コントリビューター兼松佳宏さんインタビュー
「思いを引き出す」

仕事百貨では、これから外部の方々にも記事を書いていただくことになりました。今回はそのコントリビューターを務めるgreenz.jp編集長の兼松佳宏さんにお話を伺います。

いま住んでいる鹿児島から、イベントでこちらに来ていた兼松さん。取材はお天気雨の降る早朝、仕事百貨とgreenz.jpでオープンしたリトルトーキョーの2階の座敷にて。代表ナカムラケンタと対談しました。

プロフィール
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―僕が兼松くんと最初に出会ったのは、たしか2009年くらい。IID(世田谷ものづくり学校)だったね。

うん、初めて話してみてピンと来たんだよね。「おもろいね!」って。

―もともと知ってたけど、すぐに意気投合して、「greenz.jpでも求人やりたいんだよね。」「じゃあ僕らと一緒にやろうよ!」みたいな話から。

もともと、greenz.jpのマネタイズの方法として求人をやったらビジネスになるかな?と漠然と思っていたんだけど、僕らがやりたいこと以上のことをやってたからね。それなら仕事百貨と一緒にやればいいと思って。

―今振り返ってみると、グリーンズもあのときから定義が変わったもんね。最初のコピーは何だっけ。

“エコスゴイ未来がやってくる!”が、2006年。そしてその次の年には、“エコスゴイ未来がやってきた!”に。それから2009年には “あなたの暮らしと世界を変えるグッドアイデア厳選マガジン”になった。

エコも大事だけど、それだけじゃないよね、ってことで「エコメディアじゃないってば宣言」をして「グッドアイデア」にフォーカスするようにしたの。あとは、「世界を変える」ってよく言うけれど、暮らしから変わっていくのも大事だよねって、「暮らしと世界を変える」にして。

結構気に入ってたんだけど、また2013年に「ほしい未来は、つくろう」に変えた。今の気持ちは「変える」じゃなくて「つくる」じゃない?って。

―「変える」と「つくる」… 大きく変わったよね。

そうだね。何かを変えるにはそれなりに時間もかかるし、変える対象を意識してしまうでしょ。そうすると余計なエネルギーを使うかもしれない。でも「つくる」だと、まず自分のことからはじめられるよなあって。

でも最近、NPOグリーンバード代表で港区議の横尾俊成さんが書いた、『「社会を変える」のはじめかた』という政治の本を読んだの。そこで彼は「つくるから変えるへ」って言っていて、うん、確かにそうだなと思って。

―逆だ。

というのは、ある程度つくっちゃうと、どうしても既得権益とか、どうしても超えなくてはいけない壁にぶつかるんだよね。そこまでやりきったらもう法律とか政治のルールを変えていくしかないから。それはすごく前向きで、地に足の着いた「変える」だと思って。ちゃんと体で動いてつくってみた上で考えたり話してみると、すごく良い議論になる。何もかも「反対!」「シフト!」ってなるのもよくないような気がしていて、僕たちがやっているのはしっかりした下地をつくることなのかなって。

―なるほどね。ところで今回は、日本仕事百貨のコントリビューターとして兼松くんに声を掛けたわけだけど、まずは兼松くんが今グリーンズで編集長としてどんな役割をしているのか、あらためて聞いてみたいな。

編集長としての僕の大事なミッションは、すごく良い記事が毎日2本、必ずグリーンズに上がること。ほかにもいろいろあるけれど、最終的にはそれがグリーンズの価値を高めていくことだから。

―うん。良い記事ってどういうものなの?
 
贈り物を届けるような気持ちで書かれている記事かな。グリーンズの場合、読者が主役なわけで、読者というよりは参加者に近いと思ってる。だから、記事に出てくる素敵な人ももちろん素晴らしいのだけど、この記事を読んだあなたが次に何をするかが大事。

ということを考えていくと、ライターさん自身がウソ偽りなく自分の言葉で書くということ。そして、自分がこう思うってジャーナリスト的な記事も面白いけど、もっと取材先に寄り添ってイタコ的に言葉を拾っていく、というスタンスが徐々に見えてきて。ライターさんからよく言われるのは、「グリーンズに記事書くのしんどい。けど楽しい!」

―しんどいけど楽しい。

読者も取材先も温度が高いので、その分、責任感も感じている人が多いみたい。ほんとに向き合わないと書ききれない。

―なるほどね。今回同じくコントリビューターとして声を掛けた西村佳哲さんは今、誰かひとりに寄り添って本を書く、そういう依頼が増えているんだって。それはライターなのか、と言われると違うかもしれないと。単に発せられた言葉を書くのではなく、いかに言葉を引き出すかだからなのかな。
 
うんうん。西村さんのインタビュー術はグリーンズでもすごく参考にさせてもらってる。基本的にはライターさんのスキル次第だったりするけど、それをみんなで一緒に高めていく仕組みをつくるのも、僕の仕事なのかも。たとえばグリーンズのライターさん同士がもっと仲良くなったり、そういう工夫でどんどん記事が良くなることに最近気づいて。

―グリーンズでも色んな役割が見えてきたんだね。そんな折に「仕事百貨でコントリビューターにならない?」って言われて、正直どう思った?

ナカムラケンタのお願いだから、やりたいって思った。最近は結構、想定の範囲内で収まることが増えてきていて。だから、こういう無茶ぶりはありがたいなと。

―ありがとうございます。

あとは西村さんや田北さんなどほかの方々が、大好きな人ばかりで。この中に入ってて嬉しいなって。

あとね、まだ何も決まっていない新しい枠組み、要するに0期に入るのがすごく好きで。たぶん便利屋なのね、僕(笑)初めてのことに声をかけやすいみたい。それは役得だと思うし、僕もいいねって思うことなら、ぜひ巻き込まれたい。

―今回のコントリビューターはクライアントから指名してもらうことが基本なのだけれど、今兼松くんが訪れたい場所、知りたい仕事ってある?

今は『空海とソーシャルデザイン』という連載をしていることもあって、空海ゆかりの場所、たとえば四国とか行ってみたい。あと働き方としてすごい興味があるのは、数百年くらい先を見据えてビジネスしてる人たちかな。

―日本仕事百貨でもそういう企業はある。目の前のことを続けていくと、自然と未来への射程が伸びていくみたい。今と数百年後がつながっていくんだって。

いいね。以前、木曽を訪れたとき、伊勢神宮に木を奉納している池田木材っていう会社を見学させてもらって。そこは、特別な条件で育った樹齢400年の木を扱っているんだけど、もうほとんど残っていないみたいで、あと数回しかできないんじゃないかって言われているらしくて。

400年前というと江戸時代だけど、その頃の人が植えた木を、今の時代に使わせていただいている。じゃあ今、僕たちが植林するというのは、400年後の伊勢神宮のためなんだなって。東京でいうと、代々木公園も100年前にデザインされたものなんだって。杉だけを植えるか、多種多様な森にするか、100年前の人が議論した結果、今の豊かな森になったと。そういう長い目線で働くことを、僕たちは意識していないように感じて。

―そういう働き方に興味を持ち始めたのは、どうしてなの?

そうだなあ。グリーンズのメッセージとして「自分ごと」を大事にしよう、って言ってきたわけだけど、最近ちょっとそれが守りになっちゃってるような気もして。敢えていうと近視眼的になりがちというか。さっきも言ったように、つくる人になった後は「変える」だったり、未来のことや環境のことだったり、もっと広いテーマのことに視野を広げていくのが自然だと思っていて。

あとは僕自身が周期の変わり目にいるってのもあるかな。

これまでは周りに素晴らしい人がたくさんいて、この人たちを応援すればもっと世の中が楽しくなると思って、後方支援をしてきたわけだけど。今は心強い仲間が増えてきたし、僕の役割も変わってきているのかなって。だから今が応援されたいってそういう時期(笑)

―そういう時期なのか。

『空海とソーシャルデザイン』は内沼くんと組んでいるわけだけど、人から編集されるっていうのはすごく気持ちがいいね。スープストックの遠山さんがあるとき、7年周期でいろんなことに挑戦してきた、という話をしていたのだけど、26歳でグリーンズを始めたから、33歳から40歳までは作家みたいなものをちゃんとやっていきたいなと思っています。ちょうど娘も生まれて、そうするほど子育てがしやすくもなるし。

―そうだろうね。

ケンタくんはどうなの?たとえば今のシゴトヒトは、ナカムラケンタっていう社長がいて、良くも悪くもコントロールできる範囲でやってるよね。

―そうだね。

でも、コントリビューターは100%コントロールできない人たちわわけで、そこは面白そう。要は自分をどんどん手放す第一歩。そこからポストナカムラケンタが育っていくのか入るのか。それがたぶんシゴトヒトの次のフェーズなんだろうなって。

―そうだね。やっぱりトップがひとりっていうのはやりやすいよね。フレキシブルにできるから。ただ、ひとりでやれることは限られてるし、一緒にやっていると自分が思いつかないことをできるっていうのはあるから、コントリビューターに入ってもらったんだよ。

今は何がやりたいのかな。あんまり計画しないんだけれども、しばらく新しいことをやり続けたから、今はじっくり目の前のことをやりたいな。

リトルトーキョーでリノベーションのことを考えてるとき、すごい生き生きしてた。

―(笑)やっぱり、僕は場所をつくることが好きなんだろうね。次は大家さんになりたいな!自由にやりたい。個人的なこともとことん深めていけば、自ずと広がっていくと思うし。

うんうん。そういうの好きそうだよね!僕もこれまでを振り返ってみると、自ずと広がってきた感じかな。30歳で編集長になって、そこから32歳で本を出して。出してみたら、ソーシャルデザインの専門家って思われるようになった。多分ケンタくんは働き方の専門家っていう位置づけになってるよね。

―そうかもね。

僕自身、ソーシャルデザインというひとつのテーマにフォーカスできた今、それを軸に、別の方向に向かって行きたいと思っていて。そこでまず空海について書き始めたし、その先は文学もファッションも興味がある。

最近気付いたのは、そういうテーマって今までの人生で興味があったんだけど放置していたものを、大人になってもう一度見つめていくことなんだなあって。空海を知ったのが24歳のときだし、20歳のときはフランス文学部だったし、ファッションは16歳のときに好きだったもの。こうしてタイムマシンみたいに、どんどん自分を振り返ってる。ひとつの専門性を持って見てみると、掘り下げるべきところがクリアに見えてくるというか。
 
―それはそう思うよ。今また大学に戻ったり、建築をするのは楽しそう。

うん。ただ、多くの社会人にとって一から大学に入るのは大変だと思うし、きっと今のことをやりながらのほうが楽しいはず。それで僕が最近広げようとしているのが「わたし大学院」というもので。自分でカリキュラムを組み立てて、2年で「◯◯博士」を目指す“私立学校”なんだけど、誰でも設立可能で、教授もキャンパスも学食も、夏休みも博士論文もその人次第。僕がわたし大学院事務局になってカリキュラムづくりをお手伝いながら、誰にも真似できないユニークな専門家を増やしていきたいなって。卒業論文としてブログを書いてもいいし、本を自費出版してもいい。

―本が論文なわけだ。それは楽しそう。

僕の最初のわたし大学院は、2011年に「社会学研究科 ソーシャルデザイン専攻」として始めて、2年で2冊の本を出版して一区切り。2013年からは「哲学研究科 空海とソーシャルデザイン専攻」として空海のことを研究中。2015年からは「文学研究科 物語とソーシャルデザイン専攻」を2年間やろうかなと。

ひとつでも学びのテーマが見えてくると、情報とか出会いとかいろんなものがやってくるし、表情もいきいきしてくる。いまは市民大学も増えてきたけれど、次のステップは私はこれの専門家ですっていえるようになることかなって。そのために2年くらい時間を欠けて、やりたかったことに向き合う「わたし大学院」を広げていけたらと。

―たしかに、実践を伴いながら勉強すると、また違った発見がある。兼松くんも大学生のときに文学を専攻していたけど、今はまた違った向き合い方になるんだろうね。

そうそう!

―何か自信のあるものが出来ると、そこから広がっていくよね。

誰でも自分の中に仏性を秘めている、というのが空海の教えで。それって自分をいかして生きるってことだと思うんだよね。下手な自信じゃなく、自分がここまでやりきったっていう自信を持つ人が増えていくといいなと。

―ぼくもそう思う。

これまで話してきた背景があって、今後兼松くんがどんなふうにクライアントの言葉を引き出していくのか、今から楽しみ。どうぞ、よろしくお願いします。

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日本仕事百貨では、クライアントと日々向き合いながら、用意された言葉をそのまま書くのではなく、いかに相手の思いを引き出すかを大切にしています。それはタイミングや場所、そして取材する人によって内容は変わるかもしれません。

つまり、取材によって、求人記事は変わってしまう可能性があるのですが、給与や勤務地、それに採用担当者のメッセージなど、定型化された情報だけを提供するよりも、得られることのほうがたくさんあると考えています。

このやり方ですと、たくさんの仕事を紹介することはできないかもしれません。ただ、じっくりといろいろな生き方・働き方があることを紹介していきたいと思います。

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▶西村佳哲さん「いま、あらためて振り返る」
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