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島とともに生きてゆく

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募どうもありがとうございました。

朝一番の便に乗り、成田から鹿児島まで2時間弱。

そこから高速バスで港に向かい、フェリーに揺られること4時間。

屋久島に到着したのはお昼過ぎのこと。

ただ、今回の目的地はここよりさらに先にある。フェリーのダイヤ上、1日ではたどり着けないため、1泊して翌朝の便を待つ。

そして翌朝、約1時間半の海路を経てようやくたどり着いたのが、鹿児島・口永良部島(くちのえらぶじま)。

内湾の港が近づくにつれ、手書きの看板が見えてくる。

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一歩外に出て見渡せば、辺りにはゴツゴツとした岩肌や深い緑。

昨年噴火し、全国ニュースで度々取り上げられた「新岳」の姿も見える。

火山は恐ろしさをはらむ一方で、豊かな恵みを与えてくれる。島の至るところで良質な温泉が沸き、湯治のために長期滞在する人もいるという。

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雄大な自然に囲まれ、伊勢海老やタケノコなど、海や山の幸も豊富。もちろん、コンビニや娯楽施設などはまったくない。

今回は、そんな口永良部島に存在する唯一の会社で働く人を募集します。

いろいろと不安に思うこともあるかもしれませんが、まずはこの島と、ここに生きる人たちを知るところからはじめてもらえたらと思います。

港から3分ほど歩くと、プレハブと木材を組み合わせたような不思議な建物が見えてくる。

この島で唯一の会社、久木山運送の事務所だ。

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なかに入ると、男性2人が机の上に立って何やら作業をしている。電球を取り替えているのかと思いきや、器具を根元から取り外し、配線も少しいじっている。

「そっち持ってて」「配線は黒・赤の順番ね」「あ、ズボンのチャックあいてるよ(笑)」

たわいのない会話も挟みつつ、作業はテキパキと進んでいく。ものの15分ほどでちゃんと電気が点くようになった。

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電気屋さんがいるわけではないから、不具合が起きたらまず自分たちで直してみる。ささいなことかもしれないけれど、さっそくここでの生活の一端を垣間見たような気がした。

“自分たちでやってみる”というスタンスは、久木山運送の仕事全般にも表れていると思う。運送業を営む会社ながら、実際の業務は多岐に渡る。

「町営船の荷役作業やチケット販売、公共工事の下請けで大きな建築資材を運んだり、家庭ごみを収集したり。あとは林道の整備、伐採。民宿の運営もしてるね」

そう教えてくれたのは、代表の久木山栄一さん。

この島で生まれ育ち、父の後を継いで二十歳から代表を務めている。

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栄一さんの夢は、「島の綜合企業をつくること」だという。

「幅広く展開しているのは会社の生計を立てるためでもあるけど、ここで働く社員一人ひとりが一番力を発揮できる環境をつくりたいからでもある。生き生きと楽しく過ごしているところに人は集まってくるからね」

「それに、島を一度出た人や子どもたちがいずれ島に戻りたいと思ったとき、次のステップにつながる受け入れ口になれたら、楽しい将来にもつながっていくんだろうな。『永良部で自分はこれをやりたい』っちゅう夢が持ててね」

久木山運送は単に雇用を生み出しているというよりも、島で生きる上での居場所や役割、挑戦の機会をつくっている会社と言えるのかもしれない。

栄一さんのお話は、島のこれからのこと、そして子どもたちのことへとつながっていく。

「島があるからこそ、みんな生活できて、うちも商売ができている。それは当たり前のことじゃないんだよね。いいときも悪いときも『島とともに』歩んでいくっていう気持ちは、この会社に関わるみんなが感じていないといけない」

島とともに。

「そう、そして『火山とともに』。自然にはかなわんわけだから。火山島は噴火しますよ。標高の低いところには津波がきますよ。崖の近くなら土砂崩れもありますよ。じゃあどこに住むんだというときに、俺はここを選んでるってだけのこと」

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昨年の噴火時は島民同士が連携してスムーズに避難を進め、幸いにも犠牲者を出さずに済んだ。現在も一部は立ち入り禁止となっているものの、気象庁の観測隊が交代で観測を続けるなどして、いざという時のための備えを欠かしていない。

何よりも非常時に役立つのは、普段から築いている関係だという。

「新しく入ってくる人には島の歯車になってほしい。今の永良部は、ひとり減っただけで全体の動きが変わったり、スピードが遅くなったりするわけだ。感情を消せという意味ではなくて、一人ひとりの存在がすごく重要視される」

口永良部島には中学校までしか存在しておらず、卒業と同時に島外の高校に出ていく子どもがほとんど。高齢化も進み、人口は緩やかに減っていく。

これからを担う子どもたちへの想いも、自然と強くなる。

「子どもが増えれば、島のみんなもよろこぶし、パワーをもらえるし、希望につながるんだよね。子どものいる若い夫婦が来てくれたらありがたいし、学校も、島のみんなもよろこぶと思う」

「わたしはね、子どもを育てたときに永良部でよかったって思ったよ」

そう話すのは、事務経理を担当している峯苫(みねとま)尚美さん。栄一さんのお姉さんで、みんなからはナオさんと呼ばれている。

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「目離してても『あそこで誰と散歩してたよ』とか、勝手に車でドライブに連れていってくれたりとか」

勝手に、ですか(笑)。

「みんな知ってる人だからさ(笑)。わたしは本当に、ここ以外では子育てできないと思った」

たしかに都会で同じような育て方をしようと思っても、なかなかできるものではないだろう。

そんな環境を活かした「山海留学」という制度がある。これは都会の子どもたちの留学先として、離島の小中学校を提案するものだ。ナオさんは、これまでにも何度か山海留学生を自宅に迎え入れてきたという。

「最初は言葉遣いもなってないし、都会じゃ『知らない人に挨拶しちゃいけないよ』って教わるでしょ。『でも、ここじゃ違うんだよ』って、ひとつひとつ教えて」

「向こうの親からしたら余計なお世話だと思われるかもしれないけど、永良部には永良部の付き合い方があるんだよね。1年経つとね、喋り方も顔つきも全然変わって帰っていくよ」

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今年の春休みには、2年前に迎え入れた子が高校受験後に遊びに来たそう。

当時を思い出しながら、ナオさんは「そういうのが楽しいんだよ」とうれしそうだった。

この日は島の北側にある民宿「くちのえらぶ」に宿泊することに。栄一さんの車に乗せてもらい、山道をぐんぐん進むと20分ほどで到着した。

43年前にIターンしてきた、貴舩庄二さん裕子さんご夫妻。おふたりの営むこの民宿は、すべて庄二さんの手づくりだそう。

学校の廃材をうまく利用し、およそ7年かけて建てたという。

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「教室にあったガラスのサッシを取り外して使ったり、照明も中学校にあったものを使って。床板は教室の床板でね。だいたい4〜50万の材料費で一工事完了するんだよ。工面できないほどのお金じゃない」

「ところが2〜3000万かけて一挙につくろうとすると、借金とか退職金とかをあてにすることになる。人の暮らしっていうのはね、日々積み重ねるスタイルでやれば、大概のことはできるっつうことなの。他人任せにしなければ家だって建てられる」

そもそも、自分で家を建てるということを考えたことがなかった。家は買うものであり、DIYでつくるにしても、それは一部分に限られる。

「物事には表と裏があるってことだよ」

表と裏。

「つまり、これだけ豊かで便利になって、どんだけのものを失ったのか考えなければいけないということ。多くの人は、一日一生懸命仕事して給料もらってるわけでしょ。わたしは、給料はないけど時間はある。世のなか広いから、そんなタイプの人もいるんだわさ」

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お話ししていて、身が引き締まると同時に軽やかになるような、不思議な感覚。この島の人たちは、そんな感覚をもたらしてくれる方ばかりだ。

再び事務所に戻り、話を伺った安永豊繁さんもそのひとり。久木山運送では主任を務めている。

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「ここは会社だけど、一つの家族みたいな感じだね。何するにしても近いし、みんな馬鹿話ばっかりしてる(笑)」

窮屈に感じることありませんか?

「都会で暮らしてる人からすれば、自分のプライベートがなくて息がつまることもあるかもしれない。だけど、何かあったときに仲間ばっかりだから、そこが一番心強いよね」

「うちは会社だけじゃなくて、ここの島全体だから。あわてずに、少しずつ慣れていってもらえばいい。堅くならないように、メンバーでフォローはしていこうっちゃ思ってるからね」

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仕事の面でも、「心配はいらない」と話す安永さん。

「これができる、あれができるって言ったって、同じ技術でも環境が違えば当然変わってくる。スタートは一緒だから、なんもいらない」

なんもいらない。

「健康で素直ならそれだけでいい。仕事は俺が一から叩き込むから。なんも心配せんでええ」

この日、栄一さんに連れられて島のいろいろな姿を見て回った。

バンを走らせていると、道端を歩くおばちゃんが採ったばかりのタケノコを両手いっぱいにくれた。

「小梅」と「小麦」、2匹の犬と一緒に散歩して、島の東側にある「湯向温泉」に浸かった。

夜は、お家での飲み会にご一緒させてもらった。

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そんな島の1日を過ごしたあと、ふと、庄二さんの言葉を思い出す。

「社会の在り方として、経済よりも人が大事。“いる”っつうのがね。これ根幹っちゅうか、根っこのことだからね」

この島の人たちは、たしかにそこに“いる”感じがする。それってなぜだろう?

そんなことを思いながら東京に戻り、もう一人お話を伺った人がいる。

大学時代に1年間休学して口永良部島に住み込み、久木山運送で働いていた冨永真之介さんだ。

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東京都心で生まれ育ち、神奈川の大学に通っていたという冨永さん。

「島の一人ひとりを知ってるがゆえの働き方というか。『もうすぐあの人とすれ違うな』『今の時間、あの人は畑に行っているな』ということまで分かった上での仕事って、面白いんです」

それは島の外での仕事と、どう違うと感じますか。

「“お金をもらってるからやる”んじゃなく、“生活を一緒につくっていくためにやる”。あの島の規模だからこそ、妥協なく相手を想像して働けるのだと思います」

あの規模だからこそ。

「百数十人の空間で、目の前の人と一緒に生きていくにはどうすべきか、全員が本気で考えている。そこでいちいち言いたいことを言わずにいたらしんどいのは自分だから、本音と建前なんて言ってられないんですよね」

きっと、ものすごくシンプルなことなのだろう。

遠慮も駆け引きもなしに、ただまっすぐに島のこと、目の前の人のことを思って動く。

それが無理なく、自然なこととして受け入れられるのが口永良部島なのだと思います。

なにか引っかかるものがあったなら、この島とともに生きてゆくことを考えてみてください。

(2016/10/12 中川晃輔)