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安東さんが
曇りのない目で見て
つくり続けていること

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「高卒、職歴なし。くわえて、活字が苦手なんです。でも、自分の目で見ることはできました」

自分でギャラリーを開きたい。

だから、海外に出た。アメリカとヨーロッパを500日間旅して、博物館から現代美術までありとあらゆるものに触れた。

これは、アンドーギャラリー・安東孝一さんの話。当時は、27歳だった。

今年、70歳が間近になる安東さんはギャラリーを閉廊。これからの人生を、プロデュースに捧げることを決意しました。

これまでに手がけたプロデュースは、インダストリアルデザイナー・柳宗理さんの展覧会、ポーラ美術館内のインテリアデザイン、グッドデザイン金賞受賞のオリジナルプロダクト「ANDO’S GLASS」など。

アート・建築・デザインの分野を横断する仕事に、数多く取り組んできました。

その仕事は、いつも「自分」を起点にしています。

まずは自分の目で見る。それから自身の欲しいものを知り、「この人と仕事をしたい」と思う人とつくる。

今回は、アンドーギャラリーで働くプロデューススタッフを募集します。

主な仕事内容は、オリジナルプロダクトの営業と管理業務全般。今後予定している新商品の企画制作も手がけます。

また、プロデュース事業における安東さんのアシスタントとして、国内外の著名なアーティスト・建築家・デザイナーと関わる機会もあります。

学歴や職歴は問いません。デザインや建築に興味があり、自分もアートの世界に関わって生きたい。そんな人は、思い切って挑戦してみてください。

 

訪ねたのは、閉廊間近のアンドーギャラリー。

清澄白河にある元倉庫をリノベーションして、2008年にオープンした。

ギャラリーの外観を撮影していると、「おーい!」と大きな声が聞こえた。

とびきり大きな声の主が、安東孝一さん。

がっしりとした体に、短く刈り上げた髪。ギャラリーから受けるミニマルな印象とはどこかギャップがあり、エネルギーあふれる人。

安東さんはどうしてギャラリーを営むようになったのか。話は、小4までさかのぼる。

「小学生のとき、自分だけ週刊少年ジャンプをスラスラと読めなかったんです」

「小さいときから、活字をゆっくりしか読めなくて。親から『孝一は正直でいい子だけど、勉強ができない』って言われながら育ったな(笑)」

高校を卒業するとそのまま家業の建設会社に入り、20歳で社長になった。

やがて結婚して、4人の子どものパパになった。オイルショックの影響もあり、仕事は年々先細り。帰宅途中の自動車で一人、涙がこぼれてきた。

「一生防衛戦なのか? 親父から引き継いだ会社をどうにかこうにか守って、死んでいくのか?」

そして安東さんはこう思った。

「面白い人間を一生追いかけて、関わり合って、生きていきたい」

浮かんできたのは、哲学者とアーティストだった。

活字をスラスラと読めないから、哲学書は読むのに100年かかってしまう。

けれど、自分の目で見ることはできた。画集だったらどんどん読み進めることができた。

「ギャラリーをつくり、アーティストと仕事をしたいと思いました」

とはいえ、現状は建設業に就いていて、30歳目前で、美大を出たわけでもアート関連の職歴もない。

そこで安東さんは、大きな決断をする。弟に会社を引き継ぎ、妻に家を託し、飛行機で海外へ。

アートの鑑賞に明け暮れる日々。ギャラリストになれる可能性を1mmでも増やしたい一心で、ありとあらゆることを試した。

パリの道端にしゃがみ込んで人間を観察したり、ニューヨークでストリートバスケに参加したり。

そうして、過去から現代に至るアートと、それを取り巻く営みに触れていく。

帰国すると、東京・青山にギャラリーを開廊した。ちょうど30歳の誕生日だった。

ギャラリーの写真が、残っている。

「続けられたのはたった1年間。けれど、そこで出会った人たちと、数十年来の関係を持つようになりました」

安東さんが注目したのは、日本のプロダクトデザイナーだった。

当時、プロダクトデザインは無記名で行われるのが一般的だったという。けれど、大量生産される“商品”は、デザイナーが意匠をこらした“作品”ともいえる。

そんなデザイナーの名前を世に出したい。

西武百貨店で、30人以上のプロダクトデザイナーを月ごとに紹介する展覧会を企画する。

独自の視点から生まれた展覧会は、出版にもつながる。

1990年の「PRODUCT DESIGN IN JAPAN」以降、安東さんは8冊の本を出版している。

そのうちの1冊は、アート・建築・デザインと題されている。

「3つの言葉が横並びになるのは、初めてだと思う。これが、自分にしかできないプロデュース。美大の教育を受けてなくて、ギャラリーでの職歴もないから、枠に囚われない視点が生まれるんです」

「このやり方しか知らないんです。人から聞いた知識や情報に判断を委ねない。自分の目で見て、自分の判断を信じていく、という」

ここでアンドーギャラリーのポートフォリオを開く安東さん。

コンセプトメイクから手がけた明治製菓の「100%チョコレートカフェ」をはじめ、Hareza池袋のアートワーク、慶應義塾大学のサイン計画などが並ぶ。

クライアントから依頼を受けると、安東さんはプロジェクトに合わせて、依頼するデザイナーやアーティスト、建築家に声をかけていく。

ポートフォリオには、建築物に並んで、オリジナルプロダクトのカレンダーがあった。

「毎年、知人からもらっていたお気に入りのカレンダーが、手に入らなくなって。カレンダーは丸1年間付き合うもの。使いたいものがないから、自分でつくったんです」

壁にかけることで、空間そのものが整う。文房具というよりもインテリアのようなたたずまい。

お手頃な価格設定にも、「商品の価値はモノ半分、価格半分で決まる」という安東さんの哲学がある。発売当時の価格は、1,200円。

「紙にこだわって、印刷にこだわって、包装にこだわっていけば、理想のカレンダーが一部5,000円でつくれるかもしれない。でもそれじゃあ、買えないよね」

「つくりたいのは作品じゃなくて、商品。ふつうの人の日常を豊かにしたいんです」

安東さんがこれから力を入れていきたいのが、オリジナルプロダクト。

これまでにカレンダーとグラスを展開。

今は、新しいオリジナルプロダクトの試作を進めているところ。

「カレンダーを手がけた葛西 薫さんがデザインしたダイアリーです。2024年度分から発売を開始します」

これから働く人は、オリジナルプロダクトの仕事を中心に行う。

営業から在庫管理、梱包、発送、請求業務までを任される。

「7月までに入社してもらえるとベストです。8月から9月にかけて、これまで取引いただいている小売店さんへの営業がはじまるので」

「新しい取引先も増やしたい。長く丁寧に付き合っていける先を見つけたいですね。どこで誰に売ってもらうかは、ほんとうに大事だから」

さらに今後は、第4弾となる新商品の企画制作も控えている。これから入社する人と、一緒に進めていきたいと考えている。

 

ここからは、安東さんとともに働く石井さんも交えて話をうかがう。石井さんは、9月ごろに退職を予定している。

新卒で入社して3年目。オリジナルプロダクトの在庫管理から発送までを手がける。これから働く人は、石井さんから3ヶ月間かけて仕事の引き継ぎを受ける。

美大在学中に陶芸を専攻していた石井さん。

どうしてギャラリーで働くようになったのでしょうか。

「大学2年生のとき、フォトギャラリーで海外の人気アーティストの作品が飛ぶように売れるのを目の当たりにしたんです」

世界にはこういうやりとりがあるんだ。

その思いをきっかけに、自身が作家として活動するよりも、より多くの人に届ける仕事がしたいと思った。

オリジナルプロダクトの管理業務とは、どういうものでしょうか。

「商品の梱包・発送や請求書の発送、こまめな在庫管理。地味で淡々とやる作業が多いです。粘り強さが必要な場面もありますね」

仕事において、大切なことはなんでしょう?

「一つひとつの仕事をないがしろにしないことです。今卸している200店舗ほどは、すべて直接取引をしています。梱包一つをとっても、ものすごく丁寧に、手間ひまかけて愛を注いでいますね。だから、長年にわたって取引していただけるんです」

取引先は、都内のセレクトショップから日本各地の雑貨店まである。石井さんは休日に訪ねては陳列された商品を見て、「私が発送した商品だ」と誇らしく思うことも。

ここで石井さんから話がある。

「残業がないんですよ。10時半出社の18時退社。お昼もしっかり休むので、実働6時間半です」

とはいえ、退社間近にどかっとやることが出てくる日もあるのでは?

「安東さんからは『明日やれることは今日やるな』って、めっちゃ言われます」

時間を決めてきっちり働きたい人にも、良い話だと思う。

そんなアンドーギャラリーで働く上で一番大事になるのが、安東さんとのコミュニケーション。

石井さんは、はじめて安東さんに会った頃を振り返る。

「面接から“安東節”全開で。入社初日には、先輩スタッフと一緒にごはんを食べに行ったな。文字通り、アットホームな職場だと思います」

石井さんから見た安東孝一さんって、どんな人ですか?

「めまぐるしい人…!入社1ヶ月のときだったかな。清澄白河のカフェで一緒にコーヒーを飲んでたら『石井、ダイアリーつくるぞ』って突然。ひとクセある人です。よく主語が抜けるから、会話がつかみにくいこともあります (笑)」

「…けど、愛情深い人なんだなあ。長くいればいる分だけ、素敵な人だって感じます」

親子以上の年の差はありつつ、上司と部下という堅苦しい印象のない二人。

石井さんはこう続ける。

「上下関係って感じじゃないというか。私は気になることがあったら『それはどうなんですか?』って言います。安東さんは少し時間をおいて考えてから、『そうだな』って歩みよってくれますね」

インタビュー後、移転先となる新事務所を案内してもらいました。

場所は、ギャラリーから100メートルほどの距離にあるシェアオフィス。

ここで安東さんから、「天井の施工について、どう思いますか?」と意見を求められる場面がありました。

そのときの目がとても印象的で。過去の実績にとらわれることなく、常に新しい視点を吸収していることを感じました。

今日も安東さんは、曇りのない瞳で世界を見ています。

(2023/4/4 取材 大越はじめ)

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