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「本物」という言葉から、どんなことを想像しますか。
所有するだけで、心が満たされるもの。手間暇をかけて、人の手でつくられたもの。
「AKARI」も、本物と呼ぶにふさわしいものかもしれません。
温かみのある明かりを放つ、美しい造形の和紙照明。
別名、光の彫刻とも呼ばれています。
株式会社オゼキは、岐阜提灯や「AKARI」を製造販売している会社です。
1891年の創業から133年の歴史を持つオゼキ。
岐阜でつくられた良質な和紙と、竹ひごを使用した提灯をつくり続けています。
今回は東京ギャラリーの接客と販売、事務を担うスタッフを募集します。
商品の持つ価値を、どのようにお客さんに伝えていくか。
お客さんの7割は外国人ですが、語学経験は求めません。大切なことは、言葉が話せることよりも、商品や人に関心が持てること。
「AKARI」や岐阜提灯に興味がある人、人とコミュニケーションをとることが好きな人は、きっと楽しめる環境だと思います。
都営浅草線の人形町駅から徒歩3分。
大通りを歩くと、ガラス越しにトレードマークの大きな提灯が見えてきた。
ここが、オゼキの東京ギャラリー。
2階に上がると、たくさんの「AKARI」がやさしく空間を照らしている。
受付のインターホンを押して3階で待つと、「こんにちは」と会長の尾関さんが登場。
普段は岐阜にいるなか、今日は東京出張の日だったそう。
「イサムノグチさんが和紙の素晴らしさを教えてくれたことが、私たちの大きな柱になっています」
岐阜提灯の優美さが明治天皇の目に留まって以降、国内外の展示会に出品して、美術工芸品としての品質を高めてきたオゼキ。
戦後、岐阜提灯は、美しい絵柄、良質な素材から「お盆提灯」として広く使われるようになった。
彫刻家イサムノグチとの出会いが、もう一つの主力商品「AKARI」誕生のきっかけになった。
「これまでは、ろうそくの火を消さない器として存在するだけで、提灯の素材自体がすばらしいとは誰も思ってこなかったんです」
1951年にイサムノグチが来日。広島への道中、たまたま立ち寄った岐阜で、イサムは岐阜提灯を知り、和紙の明かりに関心を持った。
「日本の和紙は非常に繊細で、光を通すとやわらかい光が出る。これを生活に取り入れると、心が和むことをイサムが教えてくれました」
イサムノグチが製造した「AKARI」は200種類以上。今後は「AKARI」の魅力を伝えつつ、和紙を通したやわらかな光の新たな価値を探っていきたい、と尾関さん。
「和紙を通した光っていうのは、ダイヤでいうと原石みたいなもの。それをいかに磨いていけるかが私たちの役割。絵を描いたり、染め物をしたりしてみることで、今までにないものが生まれるかもしれない。これからがすごく楽しみです」
子どもたちをはじめ大勢の人に、自分の作品を使って感性を磨いてもらいたい。その想いがイサムノグチは強かった。
ただ彼の彫刻作品は何千万という金額。だからこそ、この「AKARI」は多くの方に味わってもらいたいと、イサムはAKARIの値段を上げることはしなかったそう。
「このギャラリーに来ることで、イサムノグチさんの想いを知り、『AKARI』の価値を感じていただく。『AKARI』を持つことの喜びを味わってもらいたいです」
現在オゼキの東京ギャラリーは、正社員3名、アルバイト3名で運営している。
そのなかでギャラリーの運営全般を担っているのが、田中さん。
「役職の名称は営業ですが、仕事内容はなんでも屋みたいなことをやっています。岐阜提灯の営業や『AKARI』の接客、商品の受注、発注管理のシステムも整えましたね。いまはギャラリーの配置や構想を考えています」
3年前に入社して、東京のギャラリーをゼロから整えてきた。新しく入る人にとっては、頼もしい相談相手になる。
「ずっと日本の工芸品に携わりたいと思っていて。でも東京で、まして職人じゃない仕事ってなかなかなくて。オゼキは伝統を守りながら、イサムノグチの『AKARI』や、新しい照明のあり方を模索していて。本当にすごいことだと思って入社しました」
インテリアをオンラインで販売する会社で働いていた田中さん。「AKARI」もそこで取り扱っていた商品の一つだった。
転職のきっかけは、海外で過ごした経験。
「高校で留学をしたときに差別を受けて、自分がアジア人ということをすごく感じたんですね。その後アメリカの大学に行ったんですが、なんとなくコンプレックスがあって」
「あるとき、日本人アーティストの展示をニューヨークで見て。本物っていうのは、日本の外でも通用するんだと感じました。自分のなかにも本物と呼べるものを持てたら。そしてそれが日本につながるものだといいなって思っていました」
田中さんにとって、「本物」ってどんなものですか?
「人の想いがちゃんと載っていて、そこに技術が伴って、圧倒的に美しいものですかね。それは守る価値のあるものだと思います」
「提灯をつくるところはたくさんありますけど、イサムさんの『AKARI』はやっぱり美しいし、似せてつくられたものは、すぐに偽物だってわかる。そのクオリティを今もずっと保っているのは本物だと思います」
ギャラリーで働いていると、「AKARI」が好きなお客さんや美術関係者、取引先など、いろんな方から、声を直接聞くことができる。
「『オゼキさんの提灯は信頼できるよ』って、皆さん言ってくださいます。自分たちの商品に誇りを持って働けることがオゼキの強みだと思うんです。私はそこに支えられて仕事をしています」
「200種類以上『AKARI』があるなかで、これだけの種類が揃っている場所は、世界でもたぶんここしかない。この種類の『AKARI』を毎日見られるって、本当にすごいことだなと思います」
これまではショールームとして、「AKARI」を見るための場所だった。この秋にはギャラリーとして、イサムノグチに関する資料、岐阜提灯の製造過程なども展示していく予定。
「ショールームってあまりワクワクして行かないじゃないですか。イサムさんの作品である以上、ギャラリーのような場所で見てみたいと思うし。いくたびに新しい発見がある場所にしたいなと思います」
新しく入る人は、接客・販売、関連する事務作業、営業サポートを担当することになる。ただ役割が明確に決まっているわけではないため、興味があれば、ギャラリーの内容を一緒に考えてつくっていくこともできる。
「『AKARI』の背景に岐阜提灯があることを知って、ゆくゆくは岐阜に足を運ぼうって思う人が増えたらいいなって。岐阜でつくっていることを知らない方も多いので」
「イサムさんが岐阜に行って、提灯を見たから『AKARI』ができた。その土地性を大事にしなきゃいけないし、その歴史や背景に目を向けてくれる人が増えたらいいなって思います」
田中さんを含めて3人と、まだまだ小さいチーム。一人が担う仕事の範囲は広い。周りをよく見て、必要な役割を考えて働ける人があっているんだろうな。
入社2年目の馬場さんは、周りを見て、臨機応変に働いている人。
メキシコで15年間いろんな仕事を経験して、1年ほど前にオゼキへ入社。新しく入る人は、馬場さんからギャラリーの業務を引き継ぐことになる。
「メキシコで建築家のアシスタントをしていて。その建築家が日本食レストランをつくるとき、空間インテリアとして『AKARI』を使っていたんです」
「日本に来るたびにこのギャラリーに寄っていて。田中さんやスタッフの方に会うと、家に帰ってきたような安心感がある場所でした。仕事が一区切りついて、日本に帰ってきたタイミングで、ご縁があって働かせてもらっています」
ほかにも選択肢はあったなかで、何がそこまでさせたのだろう。
「実家が長崎で、お盆の文化がすごく盛んなところでした。実はメキシコも『死者の日』といって、亡くなった人が毎年還ってくる文化が根付いていて。そういうことを大切にするのは国が違っても同じだなと感じたんです」
「何か一つのことがずっと続いているってすごいことじゃないですか。メキシコにも手仕事があるんですけど、同じ提灯でも、日本では江戸時代から代々受け継がれている。それをこのクオリティで、この価格でつくれるって本当にすごい」
ギャラリーの業務は朝8時半から始まる。掃除をして9時からオープン。
接客と販売をしながら、お客さんがいないときは、ギャラリーのレイアウトを変えるなど、自分の感覚を頼りにしっくりくる空間をつくっている。
「たとえば本1冊、椅子1脚を置くときも、人がぱっと見たときに、これは絵になるか考えます。ここを歩きながら、気になったときに動かしてみたり。そういうことを日常的にやっている感じですね」
誰かに言われるでもなく、気になったらつい位置を直してしまう。そんな感覚を持っている人があっているのかもしれない。
ギャラリーを訪れるほとんどの方は海外からのお客さん。
中国、韓国、台湾。ほかにもヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなど。最近は中東からもやってくる。
接客では、英語を話せないと難しいのだろうか。
「私たちの上司、英語をほとんど話せないんですよ。でもすごいコミュニケーション能力で、お客さまと一緒に写真を撮ったりしていて。『あの人いる?』ってお客さまからも聞かれるくらい。言葉よりも、伝えようとする気持ちがあれば大丈夫だと思います」
「それに毎日話していれば、できるようになります。私、英語がダメで、なんとなく話していました。数字がたまにスペイン語だったりもします(笑)。でも毎日使っていれば言葉はどうにかなる。その辺はサポートできます」
ここ数年で「AKARI」の認知度が高まり、去年に対して2倍の数のお客さんがギャラリーを訪れているそう。
大勢の方に来てもらえることはありがたい一方で、「AKARI」の製造が追いついておらず、ギャラリーに商品の在庫がないこともある。
欲しい商品がなくてがっかりされることもあるけれど、一人ひとりのお客さんに丁寧に説明をして、商品の魅力を知ってもらう努力は怠ってはいけない。
「お客さまがお店の人のことを覚えているってすごいことだと思うんです。商品を買えた、買えないよりも、面白いからまた行ってみようって。今日は話が聞けたなとか、この空間で癒されたなとか、そういう体験ができる場所にしたいです」
取材を終えて2階に降りると、アジア、ヨーロッパのお客さんが3組ほど。
その様子を見て、すぐに接客に入る馬場さん。在庫がなくても、お客さんの話を聞いて、商品を提案する田中さん。
英語を話せなくとも、またねと笑顔でお客さんを見送る、お二人の上司。
ここで働く皆さんとなら、よりたくさんの人に、本物を届けていけると感じました。
本物を世界に届ける仲間を募集しています。
(2024/08/09 取材 櫻井上総)