“ホテル泊”ってわくわくする。
旅行で泊まる、仕事で泊まる。ホテル泊のわくわくを演出する舞台装置の一つが、「ホテルリネン」と呼ばれるタオルやパジャマ、シーツ。
ごろんとシーツの海に寝ころぶと気持ちいい。真っ白なバスタオルに顔をうずめて落ち着く。洗いたてのパジャマに袖を通すと心地いい。
人の感覚にまっすぐ働きかけるタオルやパジャマやシーツ。
そのはじまりは、お客さんの“ふわり”とした要望です。
「お客さんのいう“いい感じ”や“気持ちいい”ってどんな手ざわりだろう?どんな形をしている?何色?」
営業から生産管理へいくつものバトンを受け渡し、ふわりとした要望を「ホテルリネン」に仕立てる仕事があります。
営むのは、株式会社ヤギセイ。晒(さらし)の一大産地である大阪で、地域に根ざした産元問屋(さんもとどんや)としてはじまりました。
創業は1919年。それから100年にわたって、自社工場を持たないファブレスの製造卸として繊維業をしています。
今回はホテルリネン事業ではたらく、営業と商品・生産管理を募集します。
大阪の地下鉄堺筋本町駅から徒歩2分。オフィスビルの一室にヤギセイの本社はある。
迎えてくれたのは、2023年7月に4代目社長となった岡本静香さん。社員のみんなからは「しづかさん」と呼ばれている。
「水が豊富な大阪では、江戸時代に綿花栽培が発展してきました。水はけのよい土地で農家が木綿を育て、家族経営の工場で木綿生地に織る。その生地を水で漂白した晒が、ヤギセイのルーツです」
浴衣、てぬぐい、おむつ、ふんどし、ふきん、ガーゼ。晒はかつて、日本の衣食住のありとあらゆる場面において、欠かせない必需品だった。
そんな晒産業は1970年代ごろから衰退。布おむつが紙おむつに、ふんどしがパンツに、てぬぐいがタオルにとって代わっていく。くわえて、1982年には2代目社長が急逝。
「35歳だった岡本司(つとむ)が、3代目社長に就任したんです」
会社としての転換期を支えたのは、長いお付き合いのあるお客さんだった。
「旅館用浴衣のご注文が少しずつ増えはじめていた時期に、『これからの日本は観光が成長する。その分野を繊維で支えるホテル用の浴衣を開発して販売してほしい』とお声がけいただいたんです」
リッツ・カールトンや帝国ホテル、星野リゾートといったハイクラスな宿泊施設向けのタオル、シーツ、パジャマを製造販売する事業は、あらたなヤギセイの柱として成長。
リネン部では営業職6人、生産管理職3人、営業サポート4人がはたらいている。
お客さんと長い付き合いの多いヤギセイでは、10年、20年とはたらく人たちが会社の屋台骨を支えている。
新卒で入社し、リネン部で20年間はたらく安道(あんどう)さん。ホテルリネンの仕事を紹介してくれた。
「ホテルリネンに求められることは、2つあります。ホテルに宿泊する方の気持ちを満たす手ざわりや色などのデザイン。そして、何十回と洗濯乾燥を繰り返してもふわりとした手ざわりが続く品質です」
ヤギセイは、リネンサプライヤーと呼ばれる企業にタオルやパジャマを納める。リネンサプライヤーは、タオルやパジャマをホテルへ貸し出す。使用後に回収して、洗濯して、再びホテルへ貸し出す。
ヤギセイのリネンは、北海道のスキー場から沖縄のリゾートホテルまで、日本各地のホテルで使われている。
10年にわたって関西・関東エリアを担当しているのが、中林さん。
2泊3日の関東出張から戻ったばかり。神奈川県での営業を終えて、この日は関西のお客さんとの電話応対が続いていた。
「出張は月に3回ほどあります。基本は自動車での移動になりますね。どういうルートでお客さんを訪ねるかは、自分で決めていきます」
上司の安道さんと同じく、中林さんも新卒入社組。
「業種や職種はしぼらずに、就職活動を進めました。合同企業説明会にヤギセイが出展していて。明るい雰囲気の会社だなと思ったんです」
入社のきっかけは、2000年代に立ち上がったオーダーメイドタオル事業だった。
国際的なスポーツチームやスポーツ大会グッズ、ナショナルブランドのノベルティ、紅白歌合戦で見かけるアーティストのライブタオル、そしてだれもが見たことのあるアニメ。見覚えのある制作事例に惹かれた。
入社3年目にリネン部へ異動。ホテルリネンの仕事は11年目を迎える。
「ホテルリネンにはなじみが薄かったので最初は戸惑いましたが、安道さんについて仕事を覚えていきました」
「はじめのうちは失敗もありましたが、許してくれる環境があるし、若手はかわいがってもらえる。継続的に関係性を保つことこそ大切なんです」
これから働く人も、はじめの1年間は中林さんについて仕事を覚えていくこととなる。
「長いお付き合いのお客さんが多いんですよ。リネンの営業って『どの商品を買うか』と同じくらい『誰から買うか』を大事にしている。仕事が人に紐づいているなと感じます」
取引は数億円規模から、月に一度発注をいただく先まで大小さまざま。大口のお客さんともなれば、毎日のように連絡をとりあうことも珍しくない。
担当が変わると売上げが落ちる、ということもあるそうで、中林さんが担当について間もないころ、あるお客さんとの取引が減ることがあった。だけど、ほかのお客さんとの取引は増えた。
「お客さんは、ヤギセイという会社以上に、ぼく自身を見てくれているのかな」
営業職は、扱うものによってやりがいも大きく変わる仕事。たとえば営業経験があって、会社と会社の取引というよりは、個と個の関係を大事にして働きたい。そんなふうに関係性をつくる営業が好きな人には楽しいと思う。
また、観光の動きを肌で感じる仕事でもある。
「コロナ禍を経て、日本の観光には追い風が吹いているでしょう。東京、沖縄、万博を控える大阪。日本各地でホテルの建設が相次いでいます」
こんなことがあった。
「家族とテレビを見ていたら、関西で新しくオープンするホテルが特集されていたんです。そのなかで、ぼくがウェアを担当させていただいたホテルのスイートルームが紹介されていて。誇らしかったな」
「肌ざわりよく」や「気持ちよく」といったお客さんの要望を営業が受け取り、そのバトンを生産管理へと手渡していく。その積み重ねが、リネンという形になる。
パジャマ生地一つをとっても、ワッフル、ストライプ、ヘリンボンなど30種類以上から選ぶ。さらにえりの形、スリットの有無、ボタンの色などを考えていくと、可能性はますます広がる。
営業は、リネンの製法に加えて、洗濯・乾燥の知識も必要になる。
「同じ浴衣を納品しても、リネンサプライヤーさんによって洗濯後の仕上がりが大きく変わります。だから、洗濯・乾燥工程までイメージしたものづくりが求められます」
取材をしたのは8月。お盆休みが明けると、年末に向けた打ち合わせがはじまる。
「リニューアルを希望するお客さんがいらっしゃると、生地見本を持って打ち合わせにいきます」
「パジャマの色味にもトレンドがあります。かつては白がメインだったけれど、最近はグレーが人気ですね」
9月に仕様を決定して、契約。すぐに工場へ発注。リネンサプライヤーの手元へ届くのは11月になる。
そんな営業職のみなさんが頼りにするのが、生産管理。
「ホテルのふわっとした要望を営業のみなさんが聞いて、メーカーと相談して形にしていく仕事なんです」
そう話すのは、生産管理を担当する石原さん。
長くアパレルで仕事をしてきた方。店頭販売にはじまり、バイヤー、店舗統括、さらには中国の工場へ自ら赴いて、テキスタイルデザインも手がけてきた。
「キャリアを重ねるにつれてマネジメントの仕事が増えていきました。でも、わたしの原点は『つくりたい』。現場に関わる仕事がしたい、製品をつくる過程にいたいという思いが募っていきました」
ヤギセイへ入社したのは2015年のこと。
営業担当の要望を引き受けては、提携工場へ発注していく。サンプルを依頼して、お客さんの発注が決まると製造開始。
2023年に定年を迎えたけれど、あと5年働きたい。そんな石原さんの後継者を募集する。
生産管理や仕入の経験があれば活かせそう。アパレルで販売職をしてきて、生産に興味がある人も大歓迎。
「つくることが好きな方であれば、きっと大丈夫。まずは未知の世界へ飛びこむ気持ちではじめていただけたら。時間はあります。3年くらいかけてじっくり育っていただけたらうれしいです」
長年アパレルで働いてきた石原さんも、ヤギセイに入社直後は戸惑いの連続だった。
「そもそも計量の単位が違うんですよ。タオル生地は、尺貫法といって、キログラムではなく匁(もんめ)で量ります。わたしも『モンメってなに?』というスタートでした」
「たとえばタオル。糸番手、撚(よ)り、打ち込み、糸の種類、加工の有無…これらの組み合わせで変わっていきます」
出張中の営業が、お客さんとの商談中に相談の電話をかけてくることもある。
「イメージの写真を手渡されたのだけど、こんな生地ってないかなあ?」相談を受けては、生地問屋さんに聞いてまわる石原さん。
そのほかにも、日本各地の縫製工場、染(せん)工場、刺繍屋さん、中国にある工場… 10以上の工場とやりとりを行っていく。
「無理難題だってありますよ(笑)。『えー、こんな刺繍できないよ』と思うオーダーが来ることも。でもそこであきらめちゃ面白くない。『ここ、もうちょっとまっすぐしたい』『生地の当て方を直したらどう?』と、工場の方に提案も行って形にしていきます」
「ほんとうに奥が深い仕事なんですよね。しんどいこともあるけど、おもしろい仕事です」
ごろんとベッドに寝ころぶと気持ちいい。真っ白なバスタオルに顔をうずめると落ち着く。洗いたてのパジャマに袖を通すと心地いい。
人の心にダイレクトに働きかけるリネンづくりを、営業と生産のバトンを受け渡しながら、形にしている人たちがいます。
(2024/8/8 取材 大越はじめ)