コントリビューター田北雅裕さんインタビュー
「正直であること」

日本仕事百貨では、これから外部の方々にも記事を書いていただくことになりました。

これからコントリビューターをお願いするのが田北さん。シゴトヒト代表のナカムラケンタと対談を行いました。


プロフィール
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ー(ナカムラ)仕事百貨のコントリビューターをやるというのを聞いて、最初にどう思いました?

(田北)コントリビューター自体はよく分からなかったけど、ナカムラくんなら一緒にやっても大丈夫だろう、みたいな気持ちはあった。訳が分からなくても仕事を受けちゃうことはよくあるんだけど(笑)、その場合、ある資質みたいなものがないとうまくいかないんだよね。「子ども性」みたいなものかな。

ー子ども性?

そもそも、生まれたときはみんな子どもで。それがだんだん成長するに従って、社会の中での自分の役割が固定化されていく。そうして大人になっていくわけだよね。その中でよくわかんない仕事を「よし、やっちゃおうか!」で一緒にできる人って、なんとなく子ども的な感覚を持ってる人かなって。

ーいろいろな縁やしがらみから、それぞれの生き方働き方って生まれていくのでしょうけど、子ども性みたいなものを持つことも、良いことがあるような気がします。

会社で言うと、新入社員が「子ども性」を持ち合わせた人の典型だよね。たとえば自分の部署とは関係のないところで問題が起きたとき、その問題は見えにくい。見えたとしても、管轄外に手を出すのは経営として効率的じゃないと「大人」な判断をしてしまったり。でもこの問題が、どこの部署にも属さないものだったら、誰も解決しようとせず、会社にとって致命的な問題になってしまうことがある。

そんなとき、その問題に「新入社員」が気付いたりする。自分の役割が固定化していないので、良くも悪くも自分が携わるべき範囲が分からなかったり、勘違いして余計なことをやってしまったり… その結果、問題を掴まえて解決したりすることがある。これはいわば「子ども性」がよい方向にはたらいた状態かな。

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ーその子どもになるっていうのは、いろんな方法で試されているように思います。その方法を提供する人もいれば、それを体験させるやり方もあったり、ほんとにいろいろあると思うんですけど、どういう方法がいいと思いますか?

それはケースバイケースだと思うけど… たとえば、兵庫の病院で小児科医が不足したことがあって。そのとき、普通であれば病院や行政、大学病院などに「医者を増やして!」とクレームがいきがちなんだけど、地域の人たちは何をやったかというと、「お医者さんに『ありがとう』を言う運動」をしたんだよ。厳しい労働環境の中でも働いてくれている人たちに感謝をしようと。まずはそれが先じゃないかと。

ーなるほど。

その結果、お医者さんが増えた。

ーへえ。

それって、いわばイソップ童話の「北風と太陽」だよね。北風になって服を脱がすんじゃなくて、太陽になって「こういう中でもいつも頑張ってくれて、ありがとう」と言ったらその人たちはがんばって仕事を全うするだろうし、そこに触れた周囲の人たちも、だったら働けるんじゃないかということでやってくる。

ーそうですね。

この構造は、さっきの「新入社員」の例と似ていて。制度的な立ち位置ではないレベルで、地域の人たちが正直にはたらきかけて、結果的にお医者さんの役割が最大限に拡がり、気持ちよくがんばれている状況だと思う。

ー世の中には働き方に対する本がたくさんあります。押しつけるようなものだったり、ある種麻薬的な、読むとこう、気持ちよくなるような本が多くて。あれって北風なのか太陽なのか、どうなんですかね?

太陽のふりをした北風のような気はする。

ーああ。

ちゃんと相手を見据えた言葉かどうか、というのが、大事なポイントかもね。キャッチーな「なんとなくポジティブな言葉」は支持されやすい。でも、相手を見据えず、遠くから語られたポジティブさは解像度が低いので、その時点で、しっかり向き合わないと解決できないような複雑で切実な問題を抱えている人たちを阻害してる一面があるよね。

「ポジティブだから」という理由で支持され、つくられた自己啓発系コミュニティが、切実な人をさらに追い込んでいく構図はある。その暴力性には自覚的であるべきだとおもう。太陽のふりをしているけど、実は太陽じゃないんだろうね。

ーたしかにファシリテートしているようで、相手をコントロールしようとしている人っています。とはいえ相手が見えない場合って難しい。たとえば書籍とか、日本仕事百貨の記事もそうですが、どういうスタンスで書いたらいいのでしょう。

正直であることじゃないかな。自分や取材対象の人たちに対して正直に向き合っていれば、この人たちは誠実に情報発信してくれているなって姿勢が伝わってくるから。正直さが信頼を根本で支えているものだと思う。

あと、ぼくがまちづくりの現場で考えるのは、「住民になる」ということ。

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ー住民っていうのは、住む人?

うんあの、当事者になるってことを「住民になる」って言っているんだよ。

ーああ、当事者か。

たとえば、行政の人たちが、「これからは住民の力で…!」なんて言い方をよくするんだけど、すごく違和感があって。行政職員も、そこに住んでる同じ住民なのに。住民じゃない位置に、自分を都合良く位置付けているだけなんだよね。

同じ住民だと捉えたとき、つまり当事者としての感覚を共有できてはじめて、一緒に動けることがあって。特に問題が切実であればあるほど、そういう「住民になる」という感覚がないと、ブレークスルーはできない。最初から「私とあなたは違います」とした時点で、制度的な枠組みで解決できる営みしか相手にしてないんだよ。

ー日本仕事百貨でも、当事者になるってすごく大切なことで。しかも、いくつか当事者があるんですよ。

ひとつは、その職場を訪ねた自分である「取材する当事者」もそうだし、あとは、まだ会ったことはないけれど、この仕事を探しているであろう「読者の目線での当事者」も必要だし。


ああ。

ーあとは、今ぼくが田北さんの気持ちになって考えるような「取材対象への当事者」ということも。

主にこの三つの視点があるんですね。だからなんか、日本仕事百貨の仕事ができる人は、いいデザイナーであるような気もして、という感想です。


なるほど。デザイナーって、そういう意味で使ってるんだね。

ーお互いが当事者になるというか、当事者になって一緒にやっていくっていうことは、現代にはより求められている気はします。

さっき、田北さんが「切実な問題の場合はより大切」とおっしゃっていましたが、それって具体的にはどういうことなんでしょう


たとえば児童虐待の現場で、児童相談所が介入するかどうかっていうことは、制度に則って判断するよね。そのときに、今この瞬間に窓をぶち破って入ることは、もちろん法律的に問題かもしれないけど、そうしなくちゃいけない局面もあったりするわけじゃない。それって、制度的な立場から発想しても、なかなか現場で行動は起こせない。結局、事件が起こったあとに「児相としての対応は適切でした」みたいな話で終わるだけで。肝心な子どもが、救えない。

ーうんうん。

あと、ぼくがもう一つ大切にしているのは、ちっぽけなこと・ささいなことに目を向けること。それは14年前にまちづくりという切り口でデザイン活動に取り組んでいこうと立ち上げた「triviaトリビア」という屋号そのものです。

ートリビア。

公共の仕事って、よく「みんなのため」って言葉が使われるよね。それに象徴するように、不特定多数のたくさんの人たちをハッピーにしていく営みだと思われている節があって。でも、不特定多数の人たちをハッピーにしていくことは、民間がやればいいんだよね。それだけ支持されるわけだから、お金にもなる。

公共の仕事って言うのは、その営みの中で、こぼれ落ちてしまう価値観や埋もれてしまう人の気持ちをみんなで大切に支える営みだと思う。そういう価値観や気持ちって、本人にとっては大切なのに、他人から見たらちっぽけに見えがちなんだよ。そういうことを大事にするデザインをしたいなって、「ちっぽけなこと」を意味するトリビアを立ち上げたんです。デザイナーになると、広く知れ渡っていること、有名なことに執着しがちなので、それは避けたいなと。

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埋もれてしまう人を救う手段ってすごく地味な営みだったりする。新しさとか、例えば業界で評価されるような独自性もなく、かつ過酷だったり。そこを支えるためにデザインを使いたい。

ーなるほど、そういうスタンスが根っこにあるんですね。

あと日本仕事百貨でこんな取材をしてみたいとか、こんな仕事も載せてもいいんじゃないかとか、ありますか。


う~ん‥‥そうだな、たとえば、いわゆる普通の、行政の職員とか。ぼくは「しずかな住民」って言葉を使うこともあって。

ーしずかな住民。

うん。たとえば積極的にまちづくりをやってるような人は、「まちの住民」って呼んでいて。まちに対する愛着が周囲に分かりやすく顕在していて、何かに取り組むのに積極的だったりとか。

でもそのかたわらで、たとえば役場で窓口業務をしている人とか。自分の役割を黙々と全うしている人。あるいは、児童相談所の職員とかは、日々いろんな深刻な子どもたちと対峙しながら自分の使命を全うしている。でもそれが守秘義務とか子どもの権利上、周囲に話せない。周囲に知られてない、はたらきがある。

そういう人たち、寡黙な「しずかな住民」が、特別なこととして社会で取り上げられたりすることは、なかなかないんだよね。

ーそうですね。

一方で、そういう人たちを踏み台にする人たちっているじゃない。問題の上澄みだけ拾ってきて、現状こういう問題があるからダメだ!みたいな。

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ー(笑)

でも自身がいまこうして安寧に生きられているのは、一見地味に思える仕事を黙々と全うしている人たちがいるからであって。そういうはたらきは、すごく尊いとおもう。

ーそうですね。すでにやっている人がいるのに、声が大きいから創始者みたいになっていることもあると思う。

たとえば日本仕事百貨なんかも、ハローワークがあるからこそ成り立っているので。日本仕事百貨だけじゃ、世の中にある仕事をすべて紹介できない。けどハローワークは悪だ、みたいな話もあるじゃないですか、文脈として。ぜんぜん仕事してない!みたいな。すごく大事な仕事だと思うんですよね。


そのコミュニティの中で役割を全うしている人たちがいるし、そこにしかアクセスできない人たちもいる。なんかそういうところのリアリティは、手放しちゃだめだよね。

ーそう、日本仕事百貨で勘違いされるのは、素敵に書くメディアというか。かっこよく編集されたようなイメージがあるんですけど、ぜんぜんそうじゃなくて。ありのままを伝えるのが大きな役割であって、結果としてありのままを伝えると価値が高まる求人ってあるんですよね。

でもその、今言っていたような黙々と働いている人たちに近いのか分からないですけど、障がいを持っている方たちが掃除をするのを、健常者の方がフォローする仕事の求人依頼があったんです。最初依頼されたとき、難しいんじゃないかなって思ったんですけど、結果うまくいきました。わかりやすくキャッチーなものって書きやすいんですけど、やっぱりそういう黙々とやっている人の紹介もしていきたいです。


まず日本仕事百貨のことをもっと知らなきゃね。今日、改めておもった。そして仕事百貨を知る中で、そこに埋もれているこれからの仕事やリアリティに出会えたらうれしい。

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ーそうですね、ぼくらの目的はいろんな生き方働き方があることを伝えることだけど、やっぱり日本仕事百貨に載っているのは、まだまだごく一部なんです。全部は伝えられないかもしれないですけど、多様でありたい。こういう仕事があるんだっていうのは載せていきたいですね。


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日本仕事百貨に載っているのは、給与や勤務地にとらわれない多様な働き方。その中には、日々静かに黙々と、自分の役割を全うしている人たちも登場します。田北さんのお話を伺う中で、そういった方々の働き方を紹介する機会もこれから少しずつ、でも着実に増えていくのだろうと感じました。

 「子ども性を持っている」、「北風ではなく太陽になる」、「住民になる(=当事者になる)」、そして「トリビア」や「しずかな住民」に敬意を払う・・ 今まで、そしてこれからの仕事百貨とゆるやかに繋がる価値観を共有できた対談でした。まちづくりに限らずこういったお仕事を、これから田北さんの言葉で紡いでもらいたいとおもいます。
 
また、同じくコントリビューターである西村佳哲さんの著書『いま地方で生きること』にも、田北さんが取り組んだ杖立温泉でのまちづくりについての具体的なインタビューが載っています。ぜひお手に取って読んでみてください。

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そのほかのコントリビューターのインタビューはこちら

コントリビューター_01

コントリビューター_02



日本仕事百貨のエディターとは別に、コントリビューターのみなさんが求人記事を担当することができます。
一人ひとり、いろいろな仕事をしている方々です。それぞれの視点を交えながら、仕事を伝えていきます。

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