでは5世帯に1世帯は女性のほうが高収入を得ているという調査結果も出ていました。男性だけが働き、女性が育児や介護を担うスタイルは、時代に追いついていないんじゃないかと思うようになって。

それに加え、一度長期に休んだあとに仕事に復帰したことで、育休後も働き続けて成果を出せるという自信もありました。その後NPO法人に勤めたり、独立したりと環境は変わりましたが、結局3人の子どもが生まれるタイミングで計3回育休を取りましたね。

-Uターンという選択肢は、そうした働き方やキャリアについて考えるなかで見えてきたのでしょうか。

時代がどう変化していくのかを常々考え、それに合わせて仕事の内容や住む場所、働く形態を変えてきた、というほうが感覚として近いかもしれません。自分のなかでは、どういうふうに働くか、どこで暮らすかっていう壮大な社会実験だと思っています。

-壮大な社会実験。

「働く」と「生活する」のように別々だったものが、これからどんどん重なっていくんだろうなっていうことはひしひしと感じますね。

大都市で効率的に働いて生きるという考え方もわかります。ただ、それは地方都市でもできるよって言いたいんですよ。自分なりのスキルと、考える力と、強い意志を持ってさえいれば、自分の地元でもきっと実現できるはずだって。

-お話を聞いていると、大きな視点も持ちつつ、身近な存在である「家族」という軸も常に大切にされているように感じます。

何事も独りよがりでは意味がないので。どうやって優先順位をつけていくのか、家族でよくよく相談しながら決めています。

幸い妻も高松出身で、お互い高松のことは好きだし、いつか帰ろうと思っていました。そのタイミングを先延ばしにすればするほど、おじいちゃんが倒れたとか、おばあちゃんの介護が必要だとか、ネガティブな理由になる可能性は高くなる。じゃあ、一番ポジティブに帰れる、家族の最大公約数はどこにあるのかっていうことを探ったときに、転校や親の介護を見据えるなら、長男が小学1年生になるタイミングがいいねと。

-なるほど。

それにね。自分自身が、あと何回自分の親とご飯食べられるかなとか。子どもが何回おじいちゃんおばあちゃんに会えるかなってリアルに計算したときに、遠方にいたら、年に帰省できる機会は多くて5回。仮にうちの両親があと20年生きるとして、100回。とても少ないなと思ったんです。

-100回。たしかに、少ないように感じます。

孫が小さいときにおじいちゃんおばあちゃんと触れ合うことは、おじいちゃんおばあちゃんにとっても幸せですし。これから年老いて別れの日が来たとき、年に数回しか会えなかった祖父母が亡くなるのと、いつも近くにいた祖父母が亡くなるのは、やっぱり感じ方が違うと思うんですよね。この週末も、おじいちゃんおばあちゃんと遊ぶんですけど。

そうやって喜びだけじゃなく悲しみがあったり、穏やかな気候と海があったり。人と自然の営みを把握できるこの環境っていうのは、すごくいいなと思います。

-ちなみに、現在はどんなお仕事をしているんですか。

まずは株式会社ファミーリエという会社の経営がひとつですね。働き方や男女共同参画、子育て支援の領域で、国や自治体等の委託事業、企業のコンサルティングなどを請け負っています。

2つめは、毎週水曜日、高松で小学生から高校生までの国語の塾を経営しています。高松在住のコピーライターの方と共同経営という形で、1年前にはじめました。今通ってくれているのは10人弱ぐらいかな。週に一回開いています。

3つめが、NPO法人ファザーリング・ジャパンという、日本最大の父親支援のNPOの理事。そのほかにも、複数のNPOで理事をやらせていただいてます。

これら以外にも、毎週金曜日のテレビのコメンテーターや、国の委員をやったり、大学院に通って論文を書いたりしています。やりたいことがてんこ盛りです。

-本当にいろんなことに取り組まれてますね。

トライしてみて、だめだったら別の道もあると思っているから。逆の発想ですよね。

もっと言うと、子どもと過ごす時間を思いっきり増やしたかったので、就職ではなく自分でコントロールできる起業を選びました。だから今は、子どもの夏休み期間中などは固定でいただいているお仕事以外は予定を入れないようにして、子どもと目いっぱい一緒に過ごすことを優先しています。

-すべてが徹底してますよね。仕事も、生活も、遊びも。

当たり前のようですけど、子どもの夏休みは永遠にあるわけじゃないですよね。しかも、かつての自分がそうであったように、思春期に入れば親と過ごす時間は格段に減ります。たった数回しかないチャンスにどれだけ全力で遊べるかを真剣に考えた結果が、今の生き方・働き方につながっているんだと思うんです。

だから「今日は天気がいいから海に行こうか!」とか、「雨降ってるから映画でも観にいこうか」とか、その日に合わせて子どもと遊びますよ。泳ぎもするし、釣りもする。夏は親子揃って真っ黒です(笑)。

-楽なことばかりではないでしょうけど、高松での暮らしを満喫されているように見えます。

高松での暮らしには、基本的に大満足です。気候は温暖で晴れる日が多いし、海も穏やか。島で遊ぶこともできれば、山のほうへ行くこともできる。それに洗練された都会的なまちなみもある。いい意味で小さいまちです。選択できる幸せがあるというか。

-その人次第でいろんな選択ができそうです。

それから、子供に「危ない!」って言う機会が激減しました。子どもにとって、都会は狭いんですよ。突発的に動いたり走ったりするから、言いたくないのに言わないといけない。そうすると、子どもの行動ってどんどん制限されていく。この場所も、たとえば海に落ちるのは危ないですけど、広々してるでしょ。ころんで怪我するぐらいはあるけど、想定内なので。ひとりあたりのスペースが広くとれるのは、子育てするにはいいことだと思います。

-あらためて、徳倉さんにとっての高松はどんなまちでしょう。

なんてことないものが、すごくいい感じのまちだと思います。こんな何気ない原風景があるかないかって、えらい違いがあるなと思っていて。

なんでもあるかっていうと、すべてがあるわけじゃないですよ。でも、ちょっとおかしな話ですけど、すべてがあるところになんでもあるかっていうと、ないんです。

-ここにしかないものも、たしかにある気がします。

親としては、子どもたちにふるさとをつくってあげられたのが一番かなと思っていて。これから先、東京や大阪、海外に行くかもしれない。そこですごく大変なつらいことがあって、逃げ出したいと思ったとき、瀬戸内海の見えるこの場所に戻ってきたいと思ってもらえたら、それはそれでOKかなと。

家族、友人、仕事仲間。移住には実はいろんな人が関わっていて、自分ひとりで決められないことも多いと思います。

そうして迷ったときには、徳倉さんの決断のプロセスがひとつの道しるべになるんじゃないかと感じました。

メリット・デメリットをすべて挙げて潰していく、というのではなく、本当に大事にしたいことをひとつ見つけて、それを実現するために全力を尽くす。徳倉さんの場合、“家族の時間”を大切にするためにできることは何か、絶えず考えては実行してきたからこそ、今の暮らしへとつながっているように思います。

あなたが大切にしたいことは、なんですか。

(聞き手:中川晃輔)

▼第1回、第2回のコラムはこちら

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