貴舩庄二さんのお話

港から山を越えて、島の北側に行ったところに、貴舩森さんのご両親が住んでいる。

ここで小学校などの廃材をつかってセルフビルドされた宿を営んでいる。島の北側の海がよく見えるリビングで、お話を伺いしました。

中村:
もともと美術大学にいらっしゃったんですか?

貴舩庄二さん(以下、お父さん):
まぁ、一年も行ってない、ただそういうところにちょっと入ったけれどもね。女房と一緒になってすぐやめました。

中村:
それで移住されたんですか?

お父さん:
いや、あっちこっち、ずーっと行っていたんですよ。私は北国が向いていると思っていたから、寒いとこから探し出したんだけどね。だんだん、だんだん、南へ南へ下がってきて。いっぺんに探したんじゃなくて、ちょっとお金が貯まると、まず北海道行ってみたり。つぎは東北行ってみたり。それから長野行ってみたりとかね。行ってるうちに、だんだん南下したんです。それで、鹿児島まで来たの。

中村:
鹿児島にもいろいろな島がありますよね。

お父さん:
そうそう。だから、鹿児島の海を見て、「あぁそうだ、島があるな」って気づいたんですよ。もし島に引っ越すならどこがいいかなと思ったら、どうせ行くのだったら徹底的に不便なとこに行こうと思いました。

地図で見たら、トカラ列島がいちばん不便だった。沖縄とか奄美も、かなり観光地になってるだろうしね。だからまぁ、トカラのどこかへ行こうと思ったら、船に乗り遅れちゃって。そしてたまたま、屋久島行きの船があと少しで出航するところだった。一週間ほどしないと次のトカラ行きの船もなかったしね。

それで屋久島に来て。屋久島もすごい有名な島だけれど、私は知らなかった。行ってみたら、想像以上に大きな島だった。もう40年近く前でも、県道がちゃんと通ってて。かなり観光地化されてたしね。でまぁ、こんなところに、私は住む気がないから。それで鹿児島に戻ろうと桟橋に行ったら、ちょうどまたここで、船が出るときだったんですよ(笑)。それに乗ったらね、口永良部島に着いたんです。

中村:
おいくつくらいのときですか?

お父さん:
26歳。

中村:
それじゃあ、偶然2回船に乗ったのがキッカケなんですね。

お父さん:
そうだね。私が東京に住んでたときに、安ーい長屋みたいな家を借りてたんだけど。その一軒に学生が住んでいて、彼が鹿児島出身者だったの。それで父親が教員してて、まだ鹿児島にいるから、お金がないならそこへ頼って行ったらどうだって紹介されてね。そのお父さんが住んでいたのがトカラだった。

中村:
僕は中之島とかには行きましたね。

お父さん:
中之島かぁ。私が行こうと思ったのは、諏訪之瀬島だね。たまたま、船乗り遅れて行かなかったけれど。

中村:
この島に上陸したときは、どんな印象持たれました?

お父さん:
当時から、さらに40年も昔に行ってしまったような感じだったかな。 戦前に来たような感じだった。昭和10年代とかの風景があったんだよね。

貴舩森さんのお母さん(以下、お母さん):
当時の島はね、コンクリートのブロック塀じゃなくて、こういう玉石を積んで石垣にして。防風林に赤穂の木やガジマルを植えていましたね。

護岸ももう一回り大きい玉石でできていて。それこそ、大きな台風来たら、打ち崩れるかもしれないけども、実に美しい状態があった…。

お父さん:
昔はね、結局ほら、いまみたいに、コンクリートブロックとか、そんなものないから、自然にあった海岸の石を拾ってきて、それをどんどん積んでいって、石垣をつくってね。そしたらそこに植物が育つでしょ?その根っこが絡んで、また石垣を強固にしていくわけだけどね。ところが、いまの人たちは便利になっていく社会のなかで生きてきたから。

炊飯器ができたり、自動車ができたり、電話が通じたり。もうとにかく便利になることを追い求めていた。

中村:
この島の方たちもそうだったのですか?

お父さん:
うん。まあ、この島に限らず、だいたい日本人がそうだった。農薬まいたりすれば、一緒に色んな微生物も死ぬとか、そういうことは考えられないわけで。それを思いつかないわけだよね。もうとにかく、自分らにとっては、神様みたいに便利な、役に立つものなんだね。

ところがそのブロックなんかは、10年もしたら、ホントに薄汚い壁になってしまうでしょ?石垣なんていうのは、10年、30年、100年経ったって、それなりの美しさをちゃんと持つものなんだけれども。

中村:
そもそも移住をしようと思った理由はあるのですか?

お父さん:
ウチの女房がね、東京で子供ができて。長女は3歳すぎて活発になってきて、路地裏からピュン!と飛び出すでしょ。いつ車にはねられるか冷や冷やするわけね。こんなところでは、子供はよう育てん、と言ってね。で、とにかく、田舎を探してきてくれと言うので。

お母さん:
で、夫は定職に就かず、その日暮らしだった。

お父さん:
だから来れたわけだ。要するに、たいがいの人はみんな就職したり、ボーナスもらったりして生活設計している。それでいずれ退職金で家建てるとか、ローン組んだりとか、そういう生活をたいがいの人は送るでしょ?私は、そういうことを免れたわけだ。要するに。もうまず、そんなもの、ノッケから嫌いだったから。そんなものには就きたくなかったわけだよ。要するに。だから、私はどこでも行けたわけだ。

お母さん:
縛られるものがないでしょ?子育てするのにまず、亭主が稼いでくるところがどこなのかで、結局みんな拘束されている。

それにけしからん犯罪を起こす人間が増えてきた。子どもが誘拐されたりね。そういう事件に遭遇するのもイヤだったのね。

海や山があるところに住みたかった。海は豊かよ。釣れる魚も川魚より大きい。なんでもなく単純なことなんだけど、海や山があれば子育てできるかなという思いがあって。良い会社に就職するよりも、なんかこう、ホントに、自分のなかで大事なものは何なのか、ということ。あと、この島来て、いちばん良かったのは、哲学する時間ができたこと。自分と向き合うことがちゃんとできる。この島には1日が48時間あるから。

中村:
そうなんですか?

お母さん:
そうです。都会にいると、あっという間に終わってしまう1日が、ここだと48時間という感じ。だから、屋久島から来た人も、口永良部来ると、まだ時間ゆっくり回ってるような感じがするという人は多いです。私にはそこがピタッと来たわけ。ゆっくりなサイクルの人間だから。亀さんタイプだから。自分の波長にはものすごく合ったの。来た当初、車も数えるほどしかなかった。5台あるかないかでした。

お父さん:
だいたい、まだ50トンくらいの船だったからね。2トン車くらいまでしか運べなかったね。

中村:
時間に追われないというのはいいですね。羨ましいです。

お母さん:
最近は屋久島を飛ばして、ここに直接来てくれる人が増えていますよ。「屋久島は通過点です」って。

中村:
たしかに気持ちのいい島です。

お母さん:
だから、皆さんただ、ひたすらボーッとしていますよ。子供のときはね、なんとなく雨で遊びに行けないとね、家の中で雨を見てた記憶が蘇る。なんかこう、街で暮らしてると、今日はもう雨だから、映画観に行ったり、何かするか、ということになる。

ウチの家は、いっつも、島の酔った連中とか、ぶらっとと来たような連中が寄っていくようなお家だったのよ。今は業者さんも泊まるけれど。

中村:
(窓から見える海を眺めながら)いい景色ですね。

お父さん:
私がこういう建物建てたいんだという計画を話したら、案内してもらえたんです。まだ竹がビッシリ生えててね。竹をかき分けて向こう見ると、海が丸見えだった。こういう建物になるな、っていうのがすぐに想像できた。

お母さん:
真北を向いてるんだけど、南の島は日陰が重要なのよ。だから、夏の暑さがあるからね。ここは北西の風が寒いのは寒いんだけど、でも、これが正解だった。

お父さん:
(窓から見える電線を見て)あの電線だけは移動させたい…。

中村:
(笑)。外せる方法はあるんですか?

お父さん:
ある。

お母さん:
敷地の後ろに、まわせばいい。

中村:
なるほど。そしたら最高ですね。

お母さん:
お客さんがいないと、私たちにとってもここは天国ですよ。気持ち良いから。

お父さん:
だからあまりお客さんが来なくていいと思ってる(笑)。

お母さん:
電話機が調子悪くて、買い替えなきゃって言いながら、電話がつながらないことをいいことに、さぼってるのね。

お父さん:
ここでゆったりしてると、山路とかが邪魔しに来る(笑)。ひと月に20人ほど泊めたら、べつに私ら、食っていく分には、食っていけるからね。

ホントはね、僕ももっと、お客がいっぱい入って、若い人間を雇えたらいいんだけれども、なかなか人を使うというのも大変な仕事だし。また、そういうようなのに向いてる人もいるよね。私はそういうタイプじゃない。

中村:
ホントいい場所ですねぇ。泊まってみたいです。でも、電話出ていただけないか(笑)。温泉も歩いていけますよね?

お母さん:
歩いてはいけますよ。

お父さん:
うん、二箇所歩いていけるところがある。

お母さん:
基本的に、この島の良さは、「歩ける島」なんです。この1キロ先に暮らしてたお爺ちゃんも、とにかく、一週間に一回くらい、本村までリュック背負って買い出しに来てましたよ。それで船の来る時間に合わせて買い物してね。そんな暮らしをしてる方が結構いました。

お父さん:
昔の人はね、やっぱりよく歩いてたね。だから、そういう意味では丈夫だった。私らでさえ車で行くでしょ。

お母さん:
1時間がついもったいないと思って、バイクに乗ってね。

お父さん:
私らも考えんといけんな。