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ゆかりの地で頑張りたい
古宇利島にかかるソラハシ

古宇利島へ向かうバスに乗っているとき、運転手のおじさんが島の話をしてくれた。

沖縄県の北部に位置する古宇利島(こうりじま)。

天から初めて人間の男女が降り立ったという伝説が残っていることから、神の島と呼ばれていること。

19年前に島と本島を繋ぐ古宇利大橋がかかり、島は観光地化したこと。美しいエメラルドグリーンの海が人気となって、本土からリゾートホテルやカフェなどの飲食店が参入。

一方で、もともと住んでいた人は島の外へ。小学校も廃校になり、子どもたちは橋を渡って学校に通うという。

島にたくさんの人が訪れるようになっても、もともといた住民が島を出ている。

それってどうなんだろう。

KANAUが目指すのは、地域の人の暮らしも含めて島を盛り上げていくこと。

もともと島で民泊事業を営んでいましたが、2年前からは「古宇利島の駅ソラハシ」を受託運営しています。

新しく入る人は、島の駅の運営、イベントの企画や新商品の開発など、地域の人たちと一緒に事業の成長を目指します。

 

那覇空港を出ると、むわっとした空気に包まれる。

ここから古宇利島までは、バスで3時間半ほどのロングラン。YKBこと、やんばる急行バスに乗って北上していく。美ら海水族館を少し越えたところで乗り換えてさらに30分ほど、橋が見えてきた。

先には古宇利島。

サトウキビ畑にエメラルドグリーンの海、青い大空。

想像する沖縄の風景が広がっている。

全長1960mもの長い古宇利大橋を渡り、古宇利島の駅ソラハシに着いた。

駐車場にはたくさんの「わ」ナンバー。水着やサングラス姿の若い人たちが次々と中に入っていく。

土産ものがずらりと並び、新鮮なカットフルーツやジュースを楽しむことができる場所も。ちんすこう、サーターアンダギーなど定番の沖縄土産もあるけれど、やんばるや今帰仁村産など、見慣れない商品も多い印象だ。

店内を見て回り、いったん事務所へ。

迎えてくれたのは、ソラハシのみなさん。となりの公民館に移動して話を聞くことに。

左側が経営陣で、右側が現場メンバー。

どんな想いでソラハシを運営してきたのか、いまどんな方向を見ているのか。せっかくならみんなで聞きたいとのことで、集まってくれた。

半袖のブルーシャツを着ているのが、KANAU代表の玉城勇人(はやと)さん。

最近は出社前にビーチで泳ぐこともあるそうで、肌はすっかり夏色。

「この場所は沖縄北部の情報発信を担っていて。国から補助金をいただいて運営している場所でもあります。なので、北部の商品を優先的に集めて販売しているんです」

なるほど。どうしてこの場所を運営することになったんでしょう?

「そうですね、うちの祖父が古宇利島生まれで。昔は橋もかかっていなくて貧しかったそうで、一家で働きに出る人が多かったようです。祖父たちも戦争が終わる間際ぐらいに大阪に出て行きました」

大阪では物流や不動産、アパレルなどさまざまな事業に挑戦した玉城家。民泊事業にも取り組み、KANAUという会社を立ち上げた。

「まずは大阪と京都で民泊事業を始めました。でもやっぱり、沖縄で事業をしたいという想いが漠然とあったんですよね」

漠然と。

「はい。父や親戚からは、島で何かしたいという話は時折聞いていたんですよね。やっぱり何か事業するにはパワーっているじゃないですか。だから、自分や家族にとってもルーツのあるこの島で何か事業することは、すごく自然なんですよね」

沖縄の健康食品をつくる事業に取り組んだこともあった勇人さん。

8年ほど前から、古宇利島でも親戚の家を借りて一棟貸しの民泊事業をはじめた。ほかにも、島で廃校になる小学校の利活用コンペの話があがったときは、地域の人たちの想いを汲んで提案した。

島との接点を探すなか、古宇利島観光施設の委託管理者を募集している話を聞き、実現することに。

2022年の4月1日にオープンした。

「もともとは、ふれあい広場っていう観光施設で。僕らはまず、古宇利島の駅ソラハシという名前をつけました」

「古宇利大橋に登るときに、まるで空に登っていくように感じるんですよ。こう、ワッて上がっていく。その様子と、あとは人と人とをつなぐ架け橋になる。そんな想いを込めて名前をつけました」

名前のイメージに沿うように施設をリニューアル。

お店の入り口に看板を付けたり、壁にイラストを描いてみたり。フードコートも5店舗のテナントに入ってもらい、賑やかな雰囲気になっている。

現在ソラハシが運営しているのは、土産ものを販売するマーケットと食堂の2つ。

「ソラハシのテーマの1つが、島民・村民・県民と観光客がふれあう場所づくり。観光客だけじゃなくて、地域の人たちとともに成長したいと思っています」

農作物を持ち込んでくれる農家さんがいてもいいし、お客さんとして買いにきてくれるのもいい。また、ほぼ毎日イベントを開いているので、趣味や特技がある人に三線を弾いてもらったり、エイサーを披露してもらったり。

「なんらかの形で地域の人に参加してほしいんですね。それを一緒につくり上げる人に来てほしいと思っています」

 

駅長の吉岡さんは、すでにいろいろと形にしてきたので、新しく入る人の心強い味方になると思う。ちなみに、左隣に座っているのが副駅長の栄太郎さんで、勇人さんの従兄弟。ソラハシの名付け親でもある。

「ぼくも大阪の人間なんですけど、沖縄に来て2年とちょっとが経ちまして。だんだんとこっちにも慣れてきて、ただ暑さには勝たれへんなと思いながら、水着は常に持参してます(笑)」

飲食店向けのコンサルティング会社を経営していて、勇人さんとは、大阪の経営者交流会で知り合ったという。

「はじめは食堂のメニュー開発をしてくれないかって話をもらって。食堂がオープンするときは、こっちに2週間ぐらい滞在して実際に厨房にも入りました」

「役割としては、実行部隊かなと。想いだけでは経営は成りたないので、そのバランスを見ながら形にしていく。それが1つのイベントであったり、地域のものを使った商品開発であったり」

たとえば、どんなものをつくられたんですか。

「土産もので言うと、古宇利島の黒糖と島バナナを使ったバナナケーキ。あとは、沖縄のおふくろの味として馴染みのある豚味噌とか」

「ぬぅっていう商品があるんですけど、なんだと思います?」

ぬぅ? なんですかね…

「パイナップルと黒糖を使った熟成醤油タレなんですけど、沖縄で何? って意味なんです。だから商品を置いておくと、狙いどおり、ぬぅって何? ってお客さんが話しているんですよね(笑)」

ほかにも、栄太郎さんのアイデアで今帰仁村のグァバを使用した青いカレーを開発するなど、地域の素材を活かしたユニークな商品をたくさん生み出してきた。

「マーケットを運営していると、何が売れるか見えるじゃないですか。売れるものを自社商品化したほうがビジネス的にもいいですよね。これが売れているんだったら、地域の素材を使って、もっと美味しくできるんじゃないかって考えていきます」

自分たちでつくることで会社としては利益率が良くなるし、地域のものを商品にして売り上げを立てることで、農家さんへの還元もできる。

印象に残っているイベントの話をしてくれた。

「一番派手に盛り上がったのは、花火大会です。古宇利大橋は毎年周年イベントを開いていたんですけど、コロナ禍でしばらく開催できていなかったようで。古宇利区の区長から、何か周年イベントを開いてほしいと相談を受けました」

どんなものであれば盛り上がるのか、まずは過去の事例も聞きながら、いろんな人に聞いて回った吉岡さん。

たまたまスタッフに花火師の知り合いがいることを知る。花火なら島を訪れる人も、今帰仁村の住民も見ることができる。おもしろそうということで、準備を進めることに。

「花火だけやったら物足りんよねってことで、太鼓チームや大道芸の人も呼んで。ハンドメイドアクセサリーに、薬膳茶の試飲販売、かご編み体験とか。人づてに声をかけることでアイデアも生まれたし、地域の人にも応援してもらえて」

「当日は、1500人近く集まったのかな。島が沈むんやないかって心配しましたよ(笑)。地域の方も楽しんでくれて。何もかも初めてで大変だったけれど、やってよかったなってすごく感動しました」

すると、話を聞いていた現場スタッフの仲宗根さん。

「私はあんまり感動するタイプじゃないんだけど、このときは感動しましたね」

イベントも単に観光客を集めるだけでなく、みんなが楽しんでもらえるように。ソラハシでは、平日も広場でライブをおこなうなど、盛んに交流が生まれるきっかけづくりをしている。

吉岡さんや勇人さんたちは、大阪での事業もあるので、いつもソラハシにいるわけではない。新しく加わる人は、常に現場に身を置いて、地域の人とコミュニケーションが取れる人だとうれしい。

今後も地域のマラソン大会や、冬場のイルミネーションなど、アイデアはいっぱい。形にするのにお金も時間もかかるので、一緒に考えていけるといいと思う。

 

現場スタッフの藤島さんは、日常的な相談役になってくれると思う。

「体力的には、とってもいそがしいなあ! っていう感じです。ここに来る前は、観光客が来るような居酒屋にいたので、感覚としては近いですかね。時期によってお客さんの層が違って、夏は食堂がとくにいそがしいんです」

年間で38万人が来店するというソラハシ。

毎年2月から4月にかけては、バスツアーでたくさんのご年配のお客さんがお土産を買いに来るので、マーケットは大盛況。両耳からお客さんに話しかけられることもあるし、店内は歩くのもやっとになるほどびっしり。

一方で、夏のシーズンは家族連れやカップル、友だち同士など、個人のお客さんが海を目当てに島を訪れ、かき氷やお昼を食べに食堂を利用する人が多い。

じつは、15年前に大阪から移住したという藤島さん。バドミントンが趣味で、今帰仁村を代表する選手なんだそう。奥にいる孝啓さんのお子さんと一緒に練習することも。

なんだかみんな、仲が良さそう。

 

あらためて、島への想いを勇人さんが語ってくれました。

「古宇利島はどんどん観光地化して、自然も減っていくと思う。でも、住民の気持ちや文化っていうのは残っていくはずなんですね」

「いま、僕たちはここで事業を続けることができているけれど、それは僕らの力だけではなくて。祖父やもっと上の世代の人からつながってきたものを、受け継いでいる。だからその想いを大切にいろいろな事業を進めていきたいんです」

とくに県北部では、所得が上がらないという問題もあるそうで、一人ひとりが起業できる仕組みを整えることで、その問題にも向き合おうとしています。

特別なスキルや経験は必要ありません。

この場所からみんなの笑顔のために頑張りたい、そう思う人に届いてほしいです。

(2024/07/05 取材 杉本丞)

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