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空気以外は
なんでも塗れる
漆の職人作家

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「職人やって半世紀たつんですけど、ものづくりが楽しくて、若いときからもっとしっかりやればよかったなあ。いま時間が足りないと思って仕事してますよ。かみさんには『お父さんは漆バカだね!』って言われてます(笑)」

やさしい笑顔でそう話すのは、漆器職人の小坂進さん。

漆器とは、漆(うるし)の木から採った樹液を木製の素地に塗った器のこと。漆を表面に塗ることによって、見た目も美しく、丈夫で長持ちします。

今回募集するのは、長野県塩尻市の地域おこし協力隊として、漆器職人を目指す人。

任期中の3年間は小坂さんのもとで漆の技術を学びます。将来は独立して自分の工房を持ってもいいし、地域の工房に就職することもできるそう。

技術の習得には時間がかかるし、気軽に始められるものではないけれど、最初の3年間は安定した賃金をもらいながら職人のもとで学ぶことができる。ものづくりで生きていきたい人にはおもしろい機会だと思います。

 

塩尻インターから30分ほど車を走らせて「是より南、木曽路」の石碑を過ぎると、塩尻市木曽平沢についた。

東京からだと車で3時間半ほど。コンパクトなまちなかにはJR木曽平沢駅もあるので、交通の便もわるくない。

漆器の町として全国初の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた町並みを歩くと、どこにいても「漆器」と書かれた看板が目に入る。

この日はまちの外れにある道の駅「木曽ならかわ」で話を伺うことに。

2022年にリニューアルした道の駅には、木曽地域でつくられる「木曽漆器」の職人の作品が展示・販売されている。漆器づくり体験もできる、木曽漆器に特化した空間だ。

「漆は9000年の歴史があるとも言われていまして、何がすごいって、漆は何にでも塗れるんですよ。塗れないのは空気くらいなものです」

軽快に話してくれたのは、木曽漆器工業協同組合の理事長を務める石本さん。

「漆は接着剤でもあり、絵具でもあり、補強材でもある。欠けたら修理もできるすごいものなんです。木曽漆器は生活雑貨として使われてきた歴史があるけど、多くは問屋を通して販売されていたので、一般の人への知名度はまだまだ低いんですよ」

国指定の伝統的工芸品でもある木曽漆器。木曽平沢では約400年前からつくられてきた。

乾燥させるのに湿度が必要な漆器。山に挟まれ木材が豊富で、側には奈良井川が流れる木曽地域は漆器づくりに適した土地なのだそう。

明治時代には隣接する奈良井地区で見つかった錆土(さびつち)という鉄分が多く含まれる粘土を下地に使うことで、より丈夫な器もつくれるようになった。

実際に漆器のスプーンを使ってみると、軽くて、口当たりも滑らかでとても使い心地がいい。形によっても味の感じ方が変わるのがおもしろい。

木曽平沢の職人たちの確かな技術が認められ、1998年の長野冬季オリンピック開催時には、漆と金属を融合させたメダル製作を担った。多くの職人が集まり、漆器産業が栄えた時代だったという。

「いまはお椀なんて100円でも買えてしまう。ライフスタイルの変化にともなって漆器の販売数も減少していきました」

「加えて後を継ぐ人が少ないし、技術を教えられる職人も高齢化しているので、正直に言うと、切羽詰まった状況なんです」

漆器づくりは土台となる木の加工から始まり、下地塗り、中塗り、上塗りという工程がある。各工程の間には乾燥と研ぎの作業もして、最後には装飾や模様をつける加飾(かしょく)と呼ばれる作業をすることも。

木曽平沢の出身で自身も漆器職人をしている石本さんは、加飾を得意としている職人の一人。

ひとつの器を仕上げるのにも相当な手数と時間がかかるので、昔は下地塗りや研ぎなどの工程ごとに専門の職人がいて細かく分業していた。ただ近年では職人の減少もあり、多くの作業を一人が担うように。

「職人の仕事は、問屋から依頼された工賃仕事と、自分の作品をつくって販売する作家仕事があります。どちらかだけではなかなか生き残れないので、両方できる『職人作家』になれると理想です」

塗りを得意とする人でも、作家仕事になると土台の木地を自分でつくる職人もいる。だから塗りや加飾、さらには木工まで、まったく異なる技術に触れることになる。

職人というと同じものをつくり続けるイメージだったけれど、木曽漆器の職人は挑戦できる幅が広くておもしろそうだ。

「すっちゃも、職人作家の一人でね。この人は今、つくることが楽しくてしょうがないって感じで、本当にうらやましい。ものづくりの理想はこれですよ」

 

そう紹介されたのは、「すっちゃ」こと小坂進さん。これから活動する人は、まずは小坂さんのもとで技術を習うことになる。

「今回、自分がはじめて漆器職人の協力隊を受け入れるので、心臓バクバクです。だけど、自分が教わったように次の世代に伝えるのが私の役目かなと思っています」

木曽平沢の出身で、実家も漆器屋。小さいころから漆器職人に憧れていた。

「小学校の卒業文集では『有名な漆器屋になりたい』って書いていました。中学生くらいから家の手伝いをしながら、間近で見てどうやってつくるのかを覚えていきましたね」

高校卒業後、本格的に漆器づくりをはじめてからは、木曽平沢にある夜間の職業訓練校「木曽高等漆芸学院」で漆器の基礎を学び、技術を高めていった。

日中は家の仕事を手伝いながら、夜は自主的に加飾の先生のもとに習いに行く生活を2年ほど続けたそう。

技術を身に着ける意欲は今でも変わっていない。

「ろくろで木地をつくったりもするんですけど、お椀のような丸物だと、図面に描いたイメージとちょっとずれるんですよね。もうちょっとアールが欲しかったなとか。そういうときに、ろくろも習っておけばよかったなって後悔します」

「小坂さんの技術は漆器産地のなかでも随一」と石本さんも太鼓判を押す。文化財の修復チームにも所属して、上野東照宮や金閣寺の修復をしたことも。

25年ほど前に「小坂進うるし工房」として独立し、数年前には展示販売できるギャラリーもオープンした。

工房の様子を見せてもらう。漆器はホコリを嫌うので、窓が少なく、少し薄暗い。工房に入ると生漆(きうるし)というものを紹介してくれた。

「生漆をそのまま塗ることもあるんだけど、水分を抜くと飴色になって、それに顔料を混ぜると色漆に、鉄分と反応させると黒漆になるんです。生漆からの加工も自分でやっています」

生漆の精製はフネという昔ながらの道具を斜めに立てかけて、そこに生漆を何度も繰り返し垂らしながら、天日で6時間もかけて行う。地域でも生漆の加工からやる人は少ないそう。

「できることは何でも挑戦してみようと思って」と言いながら笑う小坂さんの表情から、心からものづくりを楽しんでいるのが伝わってくる。

作品の種類も豊富で、木地を使わずに和紙を土台にする「一閑張り」をしたり、薄いひも状にした木を円柱に巻き上げて素地を形成してコップをつくったりと、さまざまな手法に挑戦している。

最近はかんざしやネックレスなどの表面に貝を貼ったアクセサリーをつくりはじめたそう。

「かみさんに『男の考えだけでつくっちゃだめだよ』とか言われながら、2人で一緒につくってますね。漆器を使うのも女性が多い。接客しながらお客さんの意見も取り入れるようにしています」

これから協力隊で活動する人は、3年間で基本の塗りを習得することを目指す。

下塗り、中塗り、上塗りがある塗りは全部で30工程。一度塗るごとに室(むろ)で乾燥させるので、1日にできるのは1工程ずつ。単純計算でひとつの漆器を塗り終えるのに1か月かかる。

小坂さんの指導を受けながら、最初の2年間は週2日で、夜間に漆芸学院にも通い、基礎を学んでいく。

「こういう仕事は基本の技術がとても大事なので、身体に染み付くまではひたすら反復練習になります。漆芸学院では丸物といわれるお盆をやるので、うちでは重箱のような角物をやってもらおうと思っていて」

地域おこし協力隊の活動として決まっているのは、週19時間は小坂さんに漆器づくりを習うことと、漆芸学院に通うこと。それ以外は自由に決められるけれど、技術習得に励んだら、挑戦できることが増えていくだろう。

「休みの日ももちろん、うちで練習してもらっていいですよ。見ることも大事なので、作品を見たり、ほかの職人のところに行くのもいいですね」

分業の色は薄れたものの、職人によって得意なことは異なる。先生になる職人がたくさんいるのは、産地である木曽平沢の魅力のひとつだと思う。

 

続いて、地域の若手職人として紹介されたのが、木曽漆器青年部の部長を務める岩原さん。

漆器の最盛期を過ぎてから職人になった方なので、似た境遇の先輩として相談できることは多いと思う。

現在は塗りの技術を応用し、革に漆を塗った作品をつくったり、バイクのハーレーに漆を塗ったりと、漆の新たな可能性を開拓している。

「僕の原点はハーレーで、それにまつわるものをつくりたいと思っていたんです。それで20代のころは、東京でシルバーのアクセサリーや革小物の製作・販売。ほかにも金属加工の仕事もしていましたね」

木曽平沢出身の岩原さん。30歳のときに、子どもが生まれるタイミングで、実家の漆器屋で働きはじめた。

「家族のなかでなぜか僕だけ漆にかぶれやすくて。やっていくうちに免疫がついてきましたけど、体質に合わないと苦労すると思います」

実家の仕事をしながら、独立するために自分でも工房借りた。仕事が終わった夜6時くらいから工房にこもって自分の作品をつくる生活を8年ほど続けたという。

「僕は自分の作品を早い段階でつくり始めたんです。会社から素地を安く買ったり、リサイクルショップでパイン材でできた小皿を買ったりして、それに漆を塗って漆器祭で販売していました」

毎年6月上旬に3日間にわたり開催される「木曽漆器祭」。普段公開していない工房の見学や、掘り出し物に出会える産地の一大イベントで、毎年多くの人が訪れる。岩原さんはこの仕事をはじめた翌年から出店している。

最初の年はひとつも売れず、2年目の出店ではじめて売れた。

「この仕事で食べていけるようになるのは正直、大変ですよ。それでも自分がつくったものが1個でも売れるとすごくうれしくて。今でもはじめて買ってくれた人のこととか、そのときの気持ちは鮮明に覚えてますね」

 

日々こつこつと、身体で覚えていく仕事。生業として続けていくうちに、ものをつくる実感と人に届ける喜び、どちらも感じられる仕事になっていくのだと思います。

取材のあと、小坂さんの工房を出るときに小雨が降っていて、少しの距離なのにわざわざ傘を貸してくれた。

取材をするなかでも、ふとした気づかいを感じる場面が随所にあった。そういうところがものづくりにも影響するのかな。

小坂さんのところへなら、安心して飛び込んでいいと思います。

「ものをつくるって楽しいので、自分の子どものような作品をどんどんつくって、世に出してほしいです。そのためにはいくらでもサポートしますからね」

(2023/4/13 取材 堀上駿)

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