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和食の入口に
ただしく立つための
1年間

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「命がけで捕った魚。時間をかけて育てた野菜。それに我々が手間をかけて、目の前のお客さまに喜んでいただく。いろんな人の魂をいただいて料理する。これって、本来の料理人のあり方だと思うんです」

これは、島食の寺子屋で講師を務める佐藤さんの言葉。

島食の寺子屋は、和食の料理人を育てるプロジェクト。

島根県の海士町(あまちょう)という離島を舞台に、食材探しから調理、提供を経験し、和食の道を進む心構えを学びます。

用意されているのは四季を通して学ぶ1年間のコースから、短期間で体験できるものまで。島で暮らすための家賃や研修に必要な費用は、卒業後に働きながら返すことも可能です。

料理の世界に飛び込んでみたい人はもちろん、自分の感性を広げたい料理人にとって、料理の原点を経験ができる環境が用意されています。



飛行機、電車を乗り継ぎ、海士町へ向かうフェリーに乗船。

大型のフェリーに3時間ほど揺られてウトウトしていると、遠くのほうにうっすらと島が見えてくる。

到着したころには東京を出て8時間が過ぎていて、あたりはすっかり暗くなっていた。

翌朝9時。

海士町観光協会の恒光さんと待ち合わせして、漁港を案内してもらうことに。

「ここは島食の寺子屋から歩いてこれる漁港です。今はイカやヒラマサ、カツオ、サバが旬ですね」

島食の寺子屋は恒光さんが担当しているプロジェクト。

島の観光協会が、どうして料理人を育てるプロジェクトをはじめることになったのだろう。

「丸の内と銀座で日本料理店を開いている斎藤章雄さんがこの島にいらしたとき、小さな島の中に海のもの、山のもの、里のものがあることを人材育成の場として『贅沢だ』と言ってくださったんです」

「漁師さんのこと、農家さんのことを知った上でお客さまに料理を提供する。そんな料理人がいれば、料理を通して地域の知恵や魅力を伝えられるんじゃないかって。和食の料理人が日本全体で不足している今、育てるところからはじめようという話になりました」

島食の寺子屋では、畑に入って野菜を採りに行ったり、漁港の水揚げの場で仕入れをするところから1日がはじまる。時期によっては漁師さんの船に乗って、一緒に魚や海藻を獲ることもあるそうだ。

手に入れた食材を使って和食の基礎を学び、島にある料理店で実際にお客さまに料理を提供する場を経験する日々を過ごすことになる。

今日は食材集めに行くと聞き、同行させてもらうことに。

プロジェクトに協力してくれているという山中さんの畑では、生徒の2人と講師の佐藤さんが、野菜をじっくり見てまわっている。

「今採れるものと、来週が食べごろのものも見ておきます。そうすれば、来週はなにがつくれるかイメージがしやすくなるんですよ」

佐藤さんは25年間料理の道を歩いてきた方。

東京の八重洲に10年近く和食の店を構え、その後はサウジアラビアの日本領事館で公邸料理人として腕をふるってきた。

「東京にいたら食材のことを知らないままでした。当時は釣って活け〆したものがいいとか言ってましたけど、ここでは定置網でごっそり捕った魚がそのまま使える。そのほうが新鮮なんですよね」

「島で特別においしい野菜ばかりが採れるわけでもありません。来週はこの野菜を使いたいと思っても、旬を過ぎて使えないこともある。常に機転を利かせないと献立ができあがらないんです」

佐藤さんは生徒に対して日々和食の技術や考え方を教えつつ、料理店「離島キッチン海士」に予約が入ったときは料理長として生徒たちとともに腕をふるっている。

「その日島にある限られた食材を使うので、当日までメニューが決まりません。食材が足りなければ片っ端から漁師さんにお願いして回ったり、山に入ったりして。もう大変ですよ」

てんやわんやな日々を、とても楽しそうに話してくれる佐藤さん。

農家さんと世間話をするなかで、野菜のこと、土のこと、島のことを積極的に学んでいるように見える。

「生産者、漁師のみなさんから食材を預かる。それに我々が手間をかける。それでお客さまに喜んでいただくって一連の流れがすべて見えます。だから魂の入り方が違うんです。ここに来て、僕の腕はあがりました」

「すごく時間と手間をかけたものを、みなさん一瞬で召し上がるじゃないですか。それでほっと笑顔になる。あの少し口元がゆるむ瞬間のためにやってるんでしょうね」

今佐藤さんの元で学んでいるのは、島食の寺子屋2期生の2人。ともに料理の現場で働いたことはなく、未経験でここへやってきた。

「面接のときに厳しいよ、泣くよっていうのは伝えてあって。ひと昔前は男の世界だったところですから。女子だからといって言い訳はできません。2人とも前向きに取り組んでくれています」

和食の料理人といえば敷居が高く、長い下積み期間が必要な厳しい仕事というイメージがある。

寺子屋では1年を通して、技術とともに和食の道に入るための心構えも教えているそうだ。

「同じ料理人でも、伝統を引き継いで守る和食の人たちと、アレンジして新しいものをつくっていく人たちとがいます。僕はどちらかというと後者のタイプで。でも常に、和食の技術や心のあり方を大切にしているんです」

和食の心のあり方。

「ものを大切にするとか、頂戴するということだったり。侘び寂び、日本人が美しいと感じる精神というか。それが和食の真髄なんだと思うんです」

別の畑に移動すると、茄子が食べごろの様子。

畑の横にある柚子の木を眺め、実がなっていないか探しているのが松崎さん。島食の寺子屋2期生として、ここで半年を過ごしている。

「道沿いにキウイの実を見つけたり、すぐそばの木にムカゴがついてることに気がついたり。このあとは湧き水を汲みにいきます。おいしいものを自分で採って食べるのが、すごくうれしいです」

楽しそうに食材探しをしている様子だけれど、林に分け入って畑に入ったり、タンクいっぱい水を汲むのは体力も必要だと思う。

午後の調理に備えて、集めた食材を自分たちでキッチンに運び込むのも大変そう。

「出身は長崎の五島列島です。父が和食の料理人だったこともあって、小さいころから料理に関わる仕事がしたいと思っていました」

幅広い視野を持とうと、大学では栄養学を勉強。進路を考えていたときに日本仕事百貨の記事を見て、海士町に行くことを決めた。

「アルバイト先のシェフが『いい料理人っていうのは、ふつうの食材でいかにおいしくつくれるかどうか』という話をしてくれて。自分が学びたいことが島食の寺子屋に集約されていて、来ることに迷いはありませんでした」

まっすぐ話をしてくれる松崎さん。ずっと真面目に、料理のことを考えてきたことが伝わってくる。

「おいしいと感じるのには、いろいろな要素があると思うんです。自分は日本人の身体にあった、栄養学的にも納得いくものをつくりたい。そう思ったとき、やっぱり和食ははずせないと思いました」

島にやってきたのは今年の3月。

ちょうど山菜が採れる時期で、山に入ったときのことをとても楽しそうに話してくれた。

「いろいろな経験させてもらっています。魚のさばき方は、半年やってもなかなか思うようにいかなくて。先生は切った断面がきれいで無駄な動きをしません。よく見て、早くできるようになりたいです」

海士町にいられるのはあと半年。春からは東京の日本料理店で働くことを考えている。

「修行を積みながら、自分がどうやって生きていきたいかを考えたいと思っています。自分に技術が身についてきたときに、自給率やフードロスなど、食にまつわる課題にも挑戦してみたいです」



調理場では佐藤さんがチカメキントキという魚をさばいているところ。

目の前の畑で間引きした人参を添えて、山中さんの畑でいただいた落花生はソースになって。

緊張感のあるキッチンでは、テキパキと段取りよく作業が進んでいく。

仕上がったのは2皿のかぶら蒸し。1つはオーソドックな盛り付けで、落ち着いた雰囲気が感じられるもの。

もう1皿は丸い白皿へ。食材を同じように調理しているものの、フレンチのような印象に仕上がった。

「和食と言っても、いわゆる日本料理の形をしていなくてもいいと思うんです。いろいろな表現があっていい。もちろんお店に入ったらそこのやり方に従うんだけど、料理人として自分が美しいと感じるもの、自由な発想は持っていてもらいたいですね」

味見をしたあとは、生徒の2人もお皿を選ぶところから、自分で盛り付けに挑戦してみることに。

落ち着いた印象の松崎さんに対して、にぎやかな雰囲気のお皿をつくっているのが高坂さん。

「先生が料理のあしらいや色合いを考えるとき、自然の話が出てくるんです。まだイチョウの色が変わっていないから、お皿のなかに黄色はあまり使わないとか。自然をよく見て決めるんだって」

目で見たとき、口にしたとき、ふと顔がほころぶ瞬間をつくる。

そのためには人がなにを美しいと感じるのか、自分の感性を豊かにしておくことが大切になる。

「秋の空、冬の空、夕方の空。海が今日どんな色をしていたのか。周りの自然がよく見えるようになったことが、ここに来て1番よかったと感じることですね」

高坂さんは海士町に来る前、東京で不動産の仕事をしていたそう。

もともと離島で暮らすことにも関心があったようだけれど、大変なことはないんだろうか。

「人との距離が近くって、来たころは飲み会ばかりでした。それでも今は東京に行くと、早く島に帰りたいって思うんです」

「実は島の人と結婚することになったんです。ここを卒業しても、海士町で暮らしていくことを決めました。もちろん料理も続けていきたいです」

そんな話をしていると、近所に住む方が畑でとれた差し入れを持ってきてくれた。

2人のほっとした表情から、ここでの暮らしが肌に馴染んでいることが伝わってくる。

最後に佐藤さんからのメッセージを紹介します。

「1年しかないので、すべては本人の頑張り次第です。僕も料理が好きですから、教えるのにも熱が入ります」

「情熱が料理に入って、お客さまがにこっとする。それで僕も満足する。その情熱の交換なんです。ここで和食の入り口に立つっていう覚悟を持って、戦いに来てほしいですね」

(2018/11/5 取材 中嶋希実)

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